第94話 覇王の眼

 カラドラス王宮の大広間――


 マンジュ王バイジン、長子バティ、その他の王子たち、重臣や武将たちが縛られた上で座らされていた。


 リューシスは彼らを見回した後に歩み寄って行くと、


「バティどの、これでどうだろう?」


 と、自らバティの縄を解いてやりながら言った。


 バティは縄を解かれても立ち上がらず、床の上に胡坐あぐらをかいたままリューシスの顔を睨み上げていたが、やがて大きく吐息をついて答えた。


「いや、参った。負けた負けた! 我らの完敗だ。認めよう」


 バティは言うと、表情を変えて笑った。


 厳しい北の大地の男らしい、逞しくも晴れやかな笑顔であった。


「では、バイジン大王は如何でしょう?」


 リューシスがバイジンへも訊くと、バイジンはやるせなさそうに軽く首を振り、


「正直なところ、まだ信じがたい気持ちではある。ナイラ族すら脅かす我らが、ローヤンの一軍団にこうも完膚なきまでに叩かれるとは……」


 と、消沈して言ったが、次の瞬間には息子バティと同じ笑みを見せた。


「だが、噂に聞くリューシスパールどのの采配とローヤン飛龍隊の強さ、身に染みてわかった。我らは到底かなわん。こうなった以上は、好きにされるがよい」

「納得してくれましたか」


 リューシスもまた笑顔で答えると、


「では、ローヤン帝国に臣従してくれますか?」


 と、問いかけたのだが、バイジンは「いや……」と険しい顔をした。


「え?」


 戸惑ったリューシスに、バイジンは顔を上げた。


「臣従はしよう。だが、ローヤンではなく、リューシスどのに臣従することとする」

「うん? 何故またそのような?」


 リューシスが解せない顔を見せると、バイジンもまた意外そうな顔をして答えた。


「それがいいではないか。今のリューシスどのはローヤン朝廷に対して弓を引いておる。我らがローヤンに臣従するのならば、リューシスどのに矛を向けると言うことになるのではないかな? それでもいいのかね?」

「ああ、でも……」


 考えるリューシスを見て、バイジンは苦笑した。


「正直なところ、ローヤンの内紛など我らにとってはどうでもよい。しかし、我らは貴殿に負けたのだ。貴殿に従う」

「ああ……うん……まあ、いいか。俺もまたローヤンだ」


 リューシスが頭をかきながら答えると、バイジンは「ふふ、噂通りにどこか抜けているお方ですな」と笑った。


 その時、壁際に立って話を聞いていたネイマンが、隣のバーレンに小声で訊いた。


「なあ、バーレン。リューシスの奴、何でマンジュに臣従の形を取らせるんだ? 俺達が勝ったんだから、俺達が直接支配すればいいじゃねえか」


 だが、バーレンも「ああ、何でだろうな?」と、小首を傾げた。


 すると、シュエリーが答えた。


「そこまで手が回らないのですよ。民族すら違う国を支配すると言うのは難しいものです。言語も文化も違いますから。政治体制を整えるだけでも多大な労力と時間を必要とします。また、反乱の可能性も高く、治安維持の為にも多くの将兵を置いておかねばなりません。それだけでなく、ここマンジュの場合は、北方高原の最大勢力であるナイラ族の脅威にも備えなければなりません。今の内戦状態のローヤン、ましてや朝廷に対して兵を挙げているリューシス殿下には、とてもそこまでやる余裕はありません。リューシス殿下の当面の敵はワルーエフ丞相らであり、リューシス殿下としては自分達の背後を攻撃して来なければそれでいいのです。であれば、高度な自治までも認めて臣従と言う形が一番良いでしょう」

「なるほど」


 バーレンとネイマンは納得し、「あいつ、戦争以外のことも結構考えてるんだな」とリューシスを見た。


 そのリューシスは、バイジンに対して言葉を続けていた。


「感謝します。さて、こうなると次は諸々の条件の話だが、我らに従い、侵攻をしないと約束してくれれば、人質を取ることと少数の駐屯軍を置かせてもらう以外には特に条件はつけません」

