第103話 悪魔の戦術
近くにいた副将のグイハン・スンも、サイフォンの側までやって来て、
「将軍、敵の中央がかなり手薄になった上、間隙が出来ています。しかも、その向こうにリューシス殿下の本隊が見えます。今ここであそこを突けば、敵を分断できる上にリューシス殿下の部隊も突けます!」
と、興奮して槍を握りしめた。グイハンは武勇に優れた勇猛果敢な若い武将であったが、それ故に猪武者的な血気に逸るところがある。
だが、サイフォンは冷静になって一呼吸置くと、鋭い眼で前方を凝視した。
「しかし、あの殿下の本隊には狼狽えている様子がないのが怪しい……」
と言った途端、そのリューシス本隊が慌ただしく後方へと動き始めたのが見えた。
「やはり想定外の陣形の乱れのようです。将軍、この機を逃してはなりませんぞ、ご命令を!」
グイハンが焦れて詰め寄ると、サイフォンは「よし」と頷いたが、
「それでも敵の中央へ斬り込むのだ。危険と隣り合わせになる。まずはお前の騎兵で突撃して来い。但し、少しでも怪しいと思ったら引き返してくるのだぞ。俺は何かあった時の為に援護の態勢を整えておく」
と命じると、
「承知仕りました! 皆、俺に続け! 大手柄は目の前ぞ!」
グイハンは、言い終らぬうちにもう馬を駆っていた。
グイハン・スンとその騎兵一千騎、大地を揺らして猛然と疾駆した。
ちょうど、両軍の矢が尽きかけて来ていた頃であり、グイハンらは勢いを妨げられることなく一直線にリューシス軍中央の間隙へと突撃した。
「いかん、食い止めろ!」
ヴァレリーは慌てて命令を叫んだが、中央前線の兵士達は悲鳴と共に吹き飛ばされた。
「よし、このまま一気に突っ切り、分断した上でリューシス殿下の部隊も突くぞ!」
グイハン隊は、四散するリューシス軍の兵士らを蹴散らして行き、そのままヴァレリー隊の中を突っ切って見事に突破に成功した。
そして、その先に、逃げて行こうとするリューシス隊の騎兵と上空を飛ぶ飛龍兵らが見えた。
「よし、敵は算を乱しているぞ、かかれっ!」
グイハンは更に勢いづいて突進した。
しかし、グイハンの視界の前方上空に、白龍の背に騎乗する
グイハンは猪突猛進型とは言え武将である。瞬時に謀られたのを悟った。
「いかん、誘いか? 退くぞ!」
グイハンは慌てて絶叫したが、すでにどうしようもなかった。
その時、前方を駆けて行くリューシスの騎兵らが、綺麗に左右に分かれていた。そしてその間から一団の騎兵が魔兵の如く現れ、風を裂いて殺到して来た。
それはもちろん、丘の陰に隠れていたバティ率いる五百騎の
「行くぞ、俺に続け!」
バティが滑らかなハンウェイ語で叫ぶと、旗下の
バティの号令一下、
更にそこへ、先程左右に分かれたリューシス隊の騎兵らが大きく曲がって来て左右両翼より突撃を敢行し、リューシス率いる飛龍兵らも旋回して来て降下突撃を放った。
これで、グイハンらの部隊はあっと言う間に壊滅し、グイハン・スン自身は乱戦の中でボロボロにされた挙句、「敵将、リューシスどのの軍に加わって戦う初めての戦の手柄に、その首もらうぞ!」と、駈け付けて来たバティの槍の一突きで大地に散った。
「これぞ
バーレン隊の援護に回っていたシュエリーは、清楚に見える顔に魔女のような笑みを浮かべると、
「反撃!」
と、次の合図を鳴らさせた。
バティの一角馬部隊が中央より突出し、その後にリューシスの騎兵、上空からはリューシスの飛龍兵が続いて、サイフォン軍に正面突撃をかけた。更には、乱れていたヴァレリーの部隊も陣形を整え直し、「かかれっ!」と、一斉に駆け出した。
「罠だったか」
サイフォンはグイハンの異変に気付き、ちょうど援護に向おうとしていたところであったが、リューシス軍らが反撃に向かって来たのを見ると、素早く決断した。
「撤退だ、退くぞ!」
まだ、左右両翼では互角の戦闘である。
