第53話 アーサイ川の戦い

 翌朝、リューシスが言った通りに、リューシス軍はまだ空が暗いうちに全軍で出発した。


 更に北へ向かって行軍して行くと、そこにアーサイ川と言う川がある。そのアーサイ川は幅は広いが水深が浅く、人の膝より少し下ぐらいまでしかない。歩兵らも徒歩で渡れるぐらいの川であった。


 リューシスらはそのアーサイ川を渡り、左に深い森林がある原野を更に十コーリー(Km)ほど進軍したところで、ちょうど小高い丘を見つけたので、今夜はそこで野営することとした。


 だがその時、リューシス軍の兵士らは、何と半分ほどの約七百人に減っていた。


「やはり、みんな北方高原に行くのは嫌なんだな」


 リューシスは、炊事の支度をする兵士らのどこか元気のない顔を見回して溜息をついた。


「クージンから来た者達が皆、昨夜のうちに逃げ出してしまいました。まあ、仕方ありません。北方高原は何もない大草原の上に、寒く厳しい土地ですから」


 イェダーが力なく答えた。


 そのリューシスらや野営地の様子を、遠く離れた茂みの中に身を隠している一人の男がじっと観察していた。

 男は、暗くなり始めた中でも、鋭い目つきでリューシスらの様子を見て取ると、さっと身を翻して薄闇の中へ駆けた。


 男は、ダルコ軍の中の天法術ティエンファーが使える斥候の一人であった。

 

 その頃、ダルコらは、前日にリューシス軍が野営していた跡地にいた。

 ダルコは、部下数人に松明を持たせて辺りを照らさせながら、リューシスらの野営の跡を注意深く見て回っていた。


 斥候の男は馬でそこに駆け戻って来ると、ダルコの下に跪いた。


「申し上げます。リューシス殿下らはやはり北方高原へ向かうようです。そして現在、アーサイ川の先、およそ十コーリーほどの地点に夜営をしております」


 ダルコは「そうか」と頷くと、鋭い目つきで斥候の男に訊いた。


「兵数が減っていなかったか?」

「ええ、その通りです。聞いていたように千五百人もいるとは思えませぬ。およそ半分の七、八百人ほどにしか見えません」

「やはりか」


 ダルコは、リューシスらの野営の跡を見回して言った。


「千五百人の軍勢の割りには、かまどの跡の数が少ない。恐らく、北方高原へ行くのを嫌がった兵士らが次々と脱走したのだろう。そして、まだアーサイ川の先十コーリーの地点にまでしか進んでいない。この進軍速度の遅さは、残った兵士らの士気も下がっているからだろう」


 ダルコはにやりと笑った。


「アーサイ川の向こう十コーリーの地点ならば、少し休んだ後でも馬を飛ばして行けば、明日の夜明け前には追いつく。そのまま一気に急襲するぞ。こちらは多少疲れることになるが、士気の下がった半数の七、八百人ならば、寝込みを襲えば一気に討ち破れよう」


 そして、昨日斥候のもたらした情報から、リューシスらが夜襲をしかけてくることはないと確信したダルコは、一応は警戒しながら兵士らに短時間の仮眠を取らせた後、真夜中に再び全軍で出発した。


 アーサイ川までは、全騎兵を走らせて行軍した。


 だが、アーサイ川まで来ると、リューシスらの野営地までは近い。

 急襲に向かうことを察知されない為と、馬と兵士らを休ませる為にも、アーサイ川は歩いて渡り、その先も走らずにゆっくりと進軍することにした。

 それでも、夜明け前までにはリューシスらの野営地を襲える計算である。


 だが、ダルコらの軍は、ダルコを始めとして、一人として南方の夜空に一頭の黒い飛龍フェーロンが羽ばたいているのに気付かなかった。


 そして、ダルコ軍三千騎のうち、前軍のおよそ五百騎が川を渡り終えた頃であった。

 

 爆発音が夜気をつんざいた。


 前軍の一部の足下の砂利が、爆風と共に天へ噴き上がった。

 その範囲はそれほど広くはなかった為、爆風に巻き込まれて横転したのは、わずかに三十騎ほどである。だが、その突然の事態に、兵士らは動揺し、馬も恐れていななき、統制が乱れた。


 ダルコの目が緊張しながらも鋭く光った。


 ――火薬は無い。これは土の天法術ティエンファーか? しかも最高秘術の。


 運良く爆発に巻き込まれなかったダルコは、冷静に状況を把握した。

 だが、兵士らを落ち着かせる前に、前方の暗闇の中から一軍が殺到して来た。


 それは、リューシス軍の一団であった。

 全員歩兵であるが、それぞれ長槍を手にして喚声を上げながら襲って来る。

 先頭に立って駆けて来るのは、リューシス軍の武の双璧、バーレンとネイマン。


 ――ここで待ち伏せの夜襲だと?


