第80話 北からの強敵
「先帝陛下に一任され、これまでルード・シェン山を開発、統治して来た私に突然ルード・シェン山を出て行けなどと言う
と、言うような内容が、これまた同じく激しい調子でつづられていた。
その三枚を続けて見たバルタザールの顔に、困惑と屈辱、怒りの混じった複雑な表情が走った。
それを鋭い目つきで見逃さなかったマクシムが、すかさず言った。
「私の下に届けられた檄文は、いずれもそれでございます。陛下を侮辱する、許し難い文面です」
バルタザールは、感情を抑え込むような表情でマクシムに言った。
「そなたの持ってきたこの三枚と、
マクシムは一歩進み出て、
「私はこれを見て驚き、すぐに部下の者たちを派遣して、他にも出回っている檄文を持って来させました。すると、内容の違う檄文が数枚届けられました。それは、陛下に届けられたこれと同じ文面です。どうやら、リューシス殿下はこの二種類の檄文を発したようです」
「
「私が思うに、最初にリューシス殿下が発した檄文は、私が持って来たその檄文なのでしょう。その証拠に、その檄文はリューシス殿下の直筆です」
「直筆……? ああ、確かにこの特徴のある字は兄上のものだな」
バルタザールは、マクシムが持って来た三枚の文字をよく見た。どれも、癖の強いリューシスの悪筆であった。
「ところが、ご覧ください。陛下の
バルタザールは、檄文をマクシムの手から取り戻してよく見つめた。それは、署名こそリューシスのものであるものの、本文の字は達筆で、明らかにリューシスのものではない。
「これは……どういうことだ?」
「私の推測ですが、恐らく、私の
「では、こちらの檄文の、そなたと皇太后が共に
「当然でございます。恐れながら、私は先帝の幼少の頃からの御学友にして、臣でありながらも友と呼ばれる仲でございました。皇太后様に至っては、病の陛下の為に自ら研究して薬湯を献ずるほど、心より先帝陛下を愛しておられました。その我ら二人が、どうして先帝を毒殺する必要があるのでございましょうか」
マクシムは、微笑を
マクシムの持って来たこの檄文、当然偽物である。
バルタザールに届けられた、マクシムとナターシアのイジャスラフ毒殺を非難する檄文こそが、リューシスが発した本物である。
マクシムは、ルード・シェン山近辺に私的に派遣している密偵から、逸早くリューシスの檄文を入手した。
だが、それがリューシスの直筆でないことに目をつけ、かつてリューシスの字をそっくりに真似て偽手紙を書かせた者を召し出し、すぐにこの檄文を捏造して各地に発したのであった。
だが、そんなこととは思いもしないバルタザールは、難しい顔で二種類の檄文を見比べた。
「陛下。いずれにせよ、リューシス殿下が陛下と我がローヤン帝国に弓引いたのは事実でございます。ここは殿下討伐の……」
と、マクシムが進言しかけたところで、バルタザールは「マクシム、それ以上言うでない!」と、大声で一喝した。
その場の群臣一同が思わず目を瞠ったほどの、バルタザールが初めて見せた威であった。
大広間に、緊張感の伴った静寂が張り詰めた。
そしてバルタザールは、苛立ちと憂鬱の入り交じった顔で二枚の檄文を見つめたまま、
マクシムが持って来た檄文の中の一文を見つめる。
――そもそも新帝バルタザールは大した才も無い上に経験不足で、未だに戦場にすら出たこともない。このような暗愚の者をローヤン帝国皇帝に戴くことはローヤンの為にならず。
これを見ると、悔しくも嫉妬めいた不愉快な感情が揺れ上がって来る。
バルタザールの劣等感と、リューシスへの対抗心を膨らませる一文であった。
その時、昼間のカティアの言葉が耳の奥で響いた。
「ああ、そうよ。もっと
「
「ええ。朝堂で皆が集まる時などに、お父様を抑えてはっきりと自分の意思を示すの」
バルタザールは、檄文から目を上げた。
大広間に居並ぶ群臣一同を見回した。
若年の新帝は、一つ深い吐息をつくと、呟くように言った。
「難しい判断だ」
マクシムを始め、群臣一同は静まり返っていた。
バルタザールは、手にしていた檄文を丸めながら言った。
「だが、いずれにせよ、丞相の言う通り、我が兄リューシスパールが予とローヤン朝廷に対して反乱を起こしたのは事実だ」
その時、マクシムの顔に薄い笑みが浮いた。
「予が新たな
バルタザールは、まだ少年っぽい音の残る声で静かに言った。
マクシムはすぐに頭を下げ、
「では早速……」
と、言いかけたが、バルタザールは大声でそれを遮った。
