第一三節

 ――ミタニ、死没。


 彼の死は従業員達に大きな悲壮を与え、そして、彼が最も優れた研究員であった為に、失った穴の大きさは底知れなかった。

 ただ、コクトの判断で急遽休業にした事によって、引き継ぎ処理などの問題は難なく終われた。

 だが……それでも、心の傷は癒えない。


   *


 休業日四日目。

 コクトは、ミタニが居座っていた研究所副所長室にて、彼の遺品整理を行っていた。

 二度目であっても、苦しい物は苦しい。ただ、それでも、それ以上に一つだけ、最も苦しくさせる物もあった。


 それは、二日前の出来事。

 ミタニが死去し、コクトは代表として親族に連絡を取ろうとした。だが、ミタニの履歴書にそれらしい連絡先は無く、家族構成も書かれていなかった。

 コクトは不審に思い、ミタニの前の職場に電話を掛けると、驚べき事実が発覚した。


『ミタニさんですね。あの人のご両親なのですが、ミタニさんが成人した直ぐに死去してるんですよそれに、元々ミタニさん、家計を持っていた一児の父だったのですが、研究に熱中するにつれて疎遠になってしまって離婚しているんです。一応離婚先のお電話番号はお渡ししますが、正直、今でも使われているかも解りません』


 と、前職の研究員は語った。


 独身では無く離婚歴を持っており、更には親権は母方にあるようで、離婚後は相手方の申し出により接触を禁じられたらしい。


(今思えば、あの人が俺を息子のように思ったのは……なんだ、もっと早くに知っておけば良かったな)


 そして、その翌日にはその母方の電話に掛けた。

 だが、その電話は既に使われておらず、どうやら離婚後何処かに引っ越したらしい。


 酷い話。死後の処理としては此方の裁量で判断できないのが企業だ。もし、独自に葬儀をするにしても、最も近しい関係者に了承を頂くか引継ぎしなければならない。

 本来この連絡も総務課の仕事だが、此れは課長としてでは無く、友としての彼の行動だった。

 そして休業四日目の今、関連市役所に問い合わせ、やっとの思いでその電話番号を聞き取れた。

 ただ、そこからが問題だった。


 電話先で出たのは、確かに婦人方だった。

 だが、婦人はミタニの受け取りを拒否し、企業側に任せると言ってきたのだ。

 死に姿でも見ないのかと問えば、『見たくない。今更見たくも無い』と返された。


 既に数十年経過し、その年で死体だけとの出会いとも成れば余り良い気はしないだろう。ただ、感情的になれば、嘗ての家族じゃ無いのかと、言いたくなる。

 だが、コクトは唯々其れを了承し、電話を切った。


「……、」

 そして今、ミタニの部屋で遺品整理をしている中。

 その出来事をふと思い出してしまった。


(……いつだって、胃が痛い。死を伝えるのも、本音を言えぬのも……それ程辛い事は無いな)

 コクトは、ミタニの実の家族では無い。

 其れは当たり前で、だが、だからこそ現実は冷たい。


 家族の関係に企業は口出しできない。最も当たり前で、至極全うだ。だが、だからこそ、その思いも言葉も言えないむず痒さと、其れを押し殺す度の苦しさは、どうしようも無い程に辛い。


 首を横に振り、曇った表情を元に戻す。

 そしてもう一度、彼は遺品整理を行い始めた。


   *


 神谷の葬儀は、日本本島にて行われた。

 ジャパリパークは繁忙期である為、黒斗一人のみの葬儀となった。

 形式上は葬儀であるが、式典を通す儀礼を挟むのでは無く、必要手順を淡々と踏む葬儀で有り、特段変わった物は何も無い。寧ろ退屈には変わり無い物で、火葬中は知人友人との談論は無く、一人で椅子に腰掛け空を眺める事しかやる事など無かった。


 ただ、其れを誰かに任せる事が無かったのは、彼の人の友人としてでもあったのかも知れない。


「優れない事でもあったでございましょうか?」

「僧侶さん。お疲れ様です」

 黒斗に声を掛けてきたのは、儀式の為に呼ばれた僧侶だった。

 簡易葬儀であっても、仏教に沿って行う以上儀礼は必要という事で、在る底の互いの了承を経て現在此所に居た。つい先程まで炉前にて野辺送りの読経を行っていた。

 火葬の儀礼の一つなのだそうで、色々と手解きをしてくれた本人だった。


「いえ、ただ、少々考え事を」

「いやはや、企業の社長も大変な物ですね」

「そうでもありません。此れは私の希望ですし」

「そうでしたか、此れは失礼を」

 黒斗は今まで通り人と合わせる為の作り笑みを使って淡々と会話する。最早その定着した身に何な変哲も無く、当たり前のように話してしまう。


(自分でも嫌になるな。騙すのが上手くなってしまうのは……)


