第52話 リューシスの秘策

 その頃、ローヤン帝国の首都アンラードでは――


 城外の東方にある演習場で、ローヤン近衛軍の演習が行われていた。


 指導をするのは七龍将軍チーロンサージュンのビーウェン・ワンと、同じく七龍将軍チーロンサージュンの一人であるルスラン・ナビウリンである。ルスランは現在四十七歳。戦歴豊富で智勇に長けたベテランの武将である。


 その二人が近衛軍兵士らの演習指導をする様を、宰相マクシムが、一段高く設けた閲覧席から厳しい目で見つめていた。

 だが、その顔には、少々不機嫌そうな色があった。


 つい昨日、ランファンでのリューシス捕縛が失敗したとの報告を受けたからである。

 報告を聞き終えた後のマクシムは、まず驚いた。


「何、ランファン城を焼いただと? 自分の封土の城だぞ? 何と恐ろしいことをする方だ」


 マクシムは絶句したが、やがて次に別の感情が沸いて来た。


「しかしジョサンめ。詰めが甘いわ。やはり田舎武将では駄目か」


 マクシムは舌打ちした。


「で、それからリューシス殿下はどこへ向かったのだ?」

「東方へ向かったようではありますが、目的地はまだわかりませぬ」

「密偵を増やせ。わかり次第すぐに知らせろ」

「はっ」


 ――やはり武力で行くしかないか。まだ少人数で国内にいるうちに。


 マクシムは、部下が差し出した緑茶を飲みながら思案し始めた。


 その時であった。


 北方の彼方より、飛龍フェーロンが全速力で飛んで来るのが見えた。


 飛龍フェーロンは、瞬く間にマクシムのいる閲覧席より十メイリほど離れたところに降り立った。

 すぐに護衛兵数人が駆け寄って槍の穂先を向ける。

 龍上の龍士ロンドは飛び降りると、息せき切って大声で言った。


「ダルコ・カザンキナ将軍より急ぎの報告でございます」


 マクシムの眉がぴくりと動いた。


「申せ」


 龍士ロンドは閲覧席に駆け寄って、再び跪いて内容を報告した。


 ダルコは、昼夜を徹してランファンに急行したが、到着した時、すでにリューシスがランファンから去っていたことを知り、歯噛みをして悔しがった。

 だが、東方へ向かったと言うことを知り、東方への道を急ぎながら、密偵、斥候を増やしてその行く先を探った。


「その結果、リューシス殿下はルード・シェン山に向かっていることがわかりました」


 龍士ロンドが言うと、


「何だと!」


 驚きのあまり、マクシムは茶碗を手から落とした。

 こぼれた緑茶が、閲覧席の木板の上にしみを広げて行った。


「ルード・シェン山だと? 本当か?」


 マクシムは思わず立ち上がっていた。


「はっ。殿下らは、ルード・シェン山を占拠し、そこに籠るつもりでいるようです」

「しまった、ルード・シェン山か……。あんなところに籠られたら、たまったものではないわ」


 マクシムは真っ青な顔になり、呻いた。

 続けて、マクシムは訊いた。


「で、ダルコはどうした」

「そのまま三千騎の騎兵を率い、急ぎ殿下を追っております。殿下らにルード・シェン山を占拠される前に捕らえるつもりだ、とのことです」

「三千騎か。リューシス殿下の今の兵力は?」

「およそ一千五百と見られます」

「三千対一千五百か……」


 マクシムは眉根を寄せ、険しい顔で考え込んだ。

 ダルコの武勇、戦場での能力は信頼している。それでいて二倍の兵力である。だが、マクシムの顔から険しい色は消えなかった。


 マクシムは演習の光景を睨み回すと、ビーウェンとルスランの二人の七龍将チーロンジャンを呼び寄せて訊いた。


「近衛軍全軍を出陣させるのに、最短でどれぐらいの日数がかかる?」


 マクシムのその問いは、七龍将の二人を驚かせた。



 リューシスがルード・シェン山に辿り着いた翌日。

 夕刻になっても、まだ崖を登りきることには成功していなかった。


 西方の空を、落ちかかる夕陽が赤く焼いていた。

 リューシスはその様を眺めた後、川向こうのルード・シェン山の上を見上げた。


「何かしら、上手い方法を考えねばなりませんな」


 傍らのイェダーが溜息をついて言った。


「そうだな……うん?」


 リューシスは目を細めた。

 ルード・シェン山の上から、二頭の飛龍フェーロンが飛び立って行くのが見えた。


