第95話 戦闘再開か

 リューシスもシュエリーに気付いた。

 その場から「シュエリーか、こんな夜中にどうした?」と、声をかけて来た。


「いえ、夜空が綺麗だったもので、つい出て来てしまいました」


 シュエリーが笑顔を作って答えると、


「同じだな。俺も、部屋で書き物をしてたんだけどな、窓から覗いた空があまりにも綺麗だったから、寒いけど思わず出て来てしまったんだ」


 厚手の毛皮の外套を着込んだリューシスは、笑いながら再び星空を見上げた。


「ええ。話には聞いていましたが、これほど美しいとは思いませんでした」

「だよな。ルード・シェン山から見る星空も綺麗だけど、ここまでじゃない。流石は北方高原だ。星空に手が届きそうだぜ」


 リューシスは白い息を吐くと、楽しそうに空へ向けて手を伸ばした。


「殿下、書き物とは……何を書いていたのですか?」


 シュエリーは、ふと疑問に思って訊いてみた。


「ルード・シェン山のイェダー宛ての手紙だ。今回、カラドラス攻撃の前に兵士達に約束しただろう? 特別に恩賞金を出すって。それの手配に関してだよ」


 リューシスが星空を見上げたまま答えると、シュエリーは眉をひそめた。


「恩賞金……一人につき三十万リャンですよね? 本当に出すのですか?」

「もちろんだ。兵士たちはこんな遠い辺境にまでついて来てくれた上に、命を懸けて戦ってくれたんだ。これぐらい当然だ」

「ですが、それだけの金額を出せば、流石にルード・シェン山の財政に大きく響くのではありませんか?」

「かもな。だけど、困ったら俺が節約すればいいし、大丈夫だろ」


 リューシスは呑気に笑った。

 しかし、シュエリーはそれを聞いて絶句した。

 常識的に考えれば、ルード・シェン山の財政に響くほどの出費ならば、リューシス一人が節約して何とかなるものではない。


 ――このお方は戦場では隙の無い計算をするくせに、何故金銭に関してはこうも計算ができないのだろう。


 シュエリーは呆れながら、リューシスの横顔をまじまじと見た。

 だが、そのうちに段々と不思議な可笑しさが込み上げて来て、彼女は笑いを漏らした。


「ふふ……うふふふ……」


 リューシスが振り返って顔をしかめた。


「何だよ、急に笑い出して」

「いえ、別に……何でかなあ。ああ、そうだ。何となくわかった気がしたからかな」

「何がわかったんだ?」

「内緒です、うふふ」


 シュエリーは口元に手を当てて笑った。

 リューシスは舌打ちした。


「全く……相変わらず何考えてるかわからない女だ。そんな調子だから嫁の貰い手がないんだぞ」

「いいんです。私は皆の恋人だもん」


 シュエリーは、両手の人差し指を頬についてわざとらしい笑顔を作った。


「馬鹿が……一生一人で言ってろ」


 リューシスは白い眼で吐き捨てると、


「さて、俺はもう戻る。まだやることがあるからな」


 と、背を返して歩き出した。


「え、こんな夜更けにまだ何か?」


 シュエリーが目をぱちぱちさせながらその背へ問いかけると、リューシスは足を止めてぽつりと言った。


「今回は確かに勝ったが、討ち死にした者も少なくない。彼らの家族への手紙を書くんだ。そこそこの数があるから、夜も書かないと追いつかなくてな」

「え……? 手紙? 殿下自ら書くのですか?」

「もちろんだ」

「ローヤンの法では、戦死者の家族へは通知と補償だけでよいことになっております。指揮官自ら家族への手紙を書くなど聞いたことがありません」


 シュエリーが言うと、リューシスは沈んだ声を出した。


「確かにそうなんだけどさ……。大義名分ありとは言え、この戦争は俺から起こしたものだ。付き合わせた挙句に死なせてしまうなんて、なんか申し訳なくてさ」

「殿下」


 シュエリーは小さく溜息をついて、


「お気持ちはわかりますが、それは流石に考え過ぎです。軍事指揮官が戦の度にそのように考えていたら、いずれ心を病んでしまいますよ。覇王マンドゥーも有名な言葉を残しております。指揮官は兵士を大事にし過ぎるな、と」

