第2話 紅の都アンラード

 三日後、リューシスらはローヤン帝国の首都、アンラードに帰り着いた。


 アンラードは北にグイリン山、南にティエンフー河と言う大河を擁する天険にあり、南北八コーリー(八キロメートル)、東西十コーリー(十キロメートル)もの広さを持ち、高く堅固な城壁に囲まれた大都市である。

 

 総人口はおよそ二十万人と言われており、大陸の北方に位置するにも関わらず、各地から街道が通じており、それらの陸路と、ティエンフー河から引かれた運河による水路とにより、大陸各地のみならず遥かな外国よりも様々な物資、人が集まり、繁栄を極めていた。


 アンラードは、ローヤンの初代皇帝エンディー武帝ウーディーユリスワードが計画的に築いた都市である。

 皇宮、内城、外城と、三重の城壁を持つ構造で、街中は碁盤の目状に道が引かれ、商業区、居住区など、きちんと区画整理されている。

 建物は煉瓦や石で造ることを基本としているが、ローヤン民族は伝統的に赤色を好むことから、装飾に赤色が多用されることが特徴である。一般の建物の屋根はもちろん、寺院や神殿、塔の屋根や壁の一部までも、赤く塗装される。その為、アンラードは紅の都ホンスードゥーとも呼ばれる。


 また、古来より飛龍フェーロンと共に遊牧をして暮らし、龍を重んじて来たことから、街中の至るところに龍の像が置かれていることも、他の国の都市には見られない特色である。


 そんなアンラードに、リューシスの勝利の報はすでに届いていた。

 アンラードの民衆は歓喜してリューシスらの凱旋を出迎えた。


 その歓声に応えながら、リューシスらの軍は外城の中心部を南北に貫く幅五十メイリもの目貫通り、紅龍大路ホンロンダールーを進んで行く。


 時は四月七日である。紅龍大路ホンロンダールーの両脇に整然と植えられた桜が、艶やかな粉紅色ピンクの花を見事に咲かせており、時折まだ肌寒い風の中に花弁を舞い散らせていた。

 やがて内城を囲む城壁が見え、その正門である英雄大門が見える。その前に、約三十人ほどの武装兵を従えた一人の武将が立っていた。

 リューシスはそれを見ると笑顔になった。


「ビーウェン。わざわざ出迎えか、悪いな」


 ビーウェンと呼ばれた屈強な体躯の初老の将は、それに応えてにこりと微笑んだ。

 彼は、リューシスが幼少の頃の武芸の師匠であり、また、七人いるローヤン軍の最高幹部、七龍チーロン将軍サージュンの一人であった。


「殿下、此度も見事な勝利、おめでとうございます」

「運が良かっただけだ。結局シーザーは逃がしてしまったしな。折角ガルシャワ一の男前と言われているシーザーの顔が拝めると思ったのに残念だったよ」

「ふふ、そうですか。しかしまあ、此度の勝利は間違いなく殿下の戦術の才です。ですが……」


 ビーウェンは、リューシスの背後のバーレンらを一瞥して眉をしかめた。


「我が軍にはきちんとした訓練を受けた正規の将官は沢山おります。アンラードの士官学校を出て正規武官となっているイェダーはいいとして、いつまでも後ろの者たちのようなハンウェイ人のゴロツキどもを使うのは感心しませんな。」


 それを聞いて、ネイマンが眼を怒らせて進み出た。


「おい、おっさんいい加減にしろよ。そもそもあんただってハンウェイ人だろうに何だその言い方はよ。七龍将チーロンジャンになったらローヤン貴族気取りか? ええ?」


 ネイマンは激しかけたが、バーレンが苦笑しながら制した。


「よせ、ゴロツキだったのは本当だろ」


 バーレンとネイマンは、元々は十代の頃に首都アンラードの下町で暴れまわっていた悪名高い不良少年集団の頭領であった。

 そして、ビーウェンは当時、将軍職と兼任でアンラードの警備隊長を務めていたことがあり、その関係で今でもバーレンとネイマンらを好いていなかった。


 リューシスは苦笑いをした。


「ビーウェン、そろそろ昔の印象を捨てて、こいつらも認めてやってくれよ。今は昔のような悪いこともやっていない。それに、こいつらも軍の他の奴らに負けない将才があることはわかっただろ」

「まあ……殿下がどうしてもと言うなら仕方ございませぬが」

「はは、お前は強情だな」

「…………」

「うん、どうした?」


 リューシスは、ビーウェンの顔が曇っていることに気付いた。


「殿下、馬をお降りください」


 ビーウェンは、苦しそうな顔で言った。

 そして、背後の約三十人の兵士らが、先頭のリューシスを取り囲み、槍の穂先を向けた。


「穏やかじゃないな。ビーウェン、どういうことだ?」


 リューシスは真顔になって、兵士らを見回した。


 そこへ、ビーウェンの背後、英雄大門の向こうから、一人の壮年の男が悠然とやって来た。

 緑の絹の朝服を着て、頭には宝石を縫いつけたローヤン伝統の毛皮の帽子を被っていた。

 ローヤン帝国宰相のマクシム・ワルーエフであった。


「殿下に、皇帝陛下への叛逆容疑がかかっております。おとなしく縄におつきください」


 マクシムは薄笑いを浮かべながらリューシスを見た。


(ほら、来やがった)


