第90話 逆襲の秘策
翌日の夕方、マンジュの首都カラドラスから更に二千騎の軍勢が駈け付けてハルバン城へ入ったと言う知らせが届いた。
「本当かよ。これは参ったな」
リューシスは頭を抱えたが、
「まずは情報だ。俺自ら偵察に向かう」
と、バーレンとシュエリー、その他の
晩冬の夕空に黒く浮かび上がるハルバン城は、ローヤン領最北の城らしく、単純な構造ながらも高く強固な城壁を持ち、武骨にして威圧的な佇まいを見せていた。
そのハルバン城の先には、北方高原に繋がるハルバン回廊がある。
普段は、このハルバン城がハルバン回廊を通って大陸侵入の機を窺う北方民族への強力な壁となるが、今はリューシスらローヤン軍への壁となっている。
「あのハルバン城に籠られるのが一番困る。籠城戦に慣れていないマンジュ族とは言え、一万を超える大軍勢であの堅牢な城に籠られたら、流石に成す術がない。マンジュ軍の強さは脅威だが、野戦の方がまだ勝ち目がある」
リューシスは、バイランの上からハルバン城を睨んだ。
それに答えるように、バイランも低い唸り声を上げた。
「それにしても、反撃を受けたとは言え、マンジュ軍の方が優勢でした。にも関わらず、あえて兵を退いてハルバン城に籠るとは、バティどのも若いながらやりますね」
シュエリーが感心したように言った。
「ああ、大したもんだ……そうだシュエリー、マンジュのバティはどんな男だ?」
リューシスがシュエリーを見て訊くと、
「そうですねえ……顔立ちは特にカッコイイってわけではないですけど、目が大きくて力強く魅力的ですね。それに背も高いし筋骨隆々、北方民族らしく男っぽくて野性的です。にも関わらず、マンジュ族の王子らしく物腰や口調は柔らかくて紳士的。とても素敵なお方でした」
シュエリーは、黒目がちな目をきらきらと輝かせながらうっとりとした。
「いや、そう言うことを訊いているんじゃないんだけど」
リューシスは苦笑いしたが、シュエリーはそのまま言葉を続けた。
「でも、バーレンどのの方が素敵です……」
シュエリーは、頬を淡紅色に染めながら恥ずかしそうに言った。
しかし、その様はどこかわざとらしく、空々しい。
そして、言われた本人のバーレンは、
「へえ、そうですか」
と、表情も変えずに一言答えただけで、それ以上何も反応しなかった。
リューシスは、ぷっと噴き出した。
「ま、連れないですわ、バーレンどの」
シュエリーは片頬を膨らませたが、バーレンは変わらず涼しげな顔で何も答えない。
リューシスは堪えきれずに大笑いした。
「やめておけシュエリー。バーレンは十代の時、アンラード一の不良だったにも関わらず、百人以上の女に恋文をもらっていた男だ。お前のような腹黒いぶりっこ女にはなびかねえよ」
「殿下、女の子に向って腹黒いぶりっこだなんて酷い」
シュエリーは両頬を膨らませてむっとした表情を見せたが、
「お前何歳になった?」
と、リューシスが鋭く言うと、シュエリーは沈黙した。
リューシスはふふっと笑うと、表情を引き締め直して再びハルバン城を見た。
「それにしても困った。何とか奴らを野戦に引き摺りだせればいいが……」
ハルバン城は、北方高原に繋がる地にある為、関所も兼ねている。
ハルバン回廊を塞ぐかのように東西に長く、また、その周辺にも幾つかの支城がある。
こうして、ローヤン領内と北方高原の人や物資の往来を厳重に管理しているのだ。
今も、ハルバン城からは微かな喧噪が聞こえるが、城門は閉じられ、周囲の乾燥した大地には人影は無い。
そんなハルバン城を見ながら、リューシスはあれこれと思案を巡らせたが、何も良い案が浮かばない。
「駄目だな。こういう時は視点を変えよう。もう夜になるし、ちょっとこの周辺を見て周りながら帰ろうか」
リューシスは溜息をついて、バイランを旋回させた。
そして、バーレン、シュエリーらと共に付近を見て回りながら南下して行った。
するとその途中で――
「何だあれは?」
リューシスは飛行を止め、東方に見える低い山の麓を見つめた。
「何か見えますか?」
バーレンが答え、その方向に目を凝らした。
