第49話 自分の城を焼く

 ファーラオ豊饒祭の三日目。

 最終日の夜と言うことで、舞と音曲は一層華やかになり、人々の宴は最高潮に盛り上がっていた。


「さあ、殿下。ファーラオの祭も最後の夜。もっとお飲みになってくだされ」


 ジョサンが、リューシスの好きな麦酒ピージュをリューシスに勧める。


麦酒ピージュは悪酔いするから最近控えてるんだよ」


 リューシスは顔を赤らめながらも、


「まあまあ、"最後"だからいいではないですか」


 と、ジョサンの勧めるままに麦酒ピージュの杯を重ねて行く。


 どんどん酔いが回って行く顔になるリューシスを、エレーナやバーレンらは苦笑しながら見つめる。




 そして、三日三晩に渡った熱狂の祭と宴は、住民らに惜しまれながらも、夜22時頃に終了となった。


 すっかり酔いが回った様子のリューシスは、エレーナとイェダーに付き添われながら居館の自室へと戻るや、すぐにベッドの上に寝転がって気持ちよさげに鼾をかき始めた。


 だが、イェダーはそのリューシスの身体を一旦起こし、無理矢理口を開けさせると、エレーナが三錠の解酒薬ジエジューヤオを水と共に流し込んだ。

 この解酒薬ジエジューヤオは、クージンにいた時、チャオリーが今後のリューシスらの為にと、色々とくれた薬の中の一つで、体内の酒精アルコールを分解して酔いを早く覚めさせてしまうと言う秘薬中の秘薬であった。


 その解酒薬ジエジューヤオをリューシスが飲み込んだのを確認すると、イェダーとエレーナはリューシスの寝室を出て行った。


 そして夜中の2時を過ぎた頃だった。

 エレーナがリューシスの寝室に入り、ベッドの上のリューシスを揺さぶった。


「何だよ、うるさいな」


 リューシスは文句を言いながら寝返りを打ったが、


「何言っているのよ。もう手筈は整っているのよ。起きて」


 とのエレーナの言葉に、はっとして目を開け、身体を起こした。


「そうだった、危ねえ。うっ、痛っ……」


 リューシスは頭を抑えた。


解酒薬ジエジューヤオがあるからって、大事な作戦の前なのにちょっと飲み過ぎよ。演技程度じゃなかったの?」


 エレーナは呆れたように言った。

 リューシスは頭を軽く振って苦笑した。


麦酒ピージュだったからな……まあ、でも酔いはほぼ覚めてる。流石は飲んだくれ医者の作った薬だ。よし、行くぞ」


 リューシスは立ち上がると、部屋の隅に積んでいた枯草や藁を布団の中に入れ、エレーナが更に革袋から火薬を取り出してその中に入れた。


 そして、二人は窓辺に行き、下を覗いた。下の芝生の上には、小さな松明を持っているイェダーが待っていた。その側には、一頭の黒い飛龍[フェーロンもいた。

 リューシスは縄梯子を持って来て窓の縁にしっかりと固定すると、エレーナと二人で慎重に縄梯子を伝って下まで降りた。


「もう手筈は全て整っております」


 イェダーが近づいて来て静かに言った。


「ご苦労。よくやってくれた」

「龍はこれに。龍場ロンチャンから、よく訓練されていて、静かなのを選んで来ました」


 自らも龍士ロンドであるリューシスの封土である。繁殖や維持に莫大な手間と金がかかる貴重種の飛龍フェーロンであるが、リューシスはギリギリの財政から何とか費用を捻出して、ランファンにも十頭ほどの飛龍を育てていた。


「奴らも、そろそろ準備が整うようです。急ぎましょう」


 イェダーが、飛龍フェーロンの手綱と二人分の固定ベルトをリューシスに手渡した。


 そしてイェダーは、松明の火を吹き消し、小走りで夜闇の中へ駆けて行った。

 リューシスは、エレーナを前にして、二人で飛龍フェーロンの背に乗り、夜空へ舞い上がった。

 今日の夜空には、真っ白な満月が大きく輝いていた。




 その頃、街中がすっかり寝静まった夜闇の中、約三百人の兵士らが、城の前の広場に一切の物音を立てずに静かに整列していた。

 その兵士らの前に立つのは、甲冑姿のジョサン・ウェン。

 ジョサンは、兵士らに静かに語りかけた。


「今頃、リューシス殿下はすっかり安心し、眠りこけているであろう。沢山飲ませておいたしな。だが、悟られぬように、できるだけ静かにな。アンラードのワルーエフ丞相は、見事リューシス殿下を捕らえたら、褒美は望むがままと言われている。皆、励めよ」