しかし、リューシス軍はグイハンらの騎兵をあっと言う間に殲滅した上でこちらの中央へ突撃して来ている。勢いはリューシスらにあるだけでなく、やがてグイハン討ち死にの報が広がれば全兵士らは動揺し、両翼も崩れた上で全軍壊滅に陥るのは必至だ。
そう考えて、被害を最小限に食い留める為の早めの撤退判断であった。
サイフォンは、迅速に撤退行動にかかった。
崩れている時の撤退行動は、どんな名将でも難しい。だが、サイフォンは流石に七龍将だけであって、まだ無傷でいた弓兵、飛龍兵などを使って巧みにリューシス軍の追撃を防ぎながら、ハルバン城への撤退に成功した。
しかし、リューシス軍の精鋭たちによる追撃はやはり凄まじく、サイフォン軍は大きな被害を出した。
こうして、この戦いはリューシス軍の勝利、サイフォン軍の敗北で終わった。
ハルバン城へ走る道中、サイフォンは一人呟いていた。
「偽装退却からの奇襲や包囲はシュエリーの得意とする戦術だ。しかし、まさか大胆にも中央を開けて誘い込むなんてな。シュエリーの奴、小悪魔から悪魔になりやがった」
悔しげな言葉であったが、サイフォンの顔はどこか嬉しそうに見えた。
そして、リューシスらの方は、勢いに乗ってハルバン城にまで迫って包囲した。
ハルバン城は北国であるローヤンの中でも最北東に位置しており、北方高原の異民族たちの侵入を防ぐ目的から、非常に防御力の高い堅城である。正面からの力攻めは相当な被害が予想される。
また、リューシスは、できればサイフォンを味方につけたいと思っているので、サイフォンに対して手紙を送った。
文面は、宰相マクシムと皇太后ナターシアの不義非道を糾弾し、ローヤンの情勢を憂いて挙兵に至った経緯を述べた上で、サイフォンにハルバン城を開いて自分に味方して欲しい、と言う内容であった。
しかし、その手紙を読んだサイフォンは目を閉じて苦渋の眉根を震わせた。
「わかっている。殿下の言われる先帝陛下暗殺は恐らく真実であろう。そして、殿下は決して皇帝陛下に対して兵を挙げているわけではなく、丞相と皇太后様の討伐を名分としているのだ。であれば、殿下には正義がある。そして俺には、殿下にこのハルバン城奪還を助けてもらったと言う恩がある。だが……」
サイフォンは、憂いの目を開いた。
「人は利だけでは動かぬことがあるのと同じく、正義だけでも動けぬことがあるのだ」
そして、手紙をくしゃくしゃに丸めて、部屋の隅のゴミ箱に投げた。
「俺が殿下に味方したと知れば、バルタザール様はどうなる」
サイフォンは、昂って来る感情を押し殺すように呟いた。
その後も、リューシスは数度に渡ってハルバン城内へ手紙を送り、シュエリーもまた直筆の手紙を送って降伏を勧めたが、サイフォンはその度に拒絶した。
何度目かの拒絶の返事が来た時、シュエリーが珍しく辛そうな顔を見せた。
「殿下、サイフォン様はローヤンとバルタザール様への忠誠心が篤いお方です。ですがまた同時に、密かに殿下の器量に感服し、殿下の大義にも賛同しております。それ故、今頃は板挟みになって苦しんでいるでしょう。これ以上降伏の手紙を送ることは……」
リューシスも溜息をつきながら頷いた。
「わかってる。残念だが、あとはもう、ハルバン城を落としてサイフォンを捕らえるしかないな」
そして、リューシスはハルバン城総攻撃を開始した。
リューシス軍は猛攻に次ぐ猛攻を仕掛けたが、サイフォンも流石に熟練の名将であった。
ハルバン城の防御力を活かしてよく防ぎ、時には明け方に出撃してリューシス軍に急襲をかけて攪乱したりした。
だが、ハルバン城を熟知しているシュエリーの献策と、士気の高いリューシス軍兵士らの働きによって、戦況は徐々にリューシス軍に傾いて行き、ついに十余日後、リューシス軍はハルバン城内に突入した。
「サイフォンは絶対に殺すなよ。是非とも味方に加えたい。活かして捕らえるんだ」
リューシスは将兵たちに厳命した。
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