第八節

 ここ最近に置いて、コクトの職内行動を要約するとすれば……。


 まず、第一に提出された資料や研究経過報告書の最終チェック。他企業や出資者との商談。遊園区画の徘徊。ゴミ拾い。事務手伝い。備品整理。物販仕入。器具整理……。

 時偶あるボランティア精神はそれとしても、彼の熟す仕事は無論彼という最高責任者にしか出来ない仕事だった。

 だが、慣れという物は少々悩ましい事で、下請けから最高職の仕事を熟してきたコクトにとって今の仕事は出勤時間の四分の一さえあれば明日の下準備さえ終わらせられるような状態だった。


「……よし」

 早朝出勤。

 それも、7時。


 コクトは誰もいない事務所の事務所長室内で、資料の目通しを行い終えていた。


「……静かだな」

 当たり前だろう。

 出勤時間は八時半を指定し、開園は九時半なのだ。

 無論早めに出勤している者も少なくは無いが、彼程早い人間はいない。


 コクトに至っては何がしたいのか、六時か五時には事務所内にいる事もある。

 と言うより、泊り掛けの方が多かったりもして、有給の消費は殆どない。


 自主的というのがかなりヤバい。


(とりあえず、朝方に出来る物は終わったか)

 ゆっくり一人で席に座り、身体を預け落ち着こうとするコクト。だが何処か、ソワソワし出し、何がしたいのかも解らずその足で事務所の外へと向かいだした。


(……何をしよう)


   *


 暇、とは違う。

 いや、そうなのだが、其れを認めてしまうと職務怠慢になるようで仕方がない。


 コクトの中では、そんな葛藤が渦巻きながらも、朝焼けが眩しい事務所の裏口で空を眺めていた。


(しかし、皆も成長してくれて、俺も嬉しいな。確かに、多くの事があったが、それでも前に向かって行ってくれている。ミタニも、最近は管理課で十二分に力を発揮してくれている。……だが矢張り、私の事を気に掛けてくる。確かに嬉しいが、これは願いを叶える道。願わくば、アイツにはアイツの幸せを歩んで欲しいのだが……ん?)


 目線の先。

 木々の影。


 薄焦げ茶の尻尾。


「……、」

 ジーー。


「……ハァ」

 コクトは小さく溜息を吐き捨てると、その正体に向かって手招きをしてみせる。

 その正体は其れを見て、身体を乗り出して此方へと近づいてきた。

「やぁ、久しぶりだね、キタキツネ」

 彼女はコクンッと頷くと、コクトの手にすり寄ってくる。

 こういう仕草は、矢張り動物なのだといつでも感心させられる。その度にコクトも彼女に答えるように優しく撫で返した。


「あはは。良かったら中で休んでいくかい? 茶菓子があるのだけど……」

「うん」

 首をまた縦に頷かせる。


 素直で純粋。

 そんな目の前の少女であり動物である彼女を見て、何処か嘗て失ったか、そもそもとして持ち合わせていなかった物を、何かの残影と重ね合わせてしまう。


 其れがどうであれ、ある種の彼にとっての安らぎとなっている事には間違いなかった。


   *


 事務所長室で、コクトは彼女にジュースとクッキーを持て成す。

 出された物に対して彼女はスンスンッと匂いを嗅ぎ、その香ばしさに目を見開かせながら口の中に頬張った。

 サクサクッと爽快な音を立てて捕食すると、ストローに口づけをしてコップの中のジュースをスイスイッと飲み干してしまった。

「慌てなくても未だあるよ」

「……ん」


(そう言えば、何か遊び道具でもあっただろうか……)

 満腹そうな彼女の為にと、部屋のタンスの中をガサゴソと手探りに遊具を探し出す。狐という括りでも有り、少女としての括りのあるフレンズが楽しめる物。それは、そこに無縁だった彼からすると何が良いのかという自問自答を潜らせた探索に近かった。


「……ぁ」

 コクトは小さく声を上げる。

 彼が見つけたのは、タンスの奥深くにあった一つの段ボール箱。

 ただ其れは、余り開けるには少々億劫になるような物が入っていた。


 ただ、コクトは其れを見つけたのが何かの暗示だったかのように、箱を開けて中を見る。


 いや、暗示と言うよりは、少々懐かしさを覚えてしまったからこそ、もう一度振り返りたいという無邪気な願いに近かったのかも知れない。


 中に入っていたのは、嘗てこのジャパリパークにて初代研究員として準えられた一人の遺品。カイロのゲーム機一式だった。

 現在でもジャパリパークの休憩所にてゲーム機は配置済みだ。それも、ことあるごとに新作や懐かしさを覚えるゲーム機などがコクトの有志にて入れ込まれている。だが、その中でも、研究所の改築などもあって、余分になってしまったゲーム機が此処で眠っていたのだ。


