第61話 衝撃的な勝利

 リューシスらは更に、猛火に赤く焦がされる夜空を飛び回りながら、眼下に火矢を放ち続けた。

 すると、大混乱のマクシム軍中にあって、見事なほどに整然とまとまって動いている一団を見つけた。

 リューシスはそれに狙いを定めて背後に位置を取るや、


降下突撃ジャントゥージー!」


 と、命令を響かせ、また自ら長剣を振り上げてバイランを滑空させた。

 しかし、後背より襲って来るリューシスらに気付き、冷静に振り返って応戦態勢を取ったその一団を統率する武将を見て、リューシスは、はっと目を見開いた。


「ビーウェン!」


 それはリューシスの武芸の師にして、他国からはローヤン随一の名将とも評されるビーウェン・ワンであった。


「殿下……!」


 ビーウェンは、複雑そうな顔をしながらも、眦を吊り上げて戟を左右に振って構えた。


 リューシスの滾っていた闘志が揺らいだ。

 しかし、すでにバイラン始め、背後の飛龍隊の降下突撃は開始されており、もはや地上は目の前に迫っている。


「ちっ……」


 降下寸前、リューシスは咄嗟にバイランの角度を変えてビーウェンを避け、別の兵士を襲った。そしてすぐに上昇した。

 後続の龍士らは、次々と咆えながらビーウェン配下の兵士を襲うや、リューシスに続いて再び空へと飛び上がった。


 ビーウェンが率いていた部隊は脆くも数十人が倒れた。

 しかし、ビーウェン自身は流石であった。段違いの能力を持つリューシス飛龍隊を、飛龍は傷つけずに龍士だけを二人も打ち倒していたのである。


 そんなビーウェンを、リューシスは夜空に止まったまま、悲しそうな顔で見下ろしていた。

 まだ戟を構えているビーウェンもまた、目を剥きながらも苦渋の表情で上空に紅く照らされるリューシスを見上げていた。


 やがて、リューシスは小さく首を横に振ると、毅然とした表情になり、大声で言った。


「ビーウェン! 俺はもう引き上げる。そしてこれ以上反抗もしない。だからお前たちも兵をまとめてアンラードに帰れ! だがまだやると言うなら、お前ら近衛軍は全滅することになるぞ。そうなったら、ローヤン帝国はどうなるかわかるだろう!」


 そして、リューシスは引き揚げの合図を出し、ルード・シェン山の山頂へ向って飛翔した。

 バーレンとヴァレリーの騎兵隊は、散々にマクシム軍を搔き回した後、すでにユエン河とウールン河を渡ってルード・シェン山へ戻るべく疾駆していた。


 後に残ったのは、未だ燃え盛る紅蓮の炎の渦と、死屍累々の赤黒く染まった大地。傷を受けながらも悲鳴を上げて逃げ惑う兵士達の阿鼻叫喚。

 地獄とはかくや、と思わせる悲惨な光景であった。


 こうして、この夜の戦は終わった。


 野営地に燃え広がった炎は、明け方になってようやく鎮火し、損害の程度もはっきりした。

 その報告を受けたマクシムは呆然とした。


 マクシム軍は、およそ半数の約一万人以上の犠牲者が出ていた。

 しかも、十四紅将軍の一人、ロンシャー・ロンを始めとして、他にも数名の武将が討ち死にしていた。

 ローヤン帝国、いやローヤン民族史上稀に見る大敗である。しかも、その相手はわずか千五百人で、率いるのは身内であるローヤンの第一皇子リューシスパールである。


 生き残った者らは、マクシムだけでなく、誰もが衝撃を受けた顔で言葉を失っていた。


「丞相」


 半ば焦土と化した野営地を、険しくも青い顔で無言で歩いて回るマクシムの前に、眠っておらず未だ甲冑姿のビーウェン・ワンが歩み寄って来た。


「我が軍は、これで半数以上を失ってしまいました。生き残った兵士らも大半が傷つき、士気は落ちたどころか無いに等しく、もはやこれ以上の戦闘続行は不可能と存じます。また、これ以上犠牲者を増やしてローヤン近衛軍の兵力を更に失うことは、ローヤン帝国全体の危機にも繋がります。誠に悔しいことですが、この上は速やかにアンラードへ撤退することが最上と存じます」


