第50話 神の山、ルード・シェン山

 そこへ、イェダーが駆け寄って来た。


「全て討ち尽くしました」

「よくやってくれた。ご苦労。侍女や使用人、住民らに被害はなかったろうな?」


 リューシスは、その点を強調して訊いた。


「一人残らず城から出させてあります。問題ございません」


 リューシスは無言で頷いた。その横顔を、ランファン城を燃え上がらす炎が照らした。褐色の瞳に、またも彼が時折見せる虚無的な色が浮いていた。


 バーレンが曇った顔で歩いて来た。


「しかし、これで良かったのですか? ここは殿下の土地であり、城であります」

「構わない。このような城では、マクシムらが大軍で攻め寄せて来たらとても持たない」

「では、これを機に城を建て直すつもりですか?」

「いや、このままだ」


 リューシスはゆっくりと首を横に振った。


「しかし、城が無ければ防衛どころか政務などもできませんぞ」


 イェダーが言うと、リューシスが皆を見回して言った。


「このランファンは貧しい土地だ。人口も少ない。軍需物資もまともに揃えられないし、兵士も集められない。ここではマクシムらが大軍を寄越して来たら、最初の一戦や二戦は何とか勝つことができても、補給が続かずすぐに力尽きて負けてしまうだろう」

「なるほど」


 皆、それには納得して、頷いた。


「それ故、折角戻って来た自分の国だが、ここを離れる」

「離れる……じゃあこれからどこへ行くの?」


 エレーナが不安げに訊くと、


「そうだなあ……ガルシャワにでも亡命してみるか?」


 と、リューシスは笑いながら言った。

 イェダーが呆れ顔となる。


「ご冗談を。何度もガルシャワ軍を討ち破った殿下を受け入れるはずがございますまい」

「冗談だよ、冗談……そうだなあ。こうなるともう行くところは、どうにか迂回して南方のザンドゥーアか、それとも北方高原か……」


 リューシスは真面目な顔で言うと、ネイマンが声を上げた。


「北方高原? 冗談じゃねえぜ」


 北方高原とは、ローヤンやガルシャワなどがいるこの大陸の北にある高原地帯のことを言う。


 この大陸は、元々古来よりハンウェイ人たちが居住し、統一国家を築いて繁栄して来たが、その北にある北方高原は、ハンウェイ人はほとんど住んでおらず、ハンウェイ人勢力が進出することも無かった。


 何故なら、北方高原は一面の大草原で、まばらに森林があるだけで他には何も無い辺境中の辺境であり、また非常に寒冷な上に農耕に適さない土地である為、農耕民族であるハンウェイ人には暮らしにくいからである。


 だからと言って、全く人が住んでいないわけではない。一面の大草原であるが故に、逆に当然のように幾つかの遊牧民族が生活している。

 ローヤン人やガルシャワ人なども、割拠していた地域は違うが、元々はこの北方高原で遊牧生活をしていた民族である。


 現在でも、北方高原の北東部にはマンジュ族と言う遊牧騎馬民族がおり、近年、急速に勢力を拡大していた。


 だからと言って、簡単に北方高原に行こう、とも言えない。


 北方高原は、先程も触れたように、本当に大草原以外には何もなく、しかも非常に寒冷である。生活環境は厳しい。

 問題はそれだけではない。ここから北方高原に行くには、険しい山脈地帯を越えて行かねばならない。それは、並大抵の行軍ではない。実に厳しい道程なのである。


「ここまでついて来た兵士らがどうするかな。親衛隊の者らも流石に難色を示すだろうしな」


 イェダーが腕を組んで難しい顔となった。


「だけど、こうなるともう、本当に北方高原しかないかも知れない」


 バーレンも涼やかな目元を険しくした。


 すると、ヴァレリーが「殿下」、と進み出た。


「仮に北方高原に行こうとも、丞相チェンシャンは必ず殿下の命を狙って何度も軍を差し向けて来るでしょう。いずれにせよ、必ず一度は戦うことにはなるでしょう。ならば、ほぼ草原だけで何も無く、より補給の続かぬ北方高原に行くのもまた、無駄なことかと想います。」

