第六節

 撮影は滞りなく進められていた。


 実は、映画の撮影にもマーゲイの独自案で幾つか日にちが別けられている。

 初日は撮影、夜に編集(コクトが)。

 二日目に物語り中盤の撮影、夜に編集(コクトが)。

 三日目は終盤手前まで撮影、夜に編集(コクトが)。

 四日目に盛り上がりシーンやエンディングを撮影、、夜に編集(コクトが)。

 五日目、コクトが総編集。

 六日目、(編集の)予備日。


「……、」

 コクト自身がスケジューリングを確認しても、かなり自分に対して易しくないスケジュールとしか想えない。更には夜の撮影なども入り込むので、深夜に編集をしている日が殆どだったりする。

「……日付伸ばせない?」

「締め切りは近いのよ!!」

「……ッス」

 コクトも疲れからか妙に口調が淡々としている。最早特に愚痴や糾弾をする事は無く、今までの苦労を考えればという底でいつも通りと思いながら熟していた。

 社畜魂が此処で発揮されるのも、何か悲しい気がする。


 本日は四日目。

 終盤手前まで撮影し、コクトが編集する事となる。

 精密編集系が基本的に人にしか出来ないのが、今回コクトが誘われた理由だった。


 ただ、その撮影風景を見ていると、矢張り見入ってしまうのも確かだった。

 作中のモブのボケにも、快く反応しない所など、シリアスの出し方を良く解っている。


 声帯とは人の観察から始まり、人を知る事から始まる。ある意味、マーゲイというフレンズは適任だったのかも知れない。


「……オッケー、今日はここまでね~♪」

「「「「お疲れ様で~す」」」」

「お疲れ~」


 今日の収録はかなり早く終わった。と言うのも、終盤手前までの為に収録はかなり少なく、その分明日への気合いは変わってくる。

 フレンズによっては明日の調整や打ち合わせと、各々に自分たちの役割を確認していた。どことなくプロ意識を感じるこの現場で、コクトと言えば取ったデータを取り出して編集の為に帰る準備をしていた。

 明日には、エンディングとその手前のラスボス戦が繰り広げられるらしい。ともあれ、今日は早めに寝れるだろう。


「じゃあ、私は此処で失礼するな」

「了解。後で編集データ確認しに行くわね」

「ああ、解った」


 マーゲイと役者達は互いに明日への調整に入る。

 コクトはその中、車を動かして自身の社宅への帰路についた。


   *


 映画に無知だったコクトが、編集四日目にして手慣れたように映像の編集に明け暮れていた。

 最初は心が折れそうになる連続だったが、仕組みが解ると意外に楽しくも覚えた。

 ただ一つ言える事が、長期休暇を申請してやる事がコレだという悲しい現実と、手慣れても続けてやりたくは無いという疲労感だった。


「まあ、もう割り切ったけどな」

 自室のパソコンを巧みに扱い、撮影した一部始終の編集に取りかかる。今まで使ってきた持ち運びの為のノートパソコンでは無く、今回新たに新調した高スペックパソコン。手慣れてみると頼りになるが、今後これ以外の作業で使う機会が無さそうだ。

 使ってる本人さえその時代の進化によるヌルヌルッとした動きに未だ慣れていない。


 横合いに置かれた珈琲を時偶啜り、作業に戻る。口の中に残った苦みが脳を活性化させ、作業は淡々と進められていった。


 そんな時だった。

 日は既に落ち始め、傾いた陽射しが社宅の窓を突き抜ける頃合い、一人の来訪者がチャイムと同時に現れた。


 ピンポーンッ!


 コクトがモニター越しに確認すれば、其処にはマーゲイが立っている。

 どうやら現地での相談を終えたらしく、此方に立ち寄るという話を律儀に守っていたらしい。


(正直来ないかと思った)


「やっほー、進捗どう?」

「まー、ぼちぼち」

「へー、ちょっと見せなさいよ」

「わかったよ……」

 日夜連続の作業に、コクトの心身も限界を超え、大概の事に関しては特に触れないようになっていた。マーゲイも特に何事も無く中に入ると、コクトが編集した動画を覗き込む。

「ふむふむ……ねぇ、此処もうちょっと派手に出来ない?」

「構わないが、それじゃあダメなのか?」

「このシーンはインパクトが欲しいのよ」

「そうか……BGMも組み合わせてみるか?」

「そうね、で、こことここを……」

 彼等の会議は日が暮れた夜まで続いた。

 一度そう言う事にハマり出すと、動物でも人間でも集中した意見が良く出てくる。

 職業病に近いような物なのだろうが、趣味に真っ直ぐなマーゲイと、一心貫くコクトの二人の仕事への相性は中々にベストマッチしていた。


   *


「はぁ……疲れたぁ……」

 マーゲイはコクトの自室のソファーの上でグッタリと身を任せていた。

 コクトの労力もそうだが、彼女も多くの事を熟してるだけあって、心身的には限界も良い所なのだ。

(流石にこうも目に見えて疲れてる奴に愚痴は言えんな)