「何と……」


 これにはバイジンはもちろん、バティや他の兄弟たち、重臣らも皆驚いた。


「だけど、人質に関しては希望がある。長子バティどのでお願いしたい」


 リューシスが言うと、本人のバティは眉をしかめ、バイジンもまた「バティを……」と、顔を曇らせた。


 国家対国家の人質ともなれば、長子を取るのは珍しいことではない。


 しかし、バイジンは苦渋の顔で申し出た。


「恐れながら、我が長子バティは次期マンジュ王と言う身であるだけでなく、その傑出した武勇と将才は我らマンジュにとって大きな戦力であります。同じように軍事の柱石であった大将軍コルティエルを失った今の我らにとって、バティがいなくなることは大きな痛手。私には他にも息子たちがおります。ここはどうか、他の者にしていただけませぬか?」


 するとリューシスは理解を示して頷いたが、


「そうだろうな。だが、それほどの将器であるからこそ、俺もバティどのを希望するわけだ。と言うのも、名目としては確かに人質だが、実際には客将として迎えたいと思っている」

「客将?」


 黙って聞いていたバティの瞳に好奇の色が動いた。


「そう。さっきも話に出た通り、俺は今、ローヤン朝廷と宰相マクシムに対して戦っている。それ故に、一人でも多くの兵士を必要としており、将はそれよりも渇望している。一人の優秀な将は万の軍勢にも勝る。だから、バティどのが来てくれるなら、私の軍の一部将として迎えたいと思っているんだ」

「なるほど、しかし…」


 バイジンは尚も難色を表して息子バティを見た。


「心配はご無用。マンジュが他部族に攻められて危機に陥るようなことがあれば、バティどのはすぐに帰らせる。我らの援軍と共に。約束する」


 リューシスがそこまではっきりと言うと、バイジンはようやく硬かった表情を緩めた。


「そうですか……それならば」

「うんうん。バティどのご本人も了承していただけるかな? 今言ったように、人質と言っても幽閉されるような窮屈な生活じゃない。ある程度の自由はある。それに戦場で存分にバティどのの腕を振るえるし、高原とは違う大陸の文化に色々と触れて見聞を広めることもできる。武者修行のつもりで来てもらえれば、と思うのだが」


 その武者修行、と言う言葉が響いたのか、それを聞いた瞬間、バティは面白そうに頷いた。


「それは悪くないかも知れん。何より、戦闘に参加できると言うのが良い。今回リューシスどのに負けて、我らマンジュは当分の間は高原でも戦はできない。マンジュにいるより退屈しなくてすみそうだ。こちらからお願いしたいぐらいだ」


 バティは大声で笑うと、父王を見た。


「父上、私は喜んで参りたいと思います。リューシスどのの戦に参加し、勝ってこのマンジュに帰って来た時には、私はまた大きく成長しているでしょう」

「そうか。まあ、お前が納得するならばそれでよい。励んでまいれ」


 バイジンも笑顔で許すと、リューシスは丁寧に頭を下げた。


「バイジンどの、バティどの、ありがとうございます。また、他の重臣方にも感謝いたします」


 そして、リューシスは大広間に居並ぶ双方の人間たちを見回して言った。


「よし。では、今日はお互いに皆疲れただろうから、小難しい話の続きはまた明日にしよう。皆、この後は夕食を取ってゆっくり休んでくれ。酒も出すぞ」


 全員の間から歓声が上がった。




 その日の深夜。


 貸し与えられたカラドラスの宮殿の一室で、桃色の寝間着姿のシュエリーは、文机に向かってサイフォン宛ての手紙を書いていた。

 内容は、今回の戦についての詳細を伝えるものだが、シュエリーは書き終えた後に別のことを付け加え始めた。


 この後の、リューシス捕縛の策について、であった。


 シュエリーの元々の計画は、リューシスらの協力を仰いでハルバン城を奪還した後、そのまま一気にリューシスの身柄をも捕縛してしまう、と言うものである。

 その計画は今、ハルバン城奪還どころか、マンジュの首都カラドラスまで陥落させてマンジュを臣従させることまで果たし、想定以上の成果を得た。この上でリューシスを捕縛できれば完璧である。

 そして、彼女の頭の中には、リューシス捕縛の策もすでに出来上がっている。


 だが、シュエリーの筆はなかなか進まなかった。


 意識は筆記に集中せず、溜息だけが漏れる。

 先頃からしきりに脳裏に浮かぶのは、ハルバン回廊での戦からカラドラス攻略、その後のマンジュとの会戦、その一連の激戦とリューシスの采配であった。


 ――ハルバン回廊での戦い……鮮やかではあったけど、一歩間違えれば私達の大敗だった。


 シュエリーは筆を置き、じっと考え込んだ。


(間道を通ってハルバン城の背後に出て、そのまま一気にカラドラスを急襲…と見せかけて慌てて追いかけて来たハルバン城のマンジュ軍を待ち伏せする。うまく行ったから良かったものの、途中でハルバン城のバティどのらに感付かれていたら、逆に前後を挟撃されて、退路の無い私達は全滅していた)


 シュエリーはまた、今日のことも思い返した。


(今日だってそうよ。前後左右に伸びて手薄になったマンジュ軍中央を斜めに突破して分断、更にその背後に出て急襲する。作戦としては理想的。だけど、もしその前にネイマンどのの部隊が持ち堪えられなかったら……或いは左右両翼の騎兵チービンがすぐに崩されてしまったら……その時点でこの作戦はついえ、私達は大敗していた)


 すでに終わったことであるが、最悪の事態を想像してシュエリーは背筋を寒くした。


 ――どちらも、わずかな計算違いで全て崩壊してしまう危うい作戦。だけど……。


 シュエリーは椅子から立ち上がった。

 自身の記憶の中にあるリューシスを思い浮かべる。


 ――これまでのリューシス殿下は、一手間違えれば全て駄目になってしまうような危険な戦術を取ったことはない。何度も寡兵かへいでの戦闘を勝って来た殿下だけど、それは必ず失敗した時の対策まで練り込んだ作戦だった。そう、最初にマンジュと戦った時のように。


 ――でも今回は違う。殿下は安全策を考えぬままに敗北と紙一重の作戦を取っている。殿下はいつの間にここまで大胆不敵な将となられたの……。


 その瞬間、シュエリーの脳裏に電撃が走り、彼女は黒目がちの眼を見開いた。


 ――違うわ。もしかして……私たちには危険に見えるけど、リューシス殿下には私たちにはわからない確かな勝算があったのかも。


 シュエリーの心臓の鼓動が速くなり、彼女はふくよかな左胸を手で押さえた。


覇王バーワンマンドゥー・ツァオは、しばしば無謀とも言えるほど危険な作戦を取ったが、反対する参謀たちに対して必ず勝てると言って実行に移し、事実その通りに見事な勝利を収めている。ある時、何故勝てるとわかったのか? と訊いた参謀たちに、マンドゥーは色々と理由を説明したが、参謀たちには全く理解できなかったと言う。そのことから、マンドゥーには他人が見えないものが見えている、と噂され、それは後に"覇王の眼バーワンイエンジン"と言われるようになった……)


 シュエリーは思わず声を出した。


「殿下も同じだって言うの……? 殿下は恐ろしいまでの将器に成長しようとしている……あんなお方が反乱を起こしたなんて、これは本当にローヤンの危機だわ」


 だがその直後、彼女の中で何かが引っかかり、彼女は眉をしかめた。


 かと思うと、その瞬間に腹の底から込み上げて来る不快感。シュエリーは手で口を押えながら部屋を飛び出した。


 真っ直ぐに厠所へ走り、盛大に嘔吐した。

 その後、彼女は廊下に出ると、力なく座り込んだ。


「やっぱり私にはマンジュの馬乳酒マールージュは合わないわ……」


 シュエリーはぶつぶつと文句を言いながら、壁の上にある小窓を見た。


 そこから、星空が見える。


 晴れ渡っている冬の夜空は、無数の星々の輝きに埋め尽くされていた。


 その美しさに誘われ、シュエリーは思わず立ち上がり、廊下を歩いて行って中庭に出た。


 中庭と言っても、所詮は北方民族のものである。色取り取りの花や装飾物で演出したアンラードの皇宮の中庭には遠く及ばない。

 ただ広いだけの敷地に、適当に手入れをした芝生が広がっているだけである。


 ハンウェイ文明の基準で言えば、中庭と言うよりも空き地である。

 

 シュエリーは苦笑しながら、そんな中庭に出て、夜空を見上げた。


 極みの見えない夜空には、宝石箱をひっくり返したかのような煌きが広がっていた。


「綺麗……」


 シュエリーはうっとりとし、少女のように瞳を輝かせた。


 すると、少し離れた夜闇の中に、黒い人影が佇んで同じように夜空を見上げているのを見つけた。

 シュエリーは一瞬警戒したが、よく見るとそれはリューシスであった。

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