第59話 リューシスの赤毛

 夜襲作戦に失敗したマクシム軍は、翌朝、攻撃を一旦中止し、軍議を開いて次の策を話し合っていた。


 しかし、陽動作戦も交えた夜襲策が通じなかった今、あの天然の大要塞を前にしては、誰からも良い策が出なかった。

 列席した諸将は皆、厳しい顔で考え込むのみであった。


 仕方なく、マクシムは一つだけ可能性があると思われる作戦を取ることとした。


 ルード・シェン山の周囲を全て包囲しての兵糧攻めである。


「山頂には肥沃な土地と水があるとは言え、奴らがルード・シェン山に入ってからまだ日が浅い。自給体制はまだほとんど整っていないはずだ。そこで完全包囲して外からの食料補給を断つのだ。さすれば自然と飢えで自滅するであろう。あるいは、耐えきれなくなって食料を外に求めに出たところを一気に叩き、殲滅するのだ」


 こうして、マクシム軍はルード・シェン山の周囲に包囲陣を敷いて兵糧攻めを開始した。


 だが、ルード・シェン山の崖縁の円塔からマクシム軍の陣容を見たリューシスは、すぐにマクシム軍の狙いを察して笑った。


「無駄なことをするもんだ」


 当然であるが、マクシムはまだ知らなかった。

 ルード・シェン山には金鉱の他にも宝玉類が埋まっており、リューシスはエレーナに命じて、それらを使ってできる限りの食料を買い集めていたことを。

 貯め込んだ食料は、リューシスら全軍の約二か月分以上にもなる。


「先に、大軍である奴らの兵糧が尽きるだろう。だが、その前に決着をつけてやるぜ」


 リューシスは、円塔の窓から河向こうにひしめくマクシム軍を見回しながら不敵に笑った。

 その時、後ろにエレーナもいたのだが、彼女はリューシスの後ろ姿を見て、ふと、あることに気付いて言った。


「あれ? リューシス、あなた。赤毛が増えてない?」


 今、リューシスは白銀色の鎧を着込んでいるが、かぶとは被っていない。赤毛混じりの褐色の頭髪が剥き出しになっている。

 だが、今、エレーナにはその赤毛の割合が以前よりも増えているように見えた。


「え? そうか?」


 リューシスは振り返って前髪をかき上げた。


「あ、前から見るとはっきりわかるわ。赤毛が多くなってる」


 エレーナが、形の良い澄んだ青い目でじっと見て言った。

 周囲の見張りの兵士らも、リューシスの頭を見て同意した。


「本当ですね。確かに以前より赤毛が増えている気がします」


 リューシスは頭髪をかき回して、


「そうか。まあ、父上は全て褐色の頭髪だけど、先帝のじじ様が俺と同じように赤毛混じりの褐色でな。しかも赤毛の方が多かった。だからじじ様の遺伝みたいなのが強くなって来たのかも知れないな。ローヤンの二代皇帝武帝ウーディーユリスワードなんて、全部赤毛だったって伝えられているしな」

「そうなんだ。でも、弟君の……バルタザール様? は金髪だったわよね」


「ああ。あいつは継母はは上の金髪をそっくり受け継いだんだろうな。実は、俺の母上も綺麗な金髪と青い瞳だったんだけど、俺は父上の方に似てしまったんだな。残念だよ。俺が母上に似て金髪と青い瞳だったら、ガルシャワのシーザーみたいに、もっともててたかも知れないのにな」


 リューシスは冗談めかして笑うと、円塔の階段を下りて行った。それを聞いて見張りの兵士らも笑ったが、エレーナは一瞬複雑そうな表情をした。だがすぐに苦笑して、リューシスの後に続いて階段を下りて行った。



 包囲陣を敷いての兵糧攻めを開始したマクシム軍らに対して、ルード・シェン山のリューシス軍は一切動かなかった。

 互いに攻撃を仕掛けず、睨み合いとも言えぬような睨み合いが続いた。

 マクシム軍は山の周囲を包囲してリューシス軍の動きを注視するのに対し、リューシスらもマクシム軍の包囲陣を見張っているだけであった。


 だが、その翌日の夜のことであった。


 ルード・シェン山側で、睨み合い状態とは言え、まだ戦の最中であると言うのに、酒宴が開かれたのである。

 リューシスは葡萄酒プータージュ麦酒ピージュの備蓄を開放し、貴重な食料も、気前良く出せるだけ出すように指示し、兵士らに存分に飲み食いを楽しませた。


「一人も犠牲者は出ていないしな。皆ここまでよくやってくれた。今日ぐらいは存分に楽しんで疲れを癒してくれ。どうせ、奴らはこのルード・シェン山の前には手も足も出ないんだ」


