第99話 逆襲のシュエリー

「そう言えばリューシス様は今年から特級学校に入るって言ってたな……ああ、よりによってリューシス様か」


 青年サイフォンは弱り切った。

 この時のリューシスは、自身が皇太子から第一皇子に格下げされた理由、実母リュディナが亡くなった理由などを理解し始めると同時に、心身と行動が荒れ始めた時であった。


「それだけじぇねえよ。俺の場合は特に言い辛いな」


 サイフォンは頭を抱えた。

 と言うのも、彼はちょうどこの時、リューシスの異母弟にして皇太子バルタザールの武術指南役の一人に抜擢されたばかりであったからだ。


「そんな俺がリューシス様のことを言えば、色々と面倒なことになりそうだしなあ……まあ、とりあえずビーウェンさんには相談してみるか」


 サイフォンは呟くように言い、下を向いたままのシュエリーを再び見た。

 すると、何だかやけにこの親戚の少女が憐れに思えてきた。

 たまらず、サイフォンは言った。


「そうだ、いい御守りをやろう」

「御守り?」

「ああ。着替えて、居間で待ってな」


 サイフォンは自室へと向かった。


 シュエリーが言われた通りに着替えてから居間で待っていると、やがてサイフォンが長方形の木箱を持ってやって来た。


「これだ」


 サイフォンは木箱を開けて、中から一本の首飾りを取り出した。


「わあ」


 シュエリーは瞳をきらきらと輝かせた。

 その首飾りは白銀の珠子ビーズと真珠、紅玉ルビーを連ねた上品で優美な造りであり、女性なら誰しも魅了されるであろう意匠デザインであった。

 しかも、それだけではなかった。


「それは何ですか? 不思議な色」


 シュエリーは、首飾りの中央に提げられた宝石を不思議そうに見つめた。


「これは七彩石チーツァイシーと言うやつでな。この世で最も希少で最も高価な宝石だ」

七彩石チーツァイシー?」

「角度によって、違う色の光を放つんだ。だから、七彩石チーツァイシーと言う」

「へえ~、初めて知りました」

「お前は知らないだろうがな。今、ローヤンは、去年新たに発見されたこの七彩石チーツァイシーの鉱脈を巡ってガルシャワと激しく戦ってるんだよ。俺はこの前まで行ってた戦場はそこだ。で、その時に敵将を討ち取った褒美としてこれをもらったんだ」

「すご~い」


 シュエリーは無邪気に手を叩いた。


「この七彩石チーツァイシーの首飾りをお前にやるよ」

「ええ? いいんですか?」

「ああ。七彩石チーツァイシーはただ美しいだけじゃないんだ。昔からの言い伝えによると、持つ者に智慧と力と勇気を与えると言われてる。これをお守り代わりに身に着けていれば、力と勇気が湧いてきて、いじめられるようなこともなくなるはずだ」


 サイフォンはそう言って、首飾りをシュエリーに渡した。


「わあ、嬉しい。大事にします」


 シュエリーは大喜びで首飾りを受け取り、早速かけてみた。


「うんうん。だけどな、シュエリー。これを俺にもらったことは内緒にしてくれるか?」

「え? なんで?」


 シュエリーはきょとんとした。


「実はこれはな……」


 サイフォンは、現在交際中の女性と近々結婚する予定があり、その際に、相手には内緒でこの七彩石の首飾りを贈ろうと計画していたのだった。


 これはまだ誰にも言っていない秘密の計画なので、このまま誰にも言わずになかったことにしてしまえば何も問題はない。

 だが、最高級の宝石である七彩石チーツァイシーの首飾りを親戚の少女に贈ったと言うことがもしも婚約者の耳に入れば 余計な揉め事が起きるかも知れない。

 それ故に、サイフォンは事情を説明してシュエリーに口止めしようと思ったのだが、


「いや、なんでもない」

 

