第一二章

 翌日、コクトは医療機関に鎮痛剤と呼吸補助器の用意を要請した。

 もう、余生の無いミタニの為の、最後の弔いだった。


 それから、コクトは珍しく有休を使った。

 余っていた有休を、数日分消費し、彼はミタニの近くにいる事にした。


「アンタも物好きだな」

「そうか? 儂は、昔から好きな事は好きなように走る人間だったからのう」

「そうは見えないけど?」

「見えなくとも良いさ。儂は、己の好きなように生きようと思う。そう、昔から決めている」

「だから辞めて欲しいんだけどな。心の準備がありゃしない」

「なに、前々から言っていただろう『好きなように生きて、好きなように死ぬ』と」

「それが、此処なのか?」

「満足している」

「そうか……」


 病室では、いつになく話が盛り上がっていた。

 互いに隔たりは無く、隠す物も何も無いのか、少し不謹慎でも、ミタニは当たり前のように微笑んで見せた。

 コクトにとっては、それはもう……。


「なあ、ミタニ。行きたい所はないか?」

「行きたい所?」

「ああ。こう言っちゃ何だが……死ぬ前に、見ておきたい場所とかあるんじゃ無いか?」

「ああ、そう言う事か。なぁに、存分に見たさ」

「そっか……」

「そうだのう、コクト。せめて最後まで、儂の無駄話に付き合っとくれんか?」

「ああ、任せておけ」

「悪いのう。昔から、お主を支えようと奮闘してきたつもりが、此処で途切れるとはのう」

「知ってるさ。アンタ程、心強い奴は久しかったよ」

「そうか。其れは誇らしいなぁ」

「ああ、そうさ。誇らしい」


「先生……その、お時間が」

 扉の方で、ナースが声を掛けてくる。

 外はすっかり暗くなり、気がつけばもう夜だ。

 面会時間は終わり、体力の無いミタニの為にもせめて今は休ませなければならない。


「ああ、解った直ぐ行くよ……じゃあ、また明日な。ミタニ」

「ああ、明日、だな」

 その言葉は何処か、確信めいた言葉に聞こえた。

 ただ、コクトは解っていても、それでもその言葉を言ってしまった。


「ミタニ、こういうのは悪いかも知れないが、せめて、私に看取らせてはくれないか?」

「……!?」

 ミタニの顔は、ハッとなり、コクトを向く。彼の顔は見えず、その背は細く、頼りなくも見えた。

 そんな彼だからこそか、ミタニはフッと笑みを取り戻して言った。


「ああ、待っている」


 その日の会話は、そこで終わった。

 コクトは、何も言わず、その場を後にした。


   *


 時間は少し巻き戻る。

 研究所。


 そこで、カコはいつものように研究に精を出そうとしていた。


 だが、どこか、力が無かった。


「……ふぅ」

 休憩時間になり、一息つく。

 自販機で暖かいミルクティーを押すと、両手に持ってベンチに腰掛けた。

 研究所の天井を見上げ、物思いに耽る。


「ん? ああ、カコちゃん!」

「んぇ!? ……って、アカツキさんでしたか」

「冷たいなぁ~」


 ベンチの反対側からカコの顔を覗いてきた女性、アカツキは、ニコニコと彼女に手を振っていた。


「いえ。で、何ですか?」

「別に~。強は一段と冷たいなぁ~」

「いつも通りですよ」


 アカツキは、彼女のとなりに腰掛け、缶のオレンジジュースを開ける。


「……心配なんでしょ?」

「……はい」

「まあ、所長と副所長は二大侠客のような人らだったからね~。昔から一番頼りになってたよ。ホント」

「そう、なんですね」

「……でも、そうなっちゃったのかな?」

「え?」

「……カコちゃんは知らないかも知れないけど、元々私達にとっての上司はあの二人も含めて五人居たのよ。私もソコソコ……正直一年差程度かも知れないけど、それでも古株だった。あの頃は楽しかったわよ。コクトさんと、ミタニさん。それに、セシルさん、レイコさん、カイロさんの三人の研究メンバーが私達にとっての上司だった」

「聞きました。元々は五人で始めたプロジェクトだって」

「うん。でもね、そのうち三人。つまり、今居ない三人は、事故で死んじゃったの」

「――え?!」

「詳しくは……まあ、知らないんだけど、でも、それからね。あの二人、全然楽しそうじゃ無くなったって言うか。無理をしてるって言うか。コクトさんはいつも無理してたけど、今は相当……ミタニさんも、ずっとコクトさんを支えてきた。でも、あの二人にとって、もう三人が居なくなったのは、凄く、辛い事だった。目に見えて解ってた。のに、ね……」

