第10話 パン屋の少年


「雨をありがとうっ、龍神さま!」


「……え?」


 センカは創造神に言われた言葉を思い出しては悩み、中々、踏ん切りがつかないでいた。

 考え事をしながら何気無く、センカがボンヤリと砂漠の国を眺めていると、喜色に溢れた男の子の声が耳に飛び込んできた。

 センカは驚いて、その声の主を探した。


 虹の麓の山の頂き。


 かつて欲深な王さまや大臣が転げ落ちた岩山の山頂。

 にこにこと嬉しそうに笑う少年が、両手を胸の前で組み両膝を地面につけて、空に向かって祈りを捧げていた。


 3年間、誰も雨を喜んでも、こんな風に改めて神に感謝を捧げたものは居なかった。

 だから、センカは驚いて少年を凝視した。

 降り続く雨に畏れを抱き、鬱陶しい雨に今では誰も喜ばず。

 けれど、本当に嬉しそうにお礼を宣う少年が、なにに喜んでいるのか知りたくて、センカは自分と同じくらいの大きさの少年を見つめ続けた。

 そして、あっ!?と驚いて息を飲んだ。


 少年は、殺されてしまったパン屋の乙女の弟だったからだ。


 センカの頭のなかでは、なぜ?という言葉で溢れかえった。

 少年は、ひとしきり感謝の言葉を言い終えて満足すると、山頂から下山して集落となった小さな国へ帰った。

 また次の日も、その次の日も、降りしきる雨の中、山頂に来ては「雨をありがとう。」と感謝を捧げて帰るという行動を繰り返していた。


 センカは、少年をジッと見守り続けた。


 ある日、少年がなにかを叫びながら山頂に駆けてきた。

 とうとう、怨み言だろうかとセンカはグッと顎を引いて構えた。


「龍神さまぁぁぁぁっ!

 ありがとうっ!ありがとおぉぉぉっ!!

 やったよ! 芽がでた!

 僕の植えた木の芽がっ、芽吹いたよおぉぉぉっ!!」


 わあぁぁぁっ!と泣き笑いで虹の向こう側へと両手を大きくふって、少年は膝から崩れるように膝間付いた。


 その喜びように、センカは呆気にとられた。

 この雨が降りしきる中でも、植物が育つことに、その命の強さや少年の素朴な喜びに、純粋な驚きと小さな暖かさが胸に宿った。


「他の芽も出たんですっ!

 姉が大切にしていたっ、植物が芽吹いた!

 やっと、やっと!

 姉もこれで、報われるっ!!

 龍神さまのっ、雨のお陰でっ!

 岩山のあちこちに、芽が出てるのをっ、僕は毎日っ、毎日っ、数えてますっ!

 僕の木の芽も、やっと芽吹いてっ、やっと、やっと根付いたんですっ!

 恵みの雨を、ありがとうございますっ!

 うわぁぁぁぁんっ!うわぁぁぁぁんっ!!


 姉さんっ、ごめんねっ!

 助け、られなくて、ごめんね……っ!!

 姉さんっ、ちゃんと、天国に行けたの!?

 天国で、龍神さまにっ、遣えてるのっ!?

 お勤め、がんばってるの……っ!?

 僕は、僕はっ、無力だけど毎日っ、姉さんと龍神さまにっ、祈るからっ……!

 ちゃんとっ、生きるからっ、心配しないで……っ!!

 姉さんっ、うわぁぁぁぁんっ!」


 空に吼えるように、少年は泣いた。

 魂が震えるような少年の心の叫びに、センカの眼から、ボロボロと涙が溢れた。

 感謝の念、悔恨の念、それらが複雑に混ざり逢った喜びの叫びはセンカの心を打った。


 ヒトは、なんて複雑な生き物なんだろう。


 わんわんと、空に向かって泣き叫ぶ少年の命がいとおしくて、センカは少年につられるようボロボロと泣いた。


「もう、赦してあげよう……。」


 センカは水盆の中、雨の中でも分かるほどの大粒の涙を流し全身全霊で泣き叫ぶ少年に向かって、そう呟いた。


 両手の甲で涙をぬぐって、センカは顔をあげた。

 決意に満ちた深い紅の瞳は、キラキラと輝いていた。


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