第100話 七彩石がくれたもの
やがて辺りが薄暗くなり始めた頃、ヨーカン街から帰って来たリューシスが、取り巻き二人と共にこのノンアン街の一本道にやって来た。
「うん? 誰だ」
リューシスは、三十メイリ(メートル)ほど先に遮るように立つ人影に驚いて足を止めた。
だが、それがシュエリーだと気付くと、安堵しながらも失笑を漏らした。
「シュエリーか。何でこんなところでぼーっと立ってるんだよ」
リューシスが小馬鹿にしたように言うと、シュエリーは真っ直ぐにリューシスの顔を見て、
「リューシスパールさん、私の大切な首飾りを返してください」
「ああ、あれか。捨てたよ、諦めな」
「捨てた?」
「ああ。盗んだ物をいつまでも持ってたら俺が盗んだと疑われるからな」
リューシスは笑った。
「……そうですか」
シュエリーは静かに頷くと、
「では、リューシスパールさんのこれも捨てますね」
と言って、鈍い銀色の物を取り出して掲げた。
それを見て、リューシスはあっと驚いて声を上げた。
「俺の
最近、アンラードの子供たちの間では土俵の上で
リューシスもそんな独楽遊びに熱中しており、南方ランカイフォンから取り寄せた鉄の独楽に更に鋼を巻いて強化した物を自慢にしていた。
だが、その愛用の
「何でお前がそれを持ってるんだ?」
「休み時間にこっそり引き出しから盗みました。では」
シュエリーは言うと、背を返して駆け出した。
「待て、返せよ!」
リューシスは慌てながらも、怒って後を追い駆けた。取り巻き三人も喚きながら駆け出す。
だが、走り出してすぐに、彼らは足元を取られて前のめりに転んだ。
「わっ、何だこれ」
地についた手と膝を見れば、土の下から伸びている粘ついた白い物が粘着している。
超強力な鳥もちであった。それが、リューシスらの足元に広範囲に渡って敷かれていた。
シュエリーが足を止めて振り返った。
「イコウ山の猟師さんたちが使っている物を譲ってもらったんです」
シュエリーは笑うと、次に大きく口笛を吹いた。
すると、上空から一羽の大きな鷹が滑るように飛んで来て、
リューシスらは悲鳴を上げてその攻撃を避け、必死に逃げようとしたが、鳥もちのせいでなかなか動けない。
「痛い! どけよ!」
リューシスらは手を振り回して鷹を追い払おうとしたが、身体の大きな鷹はまるで怯むことなくリューシスらを攻撃し続ける。
そのうち、取り巻きの少年二人が涙目になり始め、大声で叫んだ。
「シュエリー、俺達が悪かったよ! もうやめてくれ!」
それを聞くと、にやにや笑いながら見ていたシュエリーが口笛を二回吹いた。
鷹は攻撃をやめ、何事もなかったかのように飛んで行ってシュエリーの左肩に止まった。
「次、何かあったらこの鷹がまた襲いに行きますからね」
シュエリーが睨むと、少年二人は「わかったよ、ごめん」と、意気地なく謝った。
しかし、リューシスは怒った。
「なんだよ、お前たち。裏切るのか?」
「いや、そう言うわけじゃないですけど……」
「情けないな!」
リューシスは吼えると、渾身の力で鳥もちから逃れて飛び出した。
「見てろよ!」
そしてリューシスは、目を怒らせてシュエリーに向かって突進したが、今度は突然足元が浮いて地面の中に落ちた。同時に水飛沫も上がった。
そこは深い落とし穴であり、しかも水が溜められていた。水は、ちょうどリューシスの首ぐらいまでの深さがある。
「落とし穴? 卑怯だぞシュエリー!」
リューシスが水面から顔を出して喚いた。
「卑怯なのはどちらですか?」
シュエリーが穴の中を覗き込みながら冷やかに笑った。
そして「ザラちゃん、やって」と肩に乗っている鷹に言うと、ザラと言う名の鷹は小さく唸ってから穴の中に飛び、リューシスに向かって嘴を突いた。
「うわっ」
リューシスは悲鳴を上げ、思わず身を伏せた。しかし、そこは水の中である。リューシスは慌てて水面の上に顔を出した。だがそこへ、鷹が再び襲いかかる。それからまた逃れようと顔を伏せれば、また水中の苦しさが待っている。鷹の攻撃と水攻めが繰り返される地獄の責めであった。
やがて、遂にリューシスも涙目になって降参した。
「ごめんごめん、俺が悪かったよシュエリー! もうやめてくれ」
シュエリーはにっこりと笑うと、鷹のザラを退かせた。
だが、すぐに彼女は小走りで近くの
「では、あの
リューシスは口ごもりながら、
「え……? あれは捨てたって言っただろ」
と言ったが、シュエリーはその顔を観察するようにじっと見て、
「では、ここに桶いっぱいの水があります。この水をそこに流しますね。そうなったらあなたは溺れ死にます」
「はあ?」
