第一七章

 ジャパリパークに、新しき博士が誕生した。

 生物学の号を得た、カコとコクトだ。


 彼等は互いに正式な研究員(コクトは自身が医者である負い目から余り研究員を自称する事が無かっただけ)となり、研究に勤しむ毎日を送っていた。


 カコは前回通り、副所長の地位は確定され、研究員達にとっては近い未来の上司として祝いの言葉を贈る者が多かった。

 因みに、コクトが博士号を取る事は、研究員達の中でもある程度解っていた事らしく、さして驚かなかった。

 それは実力こそもあるが、嘗ての初期メンバーと同じ道を歩いてきたのを見ているからこその理解でも有り、そして、これは――研究員達にとっては――嘗ての四人の遺志を継いだ者として、頼りにされていた事実でもあった。


「……と言っても、私は全面的に事務所と医療機関の運営をしなければいけないのだがな」


 研究所の第一研究室。

 古参の研究メンバーやカコ、コクトを合わせた研究員達が、来期における組織の運営方針について語らっていた。


「うぇぇぇ~……、所長戻ってこられないんですか~?」

「たまには戻ってくるけど、アッチはアッチで色々大変なんだよ。まあ、近い内に事務職の後任を付けておこうとは想って何人か手配はしてるけど、来期には戻れる保証は無いからな」

「それじゃあカコちゃんが当分私達の上司か~」

「……うぇっ!? 私ですか!?」

「お前しかいないだろうな。あと、カコちゃんって敬称で呼んでる所悪いがそろそろ治しとけよ。新メンバーが入ってきた時、副所長の面子が持たなくなるしな」

 そう言い放ったコクトに対して、古参のメンバーは顔をカコに向けると、一斉に言い始めた。

「カコ副所長~」

「副所長~」

「カコ博士~」

「えっ!! は、はいぃっ!!!?」

 急な尊敬に思い切りパニクる。顔からボフンッと湯気が立ち、クラクラと左右に揺れて次第には「キュー……」と言ってショートした。


「所長、カコさん絶対大衆の前で演説したら上がりますよね? 大丈夫なんですか?」

「まー、当分は慣れて貰うしか無い。まあでも、彼女は指導よりも先導の方が良いだろう。と言う事で新参者に対する指導は君たちにお願いしたい。その間の代替の指揮はカコに任せ、君たちは新人指導。今のところはこの考えだ」

「まあ大丈夫ですけど」

「りょうかいでーす」

「はーい」

「せんせー」

「先生じゃないけど何?」

「カコ副所長が動きませーん」

「……少し休憩」


   *


 コクトは、最近事務所に居ない事が多い。

 彼はひとりでに、何処かに出かける事が多かった。

 休憩や休暇は必ずそこに行く事が多く、帰ってくれば職務に戻る。


 ただ、コクトはその場所を頑なに話そうとはしなかった。

 聞こうとしても、はぐらかすし、適当な所を上げる。最後には視察と言ったりと、余り本気で話す事はない。


 それもその筈。

 彼がその場所に行くという行為自体を、誰にも知られたくなかったのだ。


 山岳地帯、丘の上……墓石前。


「……、」

 丘の上に立つ墓石のように立つ四つの大岩。

 表面には嘗ての研究員の名前が連なれており、その墓の前で彼は今日も何も言わずジッとそこに立っていた。


(……、全く、皆々俺を置いて先に逝っちまって)


 最早初代研究員は彼一人。

 それはまるで、一人どこかに置いて行かれてしまった子供のような、苦しさと悲しさを思い出させる場所となっていた。


(いつもそうだ。……私は間に合わない、お前達も、妹も、友も……そして)


 この墓石の前に来る度に実感する。

 己の無力さを。

 学があっても力があっても、その度に本当に守りたかった者が守れなかった事実に直面し、無力さを知る。


 どれだけ讃えられても、何も守れない。

 最早自棄に成りたくても、背負った業と使命からは逃れられない。


 コクトは、ジャパリパークの実権者では無いのかも知れない。


 それは、首輪で繋がれ、死ぬその瞬間まで奉仕する事を命じられ、いつか果てるその日まで、己が自由は無し。否、死んだとて、その先にあるのは虚構の暗闇。

 首輪を繋がれた、哀しき囚人。


 このジャパリパークの「のけ者は居ない」と言うコンセプトを正しく書き直すのであれば「除け者はこのジャパリパークにおいて、その存在価値はない」かも知れない。


(……悲観だ)


 自分の心の弱さが本当に嫌になる。

 でも、一度誓った思いを投げ出す事はしない。


 若しそこまでする理由を問われれば、彼は何というのだろうか?


