第3話 宰相の陰謀

 彼は、手紙の隅から隅まで鋭い視線を走らせた。

 やがてすぐにふっと表情を緩めると、


「ははは……これを書いた奴は甘いな。これが偽手紙だと言う証拠がある」


 と、高く笑った。


「証拠?」


 宰相マクシムが眉を動かした。


「ああ、俺が自分の名で出す文書には全て、偽手紙を作られない為の細工がしてある。誰か、俺がこれまでに自分で書いた文書を持って来てくれないか?」


 リューシスが言うので、イジャスラフは側近に命じて、これまでにリューシスが自身の手で発行した文書を数篇持って来させた。


「紙の右下を見てください。わずかに切り取られているのが見えませんか?」


 イジャスラフは、目を凝らして全てのリューシスの文書を見た。


「む、確かに……」


 全ての紙の右下部分が、よく注意して見ないとわからないほどに、小さく斜めに切り取られていた。


「それは私が、文書を偽造されぬように、わざと切っているものなのです」

「ほう……」

「そして、その手紙の右下を見てください。切られていないでしょう」

「うむ、無いな」

「それこそ、その手紙が偽であると言う証拠です。恐らく、何者かが私を陥れようとして私の筆跡をそっくりに真似て書いたのでしょう」

「ふむ、そうか。リューシス、すまなかったな。おい、リューシスの縄を解け」


 イジャスラフは即座に理解納得し、素直に謝った。すぐに衛兵が駆け寄り、リューシスの縄を切る。

 リューシスは立ち上がると、左右に立ち並ぶ廷臣たちを見回し、


「俺の癖のある字をここまでそっくりに真似たのは大したもんだ。だけど紙の細工に気付かなかったのは抜かったな」


 と言うと、宰相のマクシム・ワルーエフで視線をぴたりと止めた。


「誰が俺を陥れようとしたのかはわからないが、偽手紙の計はやめておくんだな。言っておくがこれだけじゃない。俺が出す文書には、偽手紙を作られない為の細工が他にもいくつかある」


 マクシムは、一見無表情にリューシスの視線を見返していた。だが、その瞳の奥には明らかな敵意の色がある。

 リューシスは、ふっと笑うと、玉座ユーゾの父を見た。


「父上、この偽手紙を書いた奴を調べてください」

「うむ、許し難い罪である。きっと犯人を見つけよう」

「まあ、簡単に見つかるとも思えませんが、頼みましたよ。では私はこれで」


 リューシスはそう言うと、踵を返してさっさと出て行こうとしたが、その間際にもう一度振り返り、マクシムを見て言った。


「もう一度だけはっきりと言っておく。俺は玉座ユーゾになんぞ興味はねえんだ。そっとしておいてもらいたいもんだな」


 そして、リューシスは大広間を出て行った。


 広く高い、渡しの回廊を、リューシスは自分の宮殿に向かって大股に歩きながら思考を巡らせていた。


(マクシムめ。いよいよ露骨に動いて来やがった。俺は別にあいつを討とうなんて面倒なことをする気は無いが、あいつが俺の命を狙うならば、こっちも何か対策を立てないと。しかしあいつはローヤンの宰相で、重臣のほとんどがあいつの息がかかってる。こちらからは迂闊にしかけられない。どうすればいい……)


 リューシスは皇帝エンディーイジャスラフの長男で第一皇子であるが、政権内では大した権力は持っていない。


 ローヤンの政治制度は、建国時から封建制ではなく州県制を採っているが、皇族と一部の重臣は特例として封土を受けることが許されている。


 リューシスはローヤン領内の北方、辺境に近い"ランファン"と言う土地に封土を受けており、また、ランファン王の称号ももらっている。しかし、ランファンは小さな土地であり、駐屯している直属の兵もわずか五百ほどと、大した力にならない。


 それに対して、マクシムは皇帝エンディーイジャスラフが病を患って以後、国政を一任されるようになっており、その権力はますます増大している。また、マクシムは帝都アンラードよりすぐ北のインセイ州に広大な封土を持っており、その直属の私兵もおよそ三千。政治闘争ではとてもかなわない。


