第60話 飛龍空中戦

 その夜半過ぎだった。

 自分の幕舎で眠っていたビーウェンは、ふと胸騒ぎを感じて目を覚ました。

 横たわったまま何か考え込むと、おもむろに起き上がった。そして甲冑を身に着け、愛用の戟を取って外に出た。


 そのまま、各所に篝火のみが焚かれている薄闇の野営地の中を歩いて見回った。


 通りがかった一つの幕舎の中から、何かを転がす小さな高い音が聞こえたかと思うと、数人の歓声と失望の声が混じって聞こえた。


 ビーウェンは、その幕舎に歩み寄ると、幕を払って中に入った。

 兵士らはビクッと身体を震わせてビーウェンを見ると、固まってしまった。


「あ……」

「ワン将軍サージュン……」


 顔面蒼白になった兵士らが車座に座る中央には、木椀と賽子がある。

 ビーウェンは、鋭い目つきでじろりと兵士らを睨み回した。


「就寝時間であるのに床につかないばかりか、戦場で禁じられている博打ばくちを打つとは何事か」


 ビーウェンは静かに言ったが、その重々しい言葉の響きと、屈強な全身から発せられる迫力に、兵士らは縮み上がった。


「すぐに止めて寝よ。次見つけたならば叩き切るぞ!」


 ビーウェンは一喝すると、戟の石突を地面に叩きつけた。


「は、はいっ」


 兵士らは飛び上がり、慌てて博打道具を片付け始めた。


 ビーウェンは幕舎を出て再び歩き始めた。

 すると、今度は見張りの兵士の一人が、座って眠りこけているのを発見した。

 ビーウェンは、その腕をぐいっと引き上げた。

 それで目を覚ました兵士は、恐ろしい顔で睨んで来るビーウェンを見て、寝ぼけ眼のまま飛び上がった。だが、態勢を崩して尻もちをついた。


「見張りの番の者が座って居眠りとは何事か!」


 ビーウェンは大声で叱ると、


「は、はいっ、申し訳ございません」


 兵士は震えながら立ち上がった。


 ビーウェンは、何となく緊張感が緩んだ野営地を見回して、眼を怒らせながら吐き捨てた。


「たるんでおる! 引き締めなければならん」


 しかし、すぐに「だが」と、難しい顔で呟いた。


 ――こちらの犠牲者が増えただけの戦の後に、あのように連日の酒宴の音を聴かされての包囲持久戦。士気が落ち、統制が乱れるのも無理はない……。


 ビーウェンは、圧迫して来るようなルード・シェン山を見上げた。

 星空の下に広がる黒い山頂からは、すでに夜半過ぎだと言うのに、まだ賑やかな騒ぎ声が聞こえて来ている。


 ――しかし、この士気の緩みは何とかしなければならん。いくら酒宴続きで向こうからは攻撃して来ないとは言え……。


 と思った瞬間、ビーウェンは全身に電流が走ったかの如くに目を見開いた。


「しまった、殿下の狙いはそっちか!」


 ビーウェンは思わず叫んだ。それも束の間、ビーウェンは空気の乱れを感じ、はっと東方の夜空を見上げた。

 彼の直感は正しかった。


 そこに、星空を背に恐るべき速度で飛んで来る黒い一団が見えた。まだ、山頂から酒宴の音が聞こえて来ているにも関わらずである。


「あれは一部が大袈裟に騒いでいるだけか……! 皆、起きろ! ルード・シェン山側の夜襲だ! 起きろ!」


 ビーウェンは雷鳴の如き大声を轟かせた。

 だが、その大声であちこちの幕舎がざわめくそのわずかの時間に、その一団はすでにマクシム軍野営地の上空に達していた。


 それは飛龍フェーロン隊であり、その先頭を飛んでいるのは、言うまでもなく白龍バイランを駆る紅衣銀甲のリューシスである。