 そんな中で、コクトは編集の手を止めて時計を見る。

 一九時を回り、外は暗い。

「……、泊っていくか?」

「……ふえっ?!」

 マーゲイの口から思わぬ声が出る。

 ディスプレイと効果音のオーケストラ後に突飛な声を出されると実に頭が痛いが、怪訝な顔は出さずに続けて吐き捨てた。

「流石に時間も時間だしな。明日も早いんだろ?」

「え、えぇ……えっと、その。流石に悪い訳で、でももし、どうしてもっていうなら、その……」

 口をモゴモゴとさせ、何かを言い淀んでいるのか、ハッキリとしない答えが繰り返されるばかりだ。

 気力が完全にピークに達していたコクトは、特に了承の確認も取らずに棚からバスタオルを取り出すと、彼女に手渡して言った。

「ずっと太陽の下で汗まみれだったんだろ? 取り敢えず先にシャワーでも浴びてこい」

「へ、ひゃ、ひゃいっっ!!」

 裏返った声と共に、彼女はバスタオルを奪うように受け取りそそくさと洗面所へと走り去った。


「……、」

 特に何かを考える事も無く、コクトは手渡し姿勢で止まっていた。


   *


 洗面所では、マーゲイが浴室でシャワーを身に浴びている音が響き渡っている。

 シャーッと言う爽快的な水の音が、服を脱いだ身の上に降りかかっている。


 以前まで毛皮だと思い込んでいた服は、認識されてからと言うもの容易に彼女達は脱ぐようになり、中にはファッションを覚える者もいる。

 ある意味今回の特撮もその一種に近い。


 浴室内では、毛皮を取り払ったマーゲイがシャワーを浴び、濯ぎ落とされた沫が排水溝の先に流れ出ていったのと同時に、キュッと蛇口を捻り湯を止めた。

 浴槽に給った湯の中につま先から偲ばせて、ゆっくりと身体を付けていく。湯気が立ちこめる中、仄かに火照った顔が赤々しい。

「……ふぅ~」

 気が緩んでしまってか、口元から声が漏れ出している。

 ただ、その火照った頬の赤はどうやら湯船の熱さだけでは無いらしい。


「……、」

 彼女の中では、コクトの顔が映っていた。


 それは、どんな感情なのだろうか。


「……ッ」

 なんとも言えぬ恥ずかしさが一層彼女を襲い、頬の赤みは増すばかりだった。


 だが、何処かを超えると、その赤みも薄れていく。

(……馬鹿)

 彼女は、コクトとは古い付き合いだ。

 其れは彼女だけの問題では無い。

 この五年の中で、コクトと親睦が深いフレンズは中々に少ないが、それでも彼を忘れた者はいなかった。

 唯それは、彼の身の回りに影響した事も、そのうちの一つである。


 一体彼女達の目には、彼がどう映っているかはわからない。

 もしかしたら、彼女達自身がそれを認識出来ていないのかも知れない。少なくともマーゲイにとっては不安の種の一つでもあった。


(いつも無理して、いつも無茶苦茶して、そのくせ、辛い思いまでして……)

 マーゲイとコクトの付き合いは、初代研究員達の時代から遡る。時にはカイロの無茶に付き合った、時にはサーバル達と一緒に彼のお迎えを手伝った事もあった。

 そして、今でも浮かぶ、帰ってきた時の彼の顔は……。


(ああ、恐いなぁ……)

 それは、一時の迷いなのだろうか?

