第一〇節

 ピクニック後の話だが、どうやら事務については他の研究員達が手を貸してくれたらしい。初代研究員達がいない中でもトラブルも無く書類整理を終えてくれた彼等には感謝と今後の待遇を考えねばな、など所長の肩書きとしての発言と同じく感謝の気持ちがあった。

 ただ、出勤日を了承無く増やしてた所を見るとかなり計画性のある書類整理だったのかも知れない。


「さて……」

 コクトは事務机の上で、資料の確認を終え一息つく。


 時期は既に冬に差し掛かり、つまりは入社試験間近だった。

 こうなると、ジャパリパーク内も研究に明け暮れる日々はそうそう出来なくなる。試験会場の手配と、前座講義、更に会場を押さえるなど、コクト一人では事務をこなしていけない状況になってしまう為に、数名の精鋭達が事務所に集い、外報への連絡の嵐が始まるのだ。

「もしもし、こちらジャパリパーク事務室のミタニと申します。はい、以前お話しした試験会場の件なのですが……」

「はい、事前講義として……はい、はい、そちらの方での手配をお願い致したく……」

 事務室にはコールの嵐。

 書類の作成やファックス送信。メールでのコンタクトや入社試験希望者のリストアップ。


 多くの準備が必要とされ、その情報交換に事務所は慌ただしく動いていた。


「はい、此方ジャパリパーク事務室コクト……はい、そうですか。ありがとうございます。では日程なのですが……はい、はい、その通りに。では失礼致します」


 ここまで慌ただしいのも、以前の講義に影響力もあった。

 面接に落ちてしまった研究員や、興味を持った希望者。その多くがジャパリパークの現在公開されている研究内容に寄って熱を帯び、かなり多くの希望者が相次ぐ形となっていた。


「……はぁ」

 この応対の嵐の中で、誰もが胸に思うことが一つあった。

 それは、当たり前で、互いにそれが何かを認識するほどに明確な、集約された一つの言葉だった。


((((((((((……終わらない))))))))))



 試験や前講義の準備に差し掛かる中で、事務所の扉を一人の研究員が開けて入ってくる。

 彼は真っ直ぐコクトの元へ来ると、コクトに少し悩ましげな顔をしながら話しかけてきた。

「あの~……所長。お客様が……」

「誰だ?」

 研究員は困り顔ながら、事務所の扉の方へと目を移す。

 コクトも同調してそちらを見ると、其処には恰幅の良い白髭を生やしたスーツ姿の和やかな外国人の中年男性が、上着を抱え片手に持ったハンカチで汗を拭いながら「どうもっ」と言うようにペコリッと一例を返してきていた。

「Dr.Mars!」

 コクトはそうかけ声を上げると、席を立ち彼の元へ向かう。

 彼等は互いに扉前で話すと、コクトが「少し離れる」と言って彼と応接室の方へと向かっていた。


「彼は誰だったんでしょう……」

 先程報告してきた研究員は、首をかしげながら疑問を放つ。

 その疑問に対して、セシルはムフフンッと謎の自慢げな咳払いをしながら、言葉通り自慢げに説明してきた。

「彼はMars・Aloneと言いましテ、アメリカでの優秀な心臓血管外科医なのデスヨ!!」

「心臓血管、外科医?」

「Yes! その名の通り心臓や血管を専門にしたSurgeonでしテ、Doctor界隈でも彼を知らない人物はイマセーン!!」

 ビッと指を研究員に指してくるセシル。

 ただ、その言葉を余り理解できなかったのか、研究員は「は、はぁ」と曖昧な返事を返すしか出来なかった。

(……一体どんな関係なんだろ?)



 応接室では、コクトとマースが互いに語らっていた。

 ただ通りかかる研究員達がそれを耳にすると、互いに英語で喋っている為に何を言っているのかさっぱりだったという。

『マース先生。まさかアナタが此方の方に……しかも日本に来日して頂けるとは』

『イエイエ、優秀な若手を見守るのも私の仕事ですから。しかし、此方こそ、まさかあなた程の者が医者では無く一社の社長になるとは思いも寄りませんでしたよ』

『ご謙遜を。それに、医者を辞めた訳でも無いですし、寧ろそちら医師が此処での本業ですよ』

 互いに無為他愛の無い話しに花を咲かせ合う。

 医者の難しい話や互いの見解、病院でのちょっとしたおとぼけ話や、医師としての議題。

 同じ職柄の話題に、大きく会話を弾ませた二人だった。


『ああ、済みませんが私はそろそろ。何分今忙しい時期なもので……』

『おお、手を止めさせて済まなかったな。私はそろそろ帰るが、また機会があったら話そうでは無いか』

『ええ、またいつか』


 そう言うと彼等は互いの手をがっしりと掴み、しっかりと握り返す。

 握手をしたマースは、不意に握った彼の手を見てこう言った。


『良い腕だ。もう若手などでは無い。一人前、誰もが頼れる良い医者になったのう』

『……ありがとうございます』

 ただ、最後の言葉だけには、心から想えるほどの思いが無かった。



 前講義は、前回と違って少々やり方を変えた部分がある。

 それは、謂わばゼミや一つの授業のように一室を使い事細かな説明を行うという点にあったのだ。

 ジャパリパークを離れ、本島のある一つの大学で、その講義が行われていた。

「えー、まずこの物質なのですが、ジャパリパークから噴出されたサンドスターの一種の特性から出来た派生物と考えられます……」

「我々はフレンズと呼ばれる彼女たちに対して現在多くのアプローチを試みています。ただそれらは事務的な損得の利益勘定からでは無く、フレンズと同じように、友……友人や家族のように親しい間柄で輪を深めていこうという考えの元で……」

「この実験から出た物は二つ有ります。えー、まずこの未知の生命体なのですが……」


 初代研究員の五人が各々に教室を借り、それぞれの研究や見解から意見を発し、更に多くの受講生との質疑等を行う。謂わば、授業の一環そのものだった。


 各々が各地を回り行う授業では、毎回多くの受講生が出席する。各地事に一日のみの、期間限定のこの授業は、誰もが興味を持っていたのだ。



「……、」

 黒斗は、自身の講義が終わり教室から出る。

 扉を閉めるまで盛大な拍手で見送られていて、その講義が受講生達にとってどれ程に有意義だったのかと言うことが解るほどだった。


「はぁ……」

 扉を閉めて、ここ一番の溜め息を吐き出す。

 各地を回って、一週間目になるだろうか。

 流石に都道府県全体を回る訳には行かないので、限定的な都心部に絞って限定講義を行っている。

 その一週間に詰め続けてきた疲労が、肩に重しのように乗っていたのだ。

「疲れが溜まっているようだな」

 不意に横を見ると、その声の主が神谷みたにだったと視認する。

「まあおかげさまで……」

「でもこれでやっと終わりでしょ~?」

「はぁ、流石に連日で各地を回るのは疲れるわね……」

「ソウデスカ? MeはEnjoy出来ましたヨ?」

 更に反対側からは、魁呂かいろ玲子れいこCecilセシルの三人が此方へと歩み寄ってきた。


「十分な収穫はあった」

 黒斗は、四人にそう呟く。


 その言葉は、彼等が今まで乗り切ってきた苦難困難の成果が、今この瞬間に繋がっているのだと、互いに解っていた。

 語らう言葉は多くなくとも良い。

 その言葉が要らぬほどに、彼等の絆は深く大きくなっていたのだ。


 黒斗は、彼等の顔を見渡す。

 疲労が有るとは言え、その表情は確かに今が満たされているとわかるものだった。


 我々の行うべき目的は達成された。

 ならば、次に行うべき事は既に決まっている。


「さあ、帰ろう……彼女たちフレンズが待っている」


 五人は歩き出す。

 白衣を靡かせ、歩み出す。


 これは、始まりの物語。


 彼等は、ジャパリパークを作った始まりの研究者。

 彼等研究者は、歩みを止めぬだろう。


 ――己が全うする使命が、終わりを告げるまでは。

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