第64話 星空の酒宴

 一方、ユエン河の岸辺で待機しているイェダーとバーレンら。

 離れた場所にいても、二人は部下の兵士らと共に、片時もリューシスから目を離さずにいた。

 皇帝であり実父でもあるイジャスラフと二人だけとは言え、何があるかはわからないのだ。


 だがその時、マクシム側から、十四紅将軍の一人、ウィルバー・パンが険悪な気を放ちながらやって来た。

 ウィルバーはバーレンの側まで来ると、


「おい、バーレン・ショウと言うのは貴様だな?」


 と、いきなり傲岸不遜に言い放った。


 だがバーレンは何も答えなかった。無言でリューシスの方を見ていた。


「おい、話しかけているんだから答えろよ」


 ウィルバーは腹を立て、より語気を荒くして詰め寄った。

 バーレンは向きを変えぬまま、ふうっと息をついてから静かに言った。


「初対面なのに自分から名乗りもせず、いきなり貴様、などと言って来る礼儀知らずに答える道理はない」

「何だと?」


 ハンウェイ人だが、顔つきはローヤン人そのものであるウィルバーの白い顔が怒りに染まった。


「俺はローヤン軍の紅将軍だ。貴様は罪人となったリューシス殿下の一部下に過ぎねえ。そんな奴に使う礼儀など無い」

「殿下の罪は、すでに皇帝陛下より直々に許された。私もローヤン帝国第一皇子リューシスパール殿下の部下だ」


 バーレンは冷静に切り返したが、ゆっくりとウィルバーの方を向いて、


「ですが、十四紅将軍のお一人であるならば、こちらから礼儀を示しましょうか。いかにも、私がバーレン・ショウです」


 と、名乗った。しかし、頭は下げなかった。身長はバーレンの方が10セーツほども高い。

 見下ろされる形となり、ウィルバーはそれが気に入らずに舌打ちしたが、バーレンが丁寧に挨拶をして来たので一応は我慢し、


「俺は十四紅将軍のウィルバー・パンだ」

「おお。これは、ご高名なウィルバー・パン将軍でしたか。ご無礼いたしました。で、私に何かご用ですか?」

「ロンシャー・ロンを討ち取ったのは貴様らしいな?」


 ウィルバーは鋭く睨んだ。


「ああ、ロンシャーさんのことですか。子供の頃はちょっと知った間柄でしたが、戦場で敵味方となって出会ったしまった以上仕方ありません。悲しいことですが一刀でお命をいただきました」


 バーレンは涼やかな目元に憂いの色を見せた。

 だがウィルバーは、頭にカッと血を上らせて激昂した。


「何が一刀だ! 馬鹿にしてんのか? ロンシャーは俺のローヤン軍入り以来の親友だった」

「そうでしたか。それは申し訳ございませんでした。しかし戦でのことです。仕方ありません」

「そうだ。戦場でのことだ。だから俺も武将としてそれについては文句を言うつもりはねえ。だが、無二の親友を討ち取られてこのまま黙っているわけにも行かねえ。だからここで俺と勝負しろ、剣を抜け」


 ウィルバーはそう言うや、返答も聞かずに数歩下がり、腰の長剣の柄に右手をかけた。

 バーレンは眉をしかめた。それまで黙って見守っていたイェダーも横合いから進み出て来て、


「将軍。もうすでに戦は終わったのです。それはまずいと思いますが」

「終わったからこそ関係ねえんだろうが! さあ、抜け!」


 ウィルバーは怒鳴ると、鋭い金属音を走らせた。

 ウィルバーの握る剣の光に、バーレンの周囲にいた兵士らがざわめく。一気に緊張感が張り詰めた。

 だがバーレンは、ウィルバーの剣をちらりとも見ずに、冷静に言った。


「それは私闘には当たりませんか? ローヤンの正規武官の私闘は禁じられていると、このイェダーから聞いたことがあります」

「ほざくな!」


 ウィルバーが吼え、剣を正中に構えた時であった。


「やめんか!」


 と、ウィルバーの背後より雷の如き大喝が落ちた。

 ウィルバーがびくっとして振り返ると、そこには鬼のような形相をしたビーウェン・ワンが立っていた。


「ワン様……」


 ウィルバーが固まった。そこへ、ビーウェンの豪拳が唸りを上げて飛んだ。横っ面を強烈に殴られたウィルバーは、二メイリほども吹っ飛んだ。遅れてウィルバーの持っていた長剣が転がった。