「あんなところに人がいる」
リューシスの褐色の瞳は、紅い残照混じりの薄闇の向こうに、山裾を豆粒のように動く人影を捉えていた。
「ああ、本当ですね、何をしているんでしょう?」
シュエリーも気が付いた。
人影は、五人ほどいるようであった。
リューシスは、じっと彼らの動きを見つめた。
彼らは、薄闇の中で松明もつけずに山に入り、山を登り始めた。そして、枯れた高い木々の中へと消えて行った。
その様を見終えると、リューシスは迷うことなく言った。
「行くぞ」
リューシスらはその山へ飛んで行った。
そして彼らが消えて行った木々の中へ入って行くと、薄闇の中にすぐに彼らを見つけた。
「止まってくれ」
先頭のリューシスが背後から声をかけると、振り向いた彼らは皆、飛び上がらんがばかりに驚いた。
「うわっ。な、なんでございましょう」
怯えた様子の彼らは全員男であり、背に大きな荷を背負っていた。
「そう恐がらないでくれ」
リューシスは苦笑しながら言うと、
「ちょっと訊きたいのだが、もう夜になると言うのに、お前たちは松明もつけずに何故こんな山の中を歩いている?」
「あ、えっと……」
一人が口ごもった。
「答えられないのか?」
「いや、その……私達は樵でございまして、木を伐採しに行くところでございます」
一人の大柄な男が答えた。
「伐採? もう夜になると言うこんな時間に? 松明もつけずにか?」
リューシスは語気鋭く訊いた。
「え、ええ、はい……」
「しかし、お前たちはとても樵に見えないな。服装も小奇麗だし、斧や縄などの道具も持っていないじゃないか」
リューシスは、薄闇の中で彼らの格好をじろじろと見た。
「いや、この背の荷袋の中に入っているのです」
一人が引きつった顔で答えた。
「じゃあ、ちょっと見せてくれないか?」
「え? いや、そ、それは……大事な仕事の道具でございますので……」
皆が慌てた様子になった時、リューシスの背後にいたシュエリーが何かに思い当たった顔となり、前へ進み出た。
「わかったわ。あなたたちは北方高原へ行く行商人でしょう」
「え? いや……」
男達は図星を突かれた顔となり、明らかな狼狽を見せた。
シュエリーは続けて言った。
「そして、あなたたちがこんな時間にこの山を登っているのは、密かに北方高原へ向かう為でしょう? 恐らく、この山道がハルバン城の背後へ出て、そのまま北方高原に行ける間道になっている、と言うところかしら?」
シュエリーが舌鋒鋭く迫ると、彼らは皆言葉を失って冷や汗を流した。
それでも尚、一人が何かを言おうとすると、シュエリーが即座に遮って珍しく大声を出した。
「観念なさい。私は少し前までハルバン城に赴任していたローヤン帝国
「なるほど、そう言うことか」
リューシスが頷いた。
「も、申し訳ございません。全てその通りでございます」
彼らは皆、ついに諦めてその場に平身低頭した。
「やっぱりね。まさかこんな時に不正を見つけるなんて思わなかったわ。」
シュエリーが苦笑混じりに言うと、リューシスが男たちに訊いた。
「では、この先がハルバン城の後方へ抜けられる間道になっていると言うのは間違いないことなんだな?」
「はい、そうでございます。あの……何でもいたしますので、どうか刑罰は少しでも軽くしていただけませぬか?」
彼ら――商人たちは泣きそうになりながら懇願したが、リューシスは笑いながら答えた。
「構わない。むしろ褒美をやるよ」
「ええ?」
「その間道を教えてくれたらな」
「間道を? 何故……」
商人たちがぽかんとしていると、シュエリーが微笑しながらリューシスを見た。
「その間道を使って密かにハルバン城の北に出て、背後から攻めかかると言うことですね?」
だが、リューシスは首を横に振った。
「違う。間道は通るが、ハルバン城は攻めない」
「え?」
「ハルバン城の北に出たら、確かに背後からハルバン城を奇襲することが可能だ。だが、今のハルバン城には一万人を超えるマンジュ軍がいる。背後からの奇襲ぐらいでどうにかなるかな? むしろ、奴らが俺達へ向かって出撃して来たら、退路の無い俺達が不利になるだろう」
