第97話 蠍座の女

「と、言うことで、とても真剣な様子でございまして、何かの策とは思えません」


 イェダーは真面目な顔で言ったが、リューシスは呆れ顔でイェダーを見ていた。


「お前な……だからと言って、俺の許可も取らずに勝手に連れて来る奴があるか」


 イェダーの後ろには、にこにことしているシュエリーがいた。


「いえいえ。兵書にも”君命に受けざるところあり”、と申します。ユー将軍サージュンに嘘偽りは無いと判断いたしましたので、お連れしたのです」


 イェダーは真剣に反論したが、リューシスはシュエリーの胸元が大胆に開いているのを見て、白い眼でイェダーを見た。


「お前、あいつの色仕掛けにやられたな?」


 リューシスが冷やかに言うと、イェダーはびくっとした。


「そ、そんなことはありません」


 イェダーの眼が泳いだ。


「あいつが昔からよくやる手だ。俺も十代の時には引っかかったことがあるからわかるんだよ」

「えっ、いや……」


 イェダーは、途端に狼狽し始めた。


「でもな……あの時の俺は十代だったが、今のお前は二十代の妻子持ちだぞ。あんなぶりっ子年増の色仕掛けに引っかかってるんじゃねえよ。本当にムッツリスケベだな、お前は」


 リューシスが半ば冗談、半ば本気で叱ると、すぐにイェダーの後ろからシュエリーが不満げな声を上げた。


「まあ、ぶりっ子年増なんて酷いですわ。折角、殿下の力になりたいと思ってやって来ましたのに」


 そう言うシュエリーに、リューシスは冷やかな目を向けた。


「お前、今何歳だ?」

「十七歳ですわ」

「死ね」

「酷い」


 シュエリーは頬を膨らませた。


「とにかくだ。お前みたいな、いつも腹に一物あるような人間の言うことは信じられないんだよ」


 リューシスが言うと、シュエリーは、ぱっと顔を赤らめた。


「まあ。腹に一物だなんていやらしいですわ」


 リューシスは溜息をついて額を押さえた。だが、すぐに厳しい顔をシュエリーに向けた。


「とにかく、お前は策の多い人間だからな。しかも、元々が代々ローヤンの武官を務めて来た家の出である上、お前自身も女性ながら若くして十四紅将軍シースーホンサージュンになったほどだ。そんな奴の投降など誰が信じる?」


 すると、シュエリーは笑みを絶やさぬままに鋭く言った。


「なるほど。しかし、自分で言うのもおこがましいですが、それほどの人間が本心より力になりたいと言ってやって来ているのに、つまらぬ先入観で門前払いをするわけですか。もし、この話がローヤン全土に知れ渡ったらどうなりましょう?」

「お前……」


十四紅将軍シースーホンサージュンのシュエリー・ユーが、全てを捨ててまでリューシスパール殿下に味方しようとしたのに、疑り深い殿下につまらぬ理由で追い返された……今、密かに殿下にお味方したいと思っている者がいたとしても、これを聞いたらみんな躊躇ためらうでしょうね」

「お前って奴は……」


 リューシスは、苛立ちと呆れの混じった顔でシュエリーを見た。


 その時であった。

 部屋の扉の向こうから、「ヴァレリー・チェルノフです。殿下、急な報告です」と、ヴァレリーの声がした。


「入ってくれ」


 リューシスが答えると、ヴァレリーは慌てた様子で扉を開けて入って来たが、すぐにイェダーを見て「なんだ、ここにいたのか」と言った。


「イェダー君、君の姿が見当たらないから、密偵の天法士ティエンファードが私のところに来たのだよ」

「申し訳ございません。私も火急の用でここに来ていたのです」


 イェダーは慌てて謝ったが、ヴァレリーはそれよりも、シュエリーの姿に気付いて驚きの声を上げた。


「ユー将軍サージュン? ここにいると言う事は、やはり本当のことだったのか」

「何がだ?」


 リューシスが訝しむと、ヴァレリーは説明した。


「ここにユー将軍サージュンがいるならば報告の必要はないかも知れませんが……ハルバン城に忍び込んでいた天法士ティエンファードからの緊急報告です。シュエリー・ユー将軍が変心し、殿下の下へ参じるべくハルバン城を出奔したとのことです」

「そうか。ここにいるシュエリーがさっきから言っている通りだな。俺は、何かの策じゃないかと疑っているんだが……」


 リューシスがシュエリーを横目で見ながら言うと、


「いい加減に信じてくださいませ。折角殿下をお慕いしてやって来ましたのに」


 シュエリーが頬を膨らませた。

 

 ヴァレリーが「殿下」と、一歩進み出た。


「ユー将軍の出奔はすぐにハルバン全体に知れ渡り、大騒ぎになっているとか。今、サイフォン・ラドゥーロフ将軍が必死にその動揺と混乱を鎮めようとしているようです」

「そうか。でもなあ……」


 リューシスが尚も疑いの眼でシュエリーを見ると、シュエリーは突然ぽろぽろと涙を零して泣き始めた。


「おい、どうした」


 リューシスがびっくりしてシュエリーに寄ると、シュエリーは泣き顔のままむすっとし、


「もう死んでやる!」


 と、いきなり言い放った。


「なに?」

「私は本心から殿下の力になりたくて、地位も帰る場所も、全てを捨ててやって来たんです。それなのに殿下に信じてもらえないなら、私はもうどこにも行くところがありません。ならば死ぬしかありません」


