第11話 東雲の弓と象徴の矢

 20日間の雨の後の晴れ間は、いつも大変に美しかった。


 朝陽が昇り雲間から、光の白いきざはしが大地に降り注ぐ。

 人々は眩しそうに、そしてホッとしてその光景を眺めていた。

 生き残った砂漠の民だった者たちは、仕事の手を止め朝の美しい光景を見つめた。

 誰もが、今日という晴れの日を待ち望んでいたのだ。


 しかし朝の清廉な空気が、突如、ざわりと緊迫した人々の声によって引き裂かれた。


「龍神さまだっ!

 龍神さまが降臨されるっ!」


 誰かが叫んだ。

 その声に、人々は、不安と畏れと恐怖に彩られたざわめきを大きくしていった。


 雲間から射し込む光の階から、優美に長い身体をうねらせて、降りてくる龍。

 星々をちりばめたような青銀の鱗が、朝陽を反射してキラキラと輝いていた。

 光の粒子を振り撒いて、空中に光の軌跡を残しながら、ゆったりと空を泳ぐ小さな龍は、静かに岩山の山頂に降り立った。

 大地に足をつける瞬間、センカは龍の姿からヒトの姿に変化した。


 岩山の山頂に居たパン屋の少年は、泣きはらした真っ赤な目を驚愕に見開いて、目の前に降臨した龍神を凝視していた。


「……あなた方を赦します。」


 慌てて山頂に集まった砂漠の民だった者たちは、その言葉に驚き、また信じられないような心持ちで自分たちの耳を疑った。

 誰もが大地に額を擦り付け、もう一度、龍神の言葉を待った。


 頭を垂れて、小さく震える人々を見渡して、センカはもう一度、口を開いた。


「わたしは、あなた方を赦します。


 けれど、恵みの矢は置いていきましょう。

 彼の矢を見るたびに、思い出して欲しい。

 ヒトの強欲が招いたことを。

 思いやる心を忘れたヒトの最後を。

 感謝の心を持ち続けた尊さを。


 どうか、それらを忘れないで欲しい。

 だから、その教訓と罪の象徴として、恵みの矢は此の地に残して置きます。」


 人々は、顔をあげてセンカを見つめた。

 言葉の意味に何度も頷きながら泣くもの。

 大地に、血が滲むほど額を擦り付けて、啜り泣くもの。

 紡がれた言葉が信じられず、呆然とするもの。

 赦された喜びに破顔するもの。


 人々のその様子に、センカは小さく微笑んだ。

 そして、雲が残る空へと手を伸ばす。

 ふわりと柔らかな風が吹いた。


「恵みの矢よ、役目を終えて此れへ。」


 カッ!と、一瞬、空が真っ白な光で光輝いたと思ったら、暗かった雲が取り払われて、真っ青な空が広がった。


 わあぁぁぁっ!と、人々が歓声をあげた。


 それは求め続けていた抜けるような青天。

 朝陽が、白くて小さな幾つかの雲を薄紅に染めているのが良く見えた。

 神秘的な美しさに、人々が泣きながら歓声をあげた。


 センカの手には、光輝く矢が握られていた。

 砂漠を湖に変えた、恵みの矢だ。


 センカは、東に逆の手を伸ばすと朝陽を


「我が左手に集え、東雲しののめの弓よ。」


 金色に薄紅を溶かしたような、淡く光る美しい造形の短弓が現れた。

 東雲の弓に恵みの矢をつがえて、湖の遥上空に向かって弓矢を引いた。

 パアァァァンっと渇いて小気味の良い弓を鳴らして、矢は放物線を描きながら空へと吸い込まれていった。


 次の瞬間、小山の大きさと余り変わらない大きなが飛来して、音も無く湖の中心に刺さった。

 星の光を溶かしたような、青銀に輝く水晶の矢は、 湖の底の砂に刺さったのだった。

 人々は、それを驚愕と不安に満ちた表情で凝視していた。

 何人かが、チラリチラリとセンカに不安そうな眼差しを送っていた。

 センカは、小さく微笑んだ。


「どうかこれから、人間性も、心も生活も、みんなで豊かになってください。

 もしもまた心の貧しいもので溢れかえったなら、恵みの矢をつがえて、永遠に降りやまない雨の弓を引きましょう。

 だからどうか、もう二度と、私に弓矢を引かせないで。」


 そう静かに言い終えると、センカは龍の姿に変化して、またゆったりと虹の向こう側へと帰っていった。


 人々はいつまでも、龍神の背中が見えなくなっても、ずっと、ずっとその背を見送っていた。


 朝日の差す真っ青な空には、龍の軌跡が金色の帯を残して、その日一日中、天空を輝かせていた。


 人々は毎年、この日を祭日として定めた。

 龍の赦しを得て、豊かになった生活は何の犠牲の上に成り立っているのか。その豊かになる前の教訓を思い出し感謝を伝える為の奉り事。

 虹の麓の山頂から、国を見下ろすよう建てた青銀の龍神像と、湖の中央に刺さった巨大な水晶の矢を毎日拝み、晴れの日にだけ臨める、澄んだ水底に沈んでしまったかつての国の残骸を上から覗きながら、人々は生涯、かの日の出来事を忘れぬよう胸に刻んだ。


 遠い未来、パン屋の少年が神官長として人々の頂点に立ち、この地に住まう人々を導き、砂漠の共和国は聖都市と成って、大きく豊かに発展していく事になる。



 消えない虹の橋。

 水底に沈んだ砂漠の王国。

 湖の中央に刺さる水晶で出来た恵みの矢。

 峻烈な岩山の山頂に建っている、美しく荘厳な二体の青銀の龍神像。

 かつての戒めや教訓。

 愚かな行いの代償と大干魃の歴史的見解を集めて記述した、それらの書籍を管理する場所。かつての王宮の跡地、その湖水の上に建てた巨大な水上図書館。


 それらを求めてヒトが集まり、また富みに富んで豊かな土地になっていく。

 未来、何代にも渡って引き継がれていく神官長だったが、傲慢な指導者と言える者は終ぞ現れなかった。

 指導者は、その勤めが終わるとき必ず同じ事を言い残して去っていった。


『いつか、かつての龍神さまたちが舞い降りられた時、微笑んで豊かな生活を御覧になってくださると信じております。

 雨の弓を二度と、引かせませぬと胸を張って宣言できる喜びを、この都市に住まうことの出来る歓びを、いつか御伝えしとうございます。』


 それは、パン屋の少年だった神官長が死の間際に微笑んで言い残した、言祝ことほぎであった。

 二度と同じ鉄を踏まぬよう、傲慢にならぬよう、この言祝を人々は、そして龍神を奉り遣える神官は、この国が続く限り言い伝え続けたのだった。

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