「わかってるよ。だけど、気がすまないんだよ。以前、俺の親衛隊にいた兵士で、セーリン川の戦いで討ち死にした優秀な男がいてな。彼にはイーハオとアルハオって言う二人の子供がいたんだが……」


 と、リューシスは言いかけたが、途中で急に口をつぐんだ。

 そして、深呼吸をして星空を見上げると、


「この話はやめておこう。とにかくだ、残された家族の気持ちを想像してみろよ。たまんないだろ?」


 リューシスはそれだけ言うと、再びカラドラス宮城内へ向かって歩き出した。

 毛皮の外套の裾が、風に小さく揺れた。

 闇の中に小さくなって行くリューシスの背を、シュエリーは無言で見送った。



 リューシスらは、その後十日間カラドラスに滞在し、慌ただしく諸事を整えた後、ローヤン領への帰途に着いた。


 今回は、人質と言う名目でマンジュの王子バティが同行する他に、マンジュの一角馬イージューバ三百頭も連れていた。

 出立の前日、マンジュ王バイジンが貸し出してくれたものだ。


「兵は出せぬが、我らの一角馬イージューバをお貸しいたそう。必ずやリューシス殿の大きな力となるはずです」


 と言って、バイジンは三百頭の一角馬を引かせて来たのだった。

 リューシスは飛び上がりそうになるぐらいに喜んだ。


「本当か? これはありがたい! 実は貸してくれないかな、と思ってたんだよ」

「運用方法は息子に訊くのが良いでしょう。上手く活用し、リューシスどのの大きな戦いに勝ってくだされ」

「もちろんだ。必ず勝ってみせる」


 リューシスは、新しい玩具をもらった子供のように、瞳をきらきらと輝かせた。


 そしてカラドラスを出発して三日目――


「よし、一角馬イージューバにもだいぶ慣れて来たぞ」


 リューシスは、騎乗している白い一角馬のたてがみを満足げに撫でた。


 今回のローヤン領への帰路、リューシスらはそれぞれ気に入った一角馬を一頭選び、騎乗の練習をしながら行軍していた。

 当初は、気性が荒く癖の強い一角馬を操るのに四苦八苦しており、時には背から振り落とされたりしていたが、五日目ともなるとだいぶ乗りこなせるようになって来ていた。


「一角馬は気性が荒いが故に、特に騎士との信頼関係が大事。馬を大事にしてやり、時間を共にすれば、より自在に乗りこなせるようになります」


 バティが、流暢なハンウェイ語で言った。


「なるほどね。よし、じゃあ、これからよろしく頼むぞ」


 リューシスは、一角馬の白い頭を撫でながら言った。


 すると、リューシスの頭上をのんびりと飛行していた白龍バイランが急に唸り声を上げた。

 リューシスは笑いながら頭上を見上げた。


「妬いてるのかよ、バイラン。安心しろ、俺の一番の友達はこれからもずっとお前だよ」


 だが、それでもバイランは、まだリューシスを見ながら不機嫌そうに唸っていた。


「同じ白い身体だから不安なのか」


 リューシスがからかうように言うと、バイランはますます大きな声で唸った。


 そのやりとりをリューシスの背後で見ながら、シュエリーは「バイラン可愛い」と笑った。


 リューシスは、そんなシュエリーを振り返り見た。


「そろそろハルバン城だよな」

「ええ。今日中には着くでしょう。もうサイフォン様には伝えてあります」


 カラドラス陥落とマンジュの臣従が決定した後、マンジュによって占拠されていたハルバン城は半ば自動的に開城された。

 サイフォンはすぐに旗下の一軍を率いて入城し、ハルバン城は再びローヤンの下に戻ったのだった。


「いいのか? このままで」


 と、リューシスは意味深に笑った。


「何がですか?」


 シュエリーがのんびりした口調で訊き返すと、リューシスは鋭くシュエリーを見た。


「とぼけるなよ。お前、俺を担ぎ出してハルバン城奪還を果たした後は、俺がルード・シェン山から離れていることを利用し、そのまますぐに俺を捕らえるつもりだったんじゃないのか?」