「……、」

「ごめんね、何か辛気くさい話しになっちゃって」

「い、いえ!! でも、そうなったら、今度は所長が一人に成っちゃうんじゃ……」

「そうね。私達だって、死んで欲しくはないと思ってる。でも、あの人の言葉は正しい。あの人達の言葉であれば、尚更……だから、どうしようも無いの」

「で、ですが……!!」

「そうね。でもね、私達は、いつも彼等を頼ってきた。そう、任せられる程に、あの人達はこのジャパリパークの要で有る存在だった。だから、なんとも言えないのよ……」

「アカツキさん……」


 彼女の顔は、先程までの明るさが消えていた。

 その思いは痛い程伝わってくる。


「じゃあ、私は先に行くね」

「え、あ、はい」

「じゃね~」


 彼女は急に表情を戻し、いつものテンションで仕事に戻った。

 その姿を最後まで目で追っていたカコだったが、見ているだけで解った。


 きっと彼女も空元気なのだろう、と。


(……、私は、何も出来ないのでしょうか?)


 カコはまた、上の空に戻る。

 見上げた天井は、未だ、白いままだ。


   *


 待つ日は遅い。

 だが、願う日は早い。


 翌日。


 病院。


 病室に入れば、既に鎮痛剤の投与が終えられた後らしい。

 どうやら夜間に苦しみだしたようで、今のミタニは平穏そうに見える。


 医師達と話した結果、今日が最後らしい。


「……やぁ、ミタニ」

「おぉ、来たか」

 ベッドに寝転がり、外を眺めていた彼は、此方へ向き直るといつものように微笑む。吸引装置は付けておらず、点滴も外されている。彼の希望だ。

「此方に座るな?」

 コクトは、窓とは反対側に椅子を置き、互いに外を眺める。


「……長かったなぁ」

「……そうだな」

「コクト、最後だ。その最後まで、少々年寄りの話に付き合ってくれ」

「そんな歳でも……ああ、そうだな」


 一段と声が沈んでいる。

 今の彼は、話す事にも気力を使うのだ。

「儂は、最初。……いや、此所に来た時から、この仕事を人生最後の仕事にしようと思ってきた。弱々しいかもしれんが、事実だ」

「何故?」

「何、何分、研究に対して、身が入らなくなっていてな。当初も、余り乗り切れんまま此所に来た」

「そうだったのか……でも、今じゃ一番の功労者さ」

「其れは有難い。が、そうなれたのは、紛れもないお主の御蔭だ」

「わたっ……俺の?」

「ああ、此所に来て最初にお主を見た時、儂は思った。『今この場で、儂らより先に来たこの若き世代が、我らよりも奮闘している』と。要は、まあ、嬉しくも、寂しくも、懐かしくも……思えた」

 ミタニにとって、コクトとの出会いは、その自身の人生の根源を振替えさせるような物だった。若き時代。それが、自分であった時と重なり、活力を持ち、前に進もうとするその姿。

 そう、其れはまるで。

「……息子のようだった」

「……、」

「賢明に、立ち向かうお主を、支えたくなった。若き日の奮闘を思い返し、同じ道を進もうとしてくれるお主を、放っては置けなかった。せめて儂は、お主の手伝いに成ろうと、この研究の果てに、お主を送り出せるくらいの事はしたいと、夢現な思いを寄せていた」


「だが」


 優しい言葉が、重く変わる。


「次第に、お主が重荷を背負っていくその姿を、心配した。この先を一人で進ませる事に、不安もあった。妹を亡くし、友を亡くし、磨り減って行く毎日で、お主の変貌が次第に……心苦しくなった」