 マクシムは、ゆっくりとビーウェンを見て呻いた。


「うむ。だがここまで来て……」


 すると、マクシムの背後に続いていた、親友であるロンシャー・ロンをバーレンに討ち取られたウィルバー・パンが、仇討ちに燃える目で叫んだ。


「私は反対です! 確かに半数以上を失いましたが、それでもまだ一万人の兵が残っております。ここは更に粘り、より策を練り、何としてもあの山を攻略いたしましょう!」


 ビーウェンは、そんなウィルバーを鋭い目で見て、


「ウィルバー、お主の気持ちはわかる。だが、お主の言う残ったあの一万人の兵士らとこの状況で、これ以上どう戦うと言うのだ」


 と、手で野営地のあちこちを指し示した。


 灰と煤と人血で赤黒くなった大地の上に、黒焦げに焼け崩れた幕舎と、沢山の戦死者が無惨に転がっている。

 ウィルバーの言う、生き残った兵士らがそれらの処理をしているが、彼らも大半が傷を負っており、その動きは力が無く、目も虚ろで光が無かった。

 それを見て、ウィルバーは反論できずに俯いた。


 すると、七龍将のルスラン・ナビウリンがやって来て、重苦しくなった場の空気を変えようとしたのか、持前の陽気な声を響かせた。


「ウィルバー。ビーウェンの言う通りだ。今回はもう諦めて、また次頑張ろうじゃねえか!」


 更に、ルスランはマクシムに向かって言った。


「丞相。全滅したわけじゃありません。ここは一度アンラードに帰って、再び軍備を整え、戦術ではなく戦略を練ってからまた来ましょうや。今回はちょっと急ぎ過ぎたのですよ。大丈夫大丈夫、次があります」