「……、……?」


 傷心に浸っている最中、背後で何か草木が揺れる音がした。

 草木生い茂る上に風は吹く、その音は本来当たり前だと想うのだろうが、彼はその音に何かを期待していたのかも知れない、後ろを振り向く。


「……コクト」

 キタキツネが、此方に来ていた。

「ああ、キタキツネか。何かあったのかい?」

「えっと、違くて……」

「嗚呼、ゲームか。今は持ってきてないんだ」

「……そうじゃない、そうじゃないから」

「じゃあ、何だ――っ」

 それは、唐突だった。

 コクトの言葉をへし折り、彼女は草原の上に座しているコクトを抱きしめた。

 頭を抱えるように抱きしめられてか、否応に柔らかい物が当たるが、それを気にせる程の精神力は無かった。

 彼女もそう言う想いでやった気は無い。


「辛そうな顔、しないで」

「……そんな、辛そうだったか?」

「わかんない。でも、辛そうで、哀しそうで、寂しそうで……」

(嗚呼、やっぱり……)


 その抱擁は、とても優しかった。

(やっぱり、獣なんだなぁ……)

 動物は、感情に敏感とも言われる。


 人に対して、その感情を敏感に感じ取り、心配もすれば楽しそうにする動物が居る。良くある話であれば、飼い犬が主人の心象を読み取り、その行動を変えるという話。哀しい時は寄り添い、楽しい時は一緒に楽しむ。ただそれは、誰でも感じ取れるのでは無く、長年共に生きてきた間柄だからこそ理解できるという物だった。

 キタキツネは、最近になって……出逢ってから良くコクトの元に来ては共にゲームをしてきた。それ以外にもお話しや、色んな事を語らってきたりした。


(だから嫌なんだ)

 コクトは、想う。

 だからこそ、辛いのだと。

 だからこそ、嫌なのだと。


(いつも気付かれる、いつも考えられる。私という人間の弱さを、こうも容易に感じ取られる。そう想う度に私にとって大切な人物へと代わり……そして)


 まるで、自分の思いが其の人物の未来を選択してしまうような、己の不幸に引き込んでしまうような、それが、嫌なのだ。

「……キタキツネ」

「何?」

「少しだけ、このままにさせてくれ」

「……うん」


 心の脆さが嫌だ。


 それなのに。


(自分の……弱さが、嫌いだ)


「……、」

「……、」

「……ありがとう、キタキツネ。元気が出たよ」

「……、」

「キタ、キツネ?」


 彼女は離さない。

 彼を抱き寄せ、彼を解放しない。

 払おうと思えば払えるが、そのような事はしないコクト。


「……コクトは、どこにも、行かないよね?」

「……、」

「コクトまで、消えちゃヤダよ」

「……キタキツネ」

「色んな人が居なくなって、コクトが苦しんで、そして、コクトが消えちゃうのは……絶対、ヤダ。コクトが苦しいと、僕も、苦しい」

「……知ってたのか」

「……うん」


 この子は知っていた。

 きっと、この子は他の子以上に知っていた。


 三人の職員が死んだ理由と、ミタニの死を。

(そんな辛い事を見ても、誰にも言わず、誰にも話さず、俺に寄り添ってきてくれたのか……知ってて、あんな怖い光景をずっと……何も言わずに黙って私の近くに居てくれたのか)


