第七節

 先んじて訂正するが、コクトが何も毎日のように仕事を手早く終わらせられる訳では無い。


 ジャパリパーク医療機関。

 通称『ジャパリパーク大病院』


 パーク内最も巨大なその病院では、時折大手術が行われる。

 セルリアンとの交戦時における外傷などもあるが、時にフレンズの事故も例外ではなく多い。フレンズ化してからと言うもの、動物時代とは違った肉体構造に戸惑い、同じように動こうとしても行動出来ないという事例は間々ある。

 その際に起きてしまう不可抗力の事故に対して、即座に緊急オペを行うのだが、実はその後にも問題がある。

 動物としての自分が出来てきた事が出来ないというのは、時にフレンズにプレッシャーとしてのし掛かる事もある。その度に精神的なサポート(俗に言う精神治療(メンタルケア))をフレンズに受けさせ、動物としての自信と、構造によって変化した肉体の動かし方の基礎を学ばせる。


 唯昨今は自信さえ取り戻せば、同系統のフレンズによってのさポートで肉体の慣れを行う事がより多く可能とされてきた。

 その現状から言えば、フレンズにおける肉体的定着治療は必要なくなったに近い物だが、精神治療(メンタルケア)だけは医師間の中では未だ問題視されている。

 動物の成長は、今までフレンズとして確認してきただけでも急速的で著しく、人間社会の科学にも手を伸ばし始めている。だが、それでも彼女達の精神は殻を纏わず裸体のままなのだ。寧ろ、人の社会に足を踏み出してしまった時点で、今までの動物社会とは違う人間社会の世界に投げ出されてしまっている。


 そんな彼女達の心を護り続けてきた対フレンズ医師である彼等は日々研究に余念がないのだ。


「……、」

 そんな日々の中で、コクトは医療機関の職員室にて多くの受診フレンズのカルテを見通していた。

(この子にはアスピリンアルミニウムで良いか……、矢張りシロップ剤の方が良いのか? 粉状は抵抗のあるフレンズが多いな……)

 何かとフレンズにも注文が多い。

 最近は薬剤チームとの交渉を重ね、飲みやすさを重視した新薬の開発なども進んでいる。動物の味覚は未だ人間のそれとは違うだけに、常に考慮は付き物だ。例えフレンズ化して人間に近しい味覚となっても、動物としての特徴を残している故にその溝は深い。


「……はぁ」

 ある程度目を通し終えたコクトは、背もたれにグッタリと身を預けて、天井を見つめる。


 この問答は、決して今に始まった事ではない。

 ジャパリパーク設立当初は、動物用の薬剤に間違いはなかったものの、粉状か液状、シロップ等の考えで何度も摂取を嫌がるフレンズは多発した。その度に医療機関や、当時単独で動いていたコクトは日中日夜休む事なく研究し続けたのは良い想い出だ。更には予防接種に置いては唯の大脱走大会。ジャパリパーク中を捜しては取り押さえて注射器を射す行為は今でも痛たまれる。

 フレンズの拒絶反応は目に見えてわかる分改善点を浮き彫りに出来るのは良い事なのだが、あの嫌がる姿を見てきた当時から、今でもその疑念は晴れないのだ。


 ――本当に、この医療行為は動物にとって善い事なのか。


 医者は患者を治す手伝いを、今日今日の日まで人間社会の中では繰り返されてきた。

 だが、相手は動物だ。人間のように健康第一で生きたいと思っているのだろうか? もしかしたら、その健康の強要に嫌みを感じているのではないのか? 考え出せば切りがない。


 現在でこそフレンズと人は共生の中で良く笑い良く楽しんで生きているのかも知れない。

 だが、コクトにとって当初のジャパリパークでは、自分たちのその疎外感は常に胸を締め付けるような思いだった。


(誰かの為が、誰かを傷つけている可能性がある……本当に、その通りだな、櫻)

 そうだ。

 櫻も例外ではない。

 彼女の祈りは、最後になるその瞬間までコクトの近くに居たいという物だった。だが彼は彼女を救いたいが為に彼女の幸せを放棄していた事に気がつかなかった。


 誰かを幸せにしようとするその思い事態、それが間違いなのではないのか。エゴという物ではないのか。

 自問自答は、いつだって止まない物だった。


「……とっ、こんな時間か」

 時計を見れば、正午を過ぎた時間だった。

 気がついて周りを見渡せば、昼時なだけに既に職員は昼食の為に食堂へと向かっていて、コクトは一人ポツンと残されていた。

 こう言った疎外感は案外慣れ物なのも大概だろうが、それでもコクトは自分の予定の為に席を立ち、己が目的地へと歩み出した。


   *


 現在、ジャパリパークではある試みが実行されようとしていた。

 それは、ジャパリパークの保護区の一部を試験的に開放する試みだ。


 ジャパリパークでは、防衛体制を敷けるセントラル区域以外において、対セルリアンの防衛は考慮されていなかった。

 否、正確には出来なかったのだ。

 平原や森林の全解放は、事実上解放するには管理の行き届かせられない点が多すぎる。その為に、現在まで都心区を中心に発展区画以外の防衛は、保護を主体としたジャパリパークでは無理と断言するに至る状態なのだ。


 要するに、自然を活かすはずの保護区に、対セルリアン要塞のような戦闘用人工物の配置は禁じられている。


 だが、今回の試験解放区というのは、その対抗するセルリアンの状態から一点考慮した部分によって生み出された発案だった。


 場所はセントラル近隣の、本来フレンズの為に発展させられた発展区。謂わば、セントラルのような遊園区画ではなく、保護区内にあるフレンズ専用の街並みを築けられた場所だ。その場所を試験用に開放するつもりではいるが、その試験開放とはどういったことなのか?