 ダルコは歯を噛んで手槍の柄を握り締めた。


 リューシスの夜襲はまずないだろうと思っていたダルコは、野営地での何かしらの罠は警戒していたが、まさかここで待ち伏せされるとは思っていなかった。

 思わぬ隙を突かれてダルコは悔しがったが、彼はまだ冷静であった。殺到して来るリューシスの奇襲軍を見回し、ざっとその兵数を計った。


 ――わずか五百人ほどだ。


「狼狽えるな! 奇襲とは言え、所詮士気の下がった少数だ。落ち着いて戦えば逆に包囲殲滅できる! 中軍を左右に展開して両翼包囲せよ!」


 ダルコは迅速に指示を飛ばした。

 その通りに、まだ川を渡っている途中であった後続の中軍約二千五百騎が、水飛沫を上げながら駆け出した。


 だが、その中軍の背後から地響きが鳴り始めたかと思うと、騎兵の一団が暗闇を裂いて現れ、突撃して来た。

 それに気付いたダルコは思わず青くなって叫んだ。


「何故まだ部隊がいる! 脱走したのではなかったのか!」


 そこに現れたのは、ヴァレリーが率いる約八百騎の騎兵隊であった。


 彼らは、北方高原行きを嫌がって昨夜のうちに密かに脱走したと思われていた一団である。しかし、それは偽装で、実際にはリューシスは彼らに策を授けて、一昨日の夜半に密かに本隊から切り離し、大きく迂回させてダルコ軍の背後に回らせていたのであった。


 だが、それを見抜かれぬ為、リューシスはわざと北方高原に行くと宣言し、また野営地のかまども半分に減らし、本当に脱走者が出たと見せかけていたのであった。


 そのいないはずであった騎兵の一団が、一斉に雄叫びを上げながら渡河中のダルコ軍の背後に突撃した。


 騎乗であろうとも、足下を水に取られる渡河中に攻撃を受けるのは圧倒的に不利である。


 そこへ背後からの騎馬突撃である。


 ダルコの精鋭騎馬兵らは次々と水中に倒れ、人馬の狂乱の悲鳴が渦を巻いて夜空に響き渡った。完全に混乱状態に陥った。

 ヴァレリー率いる騎兵らの刀槍の刃が、あちこちで闇に銀光を走らせる度に苦悶の悲鳴が上がり、ダルコ軍の騎兵らの鮮血が水飛沫と共に飛び散る。


「こちらも負けるな! かかれっ、かかれ!」


 正面から奇襲をかけたバーレンとネイマンらも、兵士らを鼓舞しながら自ら先頭に立って豪槍と大刀を揮う。


 この渡河中の奇襲挟撃で、ダルコ軍は少しも持ち堪えることができずに、あっけなく崩壊して潰走した。


「くそっ、何てことだ!」


 ダルコは眦を吊り上げて悔しながらも、これ以上の戦闘続行は無駄と判断し、わずかな伴回りと共に逃走した。

 バーレンとネイマンはそれを追撃しようとしたが、ダルコの乗馬は速いことで有名な名馬であり、とても追いつけず、諦めて引き返した。


「ご苦労さん」


 黒い飛龍フェーロンに乗って上空から戦況を見ていたリューシスが、川辺に降りて来た。


 アーサイ川は、あちこちに夥しい数のダルコ軍の兵士と馬が倒れており、水は彼らの血で真っ赤になり、その流れは歪んでいた。


 その様を見て、リューシスの顔が一瞬暗くなった。

 倒した敵兵らは皆、同じローヤンの国民なのである。


 だが、リューシスはすぐに笑顔を作り、激戦を終えたばかりの兵士らを見回して言った。


「俺達の大勝利だ。全て皆の奮闘によるところ。よくやってくれた!」


 そして、リューシスは皆に勝鬨を挙げさせた。


 ダルコ軍は約九割が死傷したのに対して、リューシス軍の死傷者はわずかに十人程度であった。




 翌日、リューシスらは再びルード・シェン山に戻った。

 昨夜の戦闘の後は、リューシスは本気で北方高原に行ってマンジュ族のところに亡命しようとも考えた。

 だが、一晩あれこれと思案した末、やはり何としてもルード・シェン山を占拠するのが良いと思い直し、戻って来たのであった。


 だが、二つの大きな川に挟まれたルード・シェン山の断崖絶壁は、やはり容易には登れるものではない。

 その翌日、昼食を取った後、川のこちらからルード・シェン山を見上げながら、リューシスらは方策を話し合っていた。


 その時であった。


 ルード・シェン山の北方の空より、一頭の飛龍フェーロンがゆっくりと飛んで来たかと思うと、突如として速度を上げてリューシスらを目掛けて滑空して来た。

 襲われると思い、リューシスらは慌てて四方に散ったが、リューシスは降り立って来たその飛龍フェーロンの姿を見て驚喜の声を上げた。


「バイラン! バイランじゃないか!」


 二本の角と大きな白い身体を持つ飛龍フェーロン、それは、リューシスの少年時代からの相棒にして親友、バイランであった。


以下から、ルード・シェン山とその付近の簡単な地図が見られます。ご参考としてください。

https://twitter.com/Teru35884890/status/1054744763943899136

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