「おい、待て待て。落ち着け」

「でも、ただじゃ死なないわ。ここで自害して永遠に殿下を呪う怨霊になってやるんだから!」


 シュエリーは恐ろしいことを言うと、呆気に取られているイェダーやヴァレリーの間を駆け抜けて壁際に行き、そこに掛けられていた短剣を取った。

 そして素早く鞘走らせて白刃をあらわにすると、その切っ先をふくよかな胸元に突きつけた。

 リューシスは仰天したが、咄嗟に「待てっ!」と叫んでシュエリーに飛び掛かるや、その右手を両手で捻じり上げた。


「放してください!」


 シュエリーは、リューシスの両手を離そうともがいた。


「そうは行くか! 考え直せ」

「だってもう行くところがないんですもの」

「わかったよ、わかった! お前の言うことを信じる!」

「え?」

「そこまでの覚悟とは思わなかった、悪かったよ」


 リューシスが言うと、


「本当ですか?」


 と、シュエリーはころりと表情一転、顔を輝かせた。


「本当だ。シュエリー・ユー、君が来てくれたことに感謝する。是非とも、俺に力を貸してくれ」

「ありがとうございます」


 シュエリーはにこにことして答えると、


「嬉しい!」


 と言って、いきなりリューシスの背に両手を回して抱きついた。


「おい、何してるんだ」


 リューシスが慌てて身を仰け反らせようとしたその時であった。


「リューシス、いる?」


 と、開けっ放しの扉からエレーナが入って来た。


 抱き合っているように見えるリューシスとシュエリーの姿を見て、エレーナは目を丸くした。

 リューシスが凍り付いたように固まった。


 



 翌々日午前、リューシス軍はルード・シェン山の北の原野で大規模な演習を行った。

 陣営にバティ、シュエリーが新たに加わったので、リューシスは様々な局面を想定しながら兵士らを動かし、軍容と戦術の見直しを行った。


 そして夕刻、演習を終えたリューシスらはルード・シェン山へ戻り、一般将校や兵士らを休ませた。

 だがリューシスら幹部は甲冑を解くことなく、しばしの休息の後に会議室に集まり、軍議を始めた。


 議題は、サイフォンが守るハルバン城の攻略である。

 ローヤン領内の北東に位置するルード・シェン山にとって、その更に北にある要衝ハルバン城はそのままにはしておけない。

 ローヤン中央、更には首都アンラードへと侵攻する際に背後を襲われぬ為、どうしてもハルバン城を落として後顧の憂いを断っておく必要がある。


 そのハルバン城は、元々は北方高原から異民族の侵入を防ぐ為に建てられたので、強固な城壁と防御施設を持つ堅城である。

 しかも、以前よりは減ったとは言え、まだ一万人以上の兵力を擁している。

 そう簡単に攻略できる城ではない。

 

 だが今は、つい最近までハルバン城に駐屯していたシュエリー・ユーがいる。


 彼女はハルバン城内の全てを熟知しており、記憶を頼りに描いた城内図を卓上に広げ、攻城の際にはどこに注意するべきか、どこに乗ずべき弱点があるかなどを、詳しく説明した。

 それを基にして、リューシスらは攻城の際の基本作戦を話し合った。


「とりあえず今日はここまでにしようか。まあ、まずはサイフォンらを野戦で撃破するのが先だけどな」


 ある程度方針が固まって来たところで、リューシスは会議を終えた。


 幹部一同は会議室を出て、それぞれの場所へ歩いて行った。

 その中で、リューシスはエレーナを呼び止めた。


「ちょっと話したいことがあるんだけどいいかな?」


 エレーナは振り返ると、にこやかに笑って


「どうしたの?」


 と、答えた。だが、笑顔とは裏腹に、その言葉には氷のように冷たい響きがあった。

 それを感じ取ったリューシスは思わずたじろいた。


「ああ、えっと……どうした? 体調でも悪いのか?」

「いえ」

「そう……なんか機嫌悪いみたいだけど」

「そんなことないわ」


 エレーナは短く答えた。

 その顔は微笑を湛えている。だが、青い目は笑っていなかった。リューシスは少し考えた後に、恐る恐る言った。


「昨日のあれ、怒ってるのか?」

「あれって何ですか?」

「エレーナが来た時に……ほら、シュエリーが……」

「ああ、あれね。別に何も気にしてませんよ」

「そう?」

「ええ。なんであれで私が怒るの?」

「いや……」


 リューシスが口ごもると、エレーナは微笑を見せた。


「変なの。私とあなたは何も関係ないんだから、いくらでも好きにしたらいいじゃない」

「え? 好きにって……」

「で、話って何?」


 エレーナは笑気の無い眼で改めてリューシスを見た。

 リューシスは顔をひきつらせて、


「あ、その……さっきも会議で話に出た、新しく作る天法士ティエンファード隊のことについて相談なんだけど」

「シュエリーさんに話したら?」


 エレーナは即座に鋭い語気で言った。


「い、いや、天法士ティエンファードのことだから……」

天法術ティエンファーのことならシュエリーさんだってわかるでしょう。しかも部隊としてのことなら、尚更軍事に詳しいあの方がいいんじゃない? 私、今からダリアさんの手伝いをしに龍場ロンチャンに行く約束をしているの」


 エレーナは冷やかな口調で言うと、さっさと廊下を歩いて行ってしまった。

 その白い背から、圧して来るような拒絶感を感じ、リューシスは何も言えずに見送るしかなかった。


 リューシスは浮かない顔で一つ溜息をついた後、苦笑いで呟いた。


「形だけの夫婦だったんだけどなあ」


 そして、リューシスは自身の執務室へと向った。

 その途中、渡り廊下を歩いていた時であった。未だ甲冑姿のイェダーが外から小走りで駆けつけて来た。


「殿下!」

「おう、どうした」

「大変です。ハルバン城を出て来たと言う一般兵士らが続々とやって来ております」

「なに? どういうことだ?」

「彼らは皆、我らの軍に加わりたいと言っております」

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