第5話 パン屋の乙女


『きゃあぁぁぁぁぁっ!!

 お許しをっ! お許しをぉぉぉぉぉっ! 』


 センカは、その悲鳴に跳び起きた。



 センカは先日、母から龍のお役目を継いだばかりだった。すっかり現代の世界に愛想を尽かしてしまった母親は、申し訳なさそうにセンカにお役目を継いでくれないかと頼んだ。

 他の血族たちも此度のほとぼりが覚めるまで、地上に関わるお役目を嫌がったので、セイは引き続き、そしてセンカは新たに龍の義務を担ったのだった。


 お役目を引き継ぐとき、帰還の報告と生誕のご挨拶をしに、始めて創造神の前に立った。

 その時に逢った、創造神の神々しさ、美しさと「おかえり」とおっしゃって下さった慈愛の深さは一生涯、忘れることが出来ない素晴らしい思い出の宝物となった。


 それからと云うもの、センカは、お役目をしっかり果たそうと張り切ったのだった。


 地上の天候を観測し、豊かな状態を調べるための神殿に置かれた長椅子の上で、センカはたまたま昼寝をしていた。

 昼寝をする前までは神殿の水盆の水鏡で、センカは地上を眺めていた。

 しばらく、あらゆる国を眺めて、あらゆる人々の願いの声を聞いていたが、ふと……自分が長年いた砂漠の国に焦点を合わせてみたくなった。

 相変わらず、いや、センカが居たとき以上に渇いたその国は、様々な人間たちが水を求めて醜い争いを繰り広げていた。

 観るに耐えきれず、また昔の事を思い出して嫌な気持ちと、あの得たいの知れないモヤモヤとした気持ちになって、センカはふて寝していた。



 それから、数刻がたったときの出来事だった。



 水盆をのぞくと、砂漠の国の町外れの砂漠で、独りの若い女が大地に四肢を荒縄で縫い止められて泣き叫んでいた。

 若い女の周りを囲むように、男たちがいた。

 それは、センカに暴力をふるった忌々しいあの愚王が、大臣たちと共に若い女の側で立っていたのだった。


『神よっ! 聞こえておられるか!?

 今ここに、生け贄の乙女を差し出させていただく!

 どうかお納めくださいっ!

 神よっ! この者の魂を対価に我らに水を与えたまえっ!』


『ひっ! あっ、ぎゃあぁぁぁぁぁっ!!』



 それは……あっという間の出来事だった。

 センカは、その場景に戦慄を覚え、ガタガタと震えながら茫然とした。

 ぼろぼろと涙が溢れた。

 センカの後ろの扉から、いまの騒ぎを聞き付けてかセイがそっと現れて、センカを静かに背後から抱き締めると、片手でゆっくりと目を隠した。


「……あの女のひとは、……ぼろぼろになったわたしが街から離れるとき、唯一……パンと水袋をくれた人だったの。

 なにも言わず、岩山の方を指差して街の中に去っていった。だけど、周囲が砂に囲まれた砂漠の国で、峻烈といえど砂漠よりはモノがある……生き残れる可能性が高い岩山へ向かえと無言の中でも優しい瞳でそう語っていたのを、わたしは知っている。

 いま……思えば、王様に叩き出されたわたしに関わることは、王権政治の強いあの国で、反逆罪並みに勇気のある行為だったって分かるの。あの国で唯一、助けてくれたヒトだった。

 ……今なら、今だからやっと分かったの。

 この、モヤモヤとしていた気持ちがなんなのか、今だからやっと分かったの。


 あの人を助けたかった。


 他にも、あんな風に誰かを支えようと頑張ってるヒトや干魃を乗り切ろうと奮闘して頑張ってるヒトたちを助けたかったの。」


 センは、苦り切った表情を浮かべ、大粒の涙を流すセンカを強く抱き締めた。


「あの時……かすれてしまったけど……、水をありがとうって、あの人に聞こえていたのかしら……?」


 セイが隠してくれた手の向こうで、水盆に映った、心臓に杭を打たれて亡くなった女性に弔いの言葉を呟いた。


「なんてことを……。

 愚かな……。酷いことをするわね……。

 あんまりだわ、可哀想に……。」


 静かなセイの言葉に、センカは息を飲み、とうとう堪えきれず嗚咽を漏らしながら泣いた。


 悔しかった。哀しかった。恐ろしかった。


 人の欲の深さ、業の深さが気持ち悪くて。

 本当にひとが恐い、あいつらが許せないと、セイの胸に顔を擦り付けて大声で泣きわめいた。


 しばらくして、気持ちが落ち着くと、しゃくりあげるセンカがそろりそろりと顔をあげた。


「うっ、ぐすっ……ごめんなさい、セイさま。

 ひぐっ、お召し物が、うっ、汚れてしまって、ひゅっ……ふぇ……。」


 何度も頭を撫でてくれるセイに甘えながら、申し訳なさそうにセンカは顔をくしゃりと歪めた。

 涙でボロボロになったセンカが痛ましくて、セイはぎゅっとセンカを抱き締めた。


「優しい子、私のことは大丈夫よ?

 それよりも、あの砂漠の国の中枢は非道の数々を繰り返していて、本当に許せないわね……。」


 セイの瞳に、燃え上がる怒りの焔が灯った。


「本当にっ、ひっく、……許せないっ!

 あ、あの王様に、うっ、罰を、与えたいっ!」


 センカも、またポロポロと泣きながら怒りに震えた。


「よし、センカ、一緒に地上にいこうか!

 私が、天罰をあの国に落としてあげるわ!

 それとセンカにも、龍の力の使い方と天罰のやり方を教えてあげるから、思うようにしてごらんなさい。」


「そんな、ことが……出来るの?」


「出来るわよ?

 いままでの分も含めて、しっかり懲らしめてやりましょう。」


「はいっ!宜しくお願いしますっ!」


 二人は龍の姿に変わると、虹の橋を渡って、またあの過酷な環境の砂漠へと舞い戻ったのだった。


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