第3話 虹のその先に


 それから、女と子供は虹の麓を目指して歩き出した。

 彼女たちの血族が棲むという、美しき故郷に帰るために。


 幾夜が過ぎた頃、とうとう砂漠の峻烈な岩山の天辺に登り着いた。


 砂漠の夜と朝の狭間。

 世界の時が止まったような時間。

 頭上には闇と光、夜と朝の狭間だというのに、今もなお、消えない虹の橋がかかっている。

 子供はその光景に驚き、ポカンと口を開けたまま、それを眺めていた。

 そんな子供を微笑ましげに見つめ、女が子供に歌うように語りかけた。


「さぁ、ひとつ、私たち血族が貴き血筋と呼ばれる由縁を教えましょうか?

 なぜ、両手から水が出せるのか。

 なぜ、ムチで叩かれたり大人の男性に蹴られても骨折もなく無事だったか。

 なぜ、砂漠に数日間飲み食いもせずあなたが生き残れたのか。

 きっと、不思議だったでしょう?

 その答えはね、私達が人ではなく……



  、 だからなの。


 」


 女がそう言うと、ぶわりと空気が膨れ上がり目が開けられないほどの突風が駆け抜けた。

 子供がそろりそろりと目を開けると、そこには、真っ白い鱗を持つ、長い身体を優美に横たえ、空を仰ぐように首を伸ばした、清廉な龍がいたのだった。


「……セイさまが……龍だ……。」


 子供は、龍を見上げながら茫然と呟いた。

 子供がいた砂漠の国では、龍は神の遣い、または神の顕現した姿と言われている。

 なによりも気高く美しい神獣……。


 星の光が移ったように、淡い光にも瞬く白い鱗や毛髪は、動く度に青銀色に煌めく。

 気高さと慈愛の眼差しは、暖かな美しき真紅。



 朝と夜の狭間、虹の橋の前に凛として佇む、青銀に煌めく高潔な龍。

 天空を見つめる、まこと深きくれないの瞳が宝石のように濁りなく澄み、内側から光輝いていた。



 その光景に、子供は魅とれた。


 子供は、生まれてこのかた、これ程までに美しいものを見たことがなかった。

 感動と驚愕で震えていると、龍に姿を変えた女がクスクスと笑った。


「なにを驚いているの?

 あなたも私達の血族なのだから、もちろん龍に姿を変えられるのよ?

 あなたの周囲には、道理を教える成龍が居なかったのだもの。仕方ないわ。事実を知らなくて驚いたかもしれない、戸惑いと不安にさいなまれてるかもしれない。

 でも、大丈夫よ?

 今まで、真の姿を知る機会もなかった無知ゆえに、変化を解いたことがなかっただけ。

 さぁ、やってごらんなさい?

 あなたなら出来るはずよ。コツは簡単。

 ただ、世界を感じて、世界に溶け込もうと意識するだけ。」


 静かに語る女の声に、子供はこくりと頷いて目をつむった。

 コツは世界に溶け込むこと。

 世界を感じようとすると、自分の呼吸音が耳についた。

 次に自分の鼓動の音、それから風の音と空の音。

 冷たい空気、渇いた砂漠のにおい。

 星たちの瞬く光と、朝と夜の狭間の白い空。


 そして……。


 両手から溢れる、一滴の水が大地に染み込む喜び。


 ぶわりと空気量が増してむせかえりそうになって、子供は目を見開いた。


 そして、いつもより高い視界に戸惑いを覚えた。

 身体はいつも以上に調子良く、体中が喜びで溢れているように爽快だった。


「ほら、出来たわ。

 ふふふ、センカ。

 やっぱりあなたは、とっても可愛らしい小さな龍ね。」


「え!? えっ!?

 ホントにわたしが……龍に……!?

 鱗が、鱗が生えたっ!

 あれ!? いつもより、あんなに遠くまで良く見えるっ!?」


 戸惑っておろおろとしていた幼き龍を眺めて、女がクスクスと笑った。


「さぁ! センカ!

 虹の橋を渡って故郷に帰りましょう。」


 ふわりと風を纏うと、女は長い龍の身体をくねらせて宙へ伸びあがり、浮き上がった。

 子供も、戸惑いながらも本能が翔び方を知っているらしく、考えずとも宙へ浮き上がれた。


 二体の龍は、夜と朝の狭間にかかる虹の橋を渡り、理想郷へと足を踏み入れたのだった。




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