第104話 ハルバン城陥落

「ラドゥーロフ将軍、ここにいたのですか! 敵軍に城門を突破されましたぞ!」


 部下が青い顔で報告に来た時、サイフォンは甲冑姿のまま、執務室の壁際にある箪笥の引き出しを順々に開けて何かを探していた。


「騒ぐな。一段と騒々しくなったこの音を聴けばわかる。と言うより、そろそろ城内に突入されることはわかっていた。だからここに来たのだ」


 サイフォンは振り返らないまま答えた。


「皆に伝えよ。こうなった以上、命を捨ててまで戦わずとも良い。降伏したい者は降伏せよ、と」

「なんと……それでよろしいのですか?」

「構わん。城内に突入されてしまってはもう勝ち目はない。これ以上、命を無駄にすることはない。殿下は慈悲深いお方だ。降伏すれば命は助けてくださる」


 言い終えた時、サイフォンは、「ああ、これだ」と、引き出しの奥から何かを取り出して、腰から提げている革袋の中にしまった。

 そして初めて部下の方を振り返ると、急かした。


「さあ、早く行け」

「はっ……」


 部下は、背を返して再び駆けて行った。

 そしてサイフォンも、側の壁に無造作に立て掛けていた槍を取って執務室を出た。

 政庁内は、すでに騒然として血生臭い熱気に満ち始めていた。サイフォンは槍を握りしめながら廊下を歩き、政庁を囲む城壁の上に出た。

 城壁の上では、兵士らが必死の形相で射撃を行っている。


 ハルバン城は、基本的に北方高原の異民族の侵入に備える城である為、一般市街区は南側に広がっている。だが、ルード・シェン山より北上して来ているリューシス軍は南側から攻め入っている為、住民らが逃げ惑うその市街区のあちこちで激しい戦闘が繰り広げられていた。


 サイフォンは、その戦闘の様子を注視した。


 ――殿下は流石だ。住民に被害が及ばぬように徹底して指示しているな。


 リューシス軍の兵士らは、城内に雪崩れ込んだ勢いのままにハルバン兵士らを押しまくっていたが、よく見れば兵士らは民家には近づかず、住民に注意しているように見えたのだ。


 ――悪くない。ローヤン……いや、天下屈指の名将であろうリューシス殿下を相手に最後の戦。ローヤン武人として最後にして最高の華を咲かせられるぞ。


 サイフォンは不敵に笑うと、顔に覇気を漲らせた。

 晩冬の乾いた冷気が皮膚を刺すが、全身は闘志で熱くなっていた。


 やがて、リューシス軍は各区域を制圧し、そのまま政庁の城壁にまで殺到して来た。

 リューシス軍兵士らは喚声を上げながら、一部は城門を破るべく突撃し、その他は城壁を登ることを試みる。


「弓をくれ」


 サイフォンは槍を置くと、近くにいた兵士から長弓を受け取った。

 そして素早く矢をつがえると、引き絞った弦を鋭く唸らせた。矢は銀雷と化して空気を斬り裂き、眼下の一人の敵兵の肩を貫いた。


 ――かつてバルタザール様にお教えした矢だ。


 サイフォンは続けて次々に矢を放つ。流石は七龍将軍だけあって、恐るべき速度の早撃ちであった。しかも正確を極め、サイフォンの弓が唸りを上げる度にリューシス軍の兵士らが倒れた。