「では、間道を知ってどうするつもりですか?」
「ハルバン城の北に出て、そこから更に北へ向かったら何がある?」
その時、シュエリー、バーレンはもちろん、その後ろにいた
「そう、ハルバン回廊の先はもうマンジュの本国で、その首都のカラドラスがある。更なる二千騎をハルバン城に送って手薄になったマンジュの首都がな」
リューシスは、悪戯を思いついた少年のように、にやにやと笑った。
翌日の深夜、リューシスはヴァレリー、バーレン、ネイマン、シュエリー、の四人と、六千人の軍勢を連れて、行商人から教えてもらった間道を登った。
間道は険しい山々の奥深くにあり、ハルバン城のマンジュ軍に気取られる可能性は低い。
と言っても六千人は大軍勢である。一斉に行軍すれば大地に足音が響き、流石にハルバン城に異変が伝わるであろう。その為、リューシス軍は各小隊ずつに動き、兵士ら全員には一切の私語を禁じ、馬の口は布を縛って塞ぎ、松明の火は最小限にして進んだ。
途中、山中で短時間の休息と仮眠を取り、再び行軍。
やがて夜が白み始めた頃、リューシス軍は一軍目が間道を抜け、正午前には全軍が山を降りてハルバン城の遥か北の地点に出た。
ハルバン回廊は曲がりくねっている。
遥か南方にはハルバン城があるが、山々の先に隠れてその姿は見えない。
「よし、このままカラドラスへ急行するぞ」
リューシスは北の空を見て、更なる進軍を命じた。
その日、ハルバン城――
マンジュの王子バティは、部将のゼイルと共に、未だ動揺の残る落ち着かない城内を巡察して回った。
当然、住民らはまだ不安の底にあり、バティらマンジュ人へ警戒の眼を向け、怯えた表情を見せる。
そんな住民たちへ、バティは冑を脱いで笑顔を見せ、流暢なハンウェイ語で優しく言って回った。
「そのように怯えることはない。お前たちが手向かいせぬ限り、我らは決してお前たちに危害は加えぬ、安心してくれ」
そして夜が迫った夕刻、バティは政庁へ戻り、執務室に入った。
「やはりそう簡単には落ち着きませぬな。奴ら、我らマンジュ族をまるで獣の如く見ておりますし」
ゼイルがやや憤慨した様子で言うと、
「まあ、仕方ない。事実、彼らからすると俺たち高原の人間は野獣のようなものだろう。ここは気長にやって行くしかない」
バティは苦笑しながら木椀の水を飲んだ。
その時だった。
大将軍コルティエルが扉の外から「バティ様!」と声をかけ、慌てた様子で入って来た。
「大変でございます」
「どうした?」
バティが訊くと、コルティエルは大股に歩いて来て、
「ローヤン軍がここより北に現れ、しかもカラドラスを目指して急行している様子、とのこと」
「何?」
バティは驚いて立ち上がりかけたが、すぐに呆れ笑いを漏らした。
「待て待て。そんな馬鹿な。このハルバン城は高原に通じるハルバン回廊を塞いでいる上に、我らの巡視隊が一日中近隣を見張っている。ローヤン軍が何故ここより北に出られるのだ」
「私もそう思いましたが、複数の物見から同様の報告が上がって来ております」
コルティエルが真面目、かつ深刻そうな顔で言うと、バティの顔から笑みが消えた。
コルティエルは続けて言った。
「そして、この情報の真偽を吟味している時、ちょうど別の報告が上がって来たのです。ここハルバン城より東南には、一部の行商人たちが秘密裏に使う、ハルバン城を迂回して高原へ抜けられる間道があると言う噂があると」
その瞬間、流石にバティの顔色が一変した。
「本当か? だとすればそれはまずい。今のカラドラスは手薄だ。リューシスパールに急襲されればひとたまりもない」
「如何いたしましょう」
コルティエルが切迫した顔で訊くと、バティは呻きながら思案したが、しばしの沈黙の後に苦渋の顔で言った。
「我らは遊牧民だが、流石にカラドラスを落とされるのはまずい。急ぎローヤン軍を追うぞ。我らマンジュ騎兵の速さならばすぐに追いつけよう。むしろ、奴らの背後を急襲することも可能だ」
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