 そう言うと、自ら長剣ロンカーザを抜き、


「では、突入する!」


 と、ジョサンは自ら先頭に立ち、開け放たれている城門に走った。

 その後を、三百人の兵士らが続いて駆けて行く。


 ジョサンらの一団は、一気に城内に雪崩れ込み、リューシスの居館に突入した。

 ジョサンは、邪魔する護衛の兵士らや、侍女や使用人は全て斬れと命じてあった。

 だが、駆け抜けて行く一階には、一人の姿も見えない。


「うん? 誰もいないぞ」


 ジョサンは訝しみながらも、階段を駆け上がって三階まで行った。

 そのまま、リューシスの寝室の前まで走る。だが、その寝室の扉の前にも、通常であればいるであろう、護衛の人間がいない。


「まあ、いい。一気に蹴破るぞ」


 ジョサンは、数人の兵士らに扉を蹴破らせ、中に駆け込んだ。


「リューシス殿下。丞相からの命令により捕縛する。神妙にしていただきたい」


 ジョサンは大声で言い、兵士らに槍を構えさせながら、長剣ロンカーザを握ったままベッドに近付いた。だが、


「うん? いないぞ」


 リューシスの姿がそこに無いことに気付いて驚いた。


麦酒ピージュの飲み過ぎでトイレか? それとも別のところにいるのか? 皆、殿下を探しに行け、急げ!」


 ジョサンは命令し、兵士らを各所に走らせた。

 そして自身は、壁面の灯火に火をつけ、リューシスの寝室を見回した。その時だった。


「ジョサン、俺ならここだ!」


 突然、リューシスの声が聞こえた。

 ジョサンは驚き、長剣ロンカーザを構えて周囲を見回したが、リューシスの姿は見えない。


「外だよ」


 再び、リューシスの嘲笑うような声が聞こえた。窓の外からだった。

 ジョサンは窓辺に走って外を見ると、「あっ」と声を上げた。


 そこに、エレーナと二人で飛龍フェーロンに乗り、白い満月を背にして夜闇の中に浮いているリューシスがいた。


「マクシムの奴、お前に手を回してとはな」


 リューシスは不敵な笑みを浮かべた。


「まさか、この作戦が見破られていたのか……」


 ジョサンは、愕然として呟いた。


「そう言えばお前は知らなかったよな。俺の連れているあの変なマーオン神猫シンマーオンなんだよ」


 リューシスは笑いながら言った。

 リューシスは、エレーナからジョサンの密談の事を聞いた後、すぐにシャオミンに普通の猫に変装させてジョサンの周辺を探らせ、その作戦の全容を掴んでいた。


「わざわざ駐屯兵まで入れ替えやがって」


 リューシスの顔に怒りが満ちて行く。


 リューシスは、半年に一度ぐらいしかランファンに来ないとは言え、彼の性格から、駐屯している兵士らの顔は何となく覚えていた。

 だが、ランファンに到着した初日に兵士らを見回して感じた違和感が、それであった。兵士らのどの顔にも見覚えがなかったのである。


 それは、元からランファンにいる兵士達はリューシスを慕っている者たちばかりなので、リューシス捕縛に協力などしないであろう、とのことで、丞相マクシムの強権で、近隣の県城の兵士らと入れ替えていたのであった。


「だけどな、そんな甘い策に引っかかるかよ。そして、裏切ったなら容赦はしねえからな」


 リューシスは鋭く言い放った。


 ジョサンの顔が見る見る青ざめて行く。


「エレーナ、頼む」


 リューシスが、前にいるエレーナに言った。


「本当にいいの? あなたの城よ?」


 エレーナは躊躇った。


「いいんだ。どうせこの城じゃ役に立たない。早くやれ!」


 リューシスが怒鳴るように叫んだ。


 エレーナは、左の人差し指を、ジョサンが立つ窓に向かって突き出した。

 そこから、小さな炎の玉が噴射された。エレーナは火の天法術は得意ではない。使える術はこれぐらいで、威力も弱い。


 当然の如く、ジョサンにあっさりとそれを躱されてしまった。だが、それで良かった。ジョサンの脇を流れて行った火の玉は、リューシスのベッドの上に落ちた。

 すると、火の玉はリューシスのベッドの中の枯草と藁に着火し、火薬にも引火した。ベッドは轟音と共に爆発し、炎の渦を上げた。ジョサンが、爆風に吹き飛ばされて壁に背中を打った。


「よし、次だ」


 リューシスは飛龍フェーロンを駆った。

 そして、夜空の下で城の敷地内を飛び回り、イェダーらがあらかじめ各所に伏せておいた枯草や藁や火薬などに、エレーナが次々と火の玉を放って発火させた。

 夜空が赤くなり、ランファン城は、あっと言う間に一面火の海となった。


 ジョサンについて城の中に侵入して来ていた兵士らは、突然回り始めた炎に動揺し、悲鳴を上げながら逃げ回り、一斉に出口である城門を目指して駆けた。

 だが、兵士らが城門を潜り抜けた時、左右から鬨の声を上げて二つの軍勢が殺到して来た。

 彼らは、クージンから共に来た八百人の兵士らと親衛隊の兵士らで、率いるのはバーレン、ネイマン、ヴァレリーの三人。


 予想もしていなかった展開に、ジョサンについて来た兵士らは仰天した。

 しかし、混乱する間も無く彼らは次々と斬り倒され、突き伏せられ、夜闇に阿鼻叫喚の声を響かせながら城門前に倒れて行った。


 その大混乱の中に、ほうほうの態でリューシスの部屋から脱出して来たジョサンもいた。

 ジョサンは「斬り抜けろ! 道を開けい!」と、喚きながら長剣ロンカーザを振るっていたが、


「あれがジョサンだな」


 と、薄闇の中に、はっきりとそれを確認したヴァレリー・チェルノフが、長弓に矢をつがえてぎりぎりと振り絞った。


 そして間合いと時機を見定めると、ぱっと矢を放った。

 矢は、入り乱れて戦う兵士らの間を雷光の如く疾り、ジョサンの胸甲に深々と突き刺さった。恐るべき、正確無比な技の冴えであった。

 ジョサンは呻き声を上げて仰向けに倒れ、その上を必死に戦う兵士らが踏んで行った。


 ジョサンらの一団は、程なくして壊滅し、戦闘はすぐに終結した。

 だが、ランファン城は赤々とした禍々しい炎に包まれている。


 残兵らを掃討し終わったバーレンやネイマンらのところに、リューシスとエレーナを乗せた黒い飛龍フェーロンが舞い降りて来た。


 リューシスは、飛龍フェーロンの背から下りた後にエレーナを自らの手で下ろすと、無表情な顔で、燃え盛る自分の城を見上げた。

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