【7】痛いほど(2)

 なるべく素直な言葉で、きちんと伝える努力をする。

「昔も言ったでしょう? 覚えているかな……羅凍ラトウを『羨ましい』って。これでもね、大事な友人の心配くらいするんだよ?」

 誤解されることが多々あっただろうと船上で悔いたばかり。まさか、こんなにもはやくに実感するとは。沙稀イサキはつい苦笑いしてしまう。

 沙稀イサキの少しだけ強い口調に、羅凍ラトウがふと笑う。

「ちょっと、何で笑うの? 笑うところじゃないでしょう」

 引き続き、沙稀イサキの口調はやや強い。本心が本心と伝わらない悔しさと、恥ずかしさからだが、羅凍ラトウはケラケラと笑い続ける。──ただし、弁明を加える。

「ああ、ごめん。うれしくて」

 羅凍ラトウが足早になる。沙稀イサキに並んでも、まだうれしそうに笑い続けていて、

「まったく……まぁ、いいけどさ」

 と、沙稀イサキはどこか恥ずかしそうに流す。

 どこへ向かうでもなく、フラフラと歩き出したふたり。

「ありがとう」

 改まって、羅凍ラトウが言う。その表情は昔よりも伸び伸びとして見えて。

「どういたしまして」

 軽やかに沙稀イサキは返す。

 こうして、ふたりは暫時、他愛のない会話を楽しんだ。




 羅暁ラトキ城に着き、沙稀イサキは昼食に案内された。妃を呼ぶことなく、羅凍ラトウ沙稀イサキと食事をともに楽しむ。それを沙稀イサキは気にしたが、折角生き生きとしてくれている羅凍ラトウの前では言い出せず。ただ、羅凍ラトウ沙稀イサキが来た理由に察しはついていたのか、食事を終えると妙な間が生じた。

 羅凍ラトウはおもむろに席を立ち、受話器を上げる。そうして、沙稀イサキの抱いていた違和感が正しいというかのような、他人行儀な会話が耳に流れていった。


 程なくして、扉はノックされ、羅凍ラトウが内線をかけたと思われる相手が姿を現わす。青藤色の髪の毛と、それよりも少し濃い瞳を持つ、落ち着きある女性。微笑んだ表情が醸す上品さが、ルイとどこか重なる。縦ロールの髪の毛と、かわいらしい服装が印象的だ。

「妃のハルカです」

沙稀イサキです。初めまして」

 羅凍ラトウの紹介を受けて、沙稀イサキは右手を差し出す。

「初めまして」

 ハルカは臆することなく、沙稀イサキの手を取る。その堂々とした態度が、どことなく恭良ユキヅキのように思え、沙稀イサキは自然とやわらかい気持ちになる。

羅凍ラトウはいい奴でしょう?」

「はい。やさしくしてくれています」

 ハルカと手を離し、沙稀イサキは大臣の勘が正しかったと、なんとなく感じる。それは、どこか核心にも近く。つい、言葉になる。

「おめでとう。今、何ヶ月?」

「ありがとうございます。そろそろ四ヶ月になります」

 うれしそうに頬を染めて話すハルカは、とても幸せそうな笑みを浮かべる。

 漠然といつかは恭良ユキヅキから聞いてみたい言葉だと沙稀イサキは思う。そんな光景が一瞬で脳内に広がる。それに重なるのは、幼いころの記憶。命がふしぎだと思ったことがあったと、沙稀イサキは思い出す。あれは、初めて恭良ユキヅキに対面したときだ。

「ふしぎだね、命って」

 沙稀イサキ恭良ユキヅキの面影を、一瞬でも誰かと重ねたのは初めてのこと。しかし、それほどまでに会いたくて仕方ないのかと、胸がズキリと痛む。




 沙稀イサキが少し呆然とした間に、羅凍ラトウに客室へと案内された。本来なら、ここでふたりは別れるのだが、

「話をしていかない?」

 と沙稀イサキが扉を開けて誘うと、羅凍ラトウは驚いた──が、うなづく。


 ふたりが入室し、扉を閉める。ドアノブから手を離した沙稀イサキは、心境を整えるように深く息を吐く。そして、

「ちょっと、感動した」

 と、前置きし、羅凍ラトウに向き直っておだやかに言う。

「おめでとう」

 率直な気持ちを言えば、羅凍ラトウが先に父になると思えば、悔しい。けれど、羅凍ラトウ沙稀イサキよりも先に結婚している。いや、どちらが先かどうかというよりも、結婚してすぐに授かったのが、羨ましいというだけかもしれない。

 誰が