 無論、そう言うリューシス自身も、好物の麦酒ピージュを飲んで騒いでいる。



 リューシスらが酒宴をしていると言うのは、ルード・シェン山を包囲しているマクシム軍の兵士らにもすぐにわかった。


 山頂の方から、賑やかで明るい音楽と共に、時に馬鹿笑いの混じる騒ぎ声が聞こえて来るのだ。


 その時は、マクシム軍の兵士らも夕食の最中であった。

 だが、彼らが食べているのは戦陣食で、湯で戻した干し飯や硬い麺包パン、干し肉などの簡素なものばかりである。

 そんな彼らは、聞こえて来るリューシスらの酒宴の音を聞いて溜息をついた。


「殿下らは酒盛りか、いいのう」

「俺達はいつも通りの戦陣食だけなのにな」

「いや、待て。俺達はこうして兵糧攻めをしているが、殿下らには酒盛りをするだけの余裕があると言うことか?」

「それなら、こうやって包囲しているだけ無駄ではないか?」


 この五日間、自分たちの犠牲者ばかりが増えて行く戦で、残っている兵士らも、心身共に疲労がたまって来ている。

 しかも今日は、時すでに五月半ばなのに風が強い夜で、風が吹く度に季節外れの寒気が肌に刺さる。

 それだけに、見張りの番についている兵士らだけでなく、休息中の兵士らも、リューシス軍への羨望と自分たちの不満や不安などが入り交じった言葉を口にした。


 そんな兵士らの声と、リューシスらが宴会をしていると言う情報は、すぐに諸将らの耳にも入った。


 七龍将軍チーロンサージュンのすぐ下の階級である「十四紅将軍シースーホンサージュン」のうちの二人、ウィルバー・パンとロンシャー・ロンが、連れだって丞相マクシムの陣所を訪れた。


 この二人は、共に二十九歳の同年齢で仲が良い。そして共にハンウェイ人である。だが、ウィルバー・パンは曾祖母、祖母、母が皆ローヤン人やフェイリン人などの北方民族であった為、彼は頭髪こそ黒であるものの、顔立ちは二重瞼で彫りが深いローヤン人そのものである。


 二人はマクシムの陣所前で名乗ると、マクシムから入ることを許された。


 マクシムは、ビーウェンとルスランと共に、夕食を食べながら何か話し込んでいた。

 組み立て式の木卓の上には、肉の入った焼飯と麺包パンの他に、羊肉の串焼きヤンローチュアン、川魚の唐辛子煮込みなどが並べられ、葡萄酒プータージュまであった。

 しかし、葡萄酒プータージュを飲んでいるのはマクシムだけで、ビーウェンとルスランは麺包パンを齧りながら白湯さゆを飲んでいるだけであった。


「おう、二人共どうした」


 マクシムは、葡萄酒プータージュの入った夜光杯グラスを持ったまま振り返った。

 ウィルバー・パンとロンシャー・ロンは、ちらっと顔を見合わせてから言った。


「お聞きになりましたか? ルード・シェン山では宴会をしているそうです」


 マクシムは眉根を寄せて、紫色に揺れる夜光杯グラスを置いた。


「うむ。つい今しがた聞いた。それでちょうど今、それについて話していたところだ」


 すると、ウィルバーとロンシャーの二人は、共に進み出て言った。


「殿下らは一兵も損なうことなく我らを撃退し続け、更には夜襲まで見抜いて逆に奇襲で討ち破ったことで、油断しているのでしょう」

「殿下らは、一度夜襲に失敗した我らが再び夜襲をかけて来るとは思っていないはずです。それ故に、酒盛りなどしているのだと思います。これは好機ではありませぬか? 今夜再び夜襲をかければ、きっと成功するのではないかと思います」


 この二人は、共に勇猛さを買われて、若くして十四紅将軍シースーホンサージュンに抜擢されたが、若さ故か生来の勇猛さを過信しているが故か、血気に逸るところがある。


 マクシムは、そんな二人の進言を聞くと、顔をわずかに歪めて不機嫌そうな顔となった。

 ビーウェンは、持っていた麺包パンを皿の上に置き、真面目な顔で二人に言った。


「それがリューシス殿下の狙いだ。何故気付かぬ」

「あ……」


 ウィルバーとロンシャーは、揃って顔色を変えた。


「リューシス殿下は、どんなに有利な戦況でも決して油断をするお方ではない。ルード・シェン山と言う最強の大要害に籠り、一兵も損なっておらぬばかりかこちらの夜襲までも見破って撃退したとは言え、未だ戦力差は十倍以上だ。その状況で酒盛りをすると言うのは、常のリューシス殿下の行動からは考えられぬ。きっと、油断しているように見せかけてこちらを誘い込もうとしているのだろう」