放てっファンジェーン!」


 リューシスは長剣ロンカーザを高々と掲げて叫んだ。

 それに「おおっ!」と応え、背後に続く飛龍フェーロン隊五十騎が、一斉に眼下に向けて火矢を放った。


 風の強い日はずっと続いており、今夜も風が強かった。

 幕舎の布や藁などに落ちた火は、すぐに燃え広がった。


 更に、


「エレーナ、用意はいいか?」


 リューシスが、前に乗るエレーナに言った。

 リューシスは、バイランにエレーナと二人乗りをしていた。

 戦場においては、飛龍フェーロンの二人乗りは危険である。だが、リューシスには、今夜の作戦行動では危険はないと確信していた。


 出撃前、バイランの背に二人で跨った時、リューシスはエレーナに言っていた。


「恐いか?」

「うん……でも、大丈夫」


 エレーナ用に特別に製作した甲冑に身を固めた彼女は、顔を強張らせながらも、気丈に頷いた。


「ごめんな。こんな危険な作戦に駆り出して。エレーナの天法術ティエンファーが必要なんだ。だけど心配するな。俺がいる」


 リューシスはそう言って、緊張するエレーナを落ち着かせていた。


 そして、エレーナの天法術ティエンファーが必要な時は、まさに今であった。


「やれ!」


 リューシスが叫ぶと、エレーナが天精ティエンジンを集中させた左手を眼下に振った。


 突風が、四方八方より吹き荒れた。

 今夜は風が強い。風の天法術ティエンファーの威力は普段よりも強力であった。


 更に畳み掛けるように、エレーナは龍捲風ロンジュエンフォンと言う最高レベルの秘術を使った。


 小さな竜巻がいくつも発生し、マクシム軍の野営地を走る。


 これらのエレーナの術により、元々強く吹いていた風はますます強くなり、火薬を使っていないのに炎は猛烈に燃え広がって行った。

 すっかり油断しきっていたところを襲われたマクシム軍の兵士らは、抗戦するどころではなく、悲鳴を上げて逃げ惑った。


「何たることだ!」


 跳ね起きたマクシムは、すぐに馬に飛び乗って駆け回り、兵士らを落ち着かせようとした。更には天法士ティエンファード隊に水の天法術ティエンファーを使わせて消火に当たらせたが、風に煽られた火の勢いがそれを上回った。

 紅蓮の炎は鎖のように連なってマクシム軍の野営地を広がって行った。


 更にそこへ、西方より地響きを上げながら疾駆して来る二つの騎馬隊があった。


「何だあの騎兵は?」


 すでに必死の形相で応戦の指揮を取っていたルスラン・ナビウリンが愕然として叫んだ。


 それは、バーレン・ショウとヴァレリー・チェルノフがそれぞれ四百騎を率いる合計八百騎の騎兵隊であった。


「おいおい、どうやってここに来たんだよ!」


 ルスランは苦笑いしながらも、厳しい顔で槍を構え直した。


 ルード・シェン山は四方が崖の岩山である。

 八百騎もの騎馬隊が、一体どうやってここに現れたと言うのか?


 実は、ルード・シェン山の北西部に、上空から俯瞰して見ると、奥に細長く入り組んだ空間がある。その入り口は、ウールン河の向こう側から見ると、崖に生えている草木や岩の陰に隠れて全く見えない。

 リューシスはそこに目をつけ、その空間の最奥の場所を傾斜になるように削り、地上部隊が容易に出入りできるようにした。だが無論、これは今回の戦に備えての仮の出入り口であり、いずれしっかりとした出入口を作る予定である。

 だが、ともかく今は、これが絶妙に機能した。

 

