第71話 生まれ来る命、散り行く命

 それから、およそ五か月が経った。

 リューシスらがルード・シェン山に入ってから半年である。


 その間に、ルード・シェン山も変わった。


 まず、イェダーの妻ユーエンと、息子のコウアンが呼び寄せられた。

 もう二度と会えないかも知れない、と思って別れたイェダーら妻子は、泣きながら抱き合い、再会を喜んだ。


 城や兵営などの掃除や、その他の庶務の為に、多数の侍女を雇い入れた。

 これは、女性はたった二人だけであったエレーナとワンティンの為、また、末端の兵士らの為でもある。


「女っ気があって恋愛の機会も増えれば、兵士らのやる気も違うだろ」


 リューシスは冗談めかして笑いながら言った。


 また、リューシスの名声、人望を慕って、その下で働きたいと言う者らが続々と集まって来た。


 それは、地方軍に所属していたが、異動いどう熱望ねつぼうしてわざわざやって来た若い一般兵たちを始めとして、行き場の無い農家の次男や三男、田舎の街の不良たち、果ては刺青を入れられていてまともな職につけない者など、様々であった。


 リューシスは、特に問題がある者以外は、彼ら全員をほとんど受け入れた。

 こうして、ルード・シェン山のリューシス軍は、最終的に総勢四千人近くにまで増えた。


 そして、兵士らが増えると、そこに目をつけ、ルード・シェン山で商売をしたいと言う者らもやって来た。

 武具や農具などの鍛冶屋から、服職人、酒職人、調理師、医師、薬師、楽士や踊り子、果ては娼婦まで、多種多様な人間たちが集まって来た。


 リューシスは、彼らもまたほとんどを受け入れた。

 その結果、ルード・シェン山の一画に、自然発生的に街ができた。


 それらの統治管理の仕事なども増え、リューシスらはまた忙しくなり、加えて戦場への参戦命令などもあり、あっと言う間に時は過ぎて十二月に入ったのだった。


 ローヤン帝国領はこの大陸の東北に位置している上、ルード・シェン山はその中でも更に東北にある。

 十二月ともなれば、毎日厳しい寒さが続き、三、四日に一回は雪も降る。

 そんな厳冬のある日、リューシスはふと思い出したように、皆に告げた。


「来週、皆でアンラードへ行こう。色々と報告も兼ねて、父上の顔を見て来ようと思う」


 手紙のやり取りから、イジャスラフの病がほとんど治りつつあるのを知って安心していることと、日々の仕事の忙しさにかまけて、結局一度もアンラードに顔を出せていないことを思い出したからであった。