 そこで、マクシムはまだ悔しげな表情ながらも、ふっと笑みを見せた。


「残念だが、皆の言う通りだな。これ以上は無理であろう。よし、撤退の準備だ」


 マクシムは言い渡すと、ルード・シェン山の山頂を見上げた。


「だが、殿下は国家反逆の大罪人である。次こそは必ず捕らえて見せる」


 マクシムは雪辱を胸に期しながら、速やかな全軍撤退を命じた。


 こうして、今回の戦はマクシム軍の大敗北と言う結果に終わり、マクシム軍は撤退を開始した。

 リューシスが最初に言った通り、ちょうど十日目での終戦であった。



 撤退準備にかかるマクシム軍の動きを、ルード・シェン山の山頂の崖縁から、リューシスが見ていた。

 隣や後ろには、バーレン、ネイマン、イェダー、ヴァレリー、エレーナら、そして数人の組長格の兵士らがいる。


「引き揚げかよ。近衛軍なのに根性のねえ連中だぜ」


 ネイマンが鼻で笑った。


「まあ、仕方ない。あの状況では残った兵士らももう戦意を失っているだろう。正しい判断だ」


 イェダーが真面目な顔で言った。

 ヴァレリーはリューシスの横に進み出て、


「殿下、頃合いを見計らって、撤退して行く背後を追撃いたしましょう」


 と、意気盛んに進言すると、


「おお、それはいいぜ。今なら奴らを全滅させられる」


 ネイマンや、他の者らも賛成した。

 だがリューシスは何も答えず、憂鬱そうな顔で、眼下で鈍く動くマクシム軍を見つめているだけであった。


「殿下、如何しましたか?」


 バーレンが不審がって訊くと、リューシスは、ふうっと吐息をついてから言った。


「追撃はしない」

「何ですと? これは絶好の機会ではありませぬか?」

「確かにそうだ。だが、今ここであいつらを全滅させたらどうなる?」


 リューシスは、皆を振り返った。


「どうなるって、丞相らを討ち取り、一気にアンラードに攻め寄せて逆転する絶好の機会じゃねえかよ」


 ネイマンが言うと、リューシスは、丁寧に静かに言った。


「いや、そううまくは行かない。ローヤン軍はあいつらだけじゃない。国境の各都市に駐屯軍がおり、他にも各要衝に駐屯軍がいる。ここであいつらを殲滅しても、他にもローヤン帝国には合計十五万前後の兵力があるんだ。今の俺達は一千五百人。お前たちがいかに豪傑揃いで、どんなに策を練ったとしも、とてもアンラードまでは辿り着けないだろう。むしろ、俺達がここでローヤン近衛軍を全滅させ、更に反抗に打って出れば、ローヤン国内は分裂し、内戦状態となる。そうなればどうなる? 周辺諸国にとっては絶好の機会だ。宿敵のガルシャワはもちろんのこと、南下の機会を窺っている北東のマンジュ族も攻め入って来るだろう。今は和平を保っている南のザンドゥーアもどう動くかわからない。そうなれば、ローヤンは滅亡の危機に陥る」


 リューシスの言葉に、誰も反論できなかった。無言で聴き入っていた。


「だが、今回の戦いでもわかったように、わずか一千五百人の兵力でも、お前たちと、このルード・シェン山があればどんな大軍が来ても守り切れる。今後、ここの体制がしっかりと整えばもっと安定する。だから……」


 と、リューシスは一拍置いて皆の顔を見回してから、


「マクシムらと講和する」


 と言った。

 皆がざわめいたのは言うまでもない。


「講和ですと? そもそも殿下は謀略によって陥れられた無実の罪です。こちらから講和を申し入れるなど筋違いです」


 真っ先に、イェダーが反論した。


「まあな。無実だからこそ、許して欲しいなんて言いたくない。だけど、これ以上ローヤン国民同士で戦いたくない。だから講和を申し入れるんだ。まあ、父上暗殺未遂は謀略にはめられただけの無実だけど、裁判前の脱走、マクシム暗殺未遂は事実だし」

「それだって丞相の陰険な謀略の結果ではありませんか」


バーレンが眉をしかめて言う。


「そうだが……それに引っかかって実際に裁判前に脱走し、マクシムの野郎を殺そうとしたのは事実だからな」


 リューシスは苦笑いして頭をかくと、真面目な顔となって更に言った。


「とにかくだ。俺がこれ以上抗戦し、マクシムらと戦い続ければ、ローヤン自体が存亡の危機に陥るのは間違いないんだ。違うか?」


 リューシスは皆を見回した。

 誰も、それ以上反論できなかった。

 ヴァレリーが、頷いて言った。


「確かに殿下の言う通りでございます。私は、リューシス殿下に国政を牛耳る丞相の一派を打倒して欲しいと思い、ついて来ましたが、今丞相らと戦うのは、ローヤン帝国自体を揺るがしてしまうでしょう。今はまだその時ではないのかも知れません」

「ヴァレリー、流石だ」


 リューシスは微笑んで、皆を見回した。


「よし。そこで、誰かに、マクシムのところに使者として行って、今言ったようなことを伝えて講和を申し入れて来てもらいたい。少し危険な役目ではあるが」 

「おう。じゃあ俺が行こうじゃねえか。俺ならいざとなったら斬り抜けてこれる」


 と、ネイマンがすぐに名乗り出たが、「お前は駄目だ」と、リューシスは即座に却下した。


「な、何でだよ」

「お前の豪勇は信じられるが、お前のような短気の脳筋男が使者に向くわけねえだろ。むしろ何で名乗り出たんだ」


 リューシスが笑って言うと、「そこまで言う事ねえだろよ……」と、ネイマンは珍しく肩を落とした。

 皆がどっと笑った。


 すると、イェダーが進み出た。


「では、私が参りましょう」

「イェダーか。いいだろう、アンラードにいたローヤンの正規武官でもあったし、最適かもな。じゃあ頼むぞ」

「はっ」

「大丈夫だとは思うが、くれぐれも気をつけてな」


 こうして、イェダーは十数騎の部下を連れて飛龍に乗って飛び立ち、すでに撤退にかかっているマクシム軍へと向かった。

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