第九節
――全ての生物は、皆一種の生命体から生まれた訳ではない。ヒトもホモ・サピエンス(『賢いヒト』の意訳)と呼ばれ、そのホモ属も多くの親戚が存在した。現在世界にもイヌやネコの親戚としてオオカミやライオンなど、様々存在している。だが、我々ヒトは何故か、我々が唯一と称し、思い込んできた。この一つの生命には多くの親戚が居たというのに、其れを思わぬ薄情さは、ある意味一つの戒めなのだろうか。
*
コクトという人間は、何も娯楽をせずに生きてきた訳では無い。
ただ、人の娯楽というのは、時偶何処か思い掛けない物を娯楽としている物が多く、人によっては勉学を娯楽としている者も居る。
コクトもその一員に属し、彼の娯楽は読書に近かった。
漫画には余り手を出さず、専門書や参考書の類いが多い。
その性か、御蔭か、彼はその年代に反するような知識量を持ち合わせ、現在に至る。
ただ、本人も経験に勝る学は無しという事は理解しているので、読んだ後に行動で示してみようとしたりする。
意外かも知れないが、実は探求欲は人一倍ある人物なのだ。
無論、そこに善悪を問うならば、隔たりはないとしか言いようが無いだろうが……。
「失礼……。ああ、休憩中だったか?」
「ん? ミタニか。いや、大丈夫だよ」
事務所長室にて、オフィスチェアに腰掛け本を読み老けていたコクト。ただ、手に持っていたのは本と言うには余りにも薄く大きく、尚且つハードカバーの装飾をされたいかにも古風な本だった。
彼はミタニが来たのを知り、本を横合いに置いて姿勢を戻す。
「えっと、研究成果の資料で良いのかな?」
「まあ、定時報告だな」
紙束の資料をミタニから受け取り、コクトは中に目を通す。
「……ハハッ」
「どうした?」
「いや何、カコを実戦投入してからと言うもの、こうも上手い具合に進み出すとはな。中々に頼もしいと思ってな」
「儂も研究所副所長の面子が立たん。どうやら近い内に世代交代が始まりそうだな」
「そうだな。そもそも、我々も管理課課長、事務所長、総務課長、医療総機関局長……。肩書きを抱え過ぎている。そろそろ別の者に譲渡しても良いだろう」
「なら、研究部長はカコで決定か? まあ、彼女なら最適だろうが……」
「彼女はどちらかというと管理部にも目を通して欲しいからな。最悪慣れるまでは直に管理課における研究所副所長の座について貰うのも良いだろう」
「なんだ、私は破門か?」
「バカ言え。そうなればアンタが所長さ」
「ならお主はどうする? 研究から身を引いて事務所と医療機関の統括に映るのか?」
「一応はそのつもりだ。最終的には一人一役職について貰い、時期に管理課は研究所に併合してしまおう」
「総務課直下が管理課ではなく研究所になるのか。ややこしかったからまあ良いだろうな」
「とりあえず、来年を目標に組んでみるさ。何せ来年もまた新人が来る。以前よりも少々多めに取ったからな、役職はガッチリとしなくては」
「ふむ……となると――」
互いに今後のジャパリパークの運営について、意見を出し合う二人。
今残っている初代研究員の二人にとっては、この施設は息子のような物なのだ。
せめて今後思い残しがないように、いつも以上にその議論は白熱した。
*
「――と、あ」
ミタニと増員後の組織整理についての論議の中、ふと、コクトは時計に目を移した。
既に時計は正午を過ぎ、彼等の腹部辺りに小さな空腹感が臭わせ始めていた頃だった。
「ああ、こんな時間だったか」
「一旦この辺りにして、少し昼食を取りに行くか」
「そうだな」
語らいは終わり、彼等は共に食堂へと向かった。
*
事務所内の食堂は、多くの人で溢れかえっていた。
この時間帯ともなれば多くの職員達が腹を空かせて食堂に来る。そうなると最早席取り合戦か手早く弁当を買い職場で食べるかのどちらかになる。因みに遊園区画にある喫茶店やファミレスなども使用は可能とされ、職員には割引が適用されるが、多くの面々からの理由で私服に着替える必要がある(研究員や医師類は大体白衣を脱げば良い。事務は特になし。面倒なのはガイド部のみ)。
「あ~~……、今日はここで食べておきたかったんだけどなぁ」
「仕事場で食べる飯程不味いに越した事はないな」
「薬物とアンモニアの強襲を受ける場所は中々に息苦しい。事務所は事務所で資料にかかった時の絶望感よ。医療機関は最早語る必要なし。一応関係者用の区画ならば適当な公園を探せるのだが、彼所はもう満員だろうな」
「外に行くか?」
「現場責任者が現場を離れてどうするんだよ」
「お主は逆に難しく考えすぎだ。昼食休憩の時間がない訳でもないだろう」
「……そうだな」
「さてはお主、今まで手軽に済ませる事しか考えてなかったな。ちゃんと食べているのか?」
「二日に一食だ」
「なら今後は週一食か月一食か?」
「経験はある」
「……一日三食にしておけ」
「善処する」
冗談を交えながら、彼等はその場を後にする。
結局の所、安息できる場所は遊園区画にしかないと知り、態々白衣を脱ぎに職場へと戻り、そして外に出る事になった。
*
