第82話 リューシスの涙

「ローヤン皇家おうけの秘密……俺がクージンから去る時、あいつは確かにそれを知ったが、今はまだ言えないとも言った。お前には話したのか」

「ええ。チャオリーは、『もう今更どうしようもないからリョウエンさんには言ったっていいだろう』と言って話してくれたのです」

「今更どうしようもない?」

「ええ。殿下、これは殿下にとっては衝撃かも知れません。聞く勇気がおありですか?」


 リョウエンは強く目を見開いてリューシスにいた。

 リューシスは一つ深呼吸をすると、


「……聞こう。話してくれ」


 と、真剣な顔でうなずいた。


「半年前、先帝イジャスラフ様と共に私がここに来た時、チャオリーはアンラード出奔前に民族学の研究をしていた、と言う話をしたことは覚えておられますか?」

「ああ。そう言えば言ってたな」

「現在、この大陸には私のような純粋ハンウェイ人や、殿下のような純粋ローヤン人、また紅将軍ホンサージュンのウィルバー・パン将軍サージュンのような混血など、様々な人種が混在しておりますな?」

「ああ」


「チャオリーは、別の民族同士、違う色の瞳と頭髪の人間同士が結婚して子供が生まれると、その子供はどういう色の瞳、頭髪になるのか? と言うことを長年かけて調べて行った結果、そこには一つの法則があることを発見したそうです」

「法則……?」


「ええ。例えばウィルバー・パン将軍。彼の父親は黒髪に黒い瞳の純粋ハンウェイ人ですが、母親はローヤン人で純粋な明るい金髪に青い瞳です。しかし、その混血の彼は金髪ではなく、濃い褐色の頭髪と瞳です。」


 リョウエンはそこで一呼吸ついて、


「このように、混血の人間を多数調査して行くと、金髪と言うのは、他の色の頭髪の人間との間には決して生まれない、と言うことがわかったそうです。男女に関わらず、金髪の人間が他の色の頭髪の人間との間に子を授かっても、その子の頭髪が金になることは決してなく、明るい褐色か、褐色に近い黒にしかならない。金髪の子は、金髪の両親の間にだけ誕生する。と言うことを発見したそうです」


 それを聞いた瞬間、リューシスはすぐに、ある身近な人間の影を思い浮かべて顔色を変えた。


「そしておそれながら、ローヤン皇家おうけ、アランシエフ家の男性は、太祖パーウェル公が褐色の頭髪、その息子で武帝ウーディーユリスワード公は燃えるような赤毛で有名でした。そこから先帝イジャスラフ様、そしてリューシス殿下に至るまで、代々皆、褐色の髪か赤毛、でした」

「…………」

「歴代の皇后エンホウ様のほとんどが皆、金髪碧眼ジンファービーイェンであったにも関わらず、です。アランシエフ家の男性には一人も金髪の者はいないのです」


 この時、リューシスは、その先の結論を確信して愕然とした。


「おわかりでしょうか?」


 リョウエンは、青ざめながらも真剣な顔で言った。


「ああ……父上は褐色の頭髪だった。しかし、バルタザールは継母上ははうえと同じ金髪碧眼ジンファービーイェン……つまり……」


 リューシスは、震える唇を指で触った。


「そうです。チャオリーはこう言いました」





「バルタザール殿下は先帝イジャスラフ様の実子ではない。皇后ナターシア様が別の人間と密通し、その間にもうけたお子だろう」


 チャオリーは、やるせなさそうに言ったのだった。


「ほ、本当か? それは研究の間違いではないのか?」


 リョウエンは衝撃の余り、手にしていた杯を取り落しそうになった。


「間違いない。俺はこの十年ほどをかけて、五千人以上の人間を調査して来たんだ。この法則に間違いはないはずだ。それ故に、バルタザール様は絶対にイジャスラフ様のお子ではない」

「なんと……」


 リョウエンは、震える手で杯を卓の上に置いた。




 リューシスは、呆然として言葉が出なかった。


 だがやがて、すぐに浮かんで来た当然の疑問を口にした。


「じゃあ……バルタザールの……父親は誰なんだ? 金髪は金髪の者との間にしか生まれない……あ……」


 リューシスは、ある因縁の男の姿を思い浮かべた。


「以前、継母上ははうえは度々深夜にこっそり宰相宮に通い、不義密通の噂が立ったことがあった、と言ったな? ま、まさか……」

「ええ。私もそれを訊きました」





 リョウエンは、詰め寄るように卓の上に腕を置いた。


「で、では、バルタザール様の実の父親は誰なんだ?」

「それが問題だ」


 チャオリーは、ヒビの入った粗末な杯に白酒を注いだ。

 その様を見ながら、リョウエンは声を潜めるようにして言った。


「まさか、ワルーエフ丞相か? 以前、ナターシア様と丞相が不義密通をしていると言う噂が立ったことがある。丞相は暗い色だが一応金髪だ。しかもバルタザール様の傅役であり後見人。そして、昔から異常とも言えるぐらいにリューシス殿下の命を狙っている。バルタザール様が丞相の子であったとしたなら、それは納得が行く」

