第91話 ハルバン回廊の戦い


 翌日の夕刻――

 リューシス軍はマンジュの首都カラドラスまで、もう五、六コーリー(km)と言う地点にまで到達した。


 その時には当然、その急報もカラドラスにもたらされていた。


 ローヤン軍、カラドラスへ来襲――その第一報が届くと、


「何故ローヤン軍がここへ現れる!」


 豪胆で知られるマンジュ王バイジンも流石に仰天、重臣から一般部族民まで、カラドラス中が騒然となった。

 だが、王バイジンはすぐに落ち着きを取り戻すと、


「慌てるな。このような事態に備えてカラドラスには城壁を作ったのではないか。ちょうど良い機会である。ローヤン人どもに我らは馬で駆け回るだけではないと言うことを見せつけてやろうぞ。急ぎ防衛準備だ」


 バイジンは籠城態勢を整えるように指示し、更には領内の他の部族民たちにも緊急召集命令をかけた。




「と言うことで、カラドラスは大慌てで籠城準備を整えているようです」


 斥候に出していた龍士ロンドの一人が戻って来て、リューシスに報告した。


「そうか、よしよし」


 リューシスは頷くと、意味深な微笑で呟いた。


「マンジュめ。遊牧民のくせにハンウェイ文化をかじって城壁なんて作ったのがあだになったな」

「え? どういうことでしょうか?」


 背後でそれを聞いたヴァレリーやバーレンらが怪訝そうな顔となった。


「なんでもない、気にしないでくれ」


 リューシスが振り返って笑った時、その南方の空から、また二人の龍士ロンドが飛んで来てリューシスの下へやって来た。


「どうだった?」


 リューシスは彼らの戻りを待っていたようで、すぐに自分からいた。

 龍士ロンド二人は飛龍フェーロンから飛び降りると、やや緊張した顔で報告した。


「大変でございます。ハルバン城のマンジュ軍は我々のカラドラス侵攻を早くも知り、またすぐに出撃して、現在我々を追って来ております」

「何? もう気付かれたか」


 ヴァレリーらがざわついた。

 だが、リューシスは落ち着いた様子で更にたずねた。


「統率している将と、おおよその兵数はわかるか?」

「はっ。マンジュの王子バティと大将軍コルティエルが直々に率いて来ており、その数およそ七千から八千騎と見られます」

「大軍じゃないか」


 バーレンが涼しげな眉を曇らせた。


「現在の場所は?」


 リューシスは更に訊く。


「ここから南西およそ三十コーリー(km)の地点を駆けております」


 すると、皆が驚いた。


「三十コーリー? もうそんなところに……流石に速いわね」


 シュエリーが口に手を当てながら言うと、


「それにしても速すぎる。恐らくは次々に馬を交代させながら昼夜兼行で走っているのだろう」


 リューシスは言ったが、その表情はまだ冷静である。

、ヴァレリーが憂慮の顔でリューシスに言った。


「殿下、これはまずいですぞ。カラドラスはもう目と鼻の先だと言うのに、これでは我々がカラドラスを落とす前にバティらに背後を襲われてしまいます。それどころか、カラドラスからも出て来られれば我らは挟み撃ち。そうなれば、退路の無い我らはここで全滅です」


 しかし、リューシスはヴァレリーを振り返り、また皆を見回してにやりと笑った。


「いや、これでいいんだ」

「え?」


 ヴァレリーとバーレンは怪訝そうな顔となったが、シュエリーは「ああ、そういうことですか」と気がついて、黒目がちの眼を大きく開いた。


「殿下の真の狙いはこっちだったのですね」

「そうだ」


 リューシスが答えると、シュエリーはヴァレリーとバーレンに説明するように言った。


「つまり、私達がカラドラス急襲に向ったことをハルバン城のマンジュ軍らが知れば、彼らは慌てて城を出て私達を追って来るでしょう。そこで我らはここから悠々と引き返し、猛追して来たマンジュ軍を待ち伏せして襲うのです。殿下、これですね?」