 シュエリーは、ぎくりとして顔をひきつらせた。

 だが、すぐにおどけるようにぺろっと舌を出した。


「えへへ、ばれてました?」

「当たり前だ。お前の考えそうなことじゃねえか」

「殿下、謀略方面も成長しましたねえ」

「誤魔化すなよ。で、何か仕掛けてくるなら、マンジュ領からハルバン城までの間だろう、と思っていたんだがな。だけど何もしかけてこないじゃないか、どうした?」


 リューシスは皮肉そうな笑みで言った。

 シュエリーは


「いえ、色々と考えたのですが……まず、今の殿下には私が考えた策は見破られてしまうのではないか、と思いまして」

「ふうん……」

「事実、殿下は私の考えを見抜いておられたでしょう。それに……まあ、ちょっと色々と思うところがあったのです」

「色々って何だよ?」

「それは言えません」

「はあ? 言えよ」

「言えません。女の子には色々あるんです」


 シュエリーは、わざとらしく顔を傾けて作り笑顔を見せた。


「また出たよ。何が女の子だ、歳を考えろよ」


 リューシスは呆れながら前を向いた。


「ま、酷い」


 シュエリーは、むっとして頬を膨らませた。


 そんな二人の会話を後方から不思議そうに見ていたバティが、隣のヴァレリーに訊いた。


「チェルノフどの。少々伺いたいのだが、ローヤン…と言うか、ハンウェイ人女性と言うのは皆あのような感じなのか?」

「ユー将軍がかなり特殊なだけだ。安心してもらいたい」


 ヴァレリーは苦笑いをした。


「そうか。実は、俺は早くに妻を亡くしてな……それ以来独り身なんだ。なので、この機会に良縁があればハンウェイ人の女性もいいな、と思ったのだが、皆あのような感じなら考え直さないといけないな、と思ったのだ」


 バティは真面目そのものの顔で言った。だが、それがまた可笑しくて、ヴァレリーはたまらず大笑いをした。


 そんな会話は聞こえていないリューシスとシュエリー。

 シュエリーが、まだ不満そうな顔で言った。


「とりあえず私はハルバン城に戻りますが、その後に殿下がルード・シェン山へ戻るのは邪魔しません。殿下とは正々堂々と戦ってみたいと思っておりますので」

「お前の口からそんなことを聞くとはなあ。戦争は勝利が全てであり、勝利の為にはあらゆる手段を尽くすもの、戦争において正々堂々などはありえない。って、お前の親父さんがいつも言っていたことだぜ。だけど……まあいいだろう。そうしようか」


 リューシスはにやりと笑って了承してみせた。


 そして、リューシスらはハルバン城に辿り着いた。

 サイフォンが一隊と共に出て来て、リューシスらを出迎えた。サイフォンはリューシスに礼を言った後、ハルバン城に入って休んで行くよう勧めたが、リューシスはそれを断った。

 

「今からは俺達は再び敵同士になるからな。……それと、ルード・シェン山にとって、北方にあるハルバン城は後方の脅威だ。だから、悪いが俺は全力でハルバン城を落としに行くからな」


 リューシスはサイフォンに告げた。

 サイフォンは苦笑いの後、覇気に満ちた顔で答えた。


「リューシス殿下と戦うとは心苦しいところではありますが、殿下ほどのお方を相手に戦えることは、武人にとってこの上ない栄誉でもあります。私も七龍将軍チーロンサージュンの一人。そう易々やすやすとハルバン城は渡しませんぞ」

「よし、じゃあまた戦場で会おう」


 こうして、リューシスらはルード・シェン山へと帰還して行った。


 シュエリーはリューシスらとは別れ、自軍の兵士らと共にハルバン城に入った。


 ハルバン城は小高い高地の上に立っているが、その周辺は未墾の原野が広がっている。

 シュエリーは城に入った後、甲冑も解かないままに城壁の上に上がると、そこから南へ進んで行くリューシス軍の後影を見つめていた。

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