「それは俺も考えた」


 チャオリーは、杯の酒を一気に飲み干すと、


「俺も真っ先にそう思った。だが、丞相は確かに金髪だが、暗い色で褐色も混じっている。それに、丞相の瞳の色は灰色だ。俺の研究結果からすると、もしバルタザール様が丞相の子ならば、バルタザール様はあれほどの明るく綺麗な金髪にはならず、瞳も青にはならない。それに……噂では丞相はバルタザール様を傀儡にし、まるで自身が皇帝エンディーであるかのように振る舞っていると言うではないか。いくら秘密の子であるとは言え、それが実子に対する態度とは思えない」


「なるほど……では、一体誰なんだ?」

「それがわからん。わかるのはナターシア様だけだろうな」





「そうか……」


 聞き終えたリューシスは、しばし言葉が出ずにいた。


 心と頭がぐちゃぐちゃに混乱し、狂いそうになる感覚に襲われていた。

 バルタザールはイジャスラフの子ではなく、ローヤン皇家おうけアランシエフ家の血を引いていない。

 ローヤン帝国の皇帝になる資格を持っていなかったのに、皇帝になってしまったのだ。



 ――いや、それよりも……。



 バルタザールは、母親も違い、周囲の思惑に振り回されて複雑な関係であったが、たった一人の兄弟としてずっと仲良くして来ていた弟だった。

 しかし、そもそも父親も違っていた。

 つまり、血の繋がりは無かったと言うことだ。実の弟ではなく、全くの他人であったと言うことになる。


 明らかになったその事実が、どうしようもない暗い悲しみと共にリューシスの胸を押し潰した。


 リューシスはうつむいて目を閉じ、苦しそうに右手で顔を覆った。

 やがて、その右手はずり落ちるように顔から離れた。

 露わになった顔は蒼白で、冷たい汗が一筋流れていた。


 そこでリューシスは、はっとしてリョウエンを見た。


「バルタが父上の子ではない。このことを知ったのはチャオリーだけか? ローヤン朝廷内で他に知っている者はいないのか?」

「それはわからない、もしかしたら知っている人間はいるかも知れない、と言っておりました」

「父上や、バルタ自身は?」

「普段の言動からすると、恐らく全く知らないはずだ、と」


「そうか……チャオリーは、他の人間にもこの事は話しているのか?」

「いえ。私に話したのが初めてだと。しかし、もし殿下に会うならば、機会があれば殿下に伝えてくれ、とは言っておりました」

「なるほど。わかった。じゃあリョウエン、一つ頼みたいのだが、この事は、他の人間には誰にも言わないでくれ」

「はっ、誓いまする」


 リョウエンは頷き、頭を下げた。


 リューシスは、再び窓の外を見た。

 戸外は風が強くなって来ており、空はどんよりとしたなまり色に変わり始めていた。一雨来そうである。


 ――バルタザール……。


 リューシスは、血が繋がっていなかったと言う事実が未だに信じられぬ弟のことを想った。

 もし、バルタザールがこの事を知ったら、どう思うだろう。どれほどの衝撃を受け、どれほど心に傷を負うだろうか。


「バルタ……」


 リューシスは思わず呟き、その眼が潤んで光った。


「殿下、大丈夫ですか?」


 微かに震えるその背を見て、リョウエンが気遣った。


「ああ、すまん。ちょっと驚いただけだ。それより、打ち明けてくれてありがとう」


 リューシスは手で目を拭ってから、再び振り返って笑顔を繕った。


「これで継母上ははうえが父上毒殺をはかった理由に納得が行った。バルタザールが父上との間の子ではなく、アランシエフ家の血を引いていないと言うことが知れてしまう前に、早く即位させて皇帝位を盤石にしてしまおうと言うわけだったんだな」

「ええ、恐らくそうだと思います」

「……全く……恐ろしい女だ。歴史上でもまれに見る悪女じゃねえか」


 リューシスは腕を組み、険しい顔をして何か思案を巡らせていた。

 だがやがて、力を抜いて背もたれにもたれかかると、ふふっと笑った。


「しかし、ローヤン皇家おうけの秘密と言うのはそのことだったんだな。そりゃあ、チャオリーは命を狙われるわけだ」


 リューシスは言ったが、リョウエンは顔を曇らせた。


「いえ……」


 と、言って、口をつぐんだ。


「うん? 何だ?」

「…………」


 リョウエンは目を伏せ、何か言いたそうにしていた。


「どうした? まだ何かあるのか?」


 リューシスは、椅子から立ち上がって机越しに詰め寄った。


「もうここまで話したんだ。これ以上、まだ何かあるのなら言ってくれ。これから戦なんだ。籠城戦とは言え、気になることがあったら采配が鈍る」


 リューシスが強く問い詰めると、リョウエンは決心した顔を上げた。


「チャオリーは、他にも一つ、ローヤン皇家の重大な秘密を知ってしまった、と言っておりました。そして、むしろそっちを知ってしまったせいで命を狙われることになった、と言っておりました」

「何だと……?」

「それは……リューシス殿下のことであり、元を正せばアランシエフ家全体のことでもある、と」

「何? 俺のこと?」


 リューシスは、更なる衝撃に胸を貫かれた。

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