「だよな。わかってるよ」


 リューシスは嘆息して頭を掻いた。

 ヴァレリーは続けて言った。


「そこで進言いたします。ここは、ルード・シェン山に行ってみては如何でしょう」

「ルード…シェン?」


 一同は首を傾げた。

 だが、リューシスだけは眉をぴくりと動かした。エレーナも、はっとした表情になった。


「ルード・シェン山って、去年調査団が向かったと言うあそこか?」

「ええ」


 ルード・シェン山は、ここランファンから真っ直ぐ東、ローヤン領内の北東部にある。


 その山は、実に不思議な山であった。

 周囲を二つの幅広の川に挟まれている、島の山だ。

 だが、それは高く険しい岩山であった。とても人が簡単に登れるような山ではなかった。飛龍フェーロンも飛空高度に限界(およそ30~40メイリ)がある為、空からも入るのが難しい。

 それ故、古来より人が踏み入ったことはほとんどなく、未踏未開の地であった。


 だが、昔から、その周辺の村落では、そのルード・シェン山には神龍の子らが住んでいると言う伝説があり、神龍が住む聖なる山として周囲の信仰の対象ともなっている山でもあった。

 

 しかし、昨年、ローヤン朝廷は鍛え抜いた決死の調査団を編成し、ルード・シェン山に向かわせた。その結果――

 

「ルード・シェン山は、周囲を川に囲まれた上に険しい岩山です。しかし、その峻嶮を越えて行くと、そこには広大な台地が広がっていることがわかったそうです。そして、またそこは水も沸いている上に緑に溢れ、天然の作物も実っている肥沃な土地だとか」


 ヴァレリーは、更に一歩進み出て言った。


「いずれ丞相らと戦わなければならないのであれば、そこを拠点とするのは如何でしょうか? 攻めるのは難しく、守るのはやすい。その上、中には農耕もできる肥沃な土地があります。周囲には集落も多く、兵を集めることも可能でしょう。言ってみれば、天然の巨城であり、大要塞であります。そんなルード・シェン山を拠点とすれば、丞相らが何度大軍を向けて来ても防げましょうし、籠って力を蓄えれば、逆にアンラードに攻め寄せて丞相らを討つことも不可能ではないと思います」


 ヴァレリーの言葉は、ランファン城を焦がす炎が乗り移ったかのような熱情を帯びていた。


「なるほどな……」


 リューシスは頷いた。


「それはいいじゃねえか!」「そこに籠れば何年でも戦えそうだな」


 他の者らも、顔を明るくして頷いた。


「ルード・シェン山か……北方高原に行くよりはいいかもな。よし、行ってみるか」


 リューシスはすぐに決断した。


 こうして、皆に睡眠と休息を取らせた後、リューシスらは早くもルード・シェン山を目指して、ランファンから東方へと向かった。

 ランファン滞在は、わずか三日間であった。



 一方その頃、クージン城では――


 ダルコ・カザンキナと、メイロン城から援軍に来たキラ・フォメンコが、合計約二万人の軍勢でクージン城に猛攻を仕掛けていた。

 リューシスらの勝利で城内のガルシャワ軍の兵力は大幅に減ったとは言え、ガルシャワ本国から援軍が来ることは十分に考えられる。その前に、クージン城を陥落させたかった。


 ダルコ、キラたちは速攻に次ぐ速攻を繰り出した。

 ローヤン軍兵士らは、城壁上からガルシャワ兵らが放つ矢と石の雨を必死に掻い潜って走り、投石器や破城ついなどで城壁、城門に何度も攻撃をかけ、飛龍部隊に空から援護射撃をさせる。


 その結果、ついに城壁の一角が崩れ、城門の一つも破ることに成功した。

 ローヤン軍兵士らが、そこから一斉に城内に突入し、やがてクージン城は陥落した。


 実は、ダルコらが予想した通り、シーザーはガルシャワ本国に援軍を要請していた。

 しかし、援軍進発の知らせはすぐに来たものの、その数は六千人ほどと少なく、しかもこちらに到着するまでにはまだあと一日はかかる計算であった。

 とても間に合わないと判断したシーザーは、城門を破られる直前、兵力を少しでも維持する為に、クージン城放棄を決断した。

 できる限りの兵士らをまとめて騎馬や飛龍で城から脱出、援軍がやって来る方角へ向かって疾走した。




 奪還に成功したクージン城内――


 ダルコは、まだ騒然と混乱している街中を一通り見回した後、部下に言った。


「やはりガルシャワから援軍が来ているようだが、その数は少ない様子。ここはキラに任せれば大丈夫だろう。俺はこれから三千人の騎兵を連れてリューシス殿下を追う。キラにそう伝えて来てくれ」


 そしてダルコは、半日ほどの休息を取った後、三千人の騎兵を率いて、リューシスを追うべくランファンへと急行したのであった。

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