第62話 皇帝イジャスラフの言葉

 しかし、やって来たイェダーの講和申し入れを聞いたマクシムは激昂した。


「何が講和だ! そもそも殿下は皇帝陛下暗殺未遂、裁判の前の脱走、そして宰相であるこの私の暗殺未遂、と三つもの重罪を犯している大罪人なのだぞ」

「後の二つに関しては確かにその通りです。しかし、殿下は一つ目の皇帝陛下暗殺に関しては明らかに無実、自分を憎む何者かの陰謀であると申しております」


 イェダーは、マクシムを中心としたマクシム軍諸将を前にしても、臆することなく堂々と言った。


「無礼者め! 私が謀ったとでも言いたいのか?」


 マクシムは目を怒らせて詰め寄った。


「そうは申しておりません。しかし、皇帝陛下暗殺未遂に関しては紛れもなく無実。それ故、リューシス殿下は講和をしたいと申しているのです」


 続けて、イェダーは言った。


「このまま、ローヤン朝廷軍と我々が戦い続けることは、ローヤンにとって何の利にもなりません。むしろ、ローヤンの戦力は落ち、国内は疲弊し、周辺諸国の侵攻を招いてしまう可能性が高くなります。リューシス殿下は、それを最も恐れておられます」


 それを聞いたマクシムは、途端に政治家の顔となって「それは一理ある」と理解を示して頷いたが、すぐにまた表情を変えてイェダーを睨んだ。


「だが、講和など断じてできぬ! そもそもこれは戦争ではない。我々は大罪を犯した殿下を捕らえに来たのだ。我々は、今日のところは一旦アンラードに戻るが、再び軍勢を整え、万全の策を練ってまた来るつもりだ」


 そして冷笑を浮かべると、


「殿下にその意思を伝えようぞ。誰か、この者を斬れっ!」


 と、周囲に命じた。

 イェダーの顔色が変わり、周囲の諸将もどよめいた。

 だが、ビーウェンとルスランがすぐに進み出て制止した。


「丞相、それはなりませんぞ。古今東西、例え戦であっても、使者は斬ってはならぬと言うのが暗黙のしきたりです」


 しかしマクシムは大声で言った。


「それは戦の話であろう! しかし、殿下は大罪人なのだ。大罪人からの使者を斬っても天下はそれを咎めん。斬れ!」


 だがその時であった。一人の兵士が取次として慌ただしく駈け付けて来て、


「申し上げます。ただ今、皇帝陛下よりのご使者が参られまして、間もなく皇帝陛下がここに来られる、とのことです」と、緊張した顔で報告した。

「何だと?」


 イェダーも含めて、その場にいた全員が驚いて振り返った。


 続けて、使者と言う者が早馬で駈け付けて来たのだが、その使者が中書令(皇帝の秘書長役)のティエレン・リーと、十四紅将軍シースーホンサージュンの筆頭であるカイ・ムーロンの二人と言う大物であったので、皆は驚いた。

 一斉に跪いたマクシムらに、使者の二人は、開口一番にまず告げた。


「陛下は、昨晩のここでの戦の結果を知り、急いで先に我々を遣わされたのだ。単刀直入に言いましょう。陛下は、リューシスパール殿下の罪を全て許す。従って、速やかに軍を退くように、とのことです」