 そして、明日にはアンラードへ向けて出発すると言う日の午後――


 リューシスは、政庁せいちょうの三階にある執務室の椅子にもたれて、ある事を思い出し、ぼんやりと考えていた。


 クージンで、元アンラードの宮廷侍医きゅうてじいであったチャオリーが言った言葉である。



 ――殿下、実は私は、世間の噂通りに、確かにローヤン朝廷と皇家おうけの秘密を知ってしまったのです。



 ――ですが、今ここでそれは言えません。いずれ、時期が来たら、それを殿下にお話しいたします。



 ――ローヤン帝国の、龍がむ紅い玉座には、貴方様が座らなければならないのです。




「ローヤン朝廷と皇家おうけの秘密か……」


 リューシスは、窓の外を見ながら呟いた。


 窓の外には、遠くに針葉樹の林の高いこずえが見え、その遥か先には、遠い山々の白くなった尾根が見える。

 リューシスは窓辺に歩き寄ってその風景を眺めた後、下に目を移した。


 下には庭園が造られているが、芝生は茶色交じりになっている上、花も咲いていない。

 しかし、寒さに強く厳冬期げんとうきに花を咲かせる冬アヤメだけが、鮮やかな紫や青の花を咲かせていた。


 冬アヤメには花言葉がある。――使命、である。


「チャオリーの馬鹿め。言えないんなら最初からそういうこと言うんじゃねえよ」


 リューシスは、窓の縁に頬杖を突きながら、眠そうな顔で文句を垂れた。


 すると、眼下の庭園に、ワンティンが走って現れて、リューシスへ向かって飛び跳ねながら大声を上げた。


「殿下! 大変です!」

「どうした~?」


 リューシスはのんびりとした返事をした。


「スチャースティが苦しそうなんです!」


 ワンティンが叫ぶと、


「何? わかった、すぐ行く。」


 リューシスも飛び跳ねるように立ち上がり、紅く染めた毛皮の外套がいとうを羽織ると、執務室から駆け出した。


 スチャースティとは、ルード・シェン山にいるめすの飛龍である。

 リューシスらがルード・シェン山に入った時、すでにお腹が大きく、一目で身籠っているとわかった。


 それを見て、エレーナが、ローヤン語で幸福と言う意味の、スチャースティと名付けた。

 そして、スチャースティの腹はここ二ヶ月ほどでどんどん大きくなり、いつ産まれるかと皆で気を揉んでいたところ、今朝産気づいたらしく、アンラードから呼んでいる飛龍学者とワンティン、エレーナが出産を見守っていたのである。


 ルード・シェン山には、飛龍を持っている都市ならば必ずある龍場ロンチャンが無い。


 リューシスは、ルード・シェン山の飛龍フェーロンたちにこの場所を借りていると言う意識を持っている上、彼ら飛龍フェーロンたちも元々ここに棲息せいそくしていたので逃げ出す心配が無い為、飛龍フェーロンたちには自由にさせていた。


 しかし、飛龍フェーロンたちにもお気に入りの場所があり、北部にあるまばらな雑木林と、その中央にある青く澄んだ湖のほとりによくいた。


 リューシスが馬でそこに駆け付けた時、スチャースティは立ったまま苦しそうな唸り声を上げていた。

 周囲には、心配そうな顔のエレーナと数人の侍女たち、そして他の数頭の飛龍たちがいてスチャースティを見守っている。


 アンラードから呼んでいる飛龍フェーロン学者は生粋のローヤン人で、ダリア・エフィーモアと言う名の、キリッとした顔立ちが印象的な長身の女性である。

 そのダリアが、スチャースティの臀部でんぶの方に立ち、必死の形相で産道の中に手を突っ込んでいた。


「何で苦しんでるんだ?」


 リューシスが息を切らしながら訊くと、飛龍フェーロン学者のダリアに代わってエレーナが答えた。


「逆子なんだって」

「逆子か。確か、飛龍フェーロンの逆子は産むのが難しいんだよな」


 リューシスが心配そうにスチャースティの後ろに回った。


「ええ。でも、もう少しなんですけど、なかなか……」


 ダリアは満身大汗で答えながら、必死に子龍を取り出そうとしている。

 子龍は、すでに後ろ脚が出ているが、その先の胴体がなかなか出て来ないようである。


 リューシスはそれを見て、長身のダリアでも、女性が故に少し力が足りないのだと直感した。ダリアは飛龍学者なので、逆子の出産は何度も経験している。だが、このルード・シェン山の飛龍は、一般の飛龍とは違うのだ。


 そこで、リューシスは彼女の自尊心を傷つけぬように、


「ダリア、いくら専門家のお前でも、朝からずっとでは疲れただろう。ちょっと休んだらどうだ。その間、俺が代わろう」


 と言って、進み出た。


「よろしいのですか?」


 ダリアは汗だくの顔で振り返った。


「ああ。俺も飛龍の出産の介助はしたことがある。お前は少し休んでいてくれ」

「申し訳ございません。では、お願いいたします」


 そして、リューシスが代わって子龍を取り出す作業に入った。

 確かに、ダリアが悪戦苦闘するほどの難産であった。

 しかし、リューシスが三十分ほど格闘した末、ついに子龍を取り上げることに成功した。


「やったあ!」


 皆が一斉に歓喜の声を上げた。

 ワンティンが飛び跳ねて喜び、エレーナは涙を流し、ダリアは安堵の表情となった。


 リューシスは、ゼリー状の羊膜ようまくに包まれた赤子の飛龍フェーロンを、そっと母龍のスチャースティの側に置いた。


 赤子は、白龍のスチャースティとは違い、薄褐色の肌であった。


 スチャースティは疲れ切った表情でぐったりと身を伏せていたが、自身の子を見ると、嬉しそうに寄って行き、子の身体についている羊膜ようまくを舐めて取り除いてやった。


 その後、産まれたばかりの小さな子龍は、本能のままにスチャースティの乳房に寄って、母乳を飲み始めた。

 飲み終えると、子龍は歩こうとし始めたが、何度も転んだ。しかし十五分ほどもすると足取りがしっかりとし始め、ひょこひょこと歩き始めた。


「飛べるようになるには一ヵ月ぐらいかかるんだっけ?」


 リューシスがダリアにくと、ダリアは立ち上がりながら答えた。


「通常はそうです。でもここの飛龍フェーロンたちは普通の飛龍フェーロンの能力を遥かに超えていますから、もしかしたら二週間ぐらいで飛べるようになるかも知れませんね。その辺りは学者として興味深いです」

