第55話 覇王の再来か、軍神か
全員ルード・シェン山の山頂に入ったリューシスらは、末端の兵士に至るまで皆、感動すら覚えた。
こんな断崖絶壁の岩山の上に、緑と水に溢れた肥沃な台地が広がっているなど、半信半疑なところがあったが、実際に目の当たりにすると想像を超えるものがあったからだ。
広大な台地に、色濃い緑野と原生林があり、天然の果実や作物が実って輝きを放っている。透明な湧水は青々とした清流を作り、そこに川魚が優雅に遊んでいた。
そして、不思議なことであるが、どこもかしこもキラキラとした光に包まれているように見えた。
それは、本当に見た事もないような美しい風景であった。
「綺麗……こんな岩山の上にこんなところが……桃源郷ってこういうところのことを言うのかしら」
エレーナは目を輝かせ、女性らしい感激をしていた。
「おお、葡萄があるぜ。
ネイマンは嬉しそうに駆けて行った。
士官学校で屯田の授業を受け、農作の知識もあって実地演習もしているイェダーは、あちこちの土をほじってその土壌を確かめた。
「これなら農耕ができるな。しかし不思議だ。こんな川に挟まれた岩山の山頂に、これほどの土地があってしかも天然の湧水まであるとは……一体どうなっているんだ」
イェダーは感心しながらも、不思議そうに周囲を見回した。
ヴァレリーは部下達と共に崖縁を探索して回り、
「ここに塔を築けば防衛がよりしやすくなるな」
などと、生粋の軍人らしく、早速防御施設の位置や建て方などを考え始めていた。
「向うにもう少し行ったところに、小高く広い草地があります。そこに居城を建ててみては如何でしょう」
バーレンは、少し歩き回ってから、リューシスにそう言った。
正直なところ、皆、リューシスを慕ってここまでついては来たが、当ての無い流浪の連続で少し疲れて来ていた。
だが、このような素晴らしい新天地に入れることになって、リューシスらはもちろんのこと、一般兵士らも皆、気分が高揚して来ていた。
このルード・シェン山は、様々な未知なる可能性に満ちている。このような天然の大要塞を拠点に、丞相マクシムらに逆襲の戦いを挑むのだ。
自然と、皆の士気が上がっていた。
そんな、突然入って来ることになったリューシスらの一団を、元々ここにいた
こうして、リューシスらは、その日はとりあえずゆっくりと休んで長旅と戦闘の疲労を癒した後、翌日から早速拠点作りを開始したのであった。
その日、アンラードでは――
宰相マクシムは、終日、宰相宮の執務室に籠って仕事をしていた。
権力欲や金銭欲など、人間臭い欲望が強いことを別にすれば、彼は政治家としては優秀である。
早朝から、山積しているローヤンの政治上の難題に対して対策を練り、次々と指示を下して行く。正午前には、文武の重臣を集めて会議を開き、様々な議案を討論した。
その最中であった。会議中のマクシムらに一つの急報が届いた。
「ダルコ・カザンキナ
その知らせは、衝撃となって会議室を駆け抜け、重臣たちがざわついた。
だが、マクシムは表情を動かさなかった。
「わかった。ご苦労」
と静かに言った。
ダルコは、カザンキナ部の中でも名族カザンキナの姓を受け継ぐ貴族であるが、その血筋だけで
傑出した智勇を持ち、戦場での的確な戦術眼と冷静な指揮能力を持っているが故に、若くして
だがマクシムは、実のところ、そんなダルコが二倍の兵力を持ってしても、リューシスには八割方の確率で負けるであろうと予想していた。
「おかしくはない。あの方は戦においては、
そう、マクシムは言った。
だが、言葉とは裏腹に、その顔にはまだ余裕があった。
だが、同日の夕刻、執務室で受けた早龍からの知らせには、驚きのあまり、持っていた羽根ペンを取り落した。
「殿下がルード・シェン山を占拠しただと? ほ、本当か?」
「はっ。殿下とその仲間、及び配下の軍勢約一千五百人、すでにルード・シェン山の山頂に入りましてございます」
「本当なのか? 嘘ではないのか?」
マクシムは色を失った顔で訊き直した。
だが、報告に来た部下は深刻な表情で再度言った。
「いいえ。数人の密偵をあの辺りに放っておりますが、皆同じことを報告して来ております。本当です」
「一体どのような方法で……。我らが充分に訓練を施して派遣した調査団でも登攀には数日かかり、更に登り切ったあとでもあの凶暴な飛龍の群れにやられたと言うのに」
マクシムは呆然として呻いた。
「ううむ……今朝、あの方を
それから、マクシムはしばし言葉を失っていたが、やがて平静さを取り戻すと、今度は冷徹な表情となって部下に告げた。