 リューシスはマクシムに鋭い眼光を向けた。



 リューシスは白銀の甲冑姿のまま太縄で縛られ、大広間に連行された。

 贅を尽くし、大理石を基本とした豪奢な大広間の左右には、ローヤン帝国の文武の廷臣たちが立ち並んでいる。

 その中央に、リューシスは座らされた。


 前方中央には、数段の階段の上に、宝石や黄金で装飾され、脚と背に昇竜の彫刻がついた煌びやかな玉座ユーゾがある。

 その玉座ユーゾの上には、一人の男が気怠そうな顔で座っていた。

 この男こそ、ローヤン帝国の皇帝エンディー、イジャスラフ・アランシエフであり、リューシスの父親であった。


 そして、玉座の下の左前に、少年が立っていた。純白の絹の朝服を着た金髪碧眼の美少年、彼の名はバルタザール・アランシエフと言う。リューシスのすぐ下の弟であり、今の皇太子エンタイーズである。だが、弟と言ってもリューシスとは母親が違う腹違いである。


 リューシスの母親は庶民の出自で、その為に正妻ではなく、所謂側室であった。だが、バルタザールの母親は、イジャスラフの正妻であり皇后である。それ故、経緯自体は色々と複雑なのだが、長男のリューシスではなく、弟のバルタザールが皇太子エンタイーズなのであった。


 宰相のマクシム・ワルーエフは、つかつかと歩いてその玉座の右前に立つと、皇帝イジャスラフに向かって深く頭を下げて言った。


皇上エンシャン。リューシスパール殿下をお連れしました」


 イジャスラフは無言で頷いた。

 その顔色は悪く、頬もげっそりとこけていた。彼は皇帝でありながら、聡明かつ豪勇を誇る武人でもあったのだが、数年前に病に侵されており、特にこの一年は床に伏せる日々が続いていた。

 だが、その眼光はかつて戦場を駆けまわっていた頃と変わらずに爛々と鋭い。

 視線は、大広間の中央に座らされた息子のリューシスパールを見据えていた。


「リューシス。此度もガルシャワ軍に対して見事な勝利を収めたそうだな」


 皇帝イジャスラフは厳かに言った。


「運が良かっただけです」


 リューシスは皮肉そうな笑みで言った。


「謙遜するでない。以前はその才を隠し、うつけを演じておったようだが、やはり闇が如何に深くとも光は隠しきれぬもの」

「買いかぶりです」

「だがな。お前が逆心を抱き、予を討って玉座に上ろうとしていると言う情報が天法士局より上がって来ておる」


 イジャスラフの眼光がより鋭くなった。


「そんな馬鹿な。何故私が父上に背かねばならぬのです?」


 リューシスは冷静に答える。

 すると、横から宰相のマクシムが言った。


「考えられる理由ならありますな。殿下は十七年前、母君の身分を理由に皇太子エンタイーズの地位を廃され、弟のバルタザール様が代わりに皇太子エンタイーズとなった。その事を今でも恨んでいると、世間ではもっぱらの噂です」


 それを聞くと、異母弟の皇太子エンタイーズバルタザールは、秀麗な顔に複雑そうな色を浮かべた。

 リューシスは、マクシムに射るような視線を向けた。


「噂だ。当の本人は恨んでいるどころか感謝している。帝位についたら朝まで飲み歩くことも女を買うこともできないからな」


 リューシスは皮肉そうに笑った。


「だが、このような手紙が届けられておる」


 イジャスラフは右手を上げた。その手の中には、丸められた紙が握られていた。

 皇帝はその紙をマクシムに渡した。受け取ったマクシムは、そのままリューシスの前まで歩いて行くと、リューシスの頭上で紙を広げて見せた。


 紙の中の文面を見て、リューシスの顔色が変わった。


 その手紙は、四年前にローヤン帝国が滅ぼした東方の小国、フェイリン王国の残党に向けて書かれたものであった。

 内容は、リューシスが父皇イジャスラフに叛逆すると言うものであった。

 リューシスが近々手勢を率いて首都アンラードの中で反乱を起こし、皇帝イジャスラフを討ち、自分が取って代わって皇帝になるつもりだ。その為に協力して欲しい。事が成った暁にはフェイリン王国の復興自治を認める。そう、リューシスの筆跡で書かれてあった。

 だが、当然リューシスはこんな手紙を書いた覚えはない。誰かがリューシスを無実の罪に陥れる為にリューシスの筆跡をそっくり真似て書いたものであろう。


「偽手紙でございます」


 リューシスはすぐに声を上げた。


「だが、これは明らかにお前の字であろう。それに、お前が四年前に娶ってすぐに離縁した女は、フェイリン国の姫であったな。お前がフェイリンの残党と繋がっており、その協力を得ていてもおかしくはない」

「私は確かにフェイリンの姫を娶っておりました。ですが、結婚前はもとより、離縁後もフェイリンの人間とは何の関係も持っておりません。そもそも、フェイリンの姫とは一度も共に暮らしていないのですから」


 リューシスの告白は、少々の衝撃となって広間を駆け抜けた。

 結婚後、すぐに離縁したのは有名であった。しかし、まさか一度も共に暮らしていなかったと言うのは、誰も知らなかったのである。

 だが、父のイジャスラフはそれを感付いていたらしい。


「やはりそうであったか」


 と、意味ありげにリューシスを鋭く睨んだ。

 リューシスは一瞬、気まずそうに視線を逸らしたが、すぐに咳払いをすると、


「とにかく……これは何者かが私を陥れようとする陰謀です。私を信じてください」

「だが、この癖のある少し汚い字は明らかにお前のものだ。それに……」


 イジャスラフは、「お前は予を恨んでいるであろう」と、言いかけてやめた。

 そこは、この父子間の、彼ら二人の間でも触れがたい繊細な問題であった。

 イジャスラフは言葉を変えた。


「その手紙はどう説明する?」


 リューシスは、睨むように頭上に広げられた手紙を見つめた。

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