第54話 神龍の王

「どうしてここに来た!」


 リューシスは、まさに狂喜乱舞と言った感じで駆け寄り、バイランの首に抱きついた。

 バイランも嬉しそうな鳴き声を上げて、大きな顔をリューシスの身体にすり付けた。


 期間にすれば、たった約一ヵ月ぶりの再会なのであるが、リューシスとバイランは、長年離れ離れになっていた恋人同士が久しぶりに再会したような抱擁をした。


「なんだ、バイランだったか」


 その姿を見て、バーレンやネイマンらは安堵すると同時に、嬉しくなった。

 リューシスがどの戦場でも常に騎乗していたバイランは、彼らにとっても戦友のようなものである。


「元気だったか」


 リューシスは本当に嬉しそうにバイランの頭や身体を撫で、バイランもまたそれに応えるように鳴き声を上げていたが、エレーナの姿を見つけると、突然エレーナの方に歩いて行った。


「え? え? 何?」


 エレーナは顔を強張らせながら後ずさったが、バイランはエレーナの前に来ると、甘えたような鳴き声を出して前足を揃えて身を伏せた。


 この、一見マーオンのような前足を揃えて身を伏せる姿勢は、ローヤンの学者の間でもまだ研究途中であるが、今のところ、飛龍フェーロンが信頼し、心を許した相手にしか見せない態勢であると言われている。


