エピローグ


 かつて、あの地は豊かな土地であった。


 砂漠になる遥、昔。

 人々が集まりあらゆる欲が溢れかえり、貧富の差が激しく、弱肉強食の享楽に耽るような国があった。

 大干魃は、此の大地から始まったのだ。


 遠きあの日、人々が密かに集まる闇の中。

 大規模な裏オークションの会場で、龍の卵が競りにかけられていた。

 この大地の上から、龍卵は様々な人手に渡り、砂漠に飲み込まれた国を出て各地を旅し、そうしてまた砂漠となったこの大地の上に帰って来た。


 貴族の館で、人知れず孵化したセンカは、10歳くらいの姿かたちで、己の名前だけを知って産まれた。

 けれど、道理が分からずオロオロとしているところを、孤児院で保護されたのだった。


 それからが受難の日々であった。


 貧しい暮らしは、沢山の差別や暴力や虐め、孤独と飢えに堪え忍ぶ日々の連続だった。時たま、助けてくれる者も居たが、そう言う人たちはいつの間にか、行商に紛れて砂漠を出ていってしまった。

 センカは、自分しか頼れなかった。

 喉が渇いて辛くて辛くて、井戸の底の小さな水溜まりさえ舐めさせてもらえなくて。

 苦しい渇きが続いたそんなある日、自らの手から水を産み出せる事に気がついた。

 それから日々が変わっていった。

 暴力をふるい、楽しそうに虐めや差別をしていた人間たちの、手のひらを返したような態度は正直、薄気味悪かった。

 井戸の水をいっぱいに張り、町のあちこちを回ったけれど、感謝は最初のうちだけで、あとは使い潰すように引っ張り回された。

 王宮に目仕上げられても、メイドより忙しく働いた。

 満足に食べるものも与えられず、服や寝床も孤児院と変わらない酷いものだった。

 ヒトが笑う顔が好きだった。

 ヒトの役に立ちたかった。

 けれど、水を誰かに与えるのと比例して、センカの孤独は加速していった。

 それに気付いた時、尊い力が失われた。

 そして、センカの願いも虚しく、心も身体も踏みにじられて国の外へ追放され捨てられてしまった。

 けれども、捨てられたことによってセンに拾われ、己の血族を得られ、今の素晴らしい日々に巡り会えたのだ。


 様々な試練を乗り越えて今が在ると思うと、なんとも感慨深いモノだとセンカは空を眺めて思った。



 ふぅ……と、ひとつ、ため息をついた。


 あの日、センと出逢い己の真の姿を知って、色々なことがあった。

 あれからもう、幾数年。

 センカは変わらず少女の姿のまま、水盆から世界を眺めていた。


 また、ふぅ……と小さくため息をついた。


 世界を観測する水盆を通して、センカは様々な国が、文明文化が、人々があることを初めて知ったのだった。


 日々が発見の連続で、沢山の文化を観察しては神殿の図書館で調べ、沢山の言葉を聞いては創造神の元に通って言語の成り立ちを教えてもらった。

 知識や知恵が付いてくるのに伴って、敬語などのマナーや常識を身に付けられたのは行幸であった。


 その都度、創造神の膝の上にのせられて、頭を撫でられたり抱き締められたり、甘いお菓子を手ずから食べさしてもらったり、多言語の絵本を読んでもらったりと、甘やかされては猫可愛がりされていた。