 辛かっただろう。

 きっと、その光景を誰にも言えない彼女は、ずっとコクトの為に黙っていてくれた彼女は、その痛みを、その苦しみを、知って、黙っていたのだ。

 コクトは理解していた。


 何も言えず、辛い記憶を黙り続け、苦しい中を生き続ける彼に、元気だけを与えようとするその不器用さを。


「……ああ、大丈夫だよ。私は此処の所長なんだ。君たちのそばから、離れたりなんてしないよ」

「本当?」

「本当さ。だからお願いだ、君たちも、生きて欲しい。生きて、明日には笑っていて欲しい」

「じゃあ」


 コクトの頭はようやく解放される。

 そして彼女は半歩後ろへと下がり、小指を出してきた。


「……約束」

「指切り、か」

「うん」

 コクトは、小指を出す。

 彼女の小指と絡め、小さな一本の指を互いに握る。


「……ゆーびきーりげーんまーん。噓つーいたら針千本飲ーます」

「ゆーびきった」


 絡めた指が離される。

 約束の誓いは、その小指同士に成された。


「……破ったら、地獄行き」

「あー、それは怖いなぁ」

「破らなきゃ善いんだよ、簡単」

「そうだな、破らなきゃ、善いんだもんな」

「……うん」


 そうだ、破らなければ地獄に行かなくて済む。

 破らなければ……。


「……さて、私も仕事に戻らなきゃな」

「……、」

 キタキツネが、立ち上がったコクトの袖を掴む。

 何か言いたげに顔を下に向け、少し赤まった顔を上げてコクトに告げた。


「無理、しないでね?」

 彼女の精一杯の、思い。


「……ああ、頑張るよ」


 それに、コクトは――笑顔で――微笑み返した。


(ああ、そう言えば……)


 ふと、コクトは思い出す。


(あの娘も、此所に来ていたな……)


   *


 極秘裏に開発された、コクトの個人研究所。

 コンテナの地下で設計されたそこは、彼一人が唯一知る場所である。


 その研究施設で、コクトは定期的な実験を行っていた。

「……ッ」

 嘗てのサンドスターρをバイザーαに入れ込み、自身に投与する。

 以前のような悶絶は無く、最近では入れるのは多少抵抗こそあれど、苦しみや悪夢、吐き気などの症状が緩和されてきていた。身体への変化も見受けられなくなり、個人的な実験の成果はかなり進行していた。

 その過程の中でふと、コクトは自身の精密検査を行った。

 それは、コクトがこの投与実験によって、サンドスターρに対する免疫が、どのように現れているかであった。

 新たな細胞が体内で構築されたのか、筋組織や皮膚に弾く何かができたのか、それが解らない以上。その抗体が抽出できない。


 彼は自分の血液を抽出し、顕微鏡やビーカーに入れ込み、確認する。確認の際にサンドスターρを少々つぎ込むが、余り反応は無く、サンドスターρ自体が実態維持を不可能にし消失するばかりだ。サンドスターρ自体に特質的な変化は見られない。


「……血液、ではないのか?」

 ならば皮膚か、筋繊維か、別所の細胞か。


 コクトは以前に取り出していた肉体サンプルを使って再度同じ実験を行う。簡単には言うが、コクトの体内から臓器や血液、皮膚の摘出などを行った為に、所々包帯がある。彼にとって貢献的自傷は当たり前になっている。既に心の幾ヶ所かが損失している性だろう。


「……でない、か」

(耐性では無く定着してしまったのか? いや、そうもなれば――違うな、少し考え方を改める必要がある)

 コクトは、先程のバイザーαに今度はサンドスター原液の接続器を入れ込む。そしてサンドスターを入れたバイザーαを自身に打ち込む。

「……、」

 結果は、何も起こらなかった。

 フレンズが野生解放で獣を倒す際に、サンドスターを消費する。だが、肉体自体はサンドスターの形成物で、つまりはサンドスターでセルリアンの核を破壊しているとすると、核であるはずなのに、セルリアンの汚染は無くそのまま砕ける。

 セルリアンに触っても、セルリアンを倒せる。

 便宜上少々疑問を持つ言葉だが、セルリアンはフレンズのサンドスターを吸収するにも関わらず、サンドスターでの間接的攻撃が可能とされている。

 前回コクトが考察した対極論は、詰まる所セルリアンとサンドスターは互いに喰らい合う存在になる。


 にもかかわらず、コクトは現在サンドスターρに定着した肉体にも関わらず、サンドスターを注入しても中和や変化が見受けられない。

(嘗ての実験で、サンドスターが人間の肉体に変化を及ぼさないのは知っている。だが、もし私の中にサンドスターρの残留があるなら、それも先程打ったばかりなのに、両極の変化が無く、中和も起きない……つまり――サンドスターρが私の肉体で消化されてるという事なのか?)