「何と……」


 皆は驚いて言葉を失ったが、マクシムは狼狽した顔で立ち上がって言った。


「殿下は皇子であるが、重罪を三つも犯した大罪人である。それなのに許すとはいかなることか」

「それはわかりませぬ。ですが、皇帝陛下が決められたこと。詳しくは、間もなくご到着される陛下からお聞きなされるがよかろう」


 中書令のティエレン・リーが答えた。


 程なくして、真紅の皇帝旗を掲げたイジャスラフの一団が到着した。


 馬車から下りたイジャスラフは、相変わらず顔色は優れず、体調が良くないようであったが、足取りはしっかりとしており、瞳には強い光があった。


 イジャスラフは、半ば焦土と化した赤黒い血に染まった大地と、大勢のマクシム軍戦死者で死屍累々の惨状を見て、しばし唖然としていた。

 だが、目を閉じて何か祈りを捧げた後、目を開いて嘆息した。


七龍将軍チーロンサージュン十四紅将軍シースーホンサージュンまで揃えたローヤン近衛軍がこの有様とは……我が息子ながら恐ろしいまでの戦ぶりよ」


 そこへ、マクシムを始めとした諸将がやって来て、跪いた。


「陛下、わざわざご足労いただいたにも関わらず、このような無様な惨状をお見せして、誠に申し訳ございませぬ」


 マクシムは、平伏して地に額をつけた。


「構わぬ。相手はリューシスだ。それよりは、これ以上、貴重なローヤン近衛軍の兵力を失わぬようにな」


 イジャスラフが言うと、マクシムは複雑そうな顔を上げた。


「それ故、リューシス殿下をお許しになる、と言うことでございますか?」

「そう言うわけではない」

「では何故……殿下は陛下の暗殺未遂、そして宰相である私の暗殺未遂、裁判前の脱走、と言う三つの重罪を犯しております。如何に皇子とは言え、どんな法に照らしても許される道理はございませぬ」

「うむ。だがな」


 イジャスラフは、ゆっくりとマクシムを身下ろした。


「リューシスが予の命を狙ったと言う件、よくよく考えると、腑に落ちぬところが多くてな。確かにリューシスの言う通り、リューシスは何者かの陰謀にはめられたとしか思えんのだ。その証拠はないのだが……。だがしかしだ。そもそも、リューシスには、予の命を狙う動機が無い。以前からも、常々玉座ユーゾには興味が無い、皇位には就きたくない、戦にも行きたくないし、できればランファンでずっとのんびり暮らしていたい、と言っていたほどの怠け者だからのう」


 イジャスラフは、苦笑いしながら言った。

 マクシムはイジャスラフを見上げて反論した。


「それは、殿下の詭弁かも知れませぬ。本心ではずっと、玉座ユーゾへの野心を秘めていたのだと思われます」

「いや。リューシスの言葉は本心だ。それは父親だからこそわかる」


 イジャスラフは、マクシムの顔をじっと見て言った。

 マクシムは、思わず顔を逸らして下を向いたが、またすぐに言った。


「で、ですが……仮に陛下暗殺の件が何者かの陰謀であったとしても、裁判前の脱走と、私を殺そうとしたのは紛れもない事実です」

「うむ。それは何人もの目撃者がいるので事実。それ故、予がわざわざここに来たのだ」

「え?」

「マクシムよ。その件、許してやってくれぬか」


 イジャスラフは、少々困ったような顔で言った。


「何と……」

「予の暗殺未遂が何者かの陰謀に嵌められたのだとしたら、後の二つの罪も、情状酌量の余地があるであろう。それに……ランファンでの戦い、アーサイ川での戦いの詳細は聞いた。そして、ここに来る道中、昨晩の夜戦についても聞いて驚いたのだが、今、こうして実際に見回してみると、これほどまでとは思わなかったわ……」


 イジャスラフは驚嘆したように四方を見回してから、


「リューシスは、親と言う贔屓目を外して見ても、当代一流の戦術家であろう。そのリューシスがあの山に籠ってしまったら、これ以上はどんなに兵力を投入してももう捕らえることはできんだろう」


 イジャスラフは、河向こうのルード・シェン山の山頂を見上げた。


「それに、これ以上身内同士で戦い続ければ、その隙をガルシャワやマンジュに付け込まれる恐れが高い。それ故、これまでリューシスが挙げた武功に免じて、リューシスを許すのだ。聞けば、クージン城奪還も、その前にリューシスが反乱軍を率いて三倍以上のシーザー・ラヴァンの軍を撃破したのが大きいと言うではないか。ローヤンの軍事事情から言っても、それ程の将才を持つリューシスを捕らえて処刑するよりは、その罪を許して武将として活かす方が良いであろう」

