第98話 七彩石の時代

 イェダーが更に詳しく言うところによれば、彼らはハルバン城駐屯軍の若い一般兵士たちで、その大半は先日リューシスに従ってマンジュ遠征に参加した者たちであった。


 マンジュからローヤン領内に戻る途中、リューシスはハルバン城へ戻る彼らに、約束していた莫大な恩賞金を渡してから帰した。


 彼らは、その破格の恩賞金に驚いたと同時、「リューシス殿下に味方した方がいい暮らしができる」、との想いを持ち始めた。


 そこへ、シュエリーがリューシスについたと言う知らせである。これによって彼らは最後の迷いが吹っ飛び、リューシス軍に加わることを決断。互いに語らって続々とハルバン城を脱出し、ルード・シェン山へとやって来たのであった。


「その数、今のところおよそ百人でございます」


 イェダーが興奮した口調で言った。


「そんなにかよ」

「ええ。しかも、彼らの話では、まだまだ増えそうです」

「そうか。一人でも多くの兵が欲しい俺達にとっては朗報だな」


 リューシスは喜んだ。が、すぐに苦笑いとなった。


「シュエリーが俺達についたことが決断のきっかけになったって……あいつがこれを知ったら調子に乗るぞ」


 すると、背後からまさにそのシュエリー本人の声がした。


「聞きましたわ。ほら、やっぱり私を受け入れて良かったでしょう。追い返していたら彼らも来ていなかったんですよ」


 振り返ると、そこには得意気な顔のシュエリーがいた。


「わかったよ。お前のおかげだ」

「うふふ。これで終わらないと思いますよ。きっと、まだまだ増えますわ」


 シュエリーは口元を隠して笑った。


 その通りであった。

 翌日、また百人近くがハルバン城からやって来て、その翌日には、もっと多い二百人近くが夜中にやって来た。

 三日後には、ハルバン城からリューシス軍に加わりに来た総数は、合計五百人にまで達していた。

 これにはリューシスだけでなく、バーレンやネイマンらも驚いた。


「こりゃすげえ。俺達は朝敵扱いなんだぜ。それなのに五百人も寝返って来るってそうそうないよな?」


 ルード・シェン山の広い空地に集められた彼らを見て、ネイマンが大きな眼を丸くした。


「何でも、マンジュ遠征の時に殿下が莫大な恩賞金を出したことで、俺達の側につきたくなったって言うじゃないか」


 バーレンが言うと、ネイマンが大きな声で笑った。


「あいつの無駄遣いも役に立つことがあるんだな」

「もしかすると、こういうのを計算しているのかもな」


 バーレンが涼しげににやりとして言うと、


「それはねえだろ」


 ネイマンの笑いが大きくなった。


「それにしても、こういうのが続いて行けば、この先の戦いは楽になるんだろうな」


 バーレンが真面目な顔に戻って言うと、近くにいたシュエリーが「その通りですわ」と、言いながら歩いて来た。


「これを追究して行くと、用兵術の神髄である"戦わずして勝つ"になります」

「なるほどなあ」


 ネイマンが太い腕を組んで頷いた。


「今回は、たまたま殿下のおかしな金銭感覚が良い方向に作用しただけでであり、このようなことはそうそうあるものではありません。ですが、このような機会をうまく掴んで行くことが肝要かんようと存じます。このルード・シェン山は難攻不落の大要害であり、あなた方のような優秀な将もいるとは言え、その数はまだ少なく、兵士数もわずかに六千人ほど。対して、ローヤン帝国は総兵力十五万を超えています。この先戦って行く為には、今回の様に風評を利用しながら兵を集めつつ、なるべく直接的戦闘を避けて戦わずに勝つことを心がけなければなりません」

「だけど、戦えねえのは少し退屈だな」


 ネイマンは笑いながら腕組みを解き、両腕を回した。


 その後もハルバン城からルード・シェン山へ走って来る者は後を絶たず、七日後までに更に五百人がリューシス軍に加わった。


「リューシス殿下。ハルバン城を攻め落とす時は今かと存じます」


 その日の夕刻、ルード・シェン山の東南部の洞窟の中にいたリューシスを訪ねて、シュエリーが進言した。


「早くないか? まだ兵力が足りないと思うんだけどな」


 リューシスは土とすすにまみれた顔をしかめた。彼は数人の坑夫と一緒で、彼自身も作業着姿であった。右手には、ほのかな輝きを放つ茶色い石を持っている。


「いえ。ハルバン城から多くの者達が続々と私たちの下へやって来ている今、我らとは逆にハルバン城は大きく動揺し、士気が著しく低下しております。確かにまだ兵力では負けておりますが、ここで一斉に攻撃を仕掛ければハルバン城の士気を一気に崩壊に追い込めると存じます。うまく行けば戦わずして勝てる可能性すらございます」


 シュエリーが言うと、リューシスは右手の石を弄びながら、「なるほどな」と頷いた。

 シュエリーは更に続けた。


「逆に、今動かねばアンラードやその他の拠点から援軍がやって来て、ハルバン城攻略が難しくなる恐れもございます。先程やって来た天法士ティエンファードからの最新の報告によれば、サイフォン様はアンラードに援軍を求める使いを出したとか」

「何?」


 リューシスの顔が険しくなった。


「ええ。朝廷が援軍を出すかどうかはまだわかりませんが、もし援軍が来るとなれば我々のハルバン城攻略は難しくなります。援軍が来て更に戦力差が開く前に攻勢に出るべきかと存じます」