 コクトは、ふと疑問に思い、在る実験をもう一度行う。

 サンドスターとサンドスターρの液体を少量混ぜ込むという物だった。


 無論、此れは中和作用が働き、どちらかが勝利するか互いに消え去るかしかない。


 実際に行ってみると、確かにそうで有り、毒気を発して喰らい始めている。

「……、」

 結果的にサンドスターは敗北し、残ったサンドスターρも自然消滅した。ただその間互いに喰らい合っており、その度に発される中和音はグツグツと煮込まれる化学変化のような状態だった。


 ならば、コクトの身体では何も起こらなかったのか?


「……もう少し、もう少しで何かにたどり着くかも知れない」


 固い決意があった。

 此れが完成すれば、セルリアンに対してフレンズは抗体を手に入れ、セルリアンに対峙しても優位に立ち、飲み込まれても抵抗が可能となる。


(絶望という名の心理浸食を低下する。それは、フレンズの戦略的抵抗力の維持を確定できるかも知れない)


 コクトは今一度、再考し始めた。


   *


 とある日、研究所にてコクトは研究所の清掃作業を行っていた。

 と言うのも、カコが副所長に就任が決定したのに基づいて、嘗てミタニが居た部屋の最終整理(以前に遺品回収はしていたので、大体埃取りとか掃除機掛けばかり)を行っていた。スッカラカンのその部屋だが、近い内にカコが入る。

 そう想うと、ミタニの後を継ぐカコには少々頑張って欲しいと思う節があり、彼なりの母性がそうさせていた。

「……よし」


 コクトは綺麗になった部屋を見て心から満足する。埃の無い部屋に、光射す窓。全てがピカピカになってる中、このジャパリパークの最高責任者が白衣の上にエプロンと三角巾、マスクを付けて清掃員になりきってるのも意外な姿だろう。


「よいしょっと」

 清掃を終えると、元在った清掃用具入れに清掃用具を戻しに行く。道中研究員にギョロッと見られたりしたが、唖然と口を開けている研究員を余所に素通りして行ってしまった。


 ある意味所長伝説とかできてそうだ。七不思議など在るのでは無いだろうか?


 清掃用具、清掃服一式を仕舞い終えると、コクトは管理課の管制塔へと向かう。


 管制塔に入れば、中では研究員達がいつも通りパーク内の調査を行ったり、遊園区画の監視を行っていた。


「所長、お疲れ様です」

「お疲れ様。定期報告としてはどうだい?」

「そうですね。フレンズが近代化するにつれて、フレンズ個人の経営などが多く見受けられ始めました。それにより商業店舗でのフレンズのアルバイトも募集するようになり、我々の類で言う職業体験や個人経営に近い行動を取ったりしてるフレンズが増えて来ましたね」

「文化の進化か、人類史も同じような物なのかもな」

「ある種の可能進化論パラレルかも知れませんね」


 いつもの会話だ。

 それは確かに日常的で、本来在るべくしてあるべき日常だ。


 そもそも、彼の周りだけが異常であって、本来人の不幸とは自身の不幸で有り伝染などしない。そもそも不幸は突飛であって、疫病神などの神意的存在など空想だ。


 だがもし、それが一人単体に降りかかる不幸ではなく、全域……つまり、多くの人間に降り注ぐ厄災は、不幸というのだろうか?


 否、不幸ではない。

 寧ろ、それを幸不幸の運命観測で名付けるには余にも馬鹿らしい。


 ならば何か?

 ならばそれは、人為的で有る、脅威の猛襲だろうか?

 その洗礼された猛襲は、何なのだろうか?


 ただ、単体的厄災と、集団的厄災に共通する物が有るとすれば、それは、予兆もなく、予告もない、唐突な、宣戦布告だろうか。


 ……ガタ。


 一瞬、コクトが目にしたのは、管制塔の横合いに押しつけられた休憩スペースの机の上に乗ってあるコーヒーカップが少し揺れた事だろうか。


 ……カタカタ。


 次に目にしたのは、壁に吊り下げられたホワイトボードが壁と何度か小さな衝突を繰り返した事だろう。


 ……ガタガタガタ。


 そして、おそらくそれを感じ取った――最後に目にしたのは――画面の先が揺れている事だろうか?