 だが、それを考える度に、心の中で何かが掻き乱される。


(ずっと、ずっと……一緒に居たい、居たいなぁ……)

 何処か遠くに行ってしまう。

 そう想わずにはいられない。アレほどに衰弱した彼が、孰れ此処を離れて何処か遠い場所に行ってしまうのかも知れない。そうなってしまえば、フレンズの身である彼女達にとっては島の外は未知であり、サンドスターが無く維持が不可能とまでは知っている。


(嫌いになっても良いから、別に、五月蠅い奴だって思っても良いから……)

 ポロポロと、零れ出す冷たい雫が、湯気の中に消えていく。

 思いが消えてしまうようで、恐くて辛い、言い知れぬ感情が彼女を襲っていた。


「何処にも、行かないでよぉ……」


 不安が増す。

 恐怖が増す。


 初めて有ったヒト。

 今まで自分たちの為に動いてきてくれたヒト。


 彼の大切な物が消えても、留まってくれたヒト。


 でも、どうしても安心しきれない不安は、恐怖の感情となって染まっていた。


   *


 呑気な物だと思った。

 長く湯船につかりすぎた性か、それはあり得る未来だと知っていた筈なのに、それでも自分の思いとは裏腹にこんな姿を見せる彼が呑気に見えて仕方が無かった。

 ソファーに横たわり、涎を垂らしながら死んだような顔で眠っている彼。相当無理をさせすぎたのか、起きる気配など毛頭無い。

「……ちょっと期待してたのに」

 膨れっ面で、小さく語りかける。

 どうせ起きないだろうと知って、コクトの顔元に近づくマーゲイ。

 頬を小さく突けば、不機嫌な声が彼の口元から漏れる。

 そんな彼に、彼女は今までの不安が吹き飛んでしまったのか、小さく笑みを浮かべて吐き捨てた。


「……ばーか」


   *


 撮影最終日。

 この日はラスボス戦やエンディング。言う所の盛り上がりシーンの総括撮影日となった。キャストもキャストで気合いの入り方が違い、数日の間に浸透したようにも見える。

「みなさーん、本日で最終日です! 気合いを入れて取りますよ~」

 マーゲイはメガホン越しに多くのキャストや準備係に声を掛ける。

「は~い」と言う声と共に、彼女達配分の台本や仕事を何度も何度も振り返っていた。


「大丈夫そうか?」

「ん? ああ、コクトか」

 キャストの一人であるタイリクオオカミに、コクトは声を掛けた。

 コクトはキャストの体調確認の為に何人かのキャストに声を掛けていた。共に仕事をしてきただけあって、彼にだって仕事を貫く信念がある。今彼は、自分のやれる事に必死になっていた。

「中々に楽しいよ。やっていて、そのキャラクターが自分に映ってしまうようなんだが、それが悪くないんだよ」

「楽しんでるようで何よりだ」

「何、こういうのは楽しんだ物勝ちというのだろう?」

「……ふふ。ああ、そうだな」

 コクトは虚を突かれたかのような顔を為ると、小さく微笑み返していた。


「良い感じね」

 そんな風景を遠目に見ていたマーゲイも、小さく微笑む。

 そして腕に付けたデジタル式の見やすい時計に目を合わせて、またメガホン越しに大きく叫んだ。


「それじゃあ最終日、撮影始めまーす!!」

 その言葉に多くのフレンズと共にコクトも配置についた。


 最後の撮影が、始まる。


   *


 最後の撮影だけあって緊張感は肌にまで伝わる。

 本気度が違うのだ。


「それでも、私は貴方を救いたいの!!」

「私に構わないでくれ! 私は、もう……」

 キャストの演技にも歯車が噛み合ったかのように火花を散らして回る。


「貴方を、止める!! 変身ッ!!」

「ウオァァァァァァァァァ!!!!」

 叫びが、声が、覇気が、ビリビリと伝わってくる。

 動きや精密な行動、フレンズの枠を超え、彼女達の目には今以上に生きようとするような闘争心に近い情熱が芽生えていた。


 効果音は無いのに、CGも無いのに、其処に在るように見えてしまう不思議。


(……本当に、ビリビリって感じね)

 要所要所でカットが入り、リテイクか次のシーンに飛ぶ。

 その度に多くのキャストが急ぎ足でメイクに戻る。フレンズが配置を変える。


 現場の裏側の体現のようなその緊迫感は、地響きのように足にも腕にも伝わる。


 そう、そんな緊張が走っている最中だった。


「キャァァァァァ!!」

 一つの悲鳴が、舞台の転覆を促した。


   *


 一投された悲鳴は、とあるアクションとキャストの二人組からだった。コクト達が駆けつけると、其処では誰かが崩れ落ちて倒れているようにも見えるが、フレンズには何が起きているか解らない。