「だが! こちらの、丞相と皇太后が共謀して先帝を毒殺したと言うのも何か引っかかる。兄上のでっち上げだと言うが、予も元々、先帝の急逝には少なからず疑問を抱いていた。それ故、同時にこちらも調査する。予、直々にだ」
バルタザールはマクシムを見て言うと、玉座から立ち上がり、群臣一同を見回した。
「予、自ら討伐軍を率いて行く」
バルタザールは宣言すると、
「ビーウェン・ワン将軍!」
「はっ、ここに」
甲冑姿のビーウェンが進み出て来た。
「早速だが、討伐軍を編成し、速やかに出陣準備を整えてくれ」
バルタザールは言ったが、横合いからマクシムが言った。
「陛下、お待ちくだされ。現在、
すると、マクシムの背後から、マクシムの息がかかっている
バルタザールの顔が困惑に歪んだ。
しかし、それからおよそ三週間後――
「何故動こうとしない?」
リューシスは
マクシムからの使者に返答を伝えてアンラードに追い返し、宣戦布告をした。
わざわざルード・シェン山から出てやるから全軍でかかって来いと挑発までした。
しかし、アンラードのローヤン
アンラードに潜り込ませている密偵たちからの報告は皆同じで、アンラードの近衛軍は出陣準備どころか訓練や演習の
「さてはマクシムの野郎、俺の狙いを読みやがったか?」
銀と黒の柄が美しいユキヒョウの毛皮の外套を羽織ったリューシスは、南西の円塔の窓から、アンラードの方向を見つめながら顔を歪めた。
「ですが、ここはリューシス殿下の挑発に乗り、その策にはめられては行けません」
リューシス討伐が決まった翌日、皇宮内の会議室で開いた軍議の席上で、マクシムは最初にこう言った。
「策とは?」
バルタザールを始め、将校たちが
「周知の通り、ルード・シェン山は天下無双の大要害。あそこに
マクシムはそこで一息ついてから、
「しかし、野外での会戦は殿下が最も得意とするところ。その上、あの辺りの地形はリューシス殿下の方が熟知しております。六倍の戦力差での野戦とは言え、必ずしも勝てるとは思えません。むしろ、わざわざ外で戦うと宣言するあたり、殿下には必勝の秘策があるのでしょう」
「それは言えている」
七龍将のルスラン・ナビウリンが頷いた。
「その美味そうに見える餌に食いつき、リューシス殿下の秘策にはまって我らの軍勢が徹底的に壊滅させられたらどうなります?」
マクシムが問いかけるように言うと、バルタザールは即座に言った。
「アンラード防衛の戦力が激減する。兄上は、得意の会戦で我が軍を壊滅させた後、途上の城を無視して一気にアンラードまで進軍し、防衛力の無くなったアンラードを急襲して陥落させようと言う狙いか」
「その通りでございます。おお、流石は陛下! リューシス殿下は戦術には優れておりますが、その他では全てにおいて陛下が
マクシムは、わざとらしい美辞麗句を並べた。
だが、バルタザールは笑顔すら見せず、鋭い目つきでマクシムに問いかけた。
「ではどうする? 公然と
「さて、そこです」
マクシムはにやりと笑った。
「リューシス殿下!」
円塔の窓から外を見ていたリューシスに、背後から切迫したイェダーの声がかかった。
「どうした」
リューシスは、あくびをしながら振り返った。
甲冑姿のイェダーは、リューシスの前で
「ハルバン城より、城将である
「何? ハルバン?」
リューシスは眠そうな顔を一変させた。
ハルバン城は、ここルード・シェン山より北、ローヤン領の最北東に位置し、その先には北方高原の騎馬民族マンジュ族の支配地域に繋がるハルバン回廊があることから、マンジュ族に備えて常に三万から四万人の大軍を駐屯させている重要拠点であった。
「マクシムめ、気が狂ったか。いくら現在マンジュ族と同盟交渉中とは言え、北方遊牧民族のマンジュは油断のならない連中だ。ハルバン城の軍を出せば、マンジュにハルバン城攻撃の隙を与えることになるぞ」
リューシスは呆れ混じりに吐き捨てた。
昨年、先帝イジャスラフは、親政再開後より、北東の脅威であるマンジュ族と和平交渉をし、更に同盟締結に向けて協議していた。
だが、関係は良好になったとは言え、交渉は未だ継続中で、また正式に同盟が成立したわけではない。
「マンジュが裏切ってハルバン城を攻撃して来たらどうするんだ、馬鹿め」
「ところがです」
イェダーは深刻な顔で、
「ハルバン城から出撃した軍勢は、そのマンジュ族の騎馬軍団と共にやって来ているとのことです」
「何?」
リューシスは驚愕して目を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます