第六節

 事務所内。

 園内清掃日として設けられたこの日、多くの従業員達は園内の大清掃へ、事務員は事務内で平日には出来ない溜まった仕事を熟していた。

 そんな最中、一人の事務員が作業中に手を止め身体を伸ばしながら、課長席を横目にして隣の同僚に呟いた。

「ふぁぁぁ~~~……あれ? 今日所長ってお休みでしたっけ?」

「ん? ああ、聞いてないのか。あの人は今日非番だぞ」

「え、珍しいですね。正直所長を見ない日とか初めてッスよ」

「いやまぁ、名目的には非番なだけで、今日は別の案件があるらしい」

「あ、やっぱり僕らの所長だった」

「いやいや、仕事の鬼だけど、強要するような発言は寄せよ……」


 いつもなら、あの席に座って黙々と作業をしているはずの所長。

 別件で別の場所に居ても、一日一回は顔を出すのが常の彼が、今日は居ない。

 そもそもとして、何かあれば一言言うような人だったが、其れも無いとなって素朴な疑問が事務員に生まれていた。

 対して熟練社員は淡々とした姿勢で答えている。

 この場所で働き出して彼等は多くて一年二年。その誤差からも、所長という人物像は曖昧であり、かつ断片的な定着も成されている。


 間違いでは無く、正しくも無い。


 言うなれば、彼等の視認範囲に、彼という存在は、当たり前であり、唯何処か不確明もあった。


   *


 コクト。

 彼は今、カントー地区保護区内の山陰部にて、コトを連れある視察に来ていた。


「此処が、建設予定地だ」

「……深いな」

「まあな、此処はパーク内唯一の不干渉地帯だ」

「……どういう事だ?」

「パークでも特殊な場所ってのは幾つか存在して、その中でも此処はセルリアンもフレンズも近寄らない場所なんだ。理由はわからないが、此処一帯では特殊な超高周波と類似する反応も出てるらしい」

「モスキート……か。成る程、此処であればお前の持ってきた設計図の建築も可能と言う事か。確かに、人目に付かず襲撃される事も無い」

「フレンズが此処に近寄らない事からガイド部の奴らも立ち入る事は早々無い」


 密に進める謎の建築計画。

 コトは手に持った資料を一目して、建設地を再度眺める。


「しかし、こんな大掛かりであれば、日が経てばバレるぞ?」

「外観は唯の塔だ。他の職員にも「一種の遊戯場」と説明した」

「遊戯場を作って、だがフレンズは近寄らない。存在するだけで活用されない場所。表向きには隠せ易いと言う事か」

「何にせよ、此れは重要な物だからな」

「私で良かったのか? どこかの会社になら、其方の方が早く進められるだろう」

「此れはできるだけ密にしたい。信用できる奴に頼む方が良いと判断したまでだ」

「そりゃ、有難いね」

「それに……」

「……さて、商談も此処までにして置こう。私達は早急に見積もりと予定を立てたいからな」

「悪いな。そうだ、お前に此れを渡しておこう」


 コクトは、懐から封筒を取り出す。

 封筒には『重要』と赤の朱肉で押され、中から三枚折りの紙を出せば、そこには『保護区進入許可承諾証』と書かれた書類が出てくる。項目を追っていけば、最下降にはコクトのサインと印が押されていた。


「頂戴した。其れでは此れより我々の不可侵も此方より認定しよう」

「調印は?」

「全員、血印済みだ。最後はお前だな」


 コトは手に持った画板の資料の中から、一つの書類を取り出す。

 そこには、四項目の署名と印字場所が項目にあり、既に上三人は署名と血印を済まされている。


 コクトはコトからペンを受け取り署名をすると、懐にしまっていたサバイバルナイフを取り出し親指の腹を切り付ける。

 ドクドクッと流れ出した血を見て、最後に印部分に自身の指紋入り血印を示した。


「此れで、私達の協定は成されたな」

「……、」

「……どうした」

「いや、何でも無いさ。それじゃ、後は頼んだよ」

「……? ああ」


 コクトは唯其れだけを告げ、その場から立ち去る。

 彼の言葉にコトは確かに疑問が在った。

 だが、その審議を問うには剰りにも必要材料が欠落していたのも事実だ。


 だからこそ何も聞かず、唯々了承した。


 ただ、その先の未来、彼が思った事は。


 あの時、ちゃんと話していればと言う、失念と焦燥だった。


   *


 事務所内、所長室。

 コクトは一人、カイロが残した『未来の書』の再読をしていた。

 ハードカバーのその本は、今では湿気を含んでしまったのか、どことなく傷が悪目立ちしている。一ページ一ページ捲っていく事に、嘗ての彼の筆記が目に止まる。


 ある程度のページを読み終えると、コクトは本を閉じ背もたれに身を任せ天井を見上げる。


 大きな溜息は天井へと消え去り、そして静かな時間が再開する。


 仮にもジャパリパークの最高責任者である彼は、唯一人部屋の中で一時の休息を味わっていた。


 仕事がない。

 いや、其れは言葉にするには多少の複雑さがある。


 今まで、ほぼ全ての項目事項を熟してきたコクト。それは、言い換えればそれ程の仕事量を単一で熟せる程の実力を持っているという事。

 だが、其れも状況が変われば話も変わる。

 自身に割り当てられた仕事を熟し、成長していく職員。

 其れまではコクトが手助けをしていたが、今となってはその必要も無くなってしまい。昨今では事務所、研究所、医療機関における彼の役割は最高意志決定位の物となってしまった。


 とも成ると、寸分の一に減ってしまった作業など、彼は一手間で終わらせられてしまう。


(こうは言いたくないが、何処か置物のような疎外感を感じるのはどうしてだろうな)


 寂しいか? と聞かれれば、頷きたくもなり、唯社員の成長も嬉しく思う。


(まあ、だが……)


 だが、その自問自答は、いつも一つの終着点へと至る。


(私も孰れいなくなる。やるべき事をやって、早々に退場をし、後の者に任せる。今は、それで良いだろう……)


 等しく虚しい決意。

 だが、それでも、今の彼にとっては、其れがやるべき事であり、成すべき事であり、そして、己が生涯の役目であると、言い聞かせ続けた。

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