 端的に言えば、生息しているフレンズの観察を名目に飼育員数十名を送り込み、管理を行う事だ。遊園区と試験解放区の何が違うかと問われれば其処に遊園客が入って来ないという事だ。


 かなり端的に言えば、職員専用ジャパリパーク(フレンズ養育職付き)だ。


「……まあ、試験解放区だけあって本当に発展途上の街並みだがな」

 視察と言うべきか、コクトはこの試験開放の立案であるガイド長と共に試験開放予定区に立ち寄っていた。

「そう言わないでよ。何か田舎町馬鹿にしてるみたいよ」

「そのつもりはないが、基本的にジャパリパークは殺風景か近代化の二択だからな」

「貴方、時々毒舌になるわよね」

「……、」

 彼女の言葉を意に返さずに、視察の為に試験解放区域の中を巡回するコクト。セルリアンの出現も減った為に、その場所には二人しか居ない。解放されていないこの場所は、謂わばフレンズと人の不干渉区として存在していた。

 静かな場所で響くのは二人の会話のみだ。


「……よし、確かに守備上々といった感じだな。コレなら近い内にテスト運営も可能だろう」

「それは良いけど、前に話した事は大丈夫なの?」

「ああ、現在本職の数名のガイドを筆頭に、更に追加で正規雇用を視野に入れた中途採用の飼育員を取り入れようと思ってる。以前の試験で定員落ちしてしまった受験者に加えて、あと十数名は確保するつもりだよ」

「了解。指導係としては……折角だしミライを付けようかしら」

「良いのか? アイツは今も尚ガイドの技量としてもそっちに居て貰った方が……?」

「良いのよ。あの子には色々経験して貰わなきゃいけない訳だし」

「まあ、アンタの目論見がそれで良いならそれで良いよ」


 動員する正規職員に加え、中途新人の採用。今後も見据えて新人年齢に近い年代の取り入れを視野に入れ、コクトは考慮し始める。

 試験解放と言うだけあって、この企画には多くの試験的実験が組み込まれている。その実証の為にも、入念になるのは当たり前だ。


「しかし、“飼育員”ねぇ……」

「何だ、不満か?」

「いいえ。というよりも、ジャパリパークは本来は動物保護を明確にしてたはずなのに、飼育員って役職は初めてと思ってね」

「もともとフレンズが自発的に行動出来るようになっている分、飼育員の存在は不要に近い状態だったんだ。医療機関もあったしな。だが、フレンズの中には不摂生なフレンズも少なからず居る。無論ジャパリパークでフレンズを法に縛るような権威主義を主張するつもりは無いが、平和に生きるという事にはその生き方にも目を置かなければならない」

「ふぅん……」

「……やっぱ不満か?」

「いえ。ただ、貴方やっぱりジャパリパークのようなファンタジーな場所の経営者には見えないと思ってね」

「……悪かったな」

「別に悪い意味じゃ無いわよ。でも、まるで国家元首みたいな、それに近いような物かしらね」

「まあ、言わんとしている事はわかるさ、でも、今この場所は一国のような物だ。なら、それを先導する者が居なくてどうする。無法地帯にするのは御免だ」

「其処は同意見ね」

 フレンズに自由を与え、規則を与える。

 だが、それは制限では無く、糧となる物を対象とする。


 ジャパリパークの運営は常にフレンズと職員の距離感、そしてフレンズへの優遇姿勢と規律設定の距離感の相違から経営される。


 生存的互恵関係。

 それが現在の二者の関係として組まれている。


 個人個人にそういう意志がなくとも、外交官的立ち位置にあるコクトはその間を保ち持たず持たれずを維持しなくては成らない。


 干渉せず、離れず。


 それこそ、その人生の経験から生んだ答えだった。


「……さて、と」

 コクトは首元に手を当て、首を二・三回鳴らすと、窶れた目でグルリッと試験解放区の全貌を見渡した。

「私はそろそろ定員募集と再度通知と……、試験準備か」

「私は職務に戻るけどね」

「はいはい」

 コクトは軽口に言葉を返した。

 従業員集めは人事課の仕事ではあるが、その最終決定を下すのは最高責任者たるコクトだ。気は進まないが、それでも迫り来る予兆の為にも、準備は欠かさず進めなくてはならない。


「……やっぱり」

 今は未だガランッとした試験解放区。ヒトも、フレンズも、誰一人居ない。

 そんな、風の音しか聞こえぬであろう、その場所で、大きく溜息と共に一つの言葉を吐き出した。


「そうなってるよな」


 一瞬。


 ――ガガッ


 コクトの視界にノイズが走った。

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