リューシスは顔を青くして悲鳴を上げた。
「ごめん。捨てたなんて嘘だ。本当はここにあるんだ。悪かったよ、そのうち返そうと思ってたんだ」
リューシスは、肩からかけていた鞄を外して頭上に差し出した。
「ありがとうございます」
シュエリーは笑みを見せると、ずぶ濡れの鞄を受け取って中を開けた。中には、首飾りが剥き出しのまま入っていた。シュエリーはそれを取り上げて安堵の吐息をついた。
「俺の独楽、返せよ」
リューシスが不貞腐れたように言うと、
「これ? 偽物ですよ」
シュエリーは笑いながら独楽を穴の中に放った。よく見れば、それは見た目だけリューシスの独楽そっくりに銀色に塗っただけの木製の独楽であった。
「私が本当にリューシスパールさんの独楽を盗めるなら、この鞄から首飾りを取り返せるでしょう?」
「なんだよ……」
リューシスはがっくりと肩を落とした。
「うふふ」
シュエリーは悪戯っぽく笑うと、取り返した首飾りを大切そうに触った。
だが、薄闇の中で首飾りをよく見て顔色が一変した。
「あっ……」
穴の中から疲れた顔で見上げていたリューシスも、それに気付いて驚きの声を上げた。
その夜、ユー邸は大騒ぎになった。
シュエリーがいつまで経っても帰って来ないからだ。
夜の20時を過ぎても帰って来ない為、ユー家の家来たちだけでなく、召使たちまでも総出で探しに出た。
「俺も探しに行くぞ」
居ても経ってもいられず、サイフォンも自らアンラードの街中へ出た。
そしてアンラード中を駆け回った末、サイフォンはやっとシュエリーを見つけた。
シュエリーは、西の飲み屋街であるフォンジエ路にいた。
フォンジエ路の夜は遅いので、未だ賑やかな人通りと喧噪がある。そんな中、シュエリーは土と埃に塗れた姿で道端に座り込んでいた。
「探したぞシュエリー。何してたんだ? そんなところで何してる?」
サイフォンは溜息をつきながら駆け寄った。
シュエリーはゆっくりと顔を上げてサイフォンを見たが、すぐに再び俯いた。
「どうしたんだ? 皆心配してたんだぞ」
サイフォンが腰を屈めてシュエリーの顔を覗きこむと、シュエリーは俯いたまま懐から首飾りを出し、同時に泣き始めた。
「首飾り、取り返したよ。でも……」
シュエリーは、震える手で首飾りをサイフォンに差し出した。
「うん? あっ」
サイフォンは愕然とした。
首飾りは、美麗であった白銀の
「リューシスパールさんも気付かないうちに無くなってたんだって……自然に
シュエリーは肩を震わせて泣いた。
「ああ。そう言えば作りが少し弱かったっけ」
「だから、ずっと探してたの。でも、いくら探してもどこにもなくて……」
「そういうことか……」
「ごめんなさい、サイフォン様。折角こんなに高い物をもらったのに……わたし……!」
シュエリーは大声で号泣した。
サイフォンは、呆然として首飾りを見つめていた。だが、ふっと笑みを見せて優しく言った。
「構わねえよ。泣くなシュエリー」
「でも……」
「きっとな……
「え?」
シュエリーは不思議そうに泣き顔を上げた。
「リューシス様たちを一人でやっつけて、この首飾りを取り返したんだろう?
「…………」
「
サイフォンが微笑しながら言うと、シュエリーは再びぼろぼろと泣き始めた。
「よくやったぞ、シュエリー」
サイフォンはシュエリーの頭を撫でて、
「お前の中の
と、優しく言った。
だが、シュエリーは言葉が出せないほどに泣き続けた。
「いつまでも泣くなよ。そのうちまた
サイフォンは、重い空気を吹き飛ばそうとするかのように大声で笑った。
これ以後、シュエリーは変わった。
おっとりとした性格は同じままだが、はっきりと自分の意見を言うようになった。以前は嫌がらせやいじめを受けてもされるがままだったのが、はっきりと抵抗するようになり、時には策を巡らせてやり返すこともあった。
そのうちに、この日のリューシスの件が知れ渡ったこともあり、シュエリーを虐める者はいなくなった。むしろ、変わったことで徐々に友達が増え始めた。
しかし、悪童リューシスは完全に反省しきっておらず、姑息にも父であり皇帝のイジャスラフに、シュエリーからされたことを言いつけた。
だが、普段からリューシスの行動に手を焼いていたイジャスラフは、何か怪しいと感じて部下を調べに走らせた。事の真相を知るとイジャスラフは激怒し、リューシスはぶん殴られたのであった。
そしてこの時から、リューシスは何となくシュエリーに苦手意識を持つようになるのであった。
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