 前線で指揮を執っていたヴァレリーが、その様を見て冑の目庇を上げた。


「あれはラドゥーロフ将軍か」


 ヴァレリーは呟くように言うと、慣れた手つきで腰にある半弓を手に取った。

 城壁までの距離はわずかにおよそ五十メイリほど。手練れの射手にとっては距離とも言えぬ距離である。ヴァレリーは躊躇いもなく矢をつがえて弦を引き絞った。

 しかし、手を放そうとした瞬間、ヴァレリーは青い目を瞠ってその動きを止めた。


「サイフォンは絶対に殺すなよ。是非とも味方に加えたい。活かして捕らえるんだ」


 リューシスの言葉が耳の奥を走った。


「危ないところだった」


 ヴァレリーは小さく息を吐いた。

 だが、矢を撃つのをやめたわけではなかった。

 ヴァレリーは構えたまま、城壁上のサイフォンを凝視した。その動きを見て、呼吸を測った。

 やがてヴァレリーは、長く息を吐くと、冷静な表情で手を開いた。

 その手から離れた矢は、味方の頭上を飛び越えて城壁の上へと疾り、恐るべき正確さで標的の人物の右肩に突き刺さった。


「うっ」


 サイフォンは弓を取り落し、仰け反った。

 鎧の上からであるし、膂力に優れるサイフォンなので、堪えて踏み止まれた。しかし、当然肉を貫いた痛みはある。サイフォンは痛みに顔を歪めながら眼下を見た。


「この矢はヴァレリーか。流石は次期十四紅将軍候補の筆頭だけある」


 サイフォンは、視界の奥にヴァレリーの姿を小さく捕らえていた。


 その時、リューシス軍の喚声が一段と大きくなり、大地をどよもす轟音が響いた。

 ついに政庁の城門が破られ、リューシス軍の兵士が突入を開始したのだ。


「遂に破られたか……まあいい、ヴァレリーやイェダーら、あれほどの男達がいれば、殿下の心配はいらねえな」


 サイフォンは笑うと、弓を投げ捨てた。

 すぐ側には、先程置いた槍がある。サイフォンはそれを取り直すと、踵を返して武者走りを降りて行った。


 その消えて行く背中を、別の方向からシュエリーが見ていた。


「皆、ついて来て!」


 シュエリーは深刻な表情となると、長剣を抜き払い、兵士らが殺到して行く城門へ向かって駆け出した。

 周囲の護衛兵らが慌ててついて行く。


 シュエリーは十四紅将軍ではあるが武勇を誇るタイプではないが為に、これまで前線を駆けることなど一、二度ほどしかない。そんな彼女が、危険極まる攻城戦の中、自ら政庁内に突入して行った。


 政庁内はすでに修羅場と化していた。

 数少ない残ったハルバン城兵士らを、数で勝るリューシス軍兵士らが追い散らしている。


「皆、サイフォン様を探して! 急いで!」


 シュエリーは、いつものおっとりとした口調から一転、きびきびとした語気で兵士らに命じた。


 政庁の建物は、上から見るとコの字型になっており、その中央には中庭がある。

 その中庭の方向から一際激しい戦闘の音がするのを聞き取り、シュエリーは中庭へ走った。


 そこには一人の戦鬼がいた。


 彼は愛槍を縦横に振り回し、その穂先でリューシス軍兵士らを貫く度に、鬼気迫る顔を返り血で染めて行った。

 周囲には十数人の部下を従えており、彼らもまた必死の働きを見せている。だが、それが目立たぬほどに、サイフォンと言う名の戦鬼の勇武は際立っていた。


「かかって来い! 七龍将の最後の武の華、存分に見せてやるぞ!」


 サイフォンは吼えながら槍を突き、薙ぎ払い、叩きつける。その速度と衝撃は雷鳴のようであり、穂先が光を閃かせる度に赤黒い血が舞った。


 ――サイフォン様が武勇に優れているのは知っている。でも、これほど強かったかしら?


 シュエリーは思わず戦慄を感じた。

 そんな見ている間にも、サイフォンは四方に死屍を積み上げて行く。そのサイフォンの勢いに押されて、リューシス軍の兵士らは怖気づいて後退し始めた。


 ――見ている場合じゃないわ。


 シュエリーは命令を発した。


「ライさん、右へ回り込んで! 二番隊、その後ろを通って更に向う側へ!」


 混乱極まる乱戦にあっても、シュエリーの命令は行き通り、その指示通りに兵士らが動いた。

 すると、瞬く間に、リューシス軍兵士らが遠巻きにサイフォンを包囲して弓矢を向ける形となった。


「サイフォン様!」


 シュエリーが叫んだと同時、世界が一変したかのように静寂が訪れた。兵士らの乱れた息遣いだけが響いている。

 サイフォンは、槍を構えたまま動きをぴたりと止めた。サイフォンも、囲まれていたことには気付いていた。

 彼は四方を見回すと、シュエリーを見て大きく息を吐いて言った。


「先日のアルバン平野の戦い、そして今回の攻城戦。お前の力が大きいだろう。よくやったな」


 サイフォンは、返り血塗れの顔に微笑を浮かべた。


「いえ。私の情報を基に総指揮を執ったリューシス殿下の力です」


 シュエリーは白い顔に悲しそうな色を浮かべた。


「サイフォン様、もうよいではありませんか……降りませんか? 私と共にリューシス殿下の下で働き、新しいローヤンを創りましょう」


 しかし、サイフォンは、大きく深呼吸をして呼吸を整えると、


「そうはいかねえよ。俺はローヤン帝国と皇帝陛下の臣であり、ローヤン軍の柱石である七龍将軍だ。」

「ローヤンを想うのであれば、尚更リューシス様にお味方するべきではありませんか? 正義はリューシス様の方にあります」

「そうかも知れないな。だが、今のローヤンの状況を考えてみろ。リューシス殿下の挙兵による混乱に乗じ、南方タイピン州では大規模反乱が起き、西方ではガルシャワが再び侵攻しようとしていると言う。このような中、七龍将軍である俺が簡単にリューシス殿下に寝返れば、ローヤン軍全体は大きく動揺しよう。そうなればローヤン滅亡の危機だ」

