第81話 ローヤン皇家禁断の秘密

 その民族は、北方高原の他の遊牧騎馬民族とは少し性質が違っていた。


 彼らの居住地域である北方高原最東部が、他の地域と違ってそれほど乾燥しておらず、比較的緑と水に恵まれていたからであろう。

 彼らは、夏と冬の牧草地を移動すると言う、典型的な遊牧民の生活形態を基本とはしているが、他の遊牧民族とは違い、簡単な農耕や手工業なども行う。


 更に、彼らは城壁まで備えた首都を定めており、ハンウェイ大陸の国家と比べれば未成熟であるが、組織的な行政機構をも整えていた。


 だが、彼ら民族の特徴として最も際立っている点は、その軍事力であろう。


 多くの遊牧騎馬民族は、物心ついた頃より馬上で生活しているので、騎馬技術に長けており、戦争ともなれば男は皆、そのまま強力な騎兵となる。

 その強力な騎兵でもって、北方高原の遊牧騎馬民族たちは、古来より度々ハンウェイ人国家を脅かし、ついには現在、ハンウェイ人国家を滅ぼした上に、各地にローヤンやガルシャワを始めとする異民族国家が割拠する時代となったのである。


 しかし、彼ら民族が乗りこなす馬は、他の騎馬民族のものとは違っていた。


 彼らの馬は、頭に一本の鋭いつのを備えているのである。


 彼らが「一角馬イージューバ」と呼ぶその馬は、元来凶暴で、その鋭いつのによって他の動物を攻撃したり、狩りをしたりする。


 その為、「一角馬イージューバ」そのものが武器や兵器とも言え、一角馬イージューバ騎兵は非常に強力な攻撃力を持っている。

 ローヤン民族の飛龍フェーロンと同じく、一角馬イージューバは希少種でその個体数は少ないのだが、少数でも一角馬イージューバの角を並べて一斉に突撃すると、敵軍はひとたまりもなく壊滅してしまうのだ。

 唯一の弱点として火を恐れると言う習性があるが、それを差し引いても、彼ら「一角馬イージューバ」騎馬隊による騎馬突撃は、恐ろしいほどの威力を持っていた。


 それ故、彼ら民族は未だ小規模であるが、近年急速に勢力を拡大し、他の北方高原の遊牧民族国家にとって脅威となりつつあった。


 そんな彼ら民族の名は「マンジュ族」と言う――




 ハルバン回廊を抜けて行くと、果てしなく広がる草原の中に突如として現れる城壁都市、カラドラス。

 城壁と言ってもわずかに五メイリほどの高さしかなく、都市全体もこじんまりとしており、いかにも辺境の田舎都市であった。

 だがここが、マンジュ族の一応の首都である。


 都市の中央には、簡素ながらも石造りの宮殿がある。

 その宮殿の中、まるで遊牧民の移動式テント「ゲル」のような内装をした広間で、ローヤン新皇帝からの親書を見たマンジュ族の王バイジンは、白い髭をたくわえた顔を上げた。


「ふむ、そうか。その第一皇子の軍を討ち破るのに協力すれば、こちらの条件を飲んでくれると言うのだな?」


 バイジンは、にこにことしながら流暢なハンウェイ語で言った。


「ええ」


 マクシムが派遣した使者もまた、穏やかに微笑んで頷いた。


 昨年、先帝イジャスラフがマンジュ族と始めた同盟締結交渉は、双方が出した条件が折り合わずに停滞していた。


 遊牧民族は、その生活形態の為に生活用品の一部を自分達で作り出すことができない。それ故、遊牧民族と言うのは、他の部族、国家との交易が不可欠である。

 マンジュ族は自分達でも簡単な農耕や手工業を行ってはいるが、当然それだけでは様々な物資が足りず、やはり交易を行っていた。


 その為、マンジュ族は同盟締結に当たって、両国の交易を条件に出した。

 交易自体は、ローヤンにとっては何も問題なく、むしろ良いことである。しかし、その交易の内容が問題であった。


 イジャスラフはマンジュ族の強力な一角馬100頭を望み、それに対してマンジュ王バイジンが出したのは、北方高原では取れぬ穀物、野菜、果物、ローヤンの高品質な武具甲冑、などである。だが、その要求量が莫大過ぎた。それ故、交渉は難航したまま止まっていた。