「あれですね、山にいると言う野生の龍と言うのは」


 イェダーが何気ない調子で言ったが、リューシスは驚いて口を開けていた。


「信じられない。あれは白龍だ。バイランと同じ、ほとんどいない希少種の白龍だ。しかも二頭もだ」


 更にリューシスは別のことに気付いて唖然とした。


「それだけじゃない。何であの高さを飛べるんだ?」


 通常、飛龍フェーロンの飛空高度は地上から30~40メイリ(メートル)が限界である。ずば抜けて驚異的な能力を持っているリューシスの愛龍、バイランでも、50メイリが限界だ。


 ところが、今上空を飛んで行った白龍は、推定80メイリの高さはあるであろう山の上から、高度を保ったまま飛んで行った。飛龍フェーロンの常識を遥かに超える、80メイリの高さを飛んでいることになる。


「これは何としてもあの山に登らないとな」


 この日、ずっと難しい顔でいたリューシスが、初めて楽しそうに笑った。


 だが、ふとバイランのことが思い出され、胸がしめつけられた。


 バイランは、リューシスが十代前半の時、地方に出かけた遠征軍が、遠征先で偶然見つけ、白い龍は珍しいとのことで、捕獲してアンラードに連れて来られた。


 当時は、バイランもまだ子龍だったようで、身体も小さかった。だが、遠征軍が捕獲に苦労したと言うように、気性が荒い上にその力は通常の飛龍よりも図抜けており、誰も乗りこなすことができなかった。


 だが、当時まだ少年だったリューシスが興味本位に挑戦してみたところ、たった一度目の挑戦で見事に乗りこなすことができ、しかも不思議とバイランもリューシスには懐いた。

 それ以後、バイランはリューシスの愛龍となり、一日たりとも離れたことのない相棒ともなった。


 ――あいつ、アンラードの龍場でおとなしくやっているだろうか? それとも俺がいなくて寂しがっているだろうか。


 リューシスは、アンラードの方角の空を見た。その目が、わずかに潤んで光った。


 その時であった。


 早馬が駆けつけて来て、一人の兵士がリューシスの前に飛んで来て跪いた。


「申し上げます。ダルコ・カザンキナ将軍率いる軍団が、我々を討たんと物凄い速度でこちらに向かって来ているようです。その数およそ三千人」


 

 西の空が赤焼けから薄闇に変わって行く頃、リューシスは全員に早目の夕食を取らせた。

 丘陵の野営地の各所から、白い炊煙が薄黒い空に上って行った。


 リューシスは、幕舎の中ではなく、"わざと"一般兵士らと同じように外で夕食を取った。

 兵士らの中に混じって、適当な場所に絨毯を敷き、そこにバーレンやネイマンらと共に車座に座った。


 絨毯の中央に、干し肉、チーズ、肉まんじゅう、雑炊、麺包などの戦陣食が並べられた。


 リューシスは、ここで皆と共に夕食を取りながら、急行して来ているダルコの軍への対処を皆と共に話し合った。


「ダルコの軍は、騎兵約三千人。現在、リーアン県を行軍しているらしい。まず、皆の意見を聞いてみたい」


 リューシスが、薄闇の中で皆を見回して言った。


「リーアン県か。あと三日もすればこっちに着くな」


 まずイェダーが言った。だが、リューシスは軽く首を横に振った。


「いや、甘い。ダルコの行軍は速い。しかも全て騎兵だ。二日と見るべきだろう。恐らく、明後日の昼頃にはもうこの辺りに着くはずだ」

「では、とりあえずルード・シェン山のことは中断し、兵士らを休ませて戦に備えるべきであるかと存じます」


 バーレンがリューシスを見て言った。


「俺もそう考えている。問題は、どう戦うかだ。向うは騎兵三千、こっちは騎兵八百、歩兵七百だ」


 リューシスが言うと、ネイマンは饅頭を頬張りながら気楽な調子で言った。


「なあに。俺達がいる。そしておめえが作戦を考えれば、二倍の相手だろうが敵じゃねえだろ。この前もそうだった」


 すると、リューシスは鋭い目つきでネイマンを見て、たしなめるように言った。


「ネイマン、戦争をそう簡単に考えるな。確かに俺達はこれまで寡兵で多数の敵を相手に勝って来た。だが、それは皆の奮闘によるところも大きいが、天運が味方したのもある。古代の軍学者ウーズン・スン曰く、”敵より兵数が少ない場合は戦いを避けなければならない” これが基本中の基本なんだ」