 ビーウェンが淡々と言うと、どんな時でも明るく陽気なルスランが、珍しく渋い顔をして注意した。


「お主ら二人は紅将軍ホンサージュンだ。それぐらい見抜けぬとは何事か。将たる者、武勇だけではいかんのだぞ」

「はっ、申し訳ございませぬ。我ら、浅慮でございました」


 二人は跪いて頭を下げた。


 そこで、マクシムが立ち上がり、垂れ幕を払って陣所の外に出た。その瞬間、強い突風が吹いてマクシムの暗めの金髪が乱れた。


 マクシムの陣所は、野営地の一番奥、最も高い台地の上にある。そこから、小さな火が無数に揺らめく野営地が一望できる。マクシムはそれを見回した後、その彼方の夜闇に浮かぶルード・シェン山の山頂を見上げた。


「殿下の手に乗ってはならん。今夜は策の為に酒宴を開いているとは言え、殿下らはあの山に入ってまだ日が浅い。食料の備蓄は少ないはずだ。こうして包囲していれば、いずれ食料が尽き、耐えきれずに外に出るはず。その時こそ、我らの好機。一気に打って出て叩き、突破口を開くのだ」


 マクシムは強い口調で言った。


 しかし、その翌日。

 前日と同じように、日中は睨み合いに終始したが、なんとその夜、リューシス軍はまたしても酒宴を開いた。

 しかも、昨夜よりも賑やかで盛大な酒宴であった。


 音楽は、より楽しげで明るいものになり、兵士らは杯を片手に歌い、踊った。

 酒豪のネイマンに至っては、葡萄酒プータージュの壺を両手で持ち上げ、


「よし、俺はこれを一気飲みしてやるぜ」


 と言い放ち、周囲の兵士らが驚いて見守る中、言葉通りに一気に飲み干すや、壺を放り投げて吼えた。

 その様を見た兵士らは、一斉に歓声を上げて大盛り上がり。


 そんな賑やかな酒宴は、当然またマクシム軍の兵士らにも伝わる。


「また殿下らは酒盛りじゃねえか。何か馬鹿にされているようで腹立つな」

「まあ、向うはあんな高い山の上で安全だしな」

「俺達はこんな風の強い夜でも麺包パンと干し肉だけなのによ」


 兵士らはまたも、羨望と不満の入り交じった言葉を吐く。

 今夜も、マクシム軍野営地を、冷たい風が吹き抜けていた。


 リューシスらの酒盛りは、翌日の夜も、そのまた次の日の夜も続いた。

 これで四夜連続の酒宴である。


 十四紅将軍シースーホンサージュンのウィルバーとロンシャーは、またも二人でマクシムの陣所に行き、詰め寄った。


丞相チェンシャン。もう我慢なりません。殿下らは我らを完全に馬鹿にし、舐めきってあのように連夜の酒宴なのです。今度こそ夜襲を仕掛ければきっと成功するに違いありません」

「そうです。それに、毎晩向こうが酒宴を開いているのを見て、我が軍の兵士らの士気にも影響が出ております」


 だがマクシムは、両将を睨んで言った。


「断じていかん。それこそが殿下の狙いだ。何度も言っておろう」

「しかし……」


 口を尖らす二人に対して、マクシムは卓をどんっと叩いた。


「堪えるのだ。私の予想では、向こうの食料はあと二十日前後で尽きるはずだ。その時が勝負。それまで待つのだ」


 だが、翌日の夜も、またルード・シェン山の山頂から賑やかな酒宴の音が聞こえた。

 これで五日連続である。


 今夜も粗末な戦陣食を食べるマクシム軍兵士らから、流石に不満や愚痴や怒りの声が噴出した。


「まただ。もういい加減にして欲しいぜ」

「こっちの気が狂いそうだ」

「向うが酒宴なら、俺達にも少しぐらいは酒を飲ませて欲しいよな。どうせ向うから攻めて来ることはないんだしよ」

「馬鹿馬鹿しいぜ。おい、こっそり博打でもやろうぜ」


 と、兵士らは密かに博打をやって遊んだり、まだ就寝時間でないのに勝手に寝たりする者らが出始めた。


 ルード・シェン山では、確かに今日で五夜連続、同じように兵士らが麦酒ピージュ葡萄酒プータージュを片手に酒宴で盛り上がっている。


 だが今夜、そこにリューシスの姿は無かった。


 山の南西の崖縁に、リューシスは隣にバイランを従えて立っていた。

 その褐色の瞳は、眼下の向こうに雲霞の如く広がるマクシム軍を見回した後、玉石をばらまいたように輝く星空を鋭い目つきで見上げた。

 今夜も、時折強い風が吹き、その度にリューシスの頬を寒気が刺す。


 やがて、星空を観察するように見つめていたリューシスは、顔を下ろすと、マクシム軍の野営地を見回した後、にやりと笑った。


 そのリューシスの頭髪は、またも赤毛が増えているように見えた。

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