 と、その事を言うのをやめた。婚約者に贈る予定の物だったと言うことをシュエリーが知れば、シュエリーはきっとこの首飾りを受け取らないだろうからだ。


「とにかく、これを俺にもらったと言うことは誰にも言わないでくれ。絶対に誰にも言うなよ、いいな? 約束だぞ」


 サイフォンは、念を押した。


「はい、わかりました。絶対に誰にも言いません。」


 シュエリーは、すでに七彩石チーツァイシーの神秘的な美しさに夢中であった。何も疑問を抱かずに承諾した。


 この時代、玉石などを用いた装飾品は御守りのような意味も持っていた。

 今でもリューシスが銀造りの龍の首飾りを身に着けているように、この時代の人達は身分や老若男女を問わず装飾品を着用する習慣があった。

 それ故、子供たちが学校へ行く時に装飾品を身に着けても、それを咎められるようなことはなかった。


 翌日から、シュエリーはその首飾りを身に着けて登校した。

 だが、シュエリーを慰める為とは言え、サイフォンがこのように貴重な首飾りを贈ったのは少々浅慮であったと言えるかも知れない。


 数日後、早速学校のいじめっ子たちに目をつけられたのだ。


「シュエリー。よく見ればその首飾りに提げてる宝石はちょっと珍しいものじゃないのか?」


 休憩時間中、一人の身体の大きな少年がにやにやと笑いながら言って来た。


「そんなこと……ないよ」


 シュエリーは隠すように手で七彩石を押さえた。


「嘘つくな。そんな光を出す宝石なんて見たことないぞ。教えろよ、何だそれは」


 少年は詰め寄って来て、シュエリーの手を力づくで放して七彩石を覗き込んだ。

 だが、シュエリーは黙ったまま何も言わない。

 すると少年は、教室の後ろの方へ向かって大きな声を出した。


「リューシス様。こいつ、何か珍しい物持ってますよ」


 その時、赤毛混じりの褐色の毛髪の少年は、級友たちと札遊びに興じていたが、その声を聞いて振り返った。


「のろまのシュエリーか? なんだ?」

「見た事のない宝石です、わかりますか?」

「宝石?」


 リューシス少年は好奇の眼を光らせ、札を置いてシュエリーの方へ向かった。


「うん? まさかこれ、七彩石チーツァイシーか?」


 リューシスはすぐにわかった。シュエリーの首飾りを見ると、驚きながら言った。


「皇宮で一度だけ見たことがあるんだ。でも、この七彩石チーツァイシーは滅多に採れないし、ユー黄金ホァンジンよりも高いって聞く。とても子供が持つような物じゃない。シュエリー、お前、これをどうやって手に入れたんだ?」