 毎日、事あるごとに、センカを幼女のように甘やかすのが両親ではなく、緩みきった満面の笑みを浮かべた創造神、というのは他の龍族の大人たちも苦笑していたが……。


 そうは言っても、もちろん両親や親戚類からも、沢山の愛情を注いでもらっている。


 特に両親からは、お腹いっぱいになるまで温かくて美味しい食事をもらい、抱き締められながら安心して眠り、毎日惜しむこと無く、溢れんばかりの愛情を注いでもらっている。

 姉のようなセンに可愛がられ、長い旅路で得た、色鮮やかな知識を聞かせてもらっては二人で意見を出し合い、議論をして互いの考え方への理解を深めた。


 毎日が楽しかった。

 毎日が充実していた。

 毎日、いろんなヒトたちに、沢山、沢山、可愛がってもらっている。

 不満など、本当にひとつもなかった。


 けれど、水盆から世界を覗いて、センカは小さくため息をついてしまう。


千華センカや、さっきから可愛らしいため息をついて、どうしたの?」


 静かな、秋風の気配を纏う、優しい風を伴いながら現れた創造神が、センカの頭を撫でて微笑んだ。


「あるじさま……。

 わたし……わたし、我が儘なんです。」


 ふぅ……とため息をつくと、センカはしょんぼりと肩を落とした。


「どうして我が儘なの?」


「あの……、わたし……お役目のこと、とっても好きです。やりがい有りますし、なにより力を使うのが楽しくて、天候を操って世界を調律するのは、面白いんです。

 だけど……、だけど……。」


 センカは、ギュッと唇を噛み締めた。


「時々、大地が恋しくなるんです。

 センさまと旅をしたのは数日でしたが、かつての楽しさと、新鮮で鮮烈な情景たちが脳裏に焼き付いていて、離れられないのです。

 だからでしょうか?

 水盆から世界を眺めると、その場に降りたってヒトに混じれて、その営みを肌に感じてみたいと思ってしまうのです。」


「ふふ……いいよ、いっておいで。」


「……えっ!?」


 あっさりと外出を許す創造神に、センカは驚いて思わずポカンと口を開いてしまった。

 少し間の抜けた表情に、創造神はクスクスと微笑んだ。

 創造神の言葉の意味と笑われてしまったことがない交ぜになって、センカの顔が羞恥と嬉しさで真っ赤に染まった。


「で、でも、お役目が……っ!」


「あれ? 千華のお役目は、水盆を持ってれば何処でも出来るから問題ないよ?

 知らなかったの?

 だから、いいんだよ。

 センといっておいで。」


「 っ!? あるじさまっ、大好きですっ!」


 嬉しくて視界が滲んだけれど、センカは嬉しさに創造神へ飛び付いた。

 すっかり甘え癖がついてしまって、なんなく抱き上げられると、真っ赤な頬を創造神の肩に何度も擦り寄せた。


 創造神も嬉しそうに、よしよしとセンカの頭を撫でながら、ポロポロと溢れる涙を袖でぬぐってやった。



 **********


 センカは、センと共にまた旅に出ることが決まった。


 センは、各地に滞ってしまった穢れを散らして世界を浄化し、調律するための旅を。


 センカは、ヒトの営みを肌で感じながら天空の状態を調律し、恵みをもたらすための旅を。


 地上の旅人が着る、簡素だがしっかりとした生地の衣を纏い、マントを羽織る。

 腰に雄の火龍が鍛え上げた小太刀を下げ、腰帯に火打石や折り畳み式のナイフを吊る下げた。

 背中に背負った草臥れた袋は、天空の宮にある次元回廊の倉庫に繋がっていて、あらゆる物が入るという優れものだった。


 センとセンカはお互いの装いを一通り確認すると、顔を見合わせて笑い有った。


「さぁ、久しぶりの旅ね、センカ。

 あなたとの旅は楽しかったから、これからがまた楽しみだわ!

 あ、それとね、龍のまことの名前は下界ちじょうでは強すぎるから、降りたら創造神さまから頂いた幼名で呼ぶの。

 だから、私はイズミ。

 あなたは、チカよ?」


「イズミと、チカ?

 なんか、可愛らしい響だね。」


「創造神さまからの、愛がたっぷりな贈り物だから、ウンと可愛らしいのよ。」


 センカは、なるほど……と花が綻んだように笑った。


「ふふふ、では改めて宜しくね、チカ!」


「はいっ、イズミさま!」


「あら、様付けは止してくださる?

 なんちゃって!

 ふふふ、どうしても様が付けたかったら、イズミねえさまと呼んでね?」


 あっけらかんと笑うセンに、センカは照れ臭そうに頷いた。


「は、はいっ!

 では、イズミねえさまと呼びますっ!

 これから、宜しくお願いします!」


 熟れた果実のような、真っ赤になった頬を綻ばせて、千華チカは笑った。


 愛くるしい姪の満面の笑みにつられて、イズミもにっこりと微笑んだ。


 世界は広大で果てしない。


 新たな出会いと別れの永い旅路を求めて、二人は地上へと舞い降りたのだった。





 **********


 ー 雨の弓をひいたら。 完 ー


 *ここまで、お読みくださりありがとうございました。『雨の弓をひいたら。』はこれにて完結とさせていただきます。

 つたない文章と設定の甘いストーリーだったかとは思いますが、書ききれたことが嬉しかったです。

 最後までお付き合い下さった方に、沢山の感謝をこめて!



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