 だが、コクトは其れを見た瞬間、彼女達とは別の視点に気がついたのか、急いで二人に駆けつけた。

「誰か、氷をバケツに入れて持ってきてくれ、うんと沢山だ!! それと、大きめのバスタオル二つ!!」

「は、はい!!」

 近くにいたフレンズが返事を為ると、メイクアップ用のコンテナに駆けだした。

「こ、コクト?」

 不安に思ったマーゲイが様子を見ようと覗き込む。


 その間コクトは、彼女達の足を伸ばして靴を脱がせていた。

「……、捻挫だろうが、内出血や骨折の可能性も高い」

 その言葉に、マーゲイは彼女達の光景と同じくして驚愕した。

 足首辺りが腫れ上がり、何処か青白い痣が浮かび上がっている。彼女達の痛がりようも普通じゃ無い。

「な、何でこんな事に……!!」

「多分、次のアクションの為のシミュレーションだろう。この子達の配役が配役なだけにな」

「あっ!?」

 目の前で怪我をしてしまった彼女達は次のシーンのシミュレーションを行っていたのだ。その役割はなんとラスボス。それだけあって大きく立ち回るだけに、高負荷の緊張と運動にアクシデントを起こしてしまったのだ。

 更には。

「ヒトにもあるが、そう言うアクシデントを起こすまでの経過で時折最悪な状況って言うのが存在する。それが靴だ」

「こ、氷とタオル持ってきました!!」

「サンキュ」

「靴?」

「ああ……ちょっと痛いかも知れないが、我慢しろよ」

 コクトは彼女達に気を遣いながらに氷を詰めたタオルを青くなった痣部分に当てていく。その冷気と痛みからか彼女達は「ウッ!!」とうめきを上げながらも涙目に我慢している。

「靴って言うのは、キツく縛るか緩く縛るかによって、実は事故の過程が変わってくる。この子達の場合、短期間でのアクション練習や実践の上に、大役というプレッシャーもあるかも知れないが、その過程が少々問題でな。要は念入りに考えすぎた結果さ……私も気がつくべきだった」


 短期間のアクションの実践。

 それは、きっと未知であろう彼女達にとっては何かと大きいプレッシャーを背負う事になっていたのだろう。その中で何回もシチュエーションのシミュレーションを重ね特訓したが故に、要は足に高負荷が掛かってしまったのだ。

 アクション要員の鳥の彼女に至っては最も簡単で、バランスを崩した彼女に連れられて、空中で姿勢を維持出来なくなってしまい高所からの転落。

 アクションの為のワイヤーが、よりによって人災を増やしてしまったという過酷な事実だ。


「とりあえず、このまま医療機関に運ぶ。悪いが一旦収録は止めさせて貰うぞ、マーゲイ!!」

「え、ええ!! 私も行くわ!!」


   *


 医療機関。

 其処に運び込まれた二人のフレンズは、事実上捻挫と診断され、無理な行動を控えるようにとのドクターストップまで入ってしまった。


「まあ、そうだろうな」

「うぅ……」

「いや、所長は何をしてるんですか」

 今日はカコが出勤だった為に、診察医はカコが勤めていた。彼女達の足はコクトの治療の甲斐もあってか酷い状態では無かったらしく、数週間の安静を命じられるだけに終わった。