「た、確かに……そうではございますが……」


 マクシムは言葉に詰まってしまった。


「もちろん、ただで許すわけではない。相応の罰は与える。充分に反省をさせる意味で、与えているランファンの領地を召し上げた上で、およそ半年ほどの間、アンラードに入ることは許さず、どこか田舎の県城で一般職につかせて真面目に仕事をさせるのだ」

「し、しかし……」


 マクシムは反論しようとしたが、うまい案が出てこない。

 すると、横合いから「陛下」と、ビーウェンが進み出た。


「実はちょうど先程、リューシス殿下からの使者が参りました。殿下は陛下と同じようなことを申されております。これ以上身内同士で争えば周辺諸国に侵攻の隙を与えることになってしまう、それ故、自分はこれ以上はもう反抗しないので、講和をしたい、と申し入れて来ております」

「おお、そうか。ならばちょうど良いではないか」


 イジャスラフは笑顔で手を叩いた。


「な、マクシム。これで許してやってくれ」

「はっ……」


 マクシムは悔しげな表情で唇を噛み締めたが、もうこれ以上は何も言えなくなってしまった。

 イジャスラフはビーウェンを見て、


「ビーウェンよ、リューシスからの使者はまだいるのか?」

「はっ」


 ビーウェンが頷くと、一番後ろにいたイェダーが進み出て来て、両手を組んでその前に跪いた。


「リューシス殿下の親衛隊隊長であるイェダー・ロウでございます」


 イジャスラフはイェダーを見て、目を細めた。


「おお、イェダーか。覚えておるぞ」

「光栄にございます」

「イェダーよ。今、予が言ったことは聞いておったな?」

「はっ」

「では、今の話をリューシスに伝えた上で、リューシスの罪を全て許すと言うことを伝えて来てくれい。そしてな……」


 イジャスラフは一つ咳払いをすると、


「リューシスに会って直接話をしたい。できればここに連れて来てくれぬか」

「はっ、承知仕りました」


 イェダーは一礼すると、すぐに伴の者らと共に飛龍フェーロンに乗り、ルード・シェン山の山頂へ飛んで行った。


 飛翔して行くその後影を見たイジャスラフは、驚いて目を瞠った。


「ほう。道中、話には聞いたが、本当にあれほどの高さを飛べるのか。これは驚いたわ」


 飛龍フェーロン民族とも言われるローヤン族の皇帝である。イジャスラフもまた龍士ロンドであった。それ故、ルード・シェン山の飛龍フェーロンたちの桁違いの能力には驚愕を禁じ得なかった。



 ルード・シェン山に戻ったイェダーは、急ぎリューシスに報告した。

 リューシスは、イェダーがなかなか戻らないので、マクシムに斬られてしまったのではないかと心配して気を揉んでいたが、戻って来たイェダーを見てほっとした。だがそれも束の間、イェダーの報告を聞いて驚いた。


「俺の罪を全て許す? しかも父上が自ら来ているだと?」

「はっ。陛下は更に、リューシス殿下と直接会ってお話をされたいとのことです」


 リューシスはすぐに西の崖縁に走り、河向こうを見た。

 すると、確かにローヤン皇帝旗を掲げている一団がおり、しかも、その側にイジャスラフと見える人物が立っていてこちらを見上げていた。


「あれは確かに父上だ……だが、イェダー。これにマクシムの謀略があるとは考えられないか?」


 戦争には滅法強いが権謀術数の類には疎いと評されるリューシスである。しかし、近頃はそれなりに経験を積んで用心深くもなっていた。

 そんなリューシスに、イェダーは答えた。


「それはないはずです。私は、皇帝陛下が直接今の言葉を言われたのを聞きました」

「そうか。じゃあ、急ぎ向かおう。イェダー……それとバーレン、伴として来てくれ」


 リューシスは、イェダーの他に、バーレンとその他数十騎を、万が一の時の為の護衛として選び、共に飛龍フェーロンに乗って崖下へと飛び立った。

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