第16話 ビーウェンの策

 バルタザール、マクシム、ダルコ、壁際に立ち並んでいる兵士達、そして見物の市民たち、皆、言葉が出ずに唖然としていた。今、何が起きたのかいまいち飲み込むことができずに、バーレンとネイマン、そして解放された皇子を見ていた。

 その為、誰一人として、ビーウェンがこの時ほっと安堵の表情を浮かべていたことに気が付かなかった。


「何をぼーっとしている。捕えろ!」


 静寂を突き破り、マクシムの狼狽したような叫びが響いた。


「者ども、動け! リューシス皇子を捕らえるのだ!」


 ダルコも、はっと我に返り、慌てて命令した。


「おっと、行けねえ。急ごうぜ」


 ネイマンが先頭を切って処刑台から飛び降りた。

 続いてバーレンも飛び降りると、ミンダーオ広場は魔法から覚めたかのようにざわつき始め、やがて衛兵たちの怒号と群衆の悲鳴が入り混じった。

 見物席にいたアンラード市民らは、これから始まるであろう事に巻き込まれない為に、逃げ出そうとして南の門に殺到した。そして見物席の前に並んでいた衛兵たちは、一斉に剣を抜き、刃を並べてリューシスら三人に突進した。


「ネイマン、二手に分かれるぞ」

「おう!」


 バーレンとネイマンは左右に走り、それを迎え撃った。

 猛獣のような咆哮を上げ、殺到して来る兵士らに向かって躍りかかった。


 彼ら二人の豪勇が、封印を解かれたかのように爆発した。


 バーレンが剣を宙に唸らせると、兵士らの胴が斬り裂かれ、冑が割られた。ネイマンが剣を振り回せば、その斬撃の衝撃力で、兵士らは斬り裂かれながら吹き飛び、背後の兵をも巻き込んで倒した。


 数の上では圧倒しているにも関わらず、勢いでは二人の絶倫の武に圧倒されていた。


「マクシム、どうなっているんだ」


 呆然と見ていたバルタザールは、秀麗な顔を青くしていた。

 マクシムはすでに狼狽を止めていたが、苦々しい表情で答えた。


「申し訳ございません。しかしご安心を。相手はリューシス皇子を含め、たった三人でございます。すぐに捕らえてみせます」


 と言い、場内の兵士に向かって怒鳴った。


「何をしている! 相手はたった三人なのだぞ、囲んで斬り刻め!」


 だが、左後ろに立っている七龍将チーロンジャンダルコ・カザンキナは、険しい顔つきで、


「少々甘いかと。このままでは全員あやつらに倒されましょう」

「何? 兵士らは四十人近くもいるのだぞ?」

「数は問題ではございません。あのハンウェイ人二人はバーレン・ショウとネイマン・フォウコウ。我らがローヤン近衛軍の中でも、彼ら二人にかなう者は十人とおりますまい。そして何よりリューシス殿下がいるのです」


 ダルコは厳しい言葉を述べたが、その口調は冷静であった。そして、マクシムに向かって進言した。


「ここはすぐに突破されてしまいましょう。丞相、私はすぐに近衛軍を動かしたいと思います。まだ早朝故、少数の夜勤の兵士しかおりませんが、彼ら全員を動かさなければ、奴ら三人を捕らえることはかなわぬかと存じます。どうかお許しを」


 たった三人を相手に近衛軍を動かすだと?

 マクシムは、信じられぬと言った面持ちでダルコの顔を見ていたが、ダルコの真剣な顔を見ると、その理を悟り、納得して了承した。


「わかった、行け」

「はっ」


 ダルコは、戦袍を翻して駆けて行った。

 続けて、マクシムはビーウェンにも命令した。


「ビーウェン、警備兵も動かせ。そして内城、外城、全ての城門を閉じさせろ」

「はっ、承知仕りました」

「バルタザール殿下、ここは一旦、私と共にどこか安全なところへ行きましょう。何、心配はいりませぬ。まだ夜勤の者しかいないとは言え、近衛軍を動かせばたった三人如きすぐに捕らえられましょう」