「ああ、そうか。エレーナは一度だけバイランに乗れたことがあったな」


 リューシスは懐かしそうに思い出して言った。


 元々の気性が荒く、気難しいところのあるバイランは、リューシス以外を乗せたがらず、リューシス以外が乗ろうとすると怒って振り落とそうとする。

 だが、かつてリューシスとエレーナが一時的に結婚していた時代、エレーナは一度だけバイランに乗れたことがある。


 朝、リューシスがいつものようにバイランに食事をやり、そのまま遠乗りに出かけようとしたところ、たまたまエレーナがそこを通りかかった。

 すると、それを見たバイランは、突然エレーナに向かって歩き出し、今と同じように前足を揃えて身を伏せたのだった。

 それにびっくりしたリューシスは、試しにエレーナを一緒にバイランの背に乗せてみた。

 すると、バイランは嫌がることもなく、いつも通りに空へ飛び上がったのであった。


「え? あなた、私を覚えてるの? 四年も前よ。しかもたった一度だけなのに」


 エレーナは驚きながらも、嬉しそうにバイランに話しかけた。

 バイランは応えるようにエレーナを見上げて声を出した。


「ありがとう。また会えて、私も嬉しいわ」


 エレーナは微笑しながら、バイランの頭を撫でた。


「しかしお前、本当にどうしてここに来た? アンラードの龍場ロンチャンから逃げて来たのか?」


 リューシスが歩いて来ながら言うと、バイランは向きを変えて再びリューシスの下に歩き寄り、鳴き声を上げた。

 神猫シンマーオンシャオミンが飛びながらバイランに近寄り、その顔を見ながら言った。


「アンラードには帰らなかったみたいだよ」


 シャオミンは、バイランの心がわかる。


「何、そうなのか? じゃあ、一体どこに行ってたんだ」


 リューシスがバイランの青い目を見て言うと、バイランは突然前足を上へと上げて吼えた。


「おい、どうした」

「なんか、殿下に乗って欲しいみたい」


 シャオミンが言った。


「乗れって? 久しぶりだからか? でも今はそんなことしてる場合じゃないんだよな」


 リューシスが困ったように言うと、バイランは抗議するように大きな声で吼えた。

 リューシスは苦笑して、


「わかった、わかったよ。乗るよ。じゃあ久しぶりに一緒に飛ぶか」


 と、兵士らに固定ベルトと手綱を持って来させて、バイランの背に跨った。

 バイランは再び吼えると、大きな翼を羽ばたかせた。

 辺りに風が巻き起こり、土埃が舞い上がり、周囲の人間が手で顔を覆った。

 そして、リューシスを乗せた白龍バイランは空へと飛翔した。


「大体一ヵ月ぶりぐらいか? でも何だか一年ぶりぐらいな感じだぜ」


 バイランを駆って空を飛翔し、その背から、遠ざかって行く大地と、こちらを見上げている皆を見下ろしながら、リューシスは久しぶりの感覚を楽しんだ。

 リューシスは、ルード・シェン山の周りを飛んだ。そのままぐるりと一周してから、地上に戻るつもりであった。


 ところが、リューシスは気付いた。

 命じていないのに、バイランが勝手にどんどん高度を上げて行く。


「おいどうした。そんなに高く飛ばなくてもいいぞ」


 リューシスは言ったが、バイランは止まらなかった。そのまま、三十メイリ(メートル)、四十メイリ、そしてついにバイランの限界であるはずの五十メイリの高さを超えた。

 リューシスは驚いてバイランの首を撫でた。


「おい、止まれよバイラン。どうしたんだ?」


 リューシスは言ったが、いつもなら言う事を聞くはずのバイランは、それに従わずに飛びながら上昇を続け、ついに六十メイリの高さをも超えた。


「知らなかった。お前、こんなに高く飛べたのかよ。びっくりだぜ。」


 リューシスは驚愕したが、次に、あることを直感した。


「お前、まさか……」


 リューシスは、頭上を見上げた。ルード・シェン山の山頂が近づいて来ている。


「バイラン、俺をあそこまで連れて行ってくれるのか?」


 リューシスが言うと、バイランは答えるように大きく咆哮した。

 そして、バイランは山の周りを旋回しながらどんどん上昇を続け、ついにルード・シェン山の上空にまで達したのであった。


「うわ、すげえ……ついに上まで飛んじゃったぜ」


 これには、下で見ていたネイマンやバーレンらも驚いて唖然としていた。


「アンラードの学者らが見たら腰抜かすだろうな」


 イェダーは、信じられないと言った表情で目をぱちぱちさせた。



 ルード・シェン山の上空を飛びながら、リューシスは眼下の風景を見回して言った。


「これは確かに調査団の言う通りだ」


 ルード・シェン山の山頂は、緑豊かな広大な台地が広がっていた。

 リューシスは、広さのある適当な草地を見つけて、そこに降りた。これにはバイランも素直に従った。

 そして、バイランの背に乗ったまま、周囲を歩いて見て回った。


「これは素晴らしい……」


 リューシスは感嘆して溜息をついた。


 その辺りの地面は一面草地であり、色取り取りの花が咲き乱れるところもある。向うを見れば、まばらに樹木の密集する林があり、そこには木の実や天然の果実も実っていた。

 また、自然の湧水もあり、美しい清流の小川も何本か見られた。

 そして、何故かどこもかしこも不思議な陽光に満ちてきらきらと輝いており、神聖な気すら漂っているようにも感じられた。


「ここなら確かに何年でも籠れそうだな」


 リューシスは美しい風景に見惚れながら呟いた。


 だがその時、凍りつくような殺気がリューシスの背を刺した。

 ふと振り返れば、彼方の林の中からこちらを凝視する、いくつもの獰猛な瞳。

 それはすぐに林の中から姿を現した。飛龍フェーロンの群れであった。


「しまった、野生の飛龍フェーロンがいるんだった。しかも凶暴なんだよな」


 リューシスは冷や汗をかき、


「バイラン、一旦戻るぞ。あいつらへの対策を考えてから、また来よう」


 と、バイランに話しかけて手綱を引いたが、バイランは動かなかった。


「おい、何してるんだよ。帰るぞ!」


 リューシスはバイランの横腹を蹴った。だが、それでもバイランは動かない。唸り声を上げていた。

 そして、見る間に野生の飛龍フェーロンは何頭にも増えて近づいて来て、リューシスとバイランを遠巻きに囲んだ。

 バイランと同じ珍しい白龍が八頭、白に近い薄褐色の龍が五頭いた。そのどれもが皆、敵意の籠った恐ろしい瞳でリューシスを睨んでいる。


「おい、バイラン!」


 リューシスは青い顔でバイランの角を引き、促し続けたが、それでもバイランは動かず、逆に大声で吼えた。

 すると、飛龍フェーロンたちがまたゆっくりと近づいて来る。


「仕方ない。ローヤン人として、できれば飛龍フェーロンを傷つけたくはないが……」


 追い詰められたリューシスは、両手に天精ティエンジンを集中させ、雷気を帯びた光の弾を作った。今日は雲一つない晴天の上、ここは光に溢れている。光の弾はあっと言う間に巨大になった。


 だが、その時であった。

 バイランが再び大きく咆えたかと思うと、近づいて来た飛龍フェーロンの群れが、一斉に両脚を前に揃えて身を伏せたのだ。信頼し、心を許した相手にしか見せないと言われている態勢ポーズである。