「不可抗力だよ」

「不可抗力で特撮取るんですか……」

「まあ、フレンズの意向は成る可く尊重してあげたいしな」

「そうですが……ですが、残念ながらですね」

 こうなると撮影が滞るのは事実、キャストが居ないとも成れば、ラスボスは代役が必要になるが、ラスボスと言うだけあってアクションが重要になってくる。

「う~ん、う~ん……」

 頭を悩ませているマーゲイ。

 当たり前だ。重要なキャスティングなだけに今更代役を揃えられない。

「キャストが物語の中でもう出てるのよね。別に変化とか真実の姿を現す~とかも構わないけど、そうなると限られてくるのよ……」

「ついさっきドクターストップの掛かった彼女達の復帰を待つのは駄目なのか?」

「けものキャッスルで上映予定を表示しちゃってるから駄目ね。最悪復帰後に取り直しは考えてるけど、一旦の代役が欲しいわね」

「つまり、どういう条件が欲しいの?」

 カコとマーゲイが淡々と状況と必要な素材の話し合いをしている。マーゲイにとっては悩ましいのは事実だが、カコもカコでフレンズが創る映画という物に興味があるらしい。

 コクトは蚊帳の外だ。


「えっと、まず映画の事を熟知してるでしょ?」

「ふむふむ」

「で、ラスボスだからソコソコ覇気がある子が良いわね」

「なるほど」

「で、一応途中まで撮ってあるからまるで変身したかのように登場させるから、ラスボスとして成る可く悪役っぽい顔が良いの」

「悪役っぽいか」

「だから、人相が悪くて、不健康そうで、尚且つ機敏な動きが出来る、一目でわかる恐い奴」

「ふむふむ……、人相が悪く目つきも悪い、覇気があって脚本を熟知している。程々に動けて、威圧感の有る存在……」


 マーゲイとカコは互いに考える。

 コクトは蚊帳の外で紙コップに注がれた珈琲をズイズイッと啜って傍観している。


 筈だった。


「目つきが鋭く顔が恐い……」

「威圧感のあって、脚本を知ってる……」

「「……、」」

 数秒の間があった。

 彼女達が顎に手を当てて考え込むようにしていると、ふと、思い当たる人物を思い立ったらしく、二人は顔を上げる。


 そして見合わせた後、その顔はグルリとコクトに向かって投げかけられた。


「……?」

「脚本を知ってて」

「威圧感のある」

「目が鋭くて顔が悪い」

「……だーれが目付きの鋭くて顔が恐い奴だコラ」


 二人の目はコクトが察せるほどに明らかに此方を向いていた。ただ、その目が何を悟っているのかは、言った後に気がついてしまった。

「……まて、待て待て待て」

「居るじゃない!! 適役が!!!!」

「そうですよ、そうですよ!!!!」

「待て、言いたい事はわからなくも無いが落ち着け!!」

「コクトさん!!」

「やだ!!」

「行くわよ!!」

「決定事項?!」


   *


 コレは、世間で言う強制労働と同じなのでは無いだろうか?

 その定義がどうあれ、本人の意向無しに強制させる事は悪では無いだろうか?

「……渋々請け負った自分も自分だけどさ」

「コクトさん動かないで下さいね」

「あ、はい」

 メイク室で縦横無尽にメイクされるコクト。特殊メイクではあったが、ブヨブヨとした粘着液のような物では無く、その脅威性を見た目から増す為に傷や眼の威圧感を押し出すようなメイクが施されていた。

「……我ながらこのメイクは良いと思うんですよ」

 主に目元が強調する形だ。

 目が据わったように見せるアイコンタクトに、瞼に切り傷があるように施してある。

「目元だけなんだな」

「コクトさんは、正直目元だけ弄っちゃえばどうとでも恐くなりますね」

「……、」

 この数年で自分がどう思われていたのかを今実感した。

 中々に心に来る言葉に、コクトは少々気落ちしたような面持ちでメイクを受けた。


   *


 撮影開始前。

「マーゲイ、待たせた」

「ああ、やっとき……恐っ?!」

「……、」

「あ、いや、さすがメイクさんは凄いなぁと思っただけよ。アハ、アハハハハ……いや、本当にゴメンって、貴方そんなに気にしてたなんて思わなくてね、あの、ごめんね?」

「大丈夫だ、慣れてる慣れてる」

(メイクしなくても目は据わってたんじゃないかしら、彼……)


「それじゃあ撮るわよ~!!」

「「「「はーい」」」」


 皆々が定位置へと位置取り始める。

 コクトはラスボスがコクトの姿(設定上畏怖の姿)に変化する瞬間から始め、戦闘となる。初っぱなから高難易度の演技力を求められるコクトは、頭の中でシミュレーションを何度も繰り返し臨む事となった。


「それじゃあ……3、2――」


   *


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 スタートと同時に、コクトの絶哮が響き渡る。唯それは演技の筈だ、演技の筈だが……。


 ビリビリッ!!

 キャストだけじゃない、アクション補助や眺めている他のフレンズまでも、まるで現実とも取れる咆哮に、肌が、感覚が、麻痺させられていく。

(……コク、ト。本当に役者なんて初めてなのよね?)

 その瞳に映している光景に疑いたくなるマーゲイ。その点に咆える姿はまさに、百獣の王者のように君臨するライオンの気迫……いや、どうだろうか?

 マーゲイも、周りのフレンズも、それがどことなく違う事を感づいていた。

 ただ、正確にはわからない。多くのフレンズの姿を見ていても、そのフレンズのどれにも当てはまらないような、暴力と凶悪の概念を持った咆哮。


「……っ」

 キャストの主人公達までもが、一瞬怯みかける。


 此処から始まるのは、バトルアクションだが、気を抜けば喰われるような感覚しかなかった。本能的に感じてしまったのでは無いだろうか?

