第14話 イェダーの決意
宮城を西門から内城に出て三百メイリ(メートル)ほど行くと、ミンダーオ広場がある。回廊のある高さ三メイリほどの城壁に囲まれた五十メイリほどの空間であり、南北に鉄門がある。
ここは、庶民の為の剣闘や闘鶏、闘犬、など、見世物の興業に多く使われる場所であるが、その他にも大きな用途が一つある。ローヤン帝国に対して反乱を企てた者や、重大な罪を犯した者らを公開処刑する為に使うのである。
その為、東西南に柵で区切った見物席があり、北側の城壁には、数段高い位置に皇帝や重臣たちの観覧席がある。
今、場内はざわついていた。
夜中のことであったので、リューシスが急遽斬首と決まったことはまだ布告されていない。
だが、それとなく噂と言うのは漏れるものである。聞きつけた一部のアンラード住民がやって来て、見物席についてひそひそと囁き合っている。
その見物席の前には、屈強な衛兵らが立ち並び、油断なく目を光らせている。また、城壁の上にも衛兵らが弓矢を携えて立っている。物々しい雰囲気と騒然とした雰囲気が混然一体となっていた。
皇帝、重臣らの観覧席には、宰相のマクシム・ワルーエフが座り、その背後には、
マクシムは勝ち誇ったような笑みで、ダルコは薄笑いで、ビーウェンはやや思いつめたような深刻な顔で、それぞれ広場の中央を見つめていた。
彼らの視線の先、広場の中央には、高めに作られた処刑台があった。
やがてそこに、今や大罪人となった
顔や衣服に血の染みを作っているリューシスを見て、見物席から驚きの声が上がる。
「ほ、本当にリューシスパール様じゃ」
「どういう事だ? 何故急に斬首に? 今日は裁判ではなかったのか?」
後ろ手に縛られているリューシスは処刑台の上に引きずられ、中央に座らされた。
リューシスは背後を振り返り、観覧席に向かって静かに言った。
「父上はどうした」
「陛下ならば体調がよろしくなく、まだ眠っておられる」
マクシムは悠然とした笑みで答えると、立ち上がった。
ダルコが大声で「静粛に」と言い渡すと、ざわめいていた市民たちが静まり返った。
一拍の後、マクシムが口を開いた。
「さて、ローヤン帝国の猛き戦士たちよ、アンラードの賢明なる市民たちよ。今ここに、第一皇子リューシスパール殿下、いや、大罪人リューシスパールの処刑を行う」
高らかな声が響くと、アンラードの住民たちは再びどよめいた。
「その罪は三つある。皇帝陛下を暗殺しようとした容疑、裁判の前にも関わらず脱走しようとした罪、そして宰相である私をも殺害しようとした罪だ。ローヤンの法によれば、どれも一等犯罪であり、三つ以上の一等犯罪を犯した者は、例え皇族であっても裁判を経ずに処刑されることとなっておる。このリューシスパールは、その一等犯罪を同時に三つも犯した。よって、この場で斬首とする!」
市民たちが更に騒ごうとした時、リューシスが「待て!」と叫んだ。
市民たちがざわめきを止めた。リューシスは前方を左から右へと見回すと、烈々たる声を響かせた。
「聞け。お前たちがローヤン帝国の誇り高い勇者ならば、そしてアンラードの善良なる市民ならば、何が真実で何が嘘かわかるはずだ! これは宰相であるマクシムと、皇后陛下の陰謀だ。俺は騙されたのだ。皆の目がしっかりと開いているならば、それがわかるだろう!」
市民達は静まり返った。隙の無い目を光らせていた衛兵たちも、リューシスの声に耳を澄ませていた。
リューシスは続けて叫んだ。
「勇者たち、市民たちよ、俺の背後にいる男を討て。背後にいる宰相マクシム・ワルーエフこそが、自らの権力維持の為に罪無き俺を陥れた黒幕であり、皇帝陛下の具合がよくないのをいいことに、ローヤンの国政を壟断する大奸賊だ!」
リューシスの声が明るくなり始めた空に響いた。
見ていたアンラードの住民たちの顔に、わずかながら心の動揺が見て取れた。
マクシムは舌打ちし、リューシスを黙らせようと椅子から立ち上がった。
だがその時、観覧席に入って来た者がある。マクシムは振り返った。市民たち、兵士達の目も、その純白の絹服を着た人間に注がれた。
それは、リューシスの異母弟、
その頃、アンラード外城の居住区の一軒の家では、眠れぬ夜を明かした若者が居間に佇んでいた。
リューシスの親衛隊隊長、イェダー・ロウである。
「バーレンとネイマンは無事に助け出せただろうか?」
イェダーは壁際に行き、窓から白み始めた空を見上げた。落ち遅れた月が霞んだように輝いている。
彼は、リューシスが斬首刑と決まってしまったにも関わらず、自らが助けに行けないもどかしさに心が悶々とし、またバーレンとネイマンが無事にリューシスを救い出せたかどうかが気になって仕方なく、一旦は床についたものの、一晩中眠れなかったのである。
ふと、赤子の泣く声がした。六か月になる息子のコウアンの声だ。周囲の家にまで響き渡るような大きな泣き声である。
早くも子煩悩であるイェダーは、こういう時すぐに駆けつけて自分も赤子をあやすのであるが、この時は脚が向かなかった。
赤子の泣いている部屋の方を見やっただけであった。
やがて、泣く声が止まると、妻のユーエンがコウアンを抱いて静かに居間に入って来た。
「眠れなかったの?」
ユーエンは、赤子を抱いて揺らしながら、心配そうな顔で夫の顔を見た。