「ふうん、そうか」


 リューシスは頷くと、


「父龍は誰だろう? バイランかな?」

「それはありえないと思います」


 ダリアは断言した。


「白龍の場合は、両親共に白龍である場合のみ、子龍は白龍になるのです。しかし、どちらかが別の色である場合は、必ずそっちの色で産まれてくることがわかっています」

「へ~、そうなのか」


 リューシスは感心してダリアの横顔を見上げた。


「ええ。今だ謎の多い飛龍フェーロンの生態ですが、近年多くの新しいことがわかって来ています。ここの飛龍フェーロンたちを研究すれば、より多くのことがわかるようになるでしょう。学者としてここに来られて本当に良かったです。できれば……」


 と、ダリアは言いかけた時、リューシスがじっと彼女を見上げているのに気付いた。


「殿下、如何されましたか?」


 ダリアが怪訝そうに訊くと、


「いやあ、お前は本当に背が高いなあ、と思ってさ。女性将軍にもなれそうだなあ、と」


 リューシスは真面目な顔で言ったのだが、


「殿下、身長のことは言わないと、昔に約束しませんでしたっけ」


 ダリアはコホンと咳払いをして、赤面しながらリューシスを睨んだ。

 聞いていたエレーナが、怒って横から言った。


「リューシス、失礼だと思わないの?」

「ああ、そうだな。すまんすまん」


 リューシスは気まずそうに肩を竦めた。


「ねえ、ダリアさん、この子、撫でてみてもいいかな?」


 エレーナはころっと態度を変えて、ダリアに訊いた。


「ええ。構いませんよ。ただ、抱っこは難しいですよ。かなり体重がありますので」


 ダリアもにこにこして答えると、エレーナは嬉しそうに子龍に駆け寄り、座り込んでそっと頭を撫でた。

 身長100セーツほどの子龍は、エレーナに撫でられると、身を伏せて目を閉じ、気持ちよさそうな表情を浮かべた。


「可愛い」


 エレーナは心底いとおしそうに、そっと子龍を膝に乗せて、また頭を撫で続けた。

 エレーナの顔に、幸福そうな慈愛じあいの色が満ちた。そんなエレーナを、樹木の間から射し込む冬の木漏れ日が黄金の光に包んでいた。

 その姿があまりに神々しく映り、リューシスは無意識に目を奪われていた。


「エレーナ様、次は私にも撫でさせてください」


 ワンティン始め、侍女たちが駆け寄って行った。その歓声で、リューシスは我に返り、胸に手を当てた。


 そんな時であった。


 イェダー・ロウが、慌ただしく駆けつけて来た。


「殿下、ここでしたか。大変です!」

「どうした。今、ちょうどスチャースティが子を産んだところだぞ。静かにな」

「はっ、申し訳ございません。しかし……」


 イェダーは息を切らして跪いた。

 その顔は、青ざめており、手が震えていた。それを見たリューシスは、これはただ事ではないと直感し、態度を正して訊いた。


「何があった?」


 イェダーは、リューシスの顔を真っ直ぐに見上げると、


「私もまだ信じられぬのですが……殿下、落ち着いてお聞きください」

「わかった。早く言え」


 リューシスの胸が騒いだ。悪い予感が心臓を激しく叩く。

 イェダーは呼吸を落ち着かせると、唇を震わせながら言った。


「たった今、アンラードから急報が届きました。皇帝陛下が崩御ほうぎょされたそうです」


 リューシスの身体が固まった。


 それまで、子龍を囲んではしゃいでいたエレーナやワンティン、その他の侍女らも、皆言葉を失ってイェダーを見た。


「なに……?」


 リューシスは、小さな声でき返した。


皇帝陛下エンディービーシャーが……お亡くなりになったそうです」


 答えたイェダーは涙を流していた。


 リューシスは、呆然とした顔でイェダーを見下ろした。


 先程まで祝福しゅくふくの雰囲気に包まれていたその場が、一転して寒気かんきが痛く感じるほどの空気に変わった。

 皆、無言でリューシスを見つめた。

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