「リューシス殿下であれば、そのような国家滅亡の危機も乗り越えることができるはずです。共に殿下を助けて参りましょう」


 そう言うシュエリーの声は、かすかに悲痛な響きを帯びていた。

 逆にサイフォンは、「シュエリー」と、優しい声を出した。


「人が利だけでは動かぬことは知っているだろう。それと同じく、人は正義だけでも動けぬことがあるのだ。俺はアンラードの皇帝陛下を裏切ることはできない」


 そしてサイフォンは、槍を投げ捨てて腰の短剣を鞘払った。

 何事かと警戒し、囲んでいた兵士たちが身構え直す。

 だがサイフォンは、その短剣を自らの腹に突き刺した。


「サイフォン様!」


 シュエリーの絶叫に近い悲鳴が響いた。

 膝をついて崩れ落ちたサイフォンに、シュエリーが駆け寄った。


「何てことを!」


 シュエリーは狼狽しながら、血塗れのサイフォンの上半身を抱き起して膝に乗せた。

 サイフォンの腹から流れ続ける鮮血が、シュエリーの鎧を赤く染めて行った。


「救護兵! 救護兵を急いで連れて来て!」


 シュエリーが青い顔で叫んだ。

 対して、サイフォンは激痛で歪む顔に笑みを滲ませた。


「らしくねえぞ、シュエリー。取り乱すな」

「だって……だってサイフォン様……!」


 シュエリーは部下や兵士らの眼を憚らずに泣いていた。


「お前は十四紅将軍だ。指揮官が涙を見せるな。兵の士気に関わる」

「ですが……」

「シュエリー……俺はお前が羨ましい……」

「え?」


 シュエリーは、涙溢れる目を見開いた。


「俺もリューシス殿下の下で働いてみたいとは思う……だけどな、皇帝陛下に忠誠を誓い、ローヤン軍を支える七龍将としての俺にはそれはできねえ。家族や一族もアンラードにいるしな……。だから、俺の想いはお前に託したぜ……お前がリューシス殿下を助けて行くなら、しっかり助けてローヤンと天下万民を守れ」

「サイフォン様……」

「シュエリー。世の中は不条理と理不尽に満ちている。その最たるものが戦争だ……だが、お前はそれに心を乱されるなよ。お前はお前の信じる道を行け……」

「そんな……」

「ああ、そうだ」


 サイフォンは、震える手で腰に提げていた革袋を取り、中の物をシュエリーに差し出した。


「あ、これ……」


 シュエリーは、驚いて手で口を押さえた。

 それは、昔サイフォンがシュエリーにあげたあの七彩石の首飾りであったからだ。


「そのうち同じ物を作ってやる、と言ったきり、その約束をずっと果たせてなかったからな。死ぬ前に作ってやろうと思ってさ。だけどすまん、七彩石だけはどうしても手に入らなくてな……」


 首飾りの先には、七彩石の吊墜だけが無かった。

 シュエリーはそれを見ると、涙を流しながら懐から七彩石の原石を取り出した。


「サイフォン様、それなら……ありますよ、ここに」

「何? ど、どこで……」


 サイフォンは、蒼白の顔に驚きの眼を瞠った。


「ルード・シェン山に鉱脈があったんですよ。サイフォン様に早く見せたくて、持って来ていたんです」

「そうか……七彩石……あったのか、良かった……」


 サイフォンは、震える笑みを浮かべた。


「これで、あの時の首飾りが完成だな……」

「うん……」


 シュエリーは、下を向いて号泣した。


「シュエリー……あの時俺が言った言葉、忘れるな。お前の中の七彩石、大切にするんだぜ……」

「うん……」

「俺の七彩石はお前だ……天から守ってやるからな……」


 サイフォンはかすれる声で言うと、そのまま目を閉じて動かなくなった。

 シュエリーは、いつまでもサイフォンの身体を抱き締めて泣いていた。




※これにてハルバン城マンジュ族編は終わりです。折り返し過ぎました、今後とも宜しくお願いします。

以下に、ローヤン領概略図を載せてあります、ご参考としてください。

https://twitter.com/Teru35884890/status/1209027929360883712

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