長い黒髪が印象的なユーエンは特別に美人と言うわけではないが、優しく気立ての良い女性である。
出産してからも、赤子はもちろん一番大事なのであるが、その為に夫のことが疎かになったり、産後にありがちな怒りっぽくなったりと言うことがない。
「あの二人が無事に殿下を助け出せたかどうかが心配でなあ……」
イェダーはユーエンを見て呟くように言うと、再び窓の外に目をやった。
「…………」
その後ろ姿を、ユーエンは切なげに見つめた。
「さあ、もっと寝てろ。まだ早いだろ」
イェダーが振り返らぬままに言う。
「イェダーも少しは寝ないと」
「…………」
「大丈夫。バーレンさんとネイマンさん
「……そうだな」
イェダーは溜息をつくと、ユーエンの方を振り向いた。
そのまま、寝室に向かおうとした。
だが、不意に外から慌ただしい足音と共に驚くべき言葉が聞こえて来た。
「リューシス皇子様がこれから斬首だってよ」
「帝の一声で、急遽決まったとか」
イェダーは目を大きく見開いて振り返った。
「何……これから斬首?」
イェダーの身体がわなわなと震えた。
ユーエンも顔が真っ青になっていた。
「駄目だったか……」
イェダーは力が抜けたようによろよろと椅子に座り込むと、がっくりとうなだれた。
「殿下が斬首……」
イェダーは何かに耐えるように拳を握りしめると、木の卓をどんっと叩いた。
そのまま目を閉じ、拳を震わせていた。
「…………」
ユーエンはそんな夫を見つめた。
じっと見つめた。
そして、抱いているコウアンに視線を落とし、優しげにその頭を撫でると、再びイェダーを見て言った。
「行って」
「あ?」
イェダーは顔を上げた。
「殿下を助けに行きたいんでしょう? いても立ってもいられないんでしょう? 私たちのことは構わないから、行って」
「ユーエン……お前、何を言ってるんだ……」
「あなたの心はすでに殿下のところに走ってるわ、さあ、行って」
イェダーは呆然とユーエンの顔を見つめると、数瞬の後にすっと立ち上がった。
だが、ユーエンの腕に抱かれて眠っているコウアンの寝顔を見て唾を飲み込むと、大きく深呼吸をして、再び椅子に座り込んだ。
「駄目だ。行けるか。殿下は皇帝陛下の命令で斬首と決まったんだ。それを助けに行けば、俺も罪人として追われる身になってしまう。そうなればお前たちには二度と会えなくなってしまうし、何よりお前もコウアンも罪人の家族として苦労することになる……最悪の場合、コウアンは父の顔も知らないうちに父無し子になってしまう。いや、そもそも助けられなかった場合は俺の命も無いものとなる。お前たちを悲しませたくない」
しかし、ユーエンは微笑しながら首を横に振った。
「大丈夫。あなたはきっと殿下を助けられるわ。そして、いつか必ず会える日が来ます。言ってたじゃない。殿下はどんなに不利な状況でも逆転してしまう不思議な力があるって。その殿下を助けに行くんだから、きっと大丈夫よ」
「だけど……」
イェダーは唇を震わせる。
「私たち、待ってるから。何年かかっても、あなたに会える日を待っています。この子を出産した日、殿下とあなたたちは出陣する日だった。でもいつ産気づくかわからないからと言って、殿下はあなたを無理矢理帰らせたよね。そうしたらちょうど私は産気づいて……でも難産で私は意識がなくなりかけて……入って来ちゃいけないのにあなたが飛び込んで来て手を握って必死に励ましてくれたおかげで、私は意識を取り戻してこの子を産めたのよ」
「そうだったな……」
「私もコウアンも殿下に命を助けられたのと同じよ。殿下がいなければ私たちはこの世にいなかった。だから今度は私たちが殿下の命を助ける番じゃない?」
ユーエンは涙を流していた。光りながら頬を伝った涙が、コウアンの頬に落ち、コウアンの表情が動いた。微笑んだように見えた。
イェダーの目が見開いた。未だ躊躇いの色が残っていた瞳から全ての余念が消え、決意の光が灯る。
「わかった。すまん」
イェダーはすっと立ち上がった。最早迷いはなかった。
コウアンごと優しくユーエンを抱きしめた。
ユーエンにキスをし、コウアンの頬に唇をつけた。そしてユーエンの両肩に両手を当て、
「俺は死なない。必ず殿下を助けるぞ。そして、必ずお前たちのところに戻って来るからな。何年かかっても……」
イェダーの目も潤んでいた。
「はい」
「うん。じゃあ行って来る。コウアンを頼むぞ」
「はい、行ってらっしゃい」
ユーエンは微笑んだ。
イェダーは頷くと、しばらくユーエンとコウアンの顔を見た。
これから先何年も、いや、もしかしたら一生会えなくなるかも知れない。そう思うと、やはり離れ難かった。ずっと大切な宝物である二人の顔を見ていたかった。
しかし、時間が無い。急がなければリューシスの命が危うい。
イェダーは未練を断ち切るように頭を振ると、再びユーエンとコウアンに微笑みかけ、その後着替えをし、家を飛び出した。
夫がいなくなり、途端に静まり返った居間。
ユーエンは、赤子を抱いたまま、閉められた扉に向かって頭を下げていた。床に、涙がぽとりぽとりと落ちていた。
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