第56話 フェイリン総攻撃の真実

「マクシムの野郎にやられるのは我慢ならないが、君に殺されるなら文句はない」

「…………」

「俺は、君の国を二度も潰し、挙句に生き残った仲間たちも皆死なせた」


 一度目は、フェイリン王国の滅亡、二度目はホウロー山陥落のことだ。


「それは、戦争で互いに殺し合い、領土を奪い合うこの乱世では何もおかしいことじゃない。だけど……これは俺の感覚がどこかおかしいんだろうな。俺は何故か、フェイリン滅亡にずっと罪悪感を感じている」


 リューシスは言うと、一呼吸置いてから、


「フェイリン滅亡は全て俺のせいだ。ローヤンによるフェイリン総攻撃の"きっかけ"から滅亡まで、そして君の今の境遇も、全て俺のせいだ」


 そこで、エレーナは怪訝そうな顔になった。


「え? きっかけ?」

「ああ」

「どういうこと? ローヤンがフェイリンに攻め込んだのは、私の父が、フェイリンがローヤンの傘下から離れて、南のザンドゥーアや北方高原のマンジュ族と手を組もうとしたからでしょう?」


 すると、リューシスは、はっとしてエレーナを見た。


「あ、そうか……水面下で進んでいたことだったから、君には知らされていなかったのか」

「何が?」

「四年、いや、もう五年前になるか」


 リューシスは語った。


 当時、ローヤン帝国とその従属国フェイリン王国は、上納物品や領土の問題などで度々意見が衝突し、関係がこじれにこじれ、冷え込んで来ていた。

 だが、周囲に外敵を抱える両国にとって、関係断絶は望ましいことではない。そこで、様々な諸問題はまず置いておいて、とりあえず関係改善策の一つとして、フェイリン王から、水面下で一つの提案が出された。


「それが、俺と君の結婚だ」

「え?」


 エレーナは驚いて目を開いた。


「やっぱり知らなかったか」


 歳も同じであるし、すでに皇太子ではないとは言え、リューシスは第一皇子。そのリューシスとエレーナを結婚させ、両国の関係修復のきっかけにしたいと言う目的でのフェイリン王の提案であった。


 だが、当時のリューシスはそれを頑なに断った。

 皇帝イジャスラフは懸命に説得したが、リューシスは結婚にはまだ早いと言って了承せず、無理矢理そんな結婚をさせるなら国を出て行く、とまで言い、実際にアンラードから出奔してしまった。


 これには成す術もなくなった皇帝イジャスラフは、その縁談を断ることをフェイリン王に伝えたが、フェイリン王はこれで我慢の限界に達してしまった。

 フェイリン王は、ローヤンの傘下から離れ、南方のザンドゥーアや北方高原のマンジュと同盟することを密かに画策したのである。

 ところが、これを間者から知ったローヤンの皇帝イジャスラフは激怒し、フェイリン総攻撃を決めた。


「あの時、俺が君との結婚を承諾していたら……きっとフェイリンは滅亡することはなかった。国王も、君の兄弟たちも皆生きていたし、君も俺と一緒にアンラードで結婚生活を送っていただろう」


 リューシスのこの言葉は極論のようなものである。

 元々、当時のローヤンとフェイリンの関係は最悪の状態にあった。両国はいつ手切れになり、戦争になってもおかしくなかったのである。リューシスの結婚拒否はきっかけの一つに過ぎない。


 しかし、リューシスはずっと、フェイリン総攻撃の原因は自分だと思っていた。そして、何故かそのことに罪悪感を感じていた。


「だから……あの大広間で初めて君を見た時、勝手な話だけど……せめて君の命だけは救いたいと思ったんだ」


 リューシスは目を伏せながら言った。

 エレーナは、放心したような、呆然としたような顔でリューシスの横顔を見ていた。


「でも、ああして結局一時的に結婚するんなら、最初から縁談を承諾しておけば良かったよな」


 リューシスは皮肉そうに笑ったが、またすぐに真面目な顔となって、彼方の赤い西空を遠い目で見つめた。


「俺は、マクシムの野郎にやられるのはしゃくだからここまで生きて来たが、実は自分の命なんてなくてもいいと思っている。俺なんかはこの世に生まれて来ない方が良かった……そう思って今まで生きて来た」


 リューシスは、寂しそうな表情で呟くように言った。


「だから、いいぞ。今ここで俺を殺しても。それで君の復讐が遂げられ、満足するのなら。そうだな……その後は君がここの首領となり、バーレンやネイマンら、ついて来た兵士らを使ってフェイリン復興を目指せばいい。おお、そうだ。それでちょうどいいじゃないか。あいつらには、この先エレーナを首領と仰いでその指示に従え、と一筆書いておこう」