 演技だけで錯覚してしまうような、自らの天敵に遭遇したような……圧倒的な畏怖が。


 咆哮が終われば、コクトはグッタリと俯く。

 此処からだ。


「……はぁー……。嗚呼、さて、守護者達よ」


 風でも吹いているのだろうか?

 まるで後ろに押し戻されそうな気迫だ。

 コクトが、一歩足を踏み込んだだけで腰を抜かし兼ねない。

 ジリジリッと、皮膚が、本能が、翻弄されてしまい、まるで身体の器官が異常を起こしたように狂いだしていた。


「私の計画の邪魔となるのであれば、我が力は貴様らを踏み潰し、我が血肉の糧とさせて貰おう」


 ……台本通りでも、本気でしそうだ。

 だが、其処から襲いかかるという場面で、コクトが主人公達に向かって走り出すと言う瞬間で、マーゲイはある事に気がついた。


「……あっ!? アクション補助付け忘れた!!」

 後ろに跳ね飛んだり、まるで超跳躍を魅せる為の空中でワイヤーを付けて操作をするフレンズが主人公達の上で待機している。だが、今になって覇気に押されてしまったからか、コクトに配属するのをすっかり忘れていたのだ。


「い、行くわよ!!」

「ああ、ジャパリパークの命運は!!」

「私達が守る!!」

 主人公達も迎え撃つように鼓舞してコクトに立ち向かう。最早先程の覇気で感覚が麻痺してしまったのか、マーゲイ以外気がついていない。


 だが、其処からだった。

 主人公達の爪や牙、武器などが彼に向かって放たれる。

 だが、コクトは補助も無しに後ろに撥ね除けたり、人並みのジャンプ力を超えた跳躍を披露したり、その演技力によって見えない光線が然も出ているように演じ出す。

(……え、演技派でアクターッ!?)

 マーゲイの混乱のつかの間、一度追い詰められる場面まで流れて行く。


「ハァァ!!!!」

 大きく手を薙ぎ払うように動かす。

 その腕からの風圧か、ヒーロー達は大きく吹き飛ばされてしまった。


「クッ!!」

「何て力だ……」

「どうするの? ジャッカル!!」

「……はぁ、はぁ」


 主人公であるセグロジャッカルは、ゆっくりと立ち上がる。まるで目の前にある恐怖に、立ち向かうかのように、コクトを睨み付けるようにして。

「あたしは、負けない」

「ほう……、最早虫の息と見えるが?」

「例え、どれだけ相手が強くても、負けちゃいけないんだ。なくした物や、失った物なんて沢山有る。でも、此処で諦めたら、此処で挫けたら、明日には何も残らなくなる。だったら私は、弱くても、惨めでも、貴方を倒す為に死力を尽くす!!!!」

 コクトを睨み付ける。

 先程まで弱気だった眼に、光が輝くように彼女に覇気が戻る。

 そして、それに応えるように、励まされたように、次々に仲間達の眼にも鮮やかな色が戻り始めた。

「そう、だね。私達が倒れたら、きっと好きな事も出来なくなってしまうね」

 タイリクオオカミが、セグロジャッカルの方を支えるように隣に立った。

「間違いありません。勝って帰るって約束したこのオーダー、果たさなくてはなりません」

 リカオンが、ボロボロながらも気力を振り絞るかのようにして隣に立つ。

「怖いけど、でも、逃げてはいけませんものね。いち早く明日に付く為に、今日この恐怖を駆け抜けましょう!」

 タテガミオオカミが、彼女達の隣に達、四人がコクトを見据える。

 まるで虫けらを見るようにして、コクトは下眼に彼女達を見ている。最早何度も何度も立ち上がる彼女達に飽き飽きしているような眼だ。

「小賢しい……五月蠅い蠅は、早々に磨り潰すに限るなぁ!!」


 グオォォ!!