 否、それは、画面の先ではなく、画面が揺れていたのだ。


 突如。


 研究所は大きく揺れ始めた。


 ガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダガダッッッ!!!!


「きゃぁ!?」

「うわぁ!! なんだ!?」

「じ、地震だ!!」


「お前達、直ぐ何かの下に隠れろ!!!!」


 突如発生した地震に、管制塔内はパニック状態に陥る。

 揺れる足下にまともに動けない彼等は、コクトの指示が耳に入ったとしてもその場から動けなかった。


 次第に揺れが激しくなる。

 大地震でも起こっているのかと言う程に、大きく、大きく揺れている。


 そして、コクトはその瞬間、有る物を見た。

 管制塔が接続している各地方の通信映像。


 その多数在る画面の内の一つで、大量の何かが、地面から迫り上がり、飛び出していく瞬間を。


「――ぁ」

 その直後、研究所の電源は切れ、真っ暗になった。


   *


 研究所内は未曾有の停電状態になった。

「無事か!」

 コクトの言葉が、闇の中で響く。

「み、見えませんが、なんとか」

「コッチもです」

「はーい」


 数名の声は聞こえる。

 だが、返事をしない者が居る可能性がある。


 コクトは地震が収まった闇の中、手伝いに何処かへ進み出す。

 次第にその何処かにたどり着くと、何かをガチャンッと起動させる音がした。


 ……ウィーン……。


 機械が起動するような音と共に、管制塔内の電気が復旧する。ただ、それはいつもの明るい色と言うよりは、真っ赤なランプが管制塔内を照らしていた。

「取り敢えずは予備電源を起動させた。誰か怪我人はいるか!?」


 コクトは塔内で大声で呼びかける。その言葉に研究員は周りを見回して怪我人の有無を確かめる。すると、一人の職員から言葉が発せられた。

「怪我人一名! 軽傷ですが、切り傷です!」

「見せてみろ! 他の奴らは研究所内の電源復興を急げ! 復興次第パーク内の確認だ!!」

「了解です!!」


 コクトは全員に指令を出すと、怪我をしている男性職員の元に駆け寄る。彼はどうやら地震の時に腕に割れた画面の破片が掠めたらしい。彼はその傷を押さえて痛みを緩和させていた。

「見せてみろ……。成る程、さてはお前、刺さった破片を自分で抜いたな?」

「……済みません」

「焦ってたんだ、仕方がない。簡単にガーゼと包帯で止血するが、その前に傷口に破片が残ってないか見る。我慢しろよ」

 コクトはそう言うと、簡易式の医療道具を部屋の棚から取り出し、彼の傷口周りの服を切り裂き、見えるようにする。

 二の腕近くをタオルで縛り止めると、ピンセットを片手に腕の傷を見る。

「……、」

 目に悪い赤色の光源など気にせず、慎重に観察する。

「悪いが、このタオルを口に噛んでろ」

「は、はい」

「痛くても我慢しろよ……」

 そう言うと、コクトはピンセットを慎重に動かす。傷口を少し開くようにして片手で開き、中を覗く。患者の痛そうな声が響くも、コクトは慎重に残りの破片を抜いた。

「……オッケーだ。ガーゼと包帯を巻くから、もう大丈夫だぞ」

「……うぁ、あ、ありがとう、ございます」

 涙目の研究員。

「よく頑張った。ほら、できた。少し休んでろ」

「……はい」


「コクトさん! 電源復活します!!」

「――ッ!!」

 研究員の合図で、研究所内の電源は復旧される。

 ブゥンッと赤色から普通の色に戻った研究所内は、画面に先程までと同様にパークの保護区内の映像が流される。

 だが、彼等が次に見たのは、その悲惨な光景だった。


 それを伝えるかのように、管制塔には通信が入る。

『が、ガイド部より通達!! ホクリクチホー山陰部にて、大多数のセルリアンが発生しました!! 繰り返します!!』


 ――絶望の断片が、始まろうとしていた。


『セルリアンが大量発生!!』

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