 シュエリーが言うと、リューシスは真剣な顔で頷いた。


「その通り。カラドラスの連中は自分たちの城壁に自信を持っているようだが、所詮元々城壁を持たない北方民族が見よう見まねで作ったもの、俺たちからすれば子供のおもちゃのような物だ。マンジュ兵の強さを差し引いても、数日で攻め落とせるだろう。だが、奴らマンジュ族は風と共に略奪で生きる遊牧民族だ。定住民族と違い、本拠地を落とされても深刻な打撃はない。しかも今、マンジュの主力はハルバン城にいて、それを率いているのはマンジュの王子バティだ。仮にカラドラスを落とし、マンジュ王バイジンの首を挙げることができても、バティがすぐにその場で王位を継ぎ、復讐の名の下に団結して逆襲しに来るだろう」


 リューシスは言うと、南の空を睨んだ。


「叩かねばならないのは、あくまでバティとコルティエル、そして奴らが率いているマンジュ軍の主力だ。だが、奴らに堅牢なハルバン城に籠られてはどうしようもない。攻めあぐねた挙句に奴らに地盤を固めさせてしまうだけだ。それ故に、俺は一刻も早く奴らを野外へ引き摺りだすと同時に撃破することができる、カラドラス急襲と言う策を取った」


 リューシスが言い終えると、ヴァレリーが感嘆の声を上げた。


「なるほど、流石はリューシス殿下です」


 リューシスは、再び悪戯いたずらをする前の少年のような顔となり、


「さあ、向こうからわざわざ疲れ果てた状態で来てくれるぜ。こちらはたっぷりと寝てから迎えに行くとしようか」


 と、愉快そうに笑った。




 その頃、王子バティと大将軍コルティエルが率いるマンジュ軍は、ハルバン回廊を北上していた。

 彼らは、一騎につき四、五頭の予備の馬を連れて来ており、途中で馬を乗り捨て交代しつつ、速歩で駆けていた。


 辺りに夜闇が訪れると一旦停止し、彼らは羊の干し肉とチーズ、麺包パンだけの簡単な夜食を食べながら休息を取った。

 そして合計二時間ほどの休息を終えると、バティはまたすぐに進軍を命じた。

 だが、そこで大将軍コルティエルが、待ったをかけた。


「バティ様、流石にここは仮眠を取るなどしてもう少し兵士らを休ませるべきと存じます。馬は乗り捨てながら来ておりますが、馬上の兵士らは朝からずっと駆けっぱなしです。今、睡眠を取っても明日の昼前までにはカラドラスに到着できますし、ここは兵士らを眠らせましょう」


 しかし、バティは首を横に振った。


「確かにここで寝ても明日の午前にはリューシスパール軍の背後を突けるだろう。だが、今、リューシスパールらもまた、強行軍で疲れて眠りこけているはずだ。ましてや我らが追って来ているとは思ってもいないはず。そこを一気に襲えば我らの勝利は確実だ」

「しかし……」


 コルティエルが尚も言おうとすると、バティはそれをさえぎるように言った。


「コルティエル。今はカラドラスの危機であり、我らマンジュ族の危機なのだ。だが、見方を変えてみれば、これは千載一遇の好機でもある。今、奴らはカラドラスと我らの間にあり、他に退路も無い。ここで夜襲によって奴らを撃破できれば、逃げ場の無くなったリューシスパールの首を挙げられる。リューシスパールがいなくなれば、ローヤンの戦力は大きく落ちる。さすればローヤン全土の征服は容易になろう」


 バティは精悍な顔に自信を漲らせた。

 コルティエルは、まだ表情に不安の色を残していたが、彼の若々しい熱に押し切られたかのように、「承知仕りました」と頷いた。


 そしてバティらは進軍を再開し、途中で短い休憩を何度か挟みながら北上。


 払暁――東方の夜空がやや明るくなって来た頃、ついにカラドラスまであと四、五コーリーと言う地点にまで到達した。


 ここまで来ると、未だ山と山の間ではあるが、地形はだいぶ平坦に近づき、道とも言えぬ道であるが、その道の幅もかなり広くなる。

 だが、前方の道が山の陰に隠れるように東へと蛇行しており、そこを曲がった時であった。


 風を切る音と共に、無数の矢が銀線を引いて左右からはしって来た。

 同時に上がるマンジュ軍の人馬の悲鳴。彼らは矢の雨に襲われ、わけのわからないうちに横転し、血を流しながら大地に倒れ込んだ。


 先陣の中にいたバティもまた、矢の雨によって左腕と右脚に傷を負った。


「何だ!?」


 痛みを堪えながら左右を見上げれば、それぞれの山の中腹に、弓を構えている兵士らの集団が見えた。


「ローヤン軍か……!」


 愕然としたバティの眼に、更なる驚愕の光景が映った。

 