「……、」

 余りの懐かしさに、コクトは探す手を止めてしまう。

 そして、その一つ一つを取り出しては、何気ない思い出が蘇る。


『何ゲームやってんの、何ゲーム持ち込んでるの!? 何で此処に無い機材があるの!? と言うか、本当に何やってるの!?!?』

『いや~、休憩がてらマ○カ大会をね~』

『いや、本格的すぎるし! いやそもそも、言いたいことありすぎて訳わかんねぇぇぇ!!』

『落ち着きなよコクト~』


 最初は酷く怒った物だが、あれ以来導入してからと言うもの、職員達の士気は確かに上がっていった。そして今でも、受け継がれている。

 最初はどうかとも思っていたが、今思えばコレも一種のこのジャパリパークを作った一つでもあったのだ。


「……なに、それ?」

 不意にキタキツネが後ろから声を掛けてくる。

 そんな彼女の声を聞いてか、彼の口元が少し曲がったような気がした。

「コレは、ゲームだ」

「ゲーム……?」

「あーまぁ、遊び道具みたいな物だな」

「楽しいの?」

「ああ、楽しいぞ。やってみるか?」

「……うん」


「じゃあ、ちょっと待ってろ。ケーブルケーブルっと」

 コクトは段ボールの中からケーブルと、必要なハード等を取り出して、テレビにまで持って行く。携帯ゲーム機もあったが、此所に居るからこそ出来る事も教えたかった。


「よし、コレでオッケーかな。お、懐かしいグラデーション」

「コ、コクト!? なんか、この箱、動いてる……!!」

「ああ、コレはテレビと言って……いや、やってみた方が面白いかもな」

「だ、大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫大丈夫。ほら、コレもって」

 キタキツネはコクトからコントローラーを受け取る。どう持てば良いのか解らないのを察してか、コクトは自分が持っているコントローラーを見せて教えてみる。

 見よう見まねだったが、しっかりとコントローラーを握るキタキツネ。そして彼女もいつの間にか画面に映し出されたプロモーションビデオに熱中しだしていた。


(ヒトは、当たり前のように技術を使い、当たり前のように思いながら続けてきた。だが、その当たり前を知らぬ者達が、未知の技術を目の当たりにした時のあの顔は、我々にはもう出来ない顔なのかも知れない……)


 純粋。

 いつしか忘れてしまう、その無邪気な思い。


 だが、其れを見せる側となった時、どうにもその表情を忘れられなくなる。


 今、コクトは、その繋ぎ目として、実感していた。


 目の前で、其れを楽しむ物、そして其れは、紛れもない、嘗ての共が残した物だった。


(カイロ。有難く、使わせて貰うよ)


   *


「……よっ……ほっ!」

「……、」

 コクトの隣で、ゲームになれたのか、最初のぎこちない動きからスルスルと操作するようになったキタキツネ。コレは動物ではなく、個人としての才能の本質なのかも知れない。


「……やった」

「お、おめでとう」

「うん」


 ポンッとキタキツネの頭に手を置く。

 優しく頭を撫で、褒め撫でる。


 其れはどこか、親のようで、キタキツネも最早抵抗するような仕草はなかった。


「そうだ、未だ幾つかゲームがあったはずだ。色々試してみるかい?」

「! ……うん」

「よし、今度は二人でやってみるか」

 コクトはハード内のカセットを入れ替え、再度電源を入れる。

 ハードから聞こえる機械音は、当時の研究者にとっては休息の時間の鐘のような物だったのかも知れない。


 ただ、本当にその音だけで、楽しんでいる情景が見えるような。

 言葉では言いがたい、虚ろいだ夢。


 ただ、今だけはその浮遊感は、どうにも心地よく。


 そして、其れと同じく、彼の思い出を思い出させるには十分だった。


(……ぁ)

 キタキツネは、彼の顔を見た。

 その光景は、彼女も見た事のない顔で、彼女にとっても、この人物のその表情だからこそ忘れようのない物だった。


(……

「……ふふ」

「ん、どうした?」

「何でもない」

「そうか……お、始まった!」


 もし、許されるのであれば、今日この日だけは、その浮遊感の中で……。

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