 ――父上は病のせいで相当判断力が鈍っている。何もしないでいれば、マクシムらの讒言を信じ込んでしまうかもしれない。


 リューシスが目を伏せた時、


「兄上!」


 と、背後から少年らしい若々しい声が聞こえた。

 リューシスは足を止め、振り返って微笑んだ。


「おう、バルタ」


 声をかけて来たのは、弟であり皇太子エンタイーズのバルタザールであった。この時、十六歳。


「今回も見事な勝利、おめでとうございます」


 バルタザールは目を輝かせて言った。


「運が良かっただけだ」


 リューシスは優しげに笑った。


 マクシムらの思惑はよそに、この二人の異母兄弟は、幼少の頃から仲が良かった。

 かつて宮廷内では、この二人を巡って真っ二つに割れた争いが起きたことがあり、今でも色々と言われているが、それは気にせずに兄弟として仲良くやって来ていた。


「私も早く戦場に行きたいのですが、父上やマクシムらが許してくださらない」


 バルタザールは不満そうな顔を見せた。


「仕方ねえだろ。お前は皇太子エンタイーズだ。将来の皇帝エンディーに何かあったらどうするんだ。お前は政務の勉強をしていればいい」

「でも、私も兄上のように戦場を駆け回りたい。それに……」


 バルタザールが言いかけた時、


「そうですよ。リューシスの言う通り。あなたはまず政務を学ばないと」


 と、耳に心地良い綺麗な声が流れて来た。

 振り返ると、宝石をあしらったティアラを被り、色鮮やかな紫色の絹のドレスを纏った貴婦人がいた。


継母上ははうえ


 バルタザールの母であり、皇后エンホウのナターシアであった。

 バルタザールと同じく金髪碧眼で、良く似ている。年齢はすでに四十代も半ばに入っているはずだが、不思議な若さと思わず見とれてしまうような美貌である。


「リューシス、良かったですね、嫌疑が晴れて」


 ナターシアはリューシスに優しく微笑みかけた。


「ええ。全く迷惑な話です」

「誰がこんなことをしたのでしょうね」

「決まっています、マクシムでしょう」

「まあ、マクシムが……」


 ナターシアは、手で口を押さえた。


「俺がいつバルタに取って代わって皇太子になろうとするかわからない。そうなれば自分の今の地位が危うくなる。そう考えているんですよ」

「…………」


 ナターシアは複雑そうな顔になった。


「しかし、俺はそんな気はさらさらありません。それは何度も伝えているし、さっきもはっきりと言った。俺は皇帝エンディーの器じゃない。皇帝エンディーはバルタこそがふさわしい。いずれ、バルタが帝位についた時には、俺は兄として全力で支えるつもりです」

「そうですか。それを聞いて安心しました。バルタザールはこの通り、あなたと違って武芸は不得手。宜しく頼みますよ」


「はは……武芸は俺もそんなに得意じゃないですよ。それはもっぱらバーレンたちに任せてる」

「とにかく、私はあなたを産んではいませんが、あなたを実の子と思っております。宮廷内であなたに害をなそうとする者があれば、母としてできる限りのことはいたします」


 ナターシアは優しい笑顔を見せた。


「ありがとうございます。継母上ははうえの優しさ、いつも心にしみております」


 リューシスは頭を下げた。


「マクシムには私からもきつく言っておきましょう。しらばっくれるでしょうが」

「でしょうね」

「しかしリューシス。バルタのこと、くれぐれも頼みますよ」

「ええ、安心してください。では、早く休みたいので俺はこれで」


 リューシスは微笑むと、再び回廊を足早に歩いて行った。

 遠ざかって行く銀色の背を、ナターシアは無言で見つめた。


 同じく、その背を見つめていた者がある。

 回廊の外、中庭の木の下に、全身黒ずくめで頭も顔も黒い布で巻いて覆い、目だけを覗かせていると言う異様な風体の者が立っていた。

 その者は、覗かせている目を冷たく光らせながら、リューシスの背を追っていた。

 


 アンラードの街を埋める赤い屋根が、落ちかかる西日を受けて更に赤く輝き始めた頃。


 リューシスは湯殿に入って身体を洗い、平服に着替えて宮殿を出た。


 革の長靴ブーツに黒いズボンを履き、銀糸で鳳雛の刺繍が入った葡萄酒プータージュ色の絹のチュニックを着て、それを締める腰の革ベルトには愛用の長剣ロンカーザを提げている。ローヤン人の伝統である毛皮の帽子は被らず、赤毛交じりの長い褐色の髪を後ろで一つに束ね、紅玉ルビーと銀で象った龍の首飾りを、胸元に輝かせている。


 リューシスは皇宮を出ると、重臣たちの邸宅が立ち並ぶ地区を抜け、商業区域を通り、二階建ての居酒屋、ユエフー楼に入った。


 ユエフー楼は広い。百人ほどが入れる、アンラード内でも屈指の大店である。

 しかし、灯火を沢山灯して明るくしたその店内は、一階も二階もすでに満席であり、外にまで人が溢れ、道端に敷物を敷いて飲んでいるほどであった。

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