 だが、シュエリーはサイフォンと誰にも言わないと約束している為、下を向いて黙っていた。


「言えよ。まず普通には手に入れられないものだぞ」


 リューシスは更に問い詰めたが、それでもシュエリーが無言を貫くので、リューシスはあごをしゃくって身体の大きな少年に促した。

 少年は、いきなりシュエリーを後ろから羽交い絞めにした。そして動けなくなっているところを、リューシスが無理矢理に首飾りを取り上げた。


「あ、やめて! 返して!」


 シュエリーは顔色を変えてもがいた。しかし、少年の強い力には抗えない。

 リューシスは七彩石チーツァイシーをよく見て、


「間違いない、これは七彩石チーツァイシーだ。シュエリー、これはどうしたんだ? まず普通には手に入る物じゃない。まさか盗んだのか?」

「違うわよ、もらったの」

「もらった? 誰にだ?」

「……ある人にもらったの」

「ある人、じゃわからないだろ。誰にもらったんだ?」

「それは言えないよ。その人との約束なの。その人にもらったと言うことは誰にも言わないって」

「嘘つくな。こんな高い宝石をもらったことを誰にも言わないなんて、そんなおかしな約束あるかよ」

「本当に約束したの。だから言えないわ」


 シュエリーが頑として拒絶していると、リューシスはせせら笑った。


「じゃあやっぱり盗んだんだろう、悪い奴だな。泥棒は見逃せない。先生や役人には黙っておいてやる。だけどその代わりにこれは俺が預かっておくぞ」


 リューシスはそう言って、首飾りを手で振り回しながら教室を出て行った。


「いや、やめて!」


 シュエリーは涙目で追いすがろうとしたが、


「来るなよ」


 と、リューシスの取り巻きの少年たちに突き飛ばされた。




 その日の夕刻、早番の勤めを終えたサイフォンは、ユー邸に帰って目を丸くした。

 玄関で、シュエリーが武術の稽古着姿で待っていたからだ。


「おい、どうした?」


 困惑したサイフォンに、シュエリーは大きな黒目を潤ませながら言った。


「サイフォン様、武芸を教えてください」

「はあ? 何言ってるんだ? 前はあれほど嫌がってたじゃねえか」


 すると、シュエリーはぽろぽろと涙を零した。


「ごめんなさい……サイフォン様からもらった七彩石チーツァイシーの首飾り……取られちゃったの……」


 シュエリーは声を上げて泣き始めた。


「取られた? リューシスパール様にか?」

「うん……ごめんなさい、折角もらったのに……」

「本当かよ。リューシス様、いくら何でも酷すぎるぜ」


 サイフォンは流石に怒りが込み上げて来た。


「待ってな。俺が皇宮へ行って取り返して来てやる。こうなりゃ死を覚悟で皇帝陛下にも掛け合うぜ」


 と、サイフォンはすぐさま背を返して出て行こうとした。

 だが、その袖をシュエリーが引っ張った。


「待って、サイフォン様。私、自分で取り返したい」

「自分で?」


 サイフォンは意外そうに振り返った。


「うん。だって、あれは本当はサイフォン様がお嫁さんに上げようとしていた物でしょう?」

「え? お前、気付いてたのか?」

「うん。だから……それほどの物だから、私は自分で取り返したいの。だから、体術? でしったけ。武芸を教えてください」


 少女は涙を流しながら懇願した。


「シュエリー……」


 サイフォンは、そんなシュエリーを見ているうちに、怒りが鎮まって来ると同時に別の感情が沸き上がって来た。


「自分で取り返す、か。その気持ちは立派だ。偉いぞシュエリー」


 サイフォンは、シュエリーの頭を撫でた。


「よし、お前に体術を教えてやろう」

「本当ですか?」

「……と、言いたいところだがな。お前は女だし、その体格と普段ののんびりとした動きを見ていると、ちょっと体術を覚えたぐらいじゃ、数人の男相手には到底かなわないだろう」

「でも、それじゃ……」

「うん、だからな。非力で武芸の心得がなくても、数人の男を倒せる術を教えてやる」

「そんなのがあるんですか?」


 シュエリーは、ぱっと泣き顔を輝かせた。

 サイフォンは頷いて、


兵術ビンシューだ」

「ビンシュー? って、お父様が研究しているあれですか?」

「そう。お前のお父さんは恐らくローヤン一の兵術家だ。だけど、お前はお父さんから兵術は教えてもらってないんだよな?」

「ええ。女子は関わってはいけない、って言うから」

「そう言ってたのか」


 サイフォンはそれを聞くと、躊躇いの顔となった。

 以前、シュエリーの父フーチェンが語っていた言葉を思い出した。


 ――私は娘たちには兵法は教えたくない。近頃は女性でも武官になる者が増えているが、私は自分が将校だからと言って娘たちを軍人にはしたくない。兵は所詮凶事だ。命の危険があるだけでなく、勝っても負けても必ず誰かの涙が流れる。そんな事に娘たちを関わらせたくないのだ。


「まあ、具体的な用兵じゃなく、考え方の基本を教えるぐらいはいいだろ」


 サイフォンは、自分を納得させるように言った。


 そしてサイフォンは、古代の兵術家ウーズン・スンが書いた「兵法八種ビンファーバージョン」、覇王マンドゥー・ツァオが書いた「戦術論」などを使い、兵術の基礎となる「戦いに勝つ為の基本思考」を教授し始めた。


 兵術の基礎は、抽象的で掴みにくいところがあり、子供には難解である。

 だがシュエリーは、流石に当代一の兵術専門家と称されるフーチェン・ユーの血を受け継いでいた。サイフォンの教えるところを全て理解し、兵術の要諦をすぐに体得した。


 そして七日後。


 リーバイ五(金曜日)の夕刻、シュエリーは邸の召使い二人を連れて、学校よりやや離れたノンアン街に向かった。


 ノンアン街は元々賑やかな商店街であったが、先日大火事が発生してほとんどが焼失し、今はあちこちに焼け落ちた建物の残骸が積み上げられているだけである。

 交通の為に主要路の一本道は片づけられて開かれているが、それでも人の往来は少なく、夕方以後ともなれば人影はほとんどなくなる。


 だが、このノンアン街の隣にはヨーカン街と言う若者が集まる小洒落た街があり、生意気盛りのリューシスは、リーバイ五(金曜日)には必ずここを訪れて遊び歩いていた。そして、ヨーカン街から皇宮に帰るにはノンアン街を通るのが一番近道であり、毎回リューシスはヨーカン街で遊んだ後にノンアン街の一本道を通って帰ることを、シュエリーは把握していた。


「ここにはこれを敷き詰めてね。あと、あそこを掘って」


 シュエリーは、召使い二人と共に、ノンアン街の一本道の中央で準備を整えた。

 準備が終ると、シュエリーは召使い二人を先に邸に帰し、一人でリューシスが来るのを待った。

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