「でも、この前は急編成の反乱軍で三倍のシーザー・ラヴァンに勝ったんだぜ。もう少し自信を持ってもいいんじゃねえか?」


 ネイマンが尚も言うと、


「ダルコはシーザーよりも武勇に長けている分、厄介なところがある。それだけじゃなく、ダルコは行軍の速さにも見られるように、急襲、速攻が得意だ。急襲され、前線でダルコの武勇を揮われるとたちまち劣勢になるだろう」

「ならば、逆にこちらから出向いて急襲してみては如何でしょうか? カザンキナ将軍はこちらから襲って来るとは予想していないはずです」


 ヴァレリーが言うと、


「あるいは、奴らは強行軍です。きっと夜などは疲れて眠り込んでいるだろうから、夜襲を仕掛けてみては如何でしょうか?」


 イェダーも進言した。


「なるほどな」


 リューシスは頷いたが、しばらく考えた後、言った。


「だが……ダルコは用兵術にも通じている。夜襲が効くとは思えない。むしろ、夜襲を想定し、逆にそれを利用して罠をしかけて来ることもありうる」


 その後、皆で色々と意見を出し合い、話し合いが続いたが、最後にリューシスが黙考した後に、こう言った。


「残念だが、ここはルード・シェン山は諦め、北へ向かおう。すぐ北にはハルバン回廊がある。そこを抜けて北方高原へ行き、マンジュ族のところに亡命してみよう」


 この地はハルバン州と言う州の中にあり、ここから北へ四十コーリーほども行くと、ハルバン回廊と言う道がある。


 この大陸と北方高原の間には険しい山岳地帯があり、それが北方高原とこの大陸との往来を難しくしているのだが、そのハルバン回廊は、山道であるものの、幅広でなだらかであり、北方高原へ行くのに最も容易なルートであった。


 だが、リューシスのその言葉を聞いて、皆の顔が曇ったのは言うまでもない。


「結局北方高原かよ」


 ネイマンなどははっきりと嫌そうに言った。



 それから三時間ほどの後、すでに深夜に近いが、ダルコの軍はまだ行軍していた。

 その先頭を行くダルコのところに、斥候に出ていた兵士が馬を飛ばして駆けて来て、報告した。


「ほう、俺との戦は避け、ルード・シェン山をも諦めると……」

「はっ。別の方へ逃げるようですが、北方高原に向うらしいとの話もあるようです」

「北方高原だと?」


 ダルコは眉根を寄せた。


「あんなところへ行かれるのも少々厄介だな。その前に何としても捕らえねば」

「はい」

「それにしても、強行軍の俺達に夜襲を仕掛けないと言うのは流石だ。俺は殿下らが夜襲をかけて来ることを想定して、逆にそれを利用する策を考えていたのだ」


 リューシスを嫌っているダルコであったが、その点は素直に感嘆した。


「よし。引き続き、殿下らの動きを探れ。慎重にな」



 翌日、リューシスらはユエン河とウールン河を渡り、二十コーリーほど行軍したところで、まだ明るいうちにそこに野営地を張った。


 兵士らが設営をするのを見回って歩くリューシスのところに、イェダーとエレーナがやってきた。


「殿下、今日は少し行軍速度が遅いのではありませんか? もう少し急いだ方が良いと思うのですが」


 イェダーが言うと、


「いいんだよ、これで」


 と、リューシスは笑って答えた。


「しかし、北方高原に行くと決めたことで、兵士らの間に動揺が広がっております。流石に脱走する者が出るかも知れません」


 イェダーが憂いの顔で言うと、


「一つの戦を避ける為だけに本当に北方高原まで行くの?」


 と、エレーナも不安そうに言った。


 すると、リューシスは二人を見てにやりと笑った。


「さて、どうかな」

「え?」

「イェダー、今日の炊事に使うかまどの数はいつもの半分だけにしろ。少し不便だが、それで全員分の食を作れ」


 リューシスは笑ったままそう命じると、


「明日の朝、日が昇る前に全軍で出発する。兵士らには早めに休ませろ。ああ、それとヴァレリーはどこに行った? 話があるんだ」


 と言って、リューシスはヴァレリーを探しに歩いて行った。

 戦袍の裾が翻るその後ろ姿を見て、「やはり策があったか……」と、イェダーの顔に徐々に笑みが戻って行った。

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