 ミタニにとって、コクトは本当に、息子のような存在だった。先へと進めるように、手助けをする父として、彼を支え続けてきた。

 其れはコクトにとっても同じだった。


 コクトも知らぬ訳では無い。

 その優しさを受け止めてきたからこそ、彼にとっても……そう。


「ミタニ、大丈夫。大丈夫だよ……俺は、もう迷ってない。自分の進む道を、ちゃんと見据えてる。だから、心配するな」

「ああ、そうだったな」


 例え摩耗しても、どんな苦難に襲われても、コクトは、立ち止まらなかった。

 嘆く事も苦しむ事も、全て放棄して、目的の為に進み続けた。


 挫折など無い。

 例えどれだけの苦しみがあっても、彼は立ち上がり、進み続ける。

 それが、暗い、光の無い、地獄の果てでも、そこに目標が在るなら、彼は照準を合わせて歩き続ける。


 それを、ミタニは知っていた。


「アンタは心配性なんだ。たまには俺を頼ってくれ」

「そうだなぁ……息子に頼るのは、少々……むず痒いのだがな」

「良いんだよ。アンタの自慢の息子さ。それに、俺にとっても貴方はもう一人の父だった」


 彼等の絆は、逆境の中で太く大きく築かれていった。

 互いを知り、互いを助け合う。

 其れは、心も等しく、その理解度はまさしく父子の関係に近かった。


 それが、あと少しで消える。

 その辛さが、無念が……、重くのし掛かる。


   *


 本当に、長かった。

 四年。

 その歳月、コクトとミタニは互いにこのジャパリパークを築き上げてきた。


 時には莫迦騒ぎをした。

 時には五月蠅い口論をした。

 時には何とも言いがたい約束をした。

 時には莫迦みたいに笑い合った。

 時には死ぬような思いで繁忙期を乗り越えた。


 ……時には、友を失った。


 彼等二人の絆。

 其れは少々歪だが、その形故に強固だった。

 彼等は互いの秘密を知っているような関係では無くとも、其れが無くとも信頼できるという。その信念の関係だった。


   *


 その日は、互いにあどけなく、気恥ずかしく、シンミリとした話が続いた。

 最後の時、その瞬間まで邪魔は無かった。


 有意義な時間の中で、互いに笑い合っていた。


 ただ、時間が迫り来るのを忠告するかのように、ミタニの身体は少しずつ、弱り始めていた。


「……なぁ、コクトよ。今日は、夜空が眩しく見える」

「ああ、此れなら、流れ星も見れそうだ」

「良いのう。其れも良い。もし、流れ星が見えたら、何を、願おうか」

「何だろうなぁ……、割と俺は、何でも良いような気がするんだよなぁ」

「何故、だ?」

「いや、深い意味は無いが。大層デカい願いより、身近な幸福を祈る方が、何か、明日が楽しそうだなって」

「ああ、そうだなぁ……其れも良い」

「アンタは、何を願う?」

「儂か……そうだな。お主が、一日でも休むようにかのう」

「ハハッ、無理な話だ」

「知っておるわ」


 互いに、微笑む。

 その有意義な時間も迫っているというのに、其れがどうも最期には見えず、まるで続くように見えてしまう。

 残酷な程に。


「……コクト」

「……、」

 ミタニの声が変わった。

 先程までの、高ぶった声では無い。

 否、寧ろ、彼が未だ普通に働いていた頃のような、その威厳のある声で、彼は語り始めた。

 コクトも其れを察し、面持ちを真剣に変える。


「儂は、先に逝く。だが、お主は、お主の仕事をやり通せ。お主が成すべき事を貫き通せ、一度その背に背負った物は、成し遂げてから脱ぎ捨てよ。例え苦行悪鬼修羅の道とて、揺るがぬ信念を持つのであれば、先へと進む事など容易い。どれ程の犠牲を目にしても、どれ程の苦難を目の前にしても、先に進み続けよ。ジャパリパーク、所長、銀蓮ぎんれん黒斗こくとよ」


 神谷は、コクトに手を伸ばしてくる。

 最後の気力で必死に、その願いを、思いを、託そうと、腕を伸ばしてくる。


 その腕を、コクトは確かに掴んだ。

 掌を握りしめ合い、コクトも又答えるように云った。


 正真正銘、最後の、所長としての、言葉を……。


「ジャパリパークが副所長、神谷みたに壮一郎そういちろうよ。今日まで良くこのジャパリパークに貢献してくれた。度重なる難行に対し、お主は幾度となくその背に立ち支えてくれた。一通の苦に苦しみながらも耐え抜き、我々の道を共に突き進んできてくれた。我らジャパリパーク一同全員、誇りと思い、胸に刻み、お主の後継として歩み続ける事を此処に誓おう」


 手を握る。

 強く、最後の力振り絞り。


 そして、神谷みたに壮一郎そういちろうは、最後の最後に先程までの優しい顔に戻り、コクトに言った。


「――お主の先を、儂は願っている」

「嗚呼――後の事は全て私に任せ、ゆっくりと、休み給え」


 最後の顔は、本当に安心しきった顔だった。

 コクトの顔を見て、彼は、心から安心して……そして。


 握った手から、力が抜ける。

 擦り落ちそうな手を、しっかりと握るコクト。


 彼は、その手を掴み続け、握り続けた。


 終りが過ぎた、その時も……ずっと……。


   *


 享年六二歳。

 神谷みたに壮一郎そういちろう


 ジャパリパーク医療機関の病院個室にて、胃癌にて死没。


 ジャパリパークの創設チームの一人にして、最年長の研究者であった彼は、研究員達からベテランとして敬われ、フレンズには研究員には見せぬような優しい笑みで、皆の父のような存在だった。

 研究に置いてもその堅実さは研究者達の中でも特に評価され、その存在は世界にも評価されていた。


 この事実を受けたジャパリパークの関係者は、当日より一週間の休業期間を発表。


 急激に勢力を上げてきたジャパリパークでの、最大の功労者の死去によって、世界ではジャパリパークにお悔やみの言葉が届けられている模様。


 新たな世界を確立させた神谷みたに壮一郎そういちろうという人物の死は、世界に、大きな変動を生んだ。


 この記事にて、私もお悔やみ申し上げる。


   ――NewsDays社 編集長 レンドニー・ハーメン。

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