「あ? どういうことだ……?」


 リューシスはぽかんとし、飛龍フェーロンたちを見回した。


 すると、前方遠くの左方にある林の中から、また一頭の飛龍フェーロンが現れた。リューシスはそれを見て、驚きのあまり絶句した。


 バイランと同じ白龍なのであるが、その身体が通常の龍の二倍ほどはある。バイランも学者の研究対象になるぐらい大きめの体格なのであるが、その龍の大きさは、それを遥かに上回る。

 リューシスが唖然としている間に、その巨大な白龍は地面を響かせながらゆっくりと歩いて来た。

 それに合わせるかのように、リューシスを乗せたまま、バイランもその巨大な白龍に近付いた。


 そして、近寄った二頭は、それで意思疎通をしているのであろうか? 互いに何か唸り声や鳴き声を上げていた。


 ――シャオミンを連れて来れば良かったな。そうすれば何を話し合っているのかわかっただろうに。


 リューシスはそう思った時、はっと直感した。目をみはって、バイランとその巨大な白龍を見比べた。


「そうか、お前はここで産まれた龍だったのか? そして、そのでかいのはまさか、お前の親か……?」


 リューシスが言うと、バイランは、そうだと言わんがばかりに吠えた。

 よく見れば、その巨大な白龍は、白い身体と青い目が同じなのはもちろん、二本の角の形や、顔立ちなどがバイランとそっくりであった。


「そうだったのか……」


 リューシスは、また二頭を見比べた。


 バイランは、その昔、遠征先で捕獲されて連れて来られた龍である。


 その時、まだ子龍だったバイランは、恐らくここの皆でどこかへ飛んでいた時に偶然群れと離れて迷ってしまい、その時に遠征軍に捕獲されてしまったのだろう。


 そんなことをリューシスが考えていた時、そのバイランの親と思われる巨龍が、突然リューシスを見て空気が張り裂けんばかりの雷鳴のような咆哮を上げた。

 リューシスが、思わず驚いて耳を手で塞いだほどである。


 しかし、その咆哮に殺気や敵意のようなものはなかった。それどころか、巨龍は、深く青い瞳に優しげな色を湛えてリューシスの顔を見つめ、ゴロゴロとした唸り声を上げていた。


 恐怖は感じなかった。リューシスは、自然とバイランの背から下り、その巨龍に近寄っていた。

 リューシスは、ゆっくりと手を上に伸ばし、その額を撫でてみた。巨龍は反発せず、大きいが優しげな鳴き声を上げた。

 そして、なんと両足を前に揃えて身を伏せた。

 リューシスは驚きながらも、微笑して見上げた。身を伏せていても、巨龍は立っているリューシスよりも高かった。

 リューシスは言葉を選びながら、巨龍に話しかけた。


「あなたは、バイランの親ですね? そして、多分ここの龍たちの王なのでしょう? 私は……ローヤンの第一皇子ディーイーエンズにしてランファン王、リューシスパールと申します。これまで、ずっとバイランを……バイランと一緒にいさせてもらいました。すみませんでした、そしてありがとうございました」


 巨龍は、優しげな青い目でリューシスを見つめて、何か語りかけるように鳴き声を出し続けた。

 それに反応するように、バイランもまた鳴き声を上げた。


 ――もしかして……?


 リューシスは少し思案した後、思い切って切り出した。


「勝手な話なんですが……私と仲間たちが追われております。そこで申し訳ないのですが、私たちをここに住まわせてもらえないでしょうか? 私も仲間たちも皆、悪い人間じゃない。あなた方に絶対危害は加えませんし、その生活の邪魔もいたしません」


 リューシスは、その言葉一つ一つに、精一杯の敬意を込めて言った。


 すると、バイランが大きく咆え、巨龍は了承するかのようにゴロゴロとした唸り声を上げた。笑っているようにも聞こえる声であった。

 彼らはもちろんのこと、周囲の他の飛龍フェーロンたちの瞳にも、すでに完全に敵意は無かった。


 リューシスは笑顔で巨龍を見つめた後、頭を下げた。


 リューシスは、一旦バイランに乗って地上に戻り、作っておいた長い縄梯子を持って再び山頂へ飛び上がった。

 こうして、思いもしなかった方法で、ついにリューシスらは、大陸一の大要害、ルード・シェン山に入ることに成功したのであった。



※ルード・シェン山とその付近の地図、及びダルコ軍との戦いにおけるリューシス軍の行軍経路を、簡単に描いてみました。以下をご参考としてください。

https://twitter.com/Teru35884890/status/1054744763943899136

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る