 続けて、ビーウェンが怒鳴った。


「この馬鹿者が! もう戦は終わったのだ。それは私闘だぞ! それに今は皇帝陛下がおられる。陛下がすぐ側にいるところで何をする気か!」


 ウィルバーは、早くも紫色になっている頬をさすりつつ立ち上がると、少し冷静さを取り戻したのか、頭を下げた。


「も、申し訳ございませんでした……」

「お前には十四紅将軍と言う自覚が足らん。一武官ではないのだぞ!」

「はっ。短慮でございました」

「去れ!」

「はっ」


 ウィルバーは唇を引き結んで再度頭を下げると、自分の長剣を拾い、歩き去って行った。

 その背を見送ると、ビーウェンは呆れたように溜息をついた後、バーレンを見た。


「すまなかったな」

「いえ、気にしておりません」


 バーレンは、何事もなかったように涼しげに微笑した。


「あれとロンシャー・ロンは、共に抜群の武勇を買われて若くして紅将軍に抜擢されたが、人間的にはまだまだ未熟なところが多い。あれならば、お主ら二人の方が遥かに紅将軍にふさわしいわ。ギョロ目は別だが」

「ははは……」


 イェダーとバーレンはおかしそうに笑った。

 だが、ビーウェンはすぐに真剣な表情となって、


「イェダー、バーレン、もう少し近くへ」


 と、手招いた。

 二人も表情を引き締めて近寄ると、ビーウェンは小声で言った。


「今回、陛下直々の特例で、殿下の罪は許されることになり、ひとまずこの戦は終わったことになる。だが、丞相はまだあきらめるつもりはないらしい。さっきも側近たちと密かに話しているのを偶然耳にしたのだがな。丞相は、何としても殿下の存在を消し去るべく、早くも次の陰謀を練り始めている」

「何と……」


「陛下のご病気もまだ治っていない。火種はまだ残り、燻っているのだ。いつまた今回のような騒動になるかわからん。だがその時は、殿下のことを頼んだぞ。私はローヤン軍の七龍将であるが故に表だって動くことはできんが、私としてもできるだけ最悪の事態は回避するべく力を尽くすつもりだ」

「はっ、承知仕りました。命に代えましても殿下をお守りいたします」


 イェダーとバーレンは、力強く答えた。


「うむ。ではな。殿下にもよろしくな」


 ビーウェンはそれだけ手短に言うと、叩き上げの軍人らしく、さっさと踵を返して歩き去って行った。




 そしてイジャスラフは、リューシスの誘い通り、ルード・シェン山を視察するついでに一泊することとなった。

 イジャスラフの伴をするのは、中書令のティエレン・リーと、侍医のリョウエン・フーラン、そして選ばれた三人の屈強な護衛兵だけであった。

 マクシムはそれを見ると、


「陛下。護衛の兵はもっと増やした方が良いと思いますが」


 と、進言したが、リューシスは鼻で笑った。


「おいマクシム。俺が父上の命を狙うとでも思ってるのか? まだわからないのかよ」

「……しかし、何があるかわかりませぬ故」

「何も心配ない。あの山にいるのは全員俺の仲間たち、部下たちだが、その前にローヤン帝国と皇帝陛下に忠義を誓っている者ばかりだ。特定の誰かじゃなくてな」


 リューシスはたっぷりと皮肉を込めて笑った。


「そうだ、マクシム。何も心配などいらん」


 そして、リューシスとイジャスラフらは、リューシスが用意した飛龍に乗ってルード・シェン山の山頂へと飛び立った。


 それを見送るマクシムの瞳には、屈辱と怒り、敵意と執念が入り交じった暗い色が激しく燃えていた。




「ほう、これは素晴らしいわ。こんなところにこのような場所が存在しているとはな」


 ルード・シェン山に初めて入ったイジャスラフは、崖下から見上げる威容からはとても想像がつかない、一面の緑と水と光に溢れた美しい光景に感動した。


 一通り見て回った後は、更に採掘中の金鉱を視察し、掘り出された宝石類の原石を見て、また感嘆の吐息を漏らした。


 その次には、ルード・シェン山の飛龍たちを見て、その能力を間近に見て改めて驚嘆し、更には、リューシスが最近「シェンラン」と名付けたバイランたちの親である巨大な白龍を見て、また仰天した。


「いやいや、これは想像以上に凄い山だな。なるほど、お前が開発してみたいと言う気持ちはよくわかるわ」


 イジャスラフは、常識を超える驚きの連続に感心しきりで、終始目を輝かせながら、うんうんと頷いていた。

 リューシスも少し得意気に、


「そうでしょう。ここはとてつもない可能性に満ちております。この山を開発すれば、きっとローヤンにとって大きな力となります」

「それどころではないわ。肥沃な土壌に金鉱、宝玉類……それに何より、予はあの飛龍たちに注目している。あの飛龍たちを研究し、うまく繁殖させることができれば、とてつもない戦力となる。この山の存在は、百万の兵にも相当するであろう。よし、ここの開発は全てお前に任す。頼むぞ」