 しかし、今回マクシムは、リューシス討伐にマンジュ族が協力するならその条件を承諾する、と伝えて来たのである。


「それだけではありません」


 マクシムが派遣した使者は更に言った。


「見事に逆賊リューシスパールの軍を打ち破ってくれた暁には、更に1000万リャン相当の金銀宝玉をも出すと、言われております」

「なんと! それは誠か」


 マンジュ王バイジンの眼が、驚きながらも輝いた。


「ええ。新たな皇帝陛下は大変気前の良い方でしてな」

「うむ、そうかそうか。よろしい。それで手を打とう。これで両国の同盟は成った、そう伝えてくれい。わし自らも手紙をしたためよう」


 バイジンは上機嫌で満面の笑みを見せた。


「ありがとうございます。では、兵を出してくださいますな?」

「もちろんだ」


 バイジンは答えると、急に真面目な顔となって、


「バティ!」


 と、大広間の脇に控えている重臣たちの中から、一人の者の名を呼んだ。


「はっ、父上」


 バティと呼ばれた若者が、一歩進み出て跪いた。

 彼は身長こそ標準であるが、騎馬民族らしい逞しい筋骨で、日に焼けたその顔は、目が大きく口元はきりりと引き締まり、非常に精悍せいかんな印象の青年であった。

 

「これはバティと言い、我が長子にして非常に武勇に長けておる。このバティに五千騎を与えて遣わそう」

「五千騎」


 使者の顔がやや曇った。それを見て使者の懸念けねんを察したバイジンは豪快に笑った。


「はっはっはっ……少ないとお思いか。だが心配はいらん。我ら自慢の一角馬イージューバ部隊一千を含む精鋭の五千騎を出す。その実質的戦力は大陸の五千騎とは比較にならんぞ」


 こうして、バティ率いる精強無比で鳴るマンジュ騎馬軍団五千騎が、ハルバン城から出撃した七龍将軍チーロンサージュンの一人、サイフォン・ラドゥーロフの二万人の軍団と合流し、リューシス軍討伐の為にルード・シェン山へと向ったのであった。





「北方高原の騎馬民族か。腕が鳴るぜ」


 ネイマンが、熊の毛皮の外套の上から太い腕を擦った。


「ネイマンどの、そう気楽には行かないぞ。マンジュ族と言えばまだ勢力の小さい少数民族であるが、その騎兵の勇猛さは他の北方高原の騎馬民族の比ではないと聞く。特に、彼らしか持たない一角馬の騎兵隊は恐ろしいほどの攻撃力だと言う。それ故に先帝陛下はマンジュ族との同盟を進めていたのだ」


 ヴァレリーが落ち着きながらも深刻そうな表情で言うと、それにイェダーも同調した。


「ヴァレリー様の言う通りだ。マンジュ族の騎馬戦術には、現在北方高原で最大勢力のナイラ族も苦戦していると言う」


 するとネイマンは、大広間上段の長椅子に眠そうな顔で座っているリューシスを見た。


「でもリューシス。お前のことだ。何かいい作戦でも考えてあるんだろう?」

「作戦?」


 リューシスはあくびをしながら答えた。


「作戦なんてねえよ。半年前のように、この山に籠って戦うだけだ。ここに籠ってれば、マンジュ族自慢の騎馬戦術も活かしようがない。損害だけ増やして何もできずに退いて行くのがオチだ」

「え? 外に出て野戦を行うのではなかったのですか?」


 バーレンが訊くと、リューシスは長椅子の肘掛で頬杖を突きながら答えた。


「それは、マクシムらがアンラードの軍勢を率いてやって来た場合の話だ。俺が外に出て戦ってやるからかかって来いと挑発したのは、野戦ならば勝機があると思わせてアンラードの軍勢をこちらに誘き寄せる為だ。その上で奴らを一網打尽にし、その余勢を駆って一気にアンラードを急襲、兵力が激減したアンラードを陥落させる、と言うのが俺の作戦だった。だがそれに乗って来ず、ハルバン城の軍団とマンジュ族の騎馬隊を向けて来るなら話は別だ。余計な力は使いたくないからな。」


 皆、静まり返ってリューシスの言葉を聞いていた。


「それに、噂に聞くマンジュ族の騎馬軍団は俺も見たことが無い。正面からまともに戦うことはないだろう。ここに籠って撃退し、アンラードの軍が動くのを待とう」


 この言葉に、ヴァレリー、イェダー、エレーナは納得したが、久しく暴れていないネイマンは不満そうな顔をし、バーレンもやや苦笑いをした。




 そして二月一日。


 ハルバン城から出撃した七龍将の一人、サイフォン・ラドゥーロフの二万人の軍勢と、マンジュ族の王子バティ率いるマンジュ騎馬軍団五千騎が、ルード・シェン山まであと半日と言う距離にまで迫っていると言う報告が入った。