 前方の青黒い薄闇の中に、まとまった一軍が浮かび上がる。

 リューシス率いるローヤン軍であった。

 それを認めると、バティは目を剥いて悔しがった。


「しまった……俺達の動きに気付き、待ち伏せていたか!」


「――と、でも言ってそうだな。だが違うよ、気付いたんじゃなくて、お前らがそう動くように仕向けたのさ」


 待ち伏せていたリューシスは笑うと、


「さあ、総攻撃だ、かかれっ!」


 と、大声で号令を下した。それに呼応し、旗下のローヤン兵らがときの声を上げて正面から突撃した。


「おのれ、反撃せよ!」


 ほぼ同時に、バティもまた叫んでいた。


 だが、マンジュ軍は、予想もしていなかった待ち伏せで動揺している上、ほぼ夜通しの行軍で疲れている。

 そこへ再び左右からの一斉射撃と、気力旺盛なローヤン軍の正面突撃である。


 マンジュ兵らは重い動きの中で馬を矢で射倒され、横転したところを槍で刺され、とどめに剣で首を刎ねられる。


一角馬イージューバ、突撃だ!」


 バティ、コルティエルらは、得意の騎馬突撃を敢行しようとした。

 だが、戦況はすでに乱戦状態に入っており、しかもマンジュ軍はなかば包囲されている形で一方的に押されている。


 マンジュ騎馬は突撃どころか本来の戦闘力を発揮することすらままならず、虚しく大地に倒れ込んで行くばかりであった。


 大混戦の中、コルティエルが必死の形相でバティの下へ駈け付けて来た。


「バティ様、ここは撤退命令を。このままでは全軍壊滅どころか、バティ様の命すら危うくなります」 

「うむ……悔しいが仕方ない。退こう」


 バティは未だ無念の残る顔で頷き、全軍に撤退命令を下した。

 マンジュ軍は全て騎兵であり、しかも他国の騎兵よりも数段速い。

 戦陣を離れて駆ければ、ローヤン軍は追い付いて来られない――と、バティもコルティエルも考えていた。


 だが、彼らは生粋の騎馬民族である故に、一つの重大なことを忘れていた。


 何とか動ける兵士らをまとめて、乱戦の中から抜け出して後方へと駆け始めた時であった。


 彼らの眼前に、突如として猛獣の集団が空から殺到して来た。


「降下突撃!」


 それは、リューシスらの飛龍フェーロン隊であった。


 リューシスは薄闇に紛れて乱戦の上空を迂回し、密かに後方へと回り込でいた。

 そしてバティとコルティエルらが乱戦から抜け出したのを確認すると、即座に降下突撃を発動した。


 飛龍フェーロン隊は五十余騎と極めて少数であるが、予想もしていなかったところへ一斉に降下突撃を放てば尋常ではない破壊力を発揮する。


 駆け出していたマンジュ騎兵らが一斉に吹き飛ばされた。

 何とか逃げられた、と心中に安堵が生まれ始めていたところへ、この攻撃である。


 更に、二度、三度と飛龍降下突撃が繰り返される。


 ――リューシスパールは悪魔か。


 非情な追い詰め方に、バティは戦慄を覚えた。


 マンジュ兵らは完全に戦意を喪失し、悲鳴を上げながら四方へと散った。


 そんな中、何とか兵士らをまとめて血路を開こうとしていた大将軍コルティエルが、馬上から跳ね飛ばされた上に、ローヤン龍士ロンドらに襲われて絶命した。


「コルティエル!」


 血眼ちまなこで絶叫したバティもまた、その瞬間に馬上から飛ばされて大地に転がった。そこへローヤン龍士ロンドらが一斉に殺到する。


「バティは殺すな! 生け捕れ!」


 リューシスの大声が、すでに太陽が高くなっていた青空から響き渡った。


 乾いた北の大地で、一つの戦闘が終った。

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