 紫の瘴気が彼女達に向かって掃き出される。


 寒気もするその息吹に、彼女達はもう物怖じない。


 そして、最後の決戦の幕が、開かれる。


「はあ!!」

 彼女達は走り出す。

 迎え撃つようにコクトは立つ。


 彼女達の一撃などなんともない、跳ね返せば良いと思ったのもつかの間、最速で来たタテガミオオカミの一撃を身に受けた。

「クッハァ?!」

「まだまだぁ!!」

 後ろに除けたコクトに向かって、タテガミオオカミを飛び越えたリカオンが蹴りの追撃を喰らわせる。

「ぐォァァァッ!!」

 顔面に直撃したリカオンの蹴りは、コクトの身体を空中に投げ飛ばした。彼はなんとか空中で身を持ち直し着地するが、追撃は止まない。

 タイリクオオカミが彼に向かって駆けてきているのだ。

「はぁ、はぁ……舐めるなぁ!!」

「ハァァァッッ!!」

 振り上げられた二人の拳。

 風を切り、轟音を発し放たれると思ったその時。


 ガクンッ!!

 視界の中に居たタイリクオオカミが消えた。

 直後、胸元に強い衝撃を受ける。


 殴る直前で彼女は下に潜り込み、彼の拳を避けていたのだ。


「……ッッ!!」

 突然の切り替えにコクトは混乱していた。

 胸元への強い衝撃に呼吸が整えられない。


 やっとの思いで顔を上げれば、そこに居たのはセグロジャッカルだった。彼女の手には片手剣が握られている。

「何故だ……何故この私に敵う!!」

「貴方に打ち込んだあの銃……。これは、博士が最後に残してくれた、貴方に対する最後の抗体だったのよ!!」

「クッソォォォォォォォ!!!!」

 ダンッ!!

 咆哮と共にコクトは駆け出す。

 最早怒りに囚われ、判断が付かなかった。


 そんな相手など最早恐るるにたらない。セグロジャッカルは片手剣を両手で握りしめ振り下ろす。大ぶりな攻撃など、隙が多い。だが判断力を失ったコクトには、容易に刻み込まれた。

「グガッ!!」

 止まらない。

 それでも、一度切り付けた程度では止まらない。

 コクトの大ぶりな攻撃だが、喰らえば終わる。だからこそ、セグロジャッカルも本気だ。

 攻撃を避け、コクトを切り付ける。その行為は単純でも、コクトの放たれたその攻撃によって地面は容易に抉られるのだ。喰らえば即死、そして、目の前の強大な敵を倒すには刃を何度も切り付けなければいけない。

(もう、チャンスはない!!)


 連撃の末に、セグロジャッカルは後方に飛び退く。


「……貴方の運命は、此処までよ!!」

 腰に巻いたベルトのボタンを押す。

 そうすると、彼女の姿は輝きを増し、その勢いで空中へと浮かび上がる。


 最後の一撃。

 その攻撃にコクトも応戦するように、空中へと飛び上がる。


 悪と正義の、最後の衝突。

 飛び上がった彼女は、その空中から繰り出される凄まじい輝きを秘めた跳び蹴りが彼を目掛けて放たれる。コクトも空中高くに向かって蹴り込むように、脚を放つ。

「ウォォォォ!!」

「これで、終りだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 衝突する蹴り、だが、最早どちらの気迫が強かったかは言うまい。

