第113話 フェイリンの天法士

「どうする……」


 と、焦るバーレンとバティらの前方――まばらな樹林の向こうに川が見えた。右に目をやれば、やや幅の広い橋もかかっている。


「あの橋を渡ってから、急いで橋を壊そう」


 バーレンが言ったが、バティは同意せず、


「いや、橋を壊してもすぐに別の橋から来られてしまうし、あの川は浅いから騎馬であれば渡れる。それより、こう言うのはどうだろう」


 と、バーレンに馬を寄せて胸中の考えを話した。


「いいかも知れん。それで行こう」


 バーレンはにやりと頷いた。


 バーレンとバティ、付き従う約五百騎は橋を渡ると向き直り、やや乱れがちだが隊列を整えた。その上で、バティとバーレンの二人は橋に戻り、中央に立った。

 更に、先にばらばらに駆けていた約三百人を呼び集めさせると、すぐ近くにあった雑木林に入らせた。


 追い付いて来たダヴィドはそれを見ると、


「あれは……待て、皆、止まれ!」


 と、進軍を止めさせた。

 リューシス軍の兵士らが、横たわる川の向こうで整列してこちらを向いている上、バーレンとバティが不敵に橋の中央に立っている。

 今しがたまで散々に追い散らされて来たのに、急に落ち着いてこちらを待ち構えている格好なのである。

 

「わざと渡らせようとしているようだ。何か策を用意しているのか?」


 ダヴィドは眼光鋭くして前を見回した。

 しかし、急襲成功で勢いに乗っている部下たちは逸って詰め寄る。


将軍サージュン、何故止まるのですか?」

「あのように急に落ち着いて待ち構えている。しかも橋の中央にはたった二騎。何か策があるのかも知れん」

「策があろうとあの程度の人数では大したことはできないでしょう」

「だが、あの橋も一度に沢山は渡れんしな」

「では、様子見と言うことで、まずは私の部隊だけでも行かせてください」


 と、一人の隊長が進み出た。

 ダヴィドは一瞬考えた後、


「よし……わかった、行って来い」


 ダヴィドが許すと、その隊長は兵士らを引き連れて橋へ向かって殺到し、まずは中央にいるバーレンとバティに襲い掛かった。


 しかし、橋の幅からして、一度に行ける人数は七、八騎が限界であり、その程度ではバーレンとバティの猛者二人にはとてもかなわない。

 二人の前に立った瞬間には、突き伏せられて川に叩き落されていた。それでも後続の兵士たちは次々に向かって行くのだが、バティとバーレンに一太刀でも浴びせられる者はなく、皆虚しく橋の上で絶命して行った。


 流石に見かねて、ダヴィドは攻撃を止めさせた。


「ううむ、橋だから多勢でかかれん。厄介だな」


 ダヴィドが顔を険しくすると、別の部下が進言した。


「この川は浅く、騎馬であれば渡れそうです。一斉に渡りましょう」

「いや、流石にそれはまずい」


 騎馬であろうと川を渡るのは手間取る行為であり、その時に攻撃を受けてしまうと被害は甚大になる。軍学でも敵が川を渡って半ばの時に攻撃せよ、と言うのがある。


 ダヴィドは舌打ちした。


「あの二人で橋を止めておいて、我らに川を渡らせたところを攻撃するつもりなのかも知れんな。その上でまだ何か策でもあったらどうなるかわからん。失敗したな、弓矢があればこちら側から攻撃できるんだがな……」


 今回の急襲は、機動力と攻撃力を最重視した為、弓矢を携帯させているのはわずか百騎ほどしかない。しかも全て短弓であった。


「うん? あれは……」


 ダヴィドは、川向うのリューシス軍の後方右手にある雑木林が不自然に揺れているのに気付いた。


「あそこに兵を伏せているな」


 ダヴィドは目を光らせた。

 そして注意深く観察し、しばし思案すると、決断した。


「やめておこう。もう充分に叩いた。ここで敵の策にはまって被害を受けてしまったら折角の戦果が台無しだ。リューシス殿下もあそこにはいないしな」


 ダヴィドは全軍に撤退を命じ、背後に警戒しながら退いて行った。


 砂塵の中に小さくなって行くダヴィドら騎兵隊の後ろ姿を見て、バーレンとバティは右手を叩き合った。


「うまく行った」

「おう」

「川を渡って来たところを攻撃しても良かったのだが、戦わずに退かせることが最上。うまくはまってくれた」


 バティは、安堵してふうっと息を吐いた。


「驚いた。バティどのがこのような妙策を考え出すとはな」

「少しはローヤンの兵書を学んだ成果が出たかな」


 バティは照れ臭そうに笑った。


「さて、橋は壊さずに、俺たちもまだここにいた方がいいな」

「そうだな。焦ってここを離れれば、気が変わった敵が川を渡って来てしまうかも知れん」

「少し休むとしようか」


 と、バーレンが馬首を返した時だった。彼は、電撃に打たれたかのように目を剥いた。


「まずい……今頃殿下はどうなっている」


 バーレンは呻くように言うと、東の空を見上げた。





 エレーナは、背後を振り返った。

 およそ二百メイリほど後方に、十数騎ほどの騎馬の一団がこちらを追って来ていた。

 全員、甲冑を身に着けていた。明らかに盗賊の類ではない。


「リューシス!」


 エレーナは叫んでリューシスの後ろ姿を見た。


 背中に矢を射られたリューシスは、馬の背に顔を伏せていた。手綱を持つ手が震えている。


 今日は甲冑は着ていない。長剣は佩いているが、簡易防具の類も身に着けていない平服である。だが、葡萄酒色の絹の羽織を着ていたのが幸いした。


 絹と言う生地は、その優美さからは想像できないほどに頑丈であり、厚めにすれば半端な流れ矢程度なら弾いてしまうほどである。

 特に、リューシスの絹の羽織は緊急時のことを考えて厚めに作られていた。それ故に、リューシスの背を襲った矢も、そこまで深くは刺さらずに致命傷とはならなかったらしい。


 リューシスは、激しく呼吸を乱しながらも、ゆっくりと顔を上げた。

 だが、表情は激痛による苦悶に歪んでおり、額には脂汗が浮いている。

       