「しかし、所長権限というものは良いものだな。まさかこんな隠れ家があったとは」
「ま、少し値は張るが、良い場所だよ。……奢ろうか?」
「若いもんに払わせる程衰えとらんよ。逆に奢るか?」
「以下同文」
「各々だな」
人の少ない静かな喫茶店。
店内は古風な設計で、古めかしい木々や立てかけられたレコードディスクの箱。店内で流れるレトロチックな音楽も、休息の一時を過ごすにはより良い建築になっていた。
ただ、場所が遊園区画内であっても、少し人目から避けるように作られた其の場所は、ある意味で言えば職員などの憩いの場でもあった。
来園客は疎か、職員やフレンズでも知っているのは極少数のみなのだ。
横に立て掛けられたメニューから互いに食べたいものを決める。互いに決め終われば、コクトはカウンター辺りに居る店員に向かって手を上げた。
すると、奥からウエイトレスらしき女性が、水の入ったコップをトレーに乗せて此方へ寄ってきた。
「すみません、このAランチ一つ。トッピングはサラダと珈琲で」
「儂はBセットだな。ヨーグルトとミルクで頼む」
「意外だな。乳飲食系好きなのか?」
「まあ、な」
「畏まりました」
注文を済ませると店員は手早くキッチンへと戻っていった。
他に店員がいないのか、厨房からは軽快な音が聞こえてくる。
「ふむ、此処は良いな。窓から外を眺めれば鬱蒼とした木々だが、其の緑も良い」
「こういうのは風流とかに近いのかもな。あの木々の葉の間から刺さる陽の光も、見ていれば心静まるもの――」
「おまたせしましたー」
話の腰を折るようにして視線の反対側からウエイトレスがトレーにランチを運んで来た。
コクトの側には何重にも重ねられたベーコンの中にスクランブルエッグを挟み込んだような物に、更にパンを挟んだサンドイッチ。横にはサラダが更に添えられ、湯気が上がった珈琲が鼻に突いてくる。
ミタニはシャキシャキのキャベツに鶏肉を挟んだなんともジューシーなサンドイッチだ。そして横にはジャム入りヨーグルトと冷たいミルクが並べられている。
「ごゆっくりどうぞ」
店員はペコリッと一礼をして立ち去る。
「ミタニ……お前、結構ガッツリ行くのな」
「そう言うお主はかなり少ないと見えるが? 体型維持を勤めるアイドルか何かか?」
「あなたの口からアイドルとか出るとは思わなかったわ……でも、これだけベーコンあるんだし十分だろう? 私的にはこの重なったベーコンの食感が好きなのだがな……」
「食感に関しては口出しせぬが、お主は栄養を取らなすぎだ。聞いたぞ。以前の健康診断でボディマス指数が低体重の二つも下回ったと」
「ングッ!?」
「標準体重さえ届いていない癖に栄養も何も無しだろうに」
「た、体脂肪率は3%なんだし、大丈夫大丈夫」
「其れは寧ろダメだろう。聞いた限りだと殆ど筋肉で圧迫してるらしいじゃないか。もっと太れ! 何処のアスリートだ!」
「そう言うアンタこそ好きな物食い過ぎだ! もうちょい健康に気を遣えよ! そう見えん人間に指摘されたくはないわ!」
「どうせ老い先長くないんだ! 好きな物喰って死ぬ!」
「不謹慎過ぎだ!!」
*
昼食を終え、彼等は店を出る。
大通りに出れば、今も尚人が多く闊歩し、フレンズと友好を深め合っている。
目に見えて幸せそうな世界で、彼等は何食わぬ冷静な面持ちで歩んでいた。
「しかし、営業中のパーク内は久方ぶりに歩くな」
「表には何分出ぬからな」
「だが、其の甲斐あって今のジャパリパークがある。良い事じゃないか」
「まあ、その点に関しては儂も同意だな」
「……未だ根に持ってるのかよ。良いだろ? 別にそこまで気にしなくても」
「如何ぞ、嗚呼如何。未だ若きその年でまるで老後を考えた生き方などさぞ如何だろう」
「別にそこまで遠くは見据えてない。体調維持をしてるだけだ」
「矢張りスポーツマンに違いないではないか」
「あー……もうそれで良いです」
ミタニという男は、時偶何処か頑固になる。
こういう性格は彼の長所でもある事には違いない。
いや、ある意味研究者としての其の対象への探求的欲求に近いのかも知れない。
だが、其れが日常に絡んできてしまうと……矢張り面倒臭い男だった。
(悪い奴じゃないのは確か、か)
「……ハァ」
一呼吸、合間に置く。
其のたった一つの呼吸の合間で、コクトの中で何かが切り替わった。
「ミタニ。私は明日、サンドスターが噴き出すあの山頂に行こうと思う」
「急にどうした?」
「少し、気になる事があってな」
「何だ。だったら私もついて行くか?」
「イヤ、要件は其の後の事を頼みたい。連絡は要件が滞りに無く進んだ後に願うとしよう」
「……また、無茶をするのか?」
「今回は否定できないだろう。だが、見逃せ。両分の天秤に世界の命運か個人の保身かを強請るような問答となる」
「……まあ、承知した」
そこから互いに其の話に首を突っ込む事は無かった。
だが、その日の終わり、コクトは、唯々寒気だけが背中を通り過ぎていく事を感じていた。
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