 ルード・シェン山ではすでに、彼らの襲来に備えて万全の防衛体制が整えられており、諸将とその旗下の兵士たちもそれぞれの持ち場について待機していた。


 だがそんな中、リューシスは白銀の鎧兜に紅い戦袍と言ういつもの甲冑姿ではあるものの、一人で執務室の椅子に座って窓から外を眺めていた。

 その顔色はすぐれない上に、やや憂鬱そうな色を帯びていた。


 そこへ、扉の外からリョウエン・フーランの声がした。


「殿下、お薬をお持ちしました」

「おう、入ってくれ」


 リューシスは、一昨日から風邪気味であり、リョウエンの治療を受けていた。


 リョウエンは入って来ると、リューシスの机の上に白湯の入った陶器の碗と粉薬の紙包みを置いた。


「ご苦労さん」


 リューシスは椅子を回し、紙包みを開いて白湯と共に粉薬を飲んだ。

 だがその後、一つ溜息をつくと、再び窓の外をぼーっと見ていた。

 リョウエンは心配そうに訊いた。


「如何されましたか? まだお加減は良くなりませぬか?」


 するとリューシスは、リョウエンを振り向いて微笑した。


「いや、お前の薬のお陰でもうすっかり良くなった。これで心配なく戦にも臨める。ありがとう」

「そうですか……しかし、どことなくまだ顔色がすぐれませんな」

「そんなことないだろう。少し喉が痛いぐらいで、身体は快調そのものだぜ」

「では、すぐれないのは身体ではなく心の方ですか? 何か悩み事でも?」


 リョウエンはさらっと訊いたが、リューシスには鋭く聞こえた。驚きながら訊き返した。


「お前……よくわかったな」

「はは、やはりそうですか。医者と言うのは、身体の不調だけでなく、心の不調も見抜くことがあるのですよ」


 リョウエンが笑いながら言うと、リューシスは苦笑した。


「そう言えば、チャオリーもそんなことを言ってたな」

「チャオリー……」


 その旧友の名を聞くと、リョウエンの顔がやや複雑そうになった。だがリョウエンはすぐに、


「恐れながら、どのようなお悩み事ですか? 心の不調は身体の不調にもつながります。医者として、ある程度は聞かねばなりませぬ」

「いや、悩みってほどじゃない。ちょっとわからないことがあってな。父上毒殺のことについてだ」


「先帝の……」

「お前が言った通りに、父上がマクシムと継母上に毒殺されたのは間違いないだろう。だが、その動機だ。マクシムはわかる。奴は、父上が親政を再開してから、徐々に権力を抑えられて行き、宰相職を解任されるのでは、と言う噂まであったらしいじゃないか。復権を目論み、父上を毒殺したのだろう。だがわからないのは継母上だ」


「…………」

「俺はルード・シェン山に入った時に、もう二度とアンラードには戻らないと言った上で、改めて皇位継承権の完全放棄を宣言した。わざわざ自署入りの誓書まで書いた。父上もそれを認め、はっきりと次期皇帝はバルタザールと定めた。となれば、溺愛している実子バルタザールの次期皇位は安泰。俺の命どころか、父上を毒殺する必要なんてないはずだ。それなのに、何故父上の毒殺に加担したんだ」


 リューシスは、難しい顔で溜息をつきながら、再び窓の外を見た。

 すると、リョウエンは目を伏せてしばし考えた後、思いつめたような顔で一歩進み出た。


「殿下、実は私には、ずっと殿下に言うべきかどうか迷っている事がございます」


 その言葉で、リューシスは心臓が上ずった感覚を覚えた。


「何だ?」


 リョウエンは、ふうっと大きく吐息をつくと、思い切ったような顔で切り出した。


「私は逃亡中、クージンに寄ってチャオリーを訪ねました」

「チャオリー? まさか……」

「ええ。その時、彼と一晩飲みながら語り明かしたのですが、最後にチャオリーは、自身が知ってしまったと言うローヤン皇家の秘密を話してくれました」


 リューシスの心臓が、その鼓動を急激に速めて行った。

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