「もうじき火葬も終わるでしょう。本来であればご実家に一度遺骨をお持ちする形にはなりますが、今回は埋葬場へこのまま行くという事でよろしいですね?」

「ええ、構いません」

 神谷の家は無い。

 其れまで暮らした家が有ったにせよ、社宅が完成してから彼は取り払っていた。元々こうなる事を知っていたのだろう。


(立つ鳥跡を濁さず……か)


「おや、火葬技師の方がお呼びですよ。どうやら火葬が終わったようですね。……骨上げは、お一人で?」

「ええ、見送る物としては、やり通したいと」

「解りました」


 互いに拾骨室へと向かう。

 そこには居れば、中には骨上げ台の上に乗った白骨が見える。

 ただ、其れが否応に酷い状態で。


「……殆ど残っておりませんね」

「一応私の患者でもありましたが、元々健康面では少々不健康な面が見受けられましたからね」

「申し訳ない、余り残っている骨も少なく、殆どが灰に」

「技師さんの性では無いので大丈夫です。今在る骨を取ってしまいましょう」


 黒斗がそう言うと、僧侶は箸を渡してくる。

 一人の為に二人で行うはずの箸渡しの儀礼が無く、受け取った箸を使って骨を持ち上げようとする。

 だが。


「……、」

 パサッ……と、白骨は崩れ其処から灰へと変わってしまう。どれを取ろうと、どれを取ろうとしても、次々砕け、取れる骨は少しだけだ。


(……死ぬ瞬間まで無理を隠し通していれば、健康など確かに二の次になってしまうだろう……だが、だがっ)


「あ、あの……」

 技師が少し躊躇いがちに声を掛けてくる。隣で見ている僧侶もなんともいえない顔になっていた。

「灰だけでも入れましょう」

「……わかりました」

 骨を拾う事を諦め、ボロボロの骨や灰も全て骨壺に収める形となった。


 医者としても、この状況を考えられなかった訳では無い。神谷の病状は、それ程に酷く、やせ我慢に近い働きをしてくれていたのだ。


(なあ、私の企業はそんなにブラックだったか? 少々、落ち込みたくなるよ、神谷)


 避けるように痛む胸は、感情さえも麻痺させて行く。


   *


 黒斗は火葬場を出ると、彼の車一台で僧侶と目的の場所へと向かう。

 それは、彼が望んでいた寺院の墓で、今回呼ばれた僧侶は其処の住職だった。


「着きました」

 黒斗は車を止め、目的の寺院の前で降りる。

 其処は寺には似つかわしくない海辺の近くで、墓前からでも海が見渡せる。


 彼等は骨壺をもって、神谷の為の墓へと持って行く。


 その墓は海岸に一番近く、墓前まで来れば海を一望できる場所だった。

「此処で良いのですね? 潮風の影響で墓石もかなり酷い事には成りかねませんが……」

「良いんです。此処が、一番近いんです」


 そう。

 それは、此処からでは見えないが、その水平線の先にはジャパリパークがあった。

 此れは彼の計らいだった。

 全て実費でまかない行ったこの葬式の本意は、死んだ彼がジャパリパークの一番近い場所で休んで貰いたいという切なる希望からだったのだ。


(ジャパリパークには置けないからな……こんな場所で悪かったな)


 葬儀は滞りなく終わった。

 本当に酷く簡素なその葬式は、本当に静かに幕を閉じるかと思われた。


   *


 ジャパリパーク、山岳。

 其処は嘗て、ジャパリパークを作った三人の、遺骨も何も無い……祭る為の化身のような墓石を作った場所だった。

 其処には現在、もう一つの墓石が追加して置かれていた。


『神谷壮一郎』


 墓石に彫られた名前は、きっとこの世界を見つめ続けてくれるだろう。


 日が射す丘の上で、嘗ての四人の友の墓石には花が添えられ、そよ風に揺られていた。

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