 リューシスはエレーナを見て、微笑んだ。

 その表情には、晴れやかななものがあり、一切の暗さも迷いも、躊躇いも見えなかった。自分を殺していいと言うその言葉は本物であった。


 エレーナは、何も答えず、呆然とした表情のまま、そんなリューシスの褐色の瞳を見つめていた。

 唇を震わせ、手の指も震えていた。

 やがて、右手を懐の懐剣に伸ばそうとした。

 だが、その手は一瞬止まった後、ゆっくりと下りた。


 リューシスは、その様を見た後、再び彼方の山を見つめた。真っ赤な夕陽は、まだ名残惜しいかのように山と山の間に残って空を赤く染めていた。

 リューシスは、一つ吐息をついてから言った。


「今はできなくても、やりたくなったらいつでも来ていいぞ。だけどな……俺を殺さないなら……」


 リューシスはエレーナに向き直り、その青い瞳をまっすぐに見つめて言った。


「俺が生きている限り、俺は生涯をかけてエレーナを守り続けるからな」


 リューシスの顔の半面を金色の残照が照らし、褐色の瞳が強く光った。

 エレーナは、まだ呆然としたままリューシスの顔を見つめていたが、やがて、悲しそうな表情となり、ぽつりと言った。


「どうして……どうしてそんなこと言うのよ……」


 そして、彼女の目尻から涙が一筋、光りながら落ちた。


「えっ?」


 その言葉と涙の意味がよくわからず、リューシスは目を瞠った。


 だがその時であった。


「リューシス殿下!」


 その切迫した声に、リューシスはすぐに振り返った。

 イェダーがこちらに走って来た。


「ここにいましたか。探しましたぞ」

「どうした?」

「アンラードから、丞相自ら率いる大軍が我々を討伐せんと向かって来ているとのことです!」

「何?」


 リューシスの眉が動いた。

 そこで、エレーナもイェダーの方を見た。


「ついに近衛軍を動かしやがったか。で、数はわかるか?」

「およそ二万人。しかし、途中の県城からも兵を集めつつこちらに向かっているようなので、最終的にはその数はもっと増えると思われます」

「そうか……」


 リューシスは鋭い目つきになり、腕を組んだ。


「大軍です。如何いたしましょうか?」


 イェダーは青い顔で訊いたが、


「どうするって、戦うしかないだろう」


 リューシスは答えた後に、にやりと余裕の笑顔を見せた。


「ちょうどいい機会だ。見せてもらおうじゃないか。このルード・シェン山の防衛力をよ」




 ローヤン領内のほぼ中央に位置するアンラードから、領内の北東部に位置するルード・シェン山までは、約150コーリー(km)と言われている。


 この時代、一万人を超える大軍の行軍距離は、通常は一日15コーリー程度である。

 しかし、マクシム自ら率いる約二万人のリューシス討伐軍は、途中の県城から兵を合流させながらも、一日に約20コーリーを進み、アンラードから出陣して八日目にはルード・シェン山付近に到着した。


 だが、ルード・シェン山を拠点化して間もないリューシスらであるが、その八日間で十分に防衛対策は整えられた。


 その日、マクシムらの大軍は、ルード・シェン山の南西側、ユエン河の川岸から少し南の丘陵地帯に陣を張った。

 途中の県城から兵を合流させながら来たマクシム軍は、総勢二万五千人となっていた。

 それだけの大軍が、ローヤン双龍紋を金糸で刺繍した赤い旌旗を各所ではためかせ、槍の穂先を陽光に煌めかせながらひしめき合っている光景は、圧倒的に壮観であった。


 それを、ルード・シェン山の南西部の崖上から眺めるリューシス、バーレン、イェダーの三人。


「流石に二万五千人ともなると物凄い数ですな。私はこれほどの大軍を見た事はありません」


 イェダーは深刻そうな顔で、ユエン河の向こう側を埋め尽くす軍勢を見回した。


「しかも主力はアンラードの近衛軍だ。普通の二万五千人とは違う」


 常にクールなバーレンも、涼やかな目元を険しくしていた。

 だがリューシスは、薄笑いで彼方の大軍を眺め回していた。


「近衛軍の精鋭と言っても、半数は常にアンラードにいる奴らだ。実戦経験が少ない連中が多い上に、恐らく彼我かれわれの数をたのんでこちらを舐めている者らも多いだろう。そしてこのルード・シェン山がある。恐れることはない」


 リューシスには、少しの動揺も無かった。


 不思議な男である。


 リューシスは、つい先日、アーサイ川での二倍の数のダルコとの一戦の前には、古代の軍学者ウーズン・スンの言葉「敵より兵数が少ない場合には戦いを避けなければならない」を引用し、ネイマンの楽観的な態度を厳しく戒め、その前のクージン城外の戦いでも三倍の数のガルシャワ軍を打ち破る為に必死の形相で作戦を絞り出した。

 それだけではなく、敵軍が自軍よりも少ない場合などは、却って慎重になって情報収集をし、あれこれと作戦を練ることも常である。


 ところが、今、ルード・シェン山と言う地の利があるとは言え、約十五倍以上の大軍を目の前にしても、リューシスは一片の不安もない余裕の表情をしていた。

 それは芝居や演技でもなければ、策でもない。本心からの態度であった。


 このような行動や態度は、今後のリューシスにも度々見られる。

 敵軍が自軍より少ない、あるいは二倍、三倍の数であると、深刻な顔で作戦を練り、必死に戦ってそれを撃破するのであるが、十倍を超える程の大軍を相手にすると、逆に何故か余裕の態度になるのである。


 後に、リューシスの側近が彼を評した言葉に、「リューシスパールは生涯を通して様々な矛盾と葛藤に悩まされたが、そもそも自分自身が矛盾に満ちた不可思議な男であった」と言うのがある。

 まさにその通りであった。


 今日のリューシスは、以前のように、白銀色の甲冑と紅い戦袍を着用している。

 近隣で有名な鍛冶職人を探し、急造させたのである。

 

「そうだな……今回の戦は十日で終わるだろう」


 リューシスは、まるで未来が見えているかのように笑い声を響かせながら言うと、紅い戦袍マントを翻して颯爽と歩いて行った。

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