3 水垣宮の武人たち

 三輪山もその麓もどこもかしこも濃く瑞々しい緑で埋め尽くされている。水垣宮に隣接する訓練場には威勢の良い掛け声が、爽やかな風と共に流れていた。

 しかし、しばらくすると訓練場は重苦しい雰囲気に変わった。中央には兵士たちが呼吸を荒げ、汗だくになりながら無残にも転がっている。そんな中、一人涼しげな顔でやる気を漲らせている小柄な青年が、兵士たちのあり様を見て一喝した。

「だらしがないぞ! 大王の兵士がこんな体たらくでは、荒ぶる神どころか蝦夷えみしや土蜘蛛にも勝てぬではないか! 俺はまだあと五人は倒せるが、誰か相手になる者は!?」

 などと言われても、ほとんどの兵士が返り討ちにあっているのだから、気まずい沈黙が流れた。

 少し離れた場所に立って見学していた五十狭芹彦いさせりひこは長身を木の幹にもたれかかせて、楽しげに成り行きを見守っている。

「俺が相手してきてもいいんだけど、今日はもうとは二回も手合せしたからね……」

 五十狭芹彦は将軍職に就いている名うての武人であるが、柔和な微笑みと適度に着崩し装飾品を付けた衣装が一見してそれとはわからなくさせている。優雅な立ち居振る舞いが宮女たちの心をときめかせているものの、本人は適当にあしらってやり過ごすものだから罪作りだ。

 隣で面白くなさそうに舌打ちをした友人を横目で見て、五十狭芹彦はけしかけてみることにした。

「兵士たちの安眠のために、誰かひと肌脱がないかなぁ。あんなに強いんだから、五十日鶴彦が女の子だからって手加減する必要もないし? 逃げたら武人としての恥だよねぇ、武渟川別?」

「うっせーな。俺があのバカ娘を黙らせてくりゃいいんだろ?」

 一層不機嫌さを増した武渟川別は、武人としての恥という言葉に反応して鞘から鉄剣を抜き、腕組みをして立っている五十日鶴彦の方へ向かった。無性に腹が立って、武渟川別は五十日鶴彦――伊賀の視界から外れた角度から不意打ちを仕掛けた。

 その瞬間、乾いた金属音が鳴り響き、くっという呻き声が漏れた。

「卑怯だぞ!」

 顔を歪め、天を仰ぎながら言い放ったのは、先制攻撃を行った武渟川別だった。剣を振り下ろしたところまでは良かったのだが、電光石火の勢いで弾かれ、おまけに回し蹴りを食らってあえなく地面に倒されてしまった。

「不意打ちを狙ったのはそっちじゃないか。実戦じゃ、規則正しく剣を交わして終りじゃないんだぞ」

 伊賀は呆れたように言い、地面に転がった仲間を助け起こそうと手を差し伸べた。

「いい、自分で起き上れる」

 目の前の手を振り払って、武渟川別は伊賀を避けるようにして立ち上がった。

 女のくせに武人気取りのこの娘は大いに不愉快だ。聞くところによると、自分よりも早くから戦場に出て、大王に従わない集団を蹴散らしてきたらしい。強さは武渟川別の父親であり大将軍の大彦も認めているし、そんな大将軍に鍛えられたはずの男の自分が一瞬で負けてしまったくらいだ。

 声と小柄な体格で女だとわかるものの、それ以外どこを取っても女らしさは感じられない。日常的に男装で、男と同じ言葉遣い。真似事でなく、武術に優れているのだから余計にたちが悪いと武渟川別は思っている。

 同じ大王の娘なのに、あの桃の木の天女とは雲泥の差があるではないか。彼女こそが武渟川別の理想の女だ。

 大王の娘なら大王の娘らしく、着飾って美しく化粧をして淑やかに優雅に暮らしていればいいものを、どうしてわざわざ男の世界に足を踏み入れたのか、武渟川別は伊賀という存在が全く理解できなかった。というよりも、強い女がいるということを認めたくないのだ。

「休憩したら、もう一度手合せしよう。次は正面から、ある程度長く続くように」

 衣についた土埃を払う武渟川別に、伊賀は声をかけた。

 どうしてか武渟川別は自分を嫌っているらしいが、大彦の息子だけのことはあって他の将軍と並ぶ力量の持ち主なのだ。さっきは不意打ちを食らって、瞬間的に勝負を終わらせてしまったけれど、伊賀は真っ直ぐに切り込んでくる武渟川別の剣さばきが好きだった。

「なんで俺がお前と稽古しなきゃなんねーんだよ。五十狭芹彦か豊城殿に頼め。それか、彦国葺ひこくにふくか」

「あの三人じゃ、俺が弱すぎてあっけなく負けてしまうから駄目だ」

「……俺をバカにしてんのか?」

 武渟川別は目を細めて伊賀を見返した。本当は伊賀に悪気がないことは知っている。こいつは真面目すぎてちょっと天然が入ってるだけだ。

「あ、ごめん。そういう意味じゃなくてさ、お互いのためになるような手合せがしたいってこと。いいだろ?」

 伊賀はじっと武渟川別を見上げた。自分が将軍になることはないが、この青年は遅かれ早かれ将軍職を拝命するだろう。父親もそうだし、実力的にもなるべきだと伊賀は信じている。

(時々、協調性がないのはどうにかして改善した方がいいと思うけど)

 武渟川別が返答せずにいると、誰かに肩をがしっと引き寄せられた。嫌な予感がする。

「やあやあ、未来の大将軍殿。その力量を見込んで、我が妹と、いや弟と手合せ願いませんかねぇ?」

 笑顔で日焼けした太い腕に絞められて、武渟川別は顔を引き攣らせた。

こうやって伊賀と武渟川別が一緒にいると、当然のように絡んでくるのが豊城入彦だった。二人はしょっちゅう喧嘩をする。原因は武渟川別が意味もなく怒ったり、反論したり、伊賀の生真面目さや天然が炸裂して意思疎通がおかしくなったり様々だ。どちらにも悪い点があるものの、やはり豊城としては可愛い妹を庇いたくなるので、武渟川別は良い部下だがちょっといじめてみたくなる存在なのである。

「……わかりました」

 やっと豊城の腕力から解放されたが、武渟川別は耳元に恐ろしい囁きを聞いた。

「本気で戦ってやれ。だが、伊賀を傷つけたら許さん」

 矛盾に満ちた小声の脅しは、もちろん伊賀の耳には入ってこない。あんなにひっついて、意外と兄上と武渟川別って仲がいいのねと心のなかで感心している。

 武渟川別は豊城が去るのを見て、深呼吸をした。

(くそ。この女を傷つけるどころか、やられるのは俺だっつーの)

 ひと吹きの風と共に、巣立ったばかりの燕が若い武人たちの頭上を滑空していった。

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