 砕けたのはコクト。

 その膨大な輝きを秘めたセグロジャッカルの足は、コクトを貫き、その輝きによってコクトは爆散した。


「うぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」


 爆音と悲しき叫びの中、セグロジャッカルは地面に着地し、その光景を振り返る。

 静寂に消えていく轟音と、夜明けを共に見て、最後にコクトに向かって言い放った。


「……ミッション、クリアだ」


   *


「打ち上げよー!!」

「「「「いえーい!!!!」」」」

「……、」

 社宅内。

 コクトの自室で、その打ち上げと言う名のパーティーが始まっていた。


「イヤもう、前に一回やったじゃないか」

「アレは全ての撮影が終わって現場で大人数でやった焼肉の話でしょ。今回は無事劇場で放映されて、多くの人気を獲得出来た記念によ!」

「そう言う事だ」

「アタシも中々輝いてたわよね」

「私としては最初は恥ずかしかったですけどね」

「慣れると楽しい物でしたよね。オーダーを完璧に熟しました」

 メインキャストである四人とマーゲイを含めた五人の打ち上げ。コクトはキッチンで愚痴を零しながらも多くの料理を手作りして皆に振舞っていた。

「もう一次会でも二次会でも何でも良いが、私としてはもうゴメンだな」

「何を言ってるんだ。ああいうのはノリと勢いなんだ。次はもっと良い役が入るかも知れないよ」

「断る。と言うか、タイリクはこういうのは断るタイプだと思ったが……」

「私は面白そうな事には首を突っ込みたがるのか、そう言う性分でね。恥じらいは不要なのさ」

「達観しているというかまぁ……セグロはどうなんだ?」

「アタシ? アタシは楽しかったよ。なんかこう、皆に注目されてるようで、良いね、映画って」

 各々に思い思いに楽しんでいるようで、意外と抵抗がないのだろうか。そんな事を思いながらにコクトはタテガミオオカミに話を振ってみた。

「タテガミは?」

「私は……実は最初は緊張してたのよね」

「ああ、やっぱり最初はそうなのかな?」

「確かに演じるという恥ずかしさもあったけど、途中から入る形だったから皆の熱に驚いて萎縮しちゃってたの」

 タテガミオオカミは脚本上物語の中盤の最初に出てくるようなキャラクターの扱いだった為に、遅めの合流だった。その頃には最初のメンバーである三人の熱の入り方に驚かされたらしく、演技に集中出来なかったようなのだ。

「でも、やっていく内に楽しくなっちゃってね、最後までやり遂げたいなぁって思う気持ちが最後に勝っちゃった」

「成る程な」

(……何というか、こういうのが熱中や集中というのだろうが、彼女達は其処にどっぷりとハマった訳だ)

「リカオンはどうだ?」

「私は正直に、自分のキャラクターに驚きましたね」

「あー……」

「リカオンさんはキャラクター的に見れば主人公より主人公でしたもんね」

「私捻くれてたわよね」

「そ、そういう訳じゃないのですけど、元々前に立って目立つような事をした事が無く、動物の頃からも連携や補佐などが多かったので、意外と自分の中でも目立つ事に関してあやふやな状態だったんです。主人公ほどとは言いませんが、主役級の……それも演技って中々に大変ですね」

 リカオンはリカオンで、その生態上に反する役者だった。主人公より主人公というのも強ち間違いではないが、言い換えればセグロジャッカルのキャラクターよりも純粋で真っ直ぐという正統派系のキャラクターだった。

 対しセグロジャッカルは最初は少々ヤンチャで、真っ当とは違った線を行くキャラクターだったのに対して、葛藤と考えの中で成長していくという、主人公としては中々に主人公らしい側面を演じてはいる。

 マーゲイの脚本としては、キャラクターと立ち位置を変えて、主観を変えてみせるというシナリオを作り上げた訳だ。


「いやぁ~。さすがマーゲイさんでした」

「ふっふ~ん。私を崇めなさい!!」

「マーゲイ様、ハハー」


「悪酔いでもしてるのかコイツら……」

 リカオンがマーゲイに平伏しているその姿に、思わずコクトが口を尖らせる。まあ、それ程に良い気持ちなのだろうから、これ以上は言わないでおこうとその場を後にしてキッチンで彼女達を覗いていた。


   *


「……、」

 楽しそうに談笑するフレンズ達を余所に、キッチンからその楽しげな風景を眺めるコクト。そんな光景をみて、そんな映画を見て、コクトはふと、この撮影期間に思い至った事を今再び思い出す。


『――フレンズ達の、生きる意味とは?』


 動物にも、人にも、各々に生きる意味がある。

 だがフレンズは、動物であって人間に近しくもあり、人間でなければ動物とも違う。曖昧な線の中で生まれたこの新しい命に、生きる意味、生きて良い理由が必要なのだ。


 まだ、答えは得ていない。

 だが、コクトもこの映画の主人公が、葛藤と悩みと……その多くの出会いから学んだよに、自分も違う形の中で生きてきた者として、ある一つの覚悟を、此処に決めた。


(私の、この長い年月の中で、多くのフレンズと触れ合ってきた。彼女達が明日、生きる意味を考えた時、そこに至る解答を与えなければいけない。各々に生きる意味を持っていても、フレンズという未確定な存在に、付け入る隙があるのは事実だ)


 未だ確定するに至らない彼女達の存在。

 どうしてフレンズとして生まれてきたのか、何故この姿で生きているのか、きっとその問いは、いつか彼女達の前に立ちはだかる壁として現れるだろう。

 それを打ち砕く為の答えを、誰かに生きて良いよと言われたいと願った時。その存在を肯定する為の言葉を、用意しなくてはならない。


 ジャパリパークの創設者にして、最高責任者たる、自分が。


(――ああ、見つけてあげるよ、必ず)


 コクトは、今、進むべき道を再確認した。


 そう、それが、コクトの生涯を掛けた、問いとなることに違いなく。

 そして、その問いは最後の終局地へと繋がり始めた。

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