「そ、そうか。抜かりなく頼むぞ」


 マクシムとバルタザールは、近侍の者と護衛の兵らに囲まれて、北門から去って行った。

 城門を固めるように命じられたビーウェンは、すぐには動かなかった。

 一人観覧席に残って、バーレンとネイマンの獅子奮迅の戦いぶりを見つめた。


 ――頼むぞ、何としても殿下を逃がしてくれ。




 それは、ビーウェンが地下牢の前でバーレンとネイマンを捕えたあの時のことだった。

 ビーウェンは、バーレンとネイマン、そしてシャオミンを縛り上げた後、引き連れていた部下の兵士達に、外に出て待っているように命じた。

 そうやって人を遠ざけると、ビーウェンは二人と一匹の前に片膝をつき、じろりと睨み回した。


「何だよ、昔みてえにこんな時にも説教か? とっとと放せよ、クソ親父」


 簡単に叩き伏せられたことが悔しいネイマンが、悪態をつく。


「馬鹿者どもが、すぐにいきり立つでない」


 ビーウェンは一喝すると、すぐに真面目な顔となって、


「お前たちが来たのは幸運であったかも知れん。協力してもらいたい」

「何? 協力?」

「私も本心ではお前たちと同じだ。リューシス殿下を助けたいのだ」

「おお……」

「殿下は夜明けと共に、広場に引きずり出され、その罪の宣告と共に、公開斬首されることが決まった」

「そんなに早くか」


 二人と一匹は驚いた。


「まあ、こうなるまでは色々とあったのだが……とにかく今、殿下は丞相の手の中にある。宰相宮の一室に閉じ込められており、その宰相宮は三百人もの兵が固めておる。いかにお前たちが強いと言えど、これを救い出すのは無理であろう」

「三百人か、それは確かに無理ですな」


 バーレンが険しい表情となる。


「そこでだ。お前たちを一旦ここで捕える。しかしそれは偽りだ。捕えたふりをしてお前たちを隠し、その後、衛兵に化けさせて処刑場に潜ませる」

「…………」

「処刑の手配はダルコが任されることになっているのだが、お前たち二人を潜り込ませるぐらいなら何とかできよう。そうだな、一番人目につかぬ、壁の上がよいかもしれん」

「なるほど」

「そして、隙を見て殿下を助け出すのだ」


 ビーウェンが、二人の目を真っ直ぐに見て言った。


「うん、いい策だ」

「任せてくれ」


 バーレンとネイマンは快諾した。


「私は、正直言って今でもお主たち二人を好いてはおらん。だが……危険を顧みず、国家に反逆する罪人になることも恐れず、殿下を助けに来ようとする、その気持ちだけは認めておる。私と同じ、殿下を大切に思う熱い気持ちが、お前たち二人にはある」


 ビーウェンが静かに、しかし熱のこもった口調で言う。

 だがシャオミンが口を尖らせた。


「僕だってあるよ」

「おおっと、そうだったな。すまんすまん」


 ビーウェンが苦笑して、シャオミンの頭を撫でた。


「とにかくだ。これはお前たちにしかできん。私もできるならば殿下を助けたい。しかし、七龍将軍チーロンサージュンの一人としてローヤン帝国を支えねばならぬ身だ。簡単には動けん。そこで、お前たちに託すのだ」

「安心していただきたい。殿下はきっと俺達が救い、お守りする」


 バーレンとネイマンは力強く答えた。


「殿下の才はこの国の宝である。簡単に死なせるわけにはいかん。頼んだぞ」

「おう」




 ビーウェンは観覧席を立つと、護衛の兵士ら数人と共に、北門から歩き去って行った。


 ――頼むぞ、何としても……


 去り際、再び振り返って場内の乱戦を見つめた。


 だが、ビーウェンの祈りは無用に思われた。まさにダルコの言う通りであった。

 バーレンとネイマンは暴風雨の如く暴れ回り、数の上で勝る相手方を圧倒して行く。

 怒号と絶鳴が渦を巻き、涼気が熱く血生臭く焦がされて行った。


 リューシスも、その乱戦の中に長剣を振るっていたのだが、頃合いを見てネイマンが叫んだ。


「リューシス、お前は先にここから逃げろ!」

「そうは行くか、お前たちだけに戦わせられるかよ!」

「ここはもう俺達だけで十分だ。お前は先に行け、すぐに追いつくから。俺達はお前を助ける為に来たんだ、それを無駄にするな」

「わかった。死ぬなよ」


 リューシスは剣光の渦から出ると、南門に走った。

 見物の群衆らは、とうに全員逃げ出している。南門の前は無人で、その先にアンラードの内城の街並みが見える。

 だが、南門を潜り抜けようとした時、その眼前に飛び降りて来た黒い影。


 リューシスは反射的に飛び下がり、再び長剣を構えた。

 黒い影を睨んだ。

 それは、上下黒い衣服、頭も顔も黒い布で巻き、一つだけの目を覗かせている異形の天法士ティエンファード――ジェムノーザであった。


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