「リューシス、大丈夫?」

「大丈夫だ……って言いたいところだけど」


 リューシスは声を震わせながら答えると、後方を振り返った。

 目を凝らして、追って来ている騎馬集団の軍装を確認すると、悔しげに唇を噛んだ。


「ラングイフォン州の甲冑だ」

「ラングイフォン?」


 エレーナも驚いて振り返った。


「じゃあ……」

「アルテムが裏切ったんだ。いや、違う。アルテムは最初からこれを狙っていたんだ。あっさりと降伏して城を開いたのは、俺たちを誘い込み、油断させ、隙を見て一気に逆転する為……」


 リューシスは天を仰いだ。


「迂闊だった。一つ一つの油断が……全て俺の失策だ。せめてバイランを連れて来ていれば……」


 と、途中まで言いかけて、突然リューシスは咳込み、最後に血を吐いた。


「血? どうしたの」


 エレーナがまた驚いてリューシスの顔を見れば、その顔色はどんどん悪くなって行ってるように見えた。

 リューシスは右手を背へ回し、呻きながら矢を抜くと、赤黒い血に濡れた鏃をよく見た。


「毒だ」

「え? 毒?」

「まずい、身体が痺れ始めて来た。頭も」


 リューシスは手で頭を押さえた。


「そんな……」


 エレーナは呆然としかけたが、すぐに顔つきを変えて後ろを振り返った。

 追って来る騎兵集団のおおよその人数と位置を確認すると、覚悟を決めた顔となってリューシスに言った。


「それ以上しゃべらないで。手綱だけはしっかり握っていてね。」

「なにを……」

「しゃべらないで、ってば! 体力どんどん失っちゃわよ!」


 エレーナは珍しく大声を出すと、意識を集中した後に目をカッと見開いた。

 次の瞬間、人の三倍はあろうかと言う大きさの竜巻ロンジュエンが沸き起こり、うねりながら後方へ走った。

 竜巻は、リューシスらを追って来ている騎馬集団の先頭を襲い、三騎を巻き込んで空へと放り上げた。


天法術ティエンファーだ、避けろ!」


 後続の騎士らが叫び、左右へ分かれて竜巻を躱した。

 それを見たエレーナは、続けて左手を後方へ突き出し、左右に動かした後、勢い良く振り上げた。

 轟音と共に、騎士らの足元の地面が次々と爆発して土を噴き上げた。

 天地無法ティエンディーウーファーと呼ばれる土の秘術。先ほど竜巻を躱した騎士らもこれは避けられず、爆発に巻き込まれて吹っ飛んだ。


「今のうちに距離を離しましょう。まだ大丈夫?」


 エレーナがリューシスの顔を見た。

 リューシスは振り向き、血色を失いつつある顔で頷いた。


 しかし、駆けて行く二人の行く手、丘の陰からまた一個の騎兵部隊が突出し、こちらへ向かって駆けて来た。

 今度は十数騎ではない。ざっと見て百騎以上はいるように見えた。エレーナは即座に逃げることを決めた。

 百騎以上ともなれば、いかに天法術ティエンファーが強力とは言え、一人だけではとても対処できない。体内の天精ティエンジンにも限界がある。


「ここは元々フェイリンよ。地理は詳しいんだから」


 エレーナは呟くように言うと、「リューシス、こっち!」と言って馬首を左へ旋回させた。リューシスも虚ろな表情で後に続く。


 左手には、丘と雑木林が広く錯雑している一帯があった。

 エレーナはそこに駆け入ると、迷うことなく左へ右へと走り、やがてその一帯を抜けて、右に山を望む緑野に出た。

 先ほどの騎兵隊が追い付いて来ている気配はない。


「今のうちに。クイーン州は確かあっちよね。馬、もってくれるかしら」


 エレーナは四方を見回して位置を確かめると、前方右手に見える山と山の間を目指して駆けた。

 振り返ってリューシスを見る。彼は半分意識を失いかけているのか、青い顔で目には光がなく、時折頭をふらつかせている。


「もう少しだから頑張って!」


 エレーナの声は聞こえているらしい。リューシスは生気のない顔を小さく縦に振った。


 しかし、前を向き直して、エレーナは愕然とした。

 目指していた前方右手の山間やまあいから、またも騎兵の一団が現れたのが見えたのである。騎兵らは山陰から次々に飛び出して瞬く間に百騎ほどの一団となった。

 リューシスらに気付くと、喚声を上げながら真っ直ぐに殺到して来た。


「仕方ないわ。遠回りになるけど向こうへ」


 エレーナは馬首を左へ旋回させた。左手には樹木が点在している丘がある。

 だが、エレーナはまたしても顔色を変えて馬を止めた。

 丘の上に、別の新たな一隊が姿を現したのである。

 今度は騎兵ではなく歩兵の集団であったが、数は一番多く、ざっと見ても五百はいるように見えた。やはり、リューシスらに気付くと一斉に向かって来た。


 背後は山であり、左手には先ほど抜けて来た雑木帯があるが、その向こうにはその前に撒いて来た騎兵隊がいるかも知れない。


 エレーナの顔が絶望に染まった。

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