「ありがとうございます」


 リューシスの声は、自然と弾んだ。



 そして西の空が赤くなり始めた頃、早くも酒宴が始まった。


 前日まで強く吹き続けていた風は、まるで今日の親子の和解を祝福するかのようにぴたりと止み、空からは雲が消え去り、夜空は澄み渡って星々の原色の輝きが果てしなく冴えていた。


 ルード・シェン山の中央よりやや南東部に、樹木の無い広い草地がある。

 今夜は空気も暖かいので、リューシスらはそこを宴会場とした。


 中央に舞台をしつらえ、そこで音曲の演奏や舞ができるようにし、近隣の街や村から楽士や踊り子を呼んだ。そして、その舞台を囲むようにして、あちこちに布や筵を敷き、兵士らが飲み食いをできるようにし、沢山の篝火を赤々と焚かせて昼間の如く明るくした。


 そして、酒宴場にはハンウェイ料理やローヤン料理などの沢山の大皿が次々と運ばれ、葡萄酒や白酒なども、まるで水のようにどんどん出て来た。


 皇帝が来たとのことで、兵士らも歓喜していた。

 酒宴は最初から盛大に始まり、終始大盛り上がりで進んだ。ルード・シェン山の夜空は赤く染まり、賑やかな騒ぎ声は近隣の村々にまで響いた。


 中央の舞台では楽隊と踊り子たちが音曲と舞いを披露し、それを眺めながら兵士達は飲めや歌えやの大騒ぎ。


 リューシスらには、特別に二つの円卓が用意された。

 一つは、皇帝イジャスラフとリューシス、それと中書令のティエレン・リーと侍医のリョウエン・フーランの卓。

 もう一卓は、バーレンやネイマンらの卓である。


「さあ、皆、今夜は特別だ。どんどん飲んでくれ」


 リューシスは、彼らしく兵士らのところを順々に巡り、自ら酒を注いで回って来ると、イジャスラフらの卓に戻って来て、


「さあ、父上も」


 と、イジャスラフの夜光杯グラスに葡萄酒を注いだ。


「もうよい、リューシス。予も歳を取った。昔のようには飲めぬわ」


 イジャスラフはそう言いながらも、リューシスの酒を断らず、夜光杯を深紫色に満たした。

 その様を、侍医のリョウエンは、はらはらしながら見ている。


「陛下、あまり飲まれますとお身体に障りますので……」


 だがイジャスラフは昔のように豪快に笑い、


「まあまあ、今日だけだ。いいではないか。久しぶりに親子でこうやって飲むのだから」


 と、杯を重ねて行く。


 更に、上機嫌になったイジャスラフは、バーレンやネイマンら、リューシスの仲間たちも呼び、全員に杯を取らせた。


 皇帝より直々に酒を賜る。これ以上ない栄誉である。リューシスも皇子であるが、少年時代からの悪友であるリューシスとアンラードの下町で飲むのとはわけが違う。

 皆、ほろ酔いながらも緊張し、流石のネイマンも表情が固くなっていた。

 だがイジャスラフは、そんな彼ら一人一人に優しく声をかけた。


「お主ら二人がバーレン・ショウとネイマン・フォウコウか。流石に屈強な体躯をしておる。それだけではない。目つきと表情がいいのう。ビーウェンが常々予に言っておる。お主たち二人の豪勇は、ローヤン近衛軍の中でもかなう者は十人といない。できればローヤンの正規武官として取り立てたい、とな」


 バーレンとネイマンは、緊張した表情ながらも、意外な言葉に二人で顔を見合わせて驚いた。


「あ、ありがたき幸せにございます」


 イジャスラフはにこにこと頷き、次に、


「イェダー・ロウ。熱さと冷静さを兼ね備えた指揮ぶりはいつも見事。リューシスの親衛隊隊長を務められるのはお主をおいて他にいないであろう。これからもリューシスを助けてやってくれ、頼むぞ」

「はっ。ありがたきお言葉。これからもローヤン武官として励んで参ります」


 イェダーは感動し、声を震わせて答えた。


「ヴァレリー・チェルノフよ。ずっと前線で戦い続けていたようだが、お主の忠義と活躍は予の耳にも届いておるぞ。比類なき弓の名手である上、戦況を的確に掴む眼を持っており、優れた采配ができると聞いておる。その才は、きっとリューシスとは相性が良いはずだ。今後はリューシスの下で、ローヤンの為に励んでくれい」


 イジャスラフの言葉に、愛国心の強いヴァレリーは感激の余り、涙を流した。


「あ、ありがとうございます。このヴァレリー・チェルノフ、今後もローヤンの為、陛下の為、リューシス殿下の下で粉骨砕身、力を尽くして戦います」

「うむ、うむ」


 両頬がすでに赤くなっているイジャスラフは、目を細めてヴァレリーを見つめた。

 だが、次に気まずそうにしているエレーナを見ると、


「おや、そなたは確か……」


 と、小首を傾げた。

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