 リューシス飛龍フェーロン隊の出撃に合わせて、そこから走り出て到着したバーレンとヴァレリー率いる騎兵隊は、それぞれ別方向に分かれ、


「突撃!」


 と、火の粉が舞い上がる夜闇を疾走して行くや、一斉に刀槍を振り回しながら大混乱のマクシム軍中に突撃した。


「蹴散らせ!」


 彼らの騎兵隊は、逃げ惑うマクシム軍兵士らを薙ぎ倒しながら、炎の輪の中を全速力で駆け回って行った。

 同時に、あらかじめ指示していた流言を、後続の兵士らに叫ばせた。


「ロンシャー・ロン将軍とウィルバー・パン将軍が裏切ったぞ!」

「他の兵士らもリューシス殿下の側に寝返った! 気をつけろ!」


 平時ならばこの程度の流言に惑わされることはないだろう。しかし、不意の夜襲と火の恐怖が煽る混乱の中では、その言葉は真実味を帯びて炎と共に広がった。

 信じた一部の兵士らが、あちこちで同士討ちを始めた。


「惑わされるでない! 俺は裏切ってなどいない!」

「信じるな! 敵の流言だ!」


 ロンシャー・ロンとウィルバー・パンは顔を怒らせて走り回り、必死に叫んで兵士らを落ち着かせようとした。

 しかし、この大混乱の中では、その叫びも兵士らの悲鳴と怒号の中に消えて行くだけである。


「まんまとやられたわ、おのれっ!」


 ロンシャーが顔を真っ赤にして悔しげに咆えた時だった。

 炎が禍々しく揺らめく夜闇の向こうより、バーレン・ショウの騎兵隊四百騎が真っ直ぐに疾駆して来るのが見えた。

 その先頭を駆けるのは当然バーレン・ショウである。


「あれはバーレンか!」


 実は、ロンシャーとバーレンは顔見知りであった。年上ではあるが、ロンシャーも昔はアンラードの不良少年だった時代があり、その時によく衝突していた間柄であった。


「このままではすまさん。あの小僧の首を取ってやる!」


 ロンシャーは目を剥いて長剣を握り締めるや、バーレン目掛けて馬を駆った。


「ほう、ロンシャーせんぱいじゃねえか」


 駆けて来るロンシャーを見たバーレンは、常にクールな態度と美形の顔が一転、全身から無頼漢の如き凶暴な殺気を迸らせた。

 土煙を撒き散らし、互いを目掛けて疾走する両者。

 炎の中で交錯し、鋭い刃光が夜闇にはしった。


 次の瞬間、胸甲から鮮血を噴出させながら大地に転げ落ちたのはロンシャーであった。


 バーレンは、一瞬だけ暗い顔をしたが、討ち倒したロンシャーを一瞥もせずに、更に混乱に逃げ惑うマクシム軍の中へ突撃して行った。


 その上空では、リューシスの五十騎の飛龍フェーロン隊が大きく旋回しながら眼下へ火矢を放ち続けている。


 それを忌々しげに見たマクシムは、大声を張り上げて命令した。


飛龍フェーロン隊、出撃せよ! 数ではこちらが上だ! あれを殲滅するのだ!」


 マクシム軍の飛龍フェーロン隊は近衛軍に属する三百騎である。数ではリューシス隊の六倍になる。

 マクシムは、飛龍フェーロン隊を預かる「十四紅将軍シースーホンサージュン」の一人、イゴール・ジルコフに命じて出撃させた。


 飛び立ったイゴールの飛龍フェーロン隊を見たリューシス。

 数ではおよそ六倍であるのに、余裕の笑みでにやりと笑った。だが、少し顔を曇らせて、前に座るエレーナに言った。


「エレーナ、少し恐い思いをするかも知れないが、我慢してくれるか? 絶対に君に怪我はさせないから」

「大丈夫。貴方を信じるわ」


 エレーナは強く言い切った。


「よし、バイランの背に伏せていてくれ」


 イゴール・ジルコフが率いる飛龍フェーロン隊が、大混乱のマクシム軍の上空をリューシスの飛龍フェーロン隊目掛けて飛んで行く。同時に沢山の矢が銀線となって夜空を裂いた。

 リューシス飛龍フェーロン隊は巧みにそれを避け、剣や手槍で打ち落とし、真正面からイゴール隊に飛んで行く。

 両飛龍フェーロン隊、舞い上がる炎に焦げる夜空に風を裂きながら互いを目掛けて突撃する。

 すぐに両部隊は肉薄し、空中の激突戦になる。と思われたが――


 接触する直前、リューシスが「上昇!」と叫びながら手で合図を出した。

 するとリューシス飛龍フェーロン隊は更に高い上空へと飛び上がった。ルード・シェン山の飛龍フェーロンのみが飛べる、通常の飛龍フェーロンの飛行高度を遥かに超える高さである。


「何っ!? しまった、そうだった!」


 イゴールは、悔しげに目を瞠って上空を見上げた。


 リューシスの飛龍隊は、そのままイゴールの飛龍隊の遥か上を飛び超えて行く。


 そしてリューシスは、眼下にすれ違って行くイゴール飛龍隊に向けて、


北方射法ベイファンシャーファー!」


 と、手の合図と共に大声で命令した。


 北方射法ベイファンシャーファーとは、北方高原の騎馬民族などが使う、騎馬の機動力を活かし、逃げて行きながら後方に向かって矢を放つ戦術である。自分たちは被害を受けずに、追って来る敵軍に損害を与えることができる。

 それを、リューシスは空中戦で使った。


 リューシス飛龍隊五十騎が、一斉に北方射法で放った矢は、眼下に背を向けて飛んで行くイゴール飛龍隊に次々と突き刺さり、龍士ロンドは叫び声を上げて転落し、飛龍フェーロンたちは悲痛な呻き声を上げて墜落して行った。

 だがそれだけでは終わらない。

 すぐにリューシスは、


「反転!」


 と命じて、飛龍隊を素早く左に旋回させるや、


「背後を襲え!」


 と、猛烈に加速してイゴール飛龍隊の背後を追った。

 イゴール飛龍隊は対応が遅れてまだ反転できておらず、背後はがら空きである。そこへ瞬く間に迫ったリューシス飛龍隊、


突撃トゥージー!」


 リューシス自身も長剣を握り、一斉に突撃した。

 リューシス飛龍隊の方が高度が上だったので、「降下突撃ジャントゥージー」の形にもなる。その威力は絶大であった。


 先頭を飛翔するバイランの前脚が、イゴール飛龍隊の最後尾の飛龍の尻を蹴飛ばし、リューシスの長剣が煌いて龍上の龍士の背を斬り裂いた。


 後に続くリューシス飛龍隊の龍士たちも、飛龍と共に雄叫びを上げながら次々とイゴール飛龍隊の背後を襲う。


 龍の角が龍士の背を貫き、手槍が稲妻を走らせて龍を突き、長剣が銀光を放つ度に鮮血が舞って飛龍が墜落する。


 イゴール飛龍隊は散々に討ち破られ、わずかに三、四十騎ほどが全速力で何とか逃げ切った。

 リューシスは、あえてその逃げた飛龍兵らを追わなかった。


 しかし、飛龍自体の能力差があるとは言え、わずか六分の一のリューシス飛龍隊が、ローヤン帝国自慢の近衛軍飛龍隊に圧勝すると言う衝撃的な結果となった。

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