「ビーウェンとルスランに伝えよ。出陣準備をもっと急げとな。全軍でもってルード・シェン山を攻めるぞ」
リューシスらがルード・シェン山を拠点とするに当たり、やらなければならないことは沢山あるが、まず優先しなければならないのは、食料問題と住居、そして防衛施設である。
リューシスらは二日をかけて山頂の台地を歩き回り、どこに田畑を作るか、居館、兵営はどこにするか、などをおおよそ決定し、早速その建設に取り掛かった。
急がねばならなかった。ダルコの軍勢を撃退したとは言え、アンラードのマクシムがいつ大軍で攻め寄せて来るかはわからない。
農耕の知識があるイェダーとネイマンが農地作りと水の確保を指揮し、ヴァレリーとバーレンが居館と兵営の建設の指揮を担当することになった。ヴァレリーは築城に関する知識があり、バーレンは昔、大工の仕事をしていたことがある。
エレーナは当面の食料の確保の為に、ランファンの国庫から持って来た資金を使い、
その時に乗った
リューシスは、防御施設の建設、及び防衛に関する全てを担当し、尚且つ全体の総指揮を執る。
そして七日が経った。
兵士らの意気は高く、まだ序盤の序盤であるものの、作業ははかどり、順調に進んでいた。
その日、リューシスは、西の崖縁に建てる防御用の円塔の建設を指揮し、時には自らも兵士らに交じって石積みなどの作業に加わっていた。
夕刻になると作業を終わらせ、皆に幕舎やテントに戻って休むように言い渡した。
住まいはまだできていないので、兵士らはもちろん、リューシスらも、この山では戦時と同じような野営地を作ってそこで生活をしていた。
兵士らが皆戻って行った後、リューシスは最後に作業の進捗状況を確認し、それから自分も野営地に帰ろうとした。
だが、ふと、そこから見える西空の夕焼けの美しさを見て、足を止めた。
西方の彼方に二つの山がある。その間に真っ赤な夕陽が落ちかかって尾根を赤く染め、黄色い残光が麓の村落を金色の光に包んでいた。
「俺が望んでいるのはただこれだけなのにな……」
リューシスは呟いた。
そしてしばらく、その美しい夕刻の風景を眺めていた。
そこへ、ふと背後から「リューシス」と、声がかかった。
エレーナの声だった。
「どうした」
リューシスは振り返らぬままに答えた。
いつもと同じように白い法衣姿のエレーナは、リューシスの後ろから、
「何しているの? こんなところで一人で」
「別に……見ろよ、景色が綺麗だったからな。眺めていたんだ」
そう言われて、エレーナは進んでリューシスの隣に立つと、彼方に広がる風景を見回して、
「本当、綺麗……」
エレーナは素直に感動した。
それから、二人は無言で同じ風景を眺めていたが、
「で、どうかしたか?」
と、リューシスが訊いた。
エレーナは我に返り、
「ああ、そうそう。あの、できる限りの食糧を集めたけど、そろそろランファンから持って来た資金も無くなるわ」
「構わない。もうちょっと足を延ばして、できる限りの食糧を調達してくれ」
「でも、資金は?」
「心配ない。実はな、今日の午後、ヴァレリーらが金鉱を発見したんだ」
リューシスは宝物を発見した少年のような顔を見せた。
「え? 金鉱?」
エレーナは目を丸くした。
「それだけじゃない。宝石まであった。紅玉や碧玉、緑玉の埋まっているところまであった」
「それは凄いわ」
「だろう? それらを使えば資金の心配はない。どんどん食糧を集めてくれ」
「うん」
「金鉱や宝玉まであるとは驚いた。凄いぞ、この山は」
リューシスは興奮した口調で言った。
「そうね、私も驚きの連続だわ」
エレーナも笑顔で答えた。
「君も、ホウロー山じゃなくてここを拠点とすればフェイリン復興が成功したかもな」
リューシスは思わず軽はずみに言ってしまったが、直後にすぐに顔色を変えた。
「あ、ごめん。俺が言っていいことじゃなかったな」
リューシスは俯いて謝った。
エレーナはリューシスから視線を逸らし、無表情で西空の夕焼けを見つめたまま、黙りこくった。
顔を上げたリューシスは、エレーナの横顔を見てから、同じ方向の西空に視線をやりながら言った。
「今も……懐剣を懐に入れてるんだろう?」
西空を見たままだが、エレーナの眉がぴくりと動いた。
「いいぞ。今ここで、俺を殺しても」
リューシスは微笑して言った。
「…………」
今度は、エレーナが首を動かして、リューシスの横顔を見た。
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