「なるほど、その通りだな。よし、早い方がいい。早速出撃準備を整えよう」


 リューシスは迅速に決断した。そう言うと、持っていた茶色い石を大事そうに懐紙に包み始めた。

 シュエリーは、そこで初めてその石に気付き、不審そうに尋ねた。


「殿下。それは何ですか? そもそもここで何をしていたのですか?」

「これか」


 リューシスはにやりとして、包みかけていた紙を解き、茶色い石をシュエリーの目の前に見せた。


「驚くなよ。七彩石チーツァイシーだ」

「ええっ?」


 驚くなと言われたが、シュエリーは驚かずにはいられなかった。目を丸くして石を覗き込んだ。


 七彩石チーツァイシーとは、角度によって様々な色の光を発する不思議な宝石で、全ての宝石の中で最も価値が高い。


 そして、最も希少であり、史上その鉱脈はわずかに五か所しか見つかっていない。


 その最後の五か所目は、十数年前にローヤン南西部のガルシャワとの国境にある山の中で発見され、当時はその鉱脈を巡ってローヤンとガルシャワの間で激しい戦いが繰り返された。


 だがその鉱脈も、すぐに両国によって採掘され尽くされ、それ以来新たな七彩石チーツァイシーは見つかっていない。


「今朝、見つかったんだ。これは原石だからまだこんなだけどな。宝石職人に切らせて磨かせれば、ちゃんと七色の光を発するようになるはずだ」

「凄いわ……」


 シュエリーはまだ驚きを隠せず、黒目を大きくして七彩石の原石を見つめた。


「ここは本当に神の山だぜ。まさか七彩石まで見つかるとは思わなかった」


 リューシスは、洞窟の奥の暗闇を見て言った。


「量はどれぐらいあるのでしょうか」

「それはまだわからないな」

「ある程度の量が採掘できるなら、私たちにとってかなりの軍資金になりますね」

「そうだ。だから俺も期待してるんだよ」


 リューシスは弾むような声で言うと、


「じゃあ、みんな後は頼んだぞ」


 と、この後の採掘の段取りについて話し合いをしている坑夫たちに声をかけた。


「殿下、その七彩石、もっとよく見せていただいてもよろしいですか?」


 シュエリーが言うと、リューシスはシュエリーに七彩石チーツァイシーの原石を手渡した。


「ああ、思い出しました……懐かしいですわ」


 シュエリーは、原石を眺めながら微笑した。


「うん? 何がだ」

「考えてみれば、七彩石は私の原点みたいなものですわ」


 シュエリーは優しく原石を撫でた。


「七彩石が原点? よくわからないけど贅沢な女だな、お前は」


 リューシスは皮肉そうに笑ったが、シュエリーは意味深にリューシスを見て、ふふふと笑った。


「何だよ?」

「贅沢どころか、苦い思い出かな」

「は?」

「あれは私が十二歳ぐらいの時ですね」


 と、シュエリーは少女時代を回想した。


 当時、ローヤン帝国は現在よりも対外戦争に忙しい時期で、名門ユー家でも、シュエリーの父親フーチェンや叔父たちなどは皆、最前線の国境へ赴任しており、アンラードのユー邸には長らく男性が不在であった。

 その為、その時はアンラード防衛軍勤めであった親戚のサイフォンが、ユー家の邸に滞在して一時的にユー家を預かっていた。


 サイフォンとシュエリーの関係はこの時に始まる。


 シュエリーのおっとりとした性格は生来のものだが、当時の彼女は何をするにものんびりと遅い上に反応も悪く、おっとりと言うよりも愚鈍に見えていた。


 その為に友達も少なく、重臣の子弟たちが通うアンラード特級年少学校でも、しばしば虐めをを受けていた。


 しかし虐めと言ってもかわいいもので、同学の子供たちから筆入れを隠されたり教本に酷い落書きをされたり、と言った程度である。だがサイフォンは、シュエリーがおっとりのんびりとして全く反抗もしていないことを心配し、しばしばシュエリーに言っていた。


「いくら女だからとは言ってもな……たまにはやり返せよ。何もせずにいると舐められっぱなしでそのうち酷くなるぞ。その前に、ちょっと荒っぽくなるが、俺が体術の基礎を教えてやる」

「結構です。喧嘩なんて恐いもん」


 シュエリーは震えながら拒否し、小走りで奥へと消えてしまうのであった。


 だがある日、シュエリーは全身ずぶ濡れになって邸に帰って来た。しかも、衣服もところどころ破れている。

 それを見たサイフォンは、顔色を変えて訊いた。


「どうしたんだ?」

「うん……」


 玄関で、シュエリーは下を向いたまま黙った。


「うん、じゃわからねえ。昨日も髪の毛切られて帰って来たじゃねえか。最近ちょっと酷いぞ、どうしたんだ?」

「…………」


 尚もシュエリーが黙ったままなので、サイフォンは流石に苛立った声を出した。


「おい、そうやっていつもはっきり言わずにいるからやられるんだぞ。言え、何があった?」


 すると、シュエリーは小さな声を絞り出した。


「……犬を向けられて追い回されて……その後に池に落とされたの」


 シュエリーは涙こそ見せなかったものの、悲しそうな顔で言った。


「何だと? それはひでえ! 誰にやられたんだ?」


 サイフォンは思わず声を荒げた。


「最近学校に入って来た子なの……年下なんだけど……」

「年下にやられたのか? 情けねえな。いや、それはいい。俺がそいつの家に行って怒鳴り込んでやる、どこのどいつだ、何て名前だ?」

「リューシスパールって言う男の子」


 シュエリーが言うと、サイフォンの表情が固まった。




 薄暗い洞窟の中、聞いていたリューシスの顔が気まずそうに引きつり、目が泳いだ。


「そんなことあったっけ……」

「ありましたよ」


 シュエリーは意地悪そうににやっと笑うと、


「わたし、あの時のこと忘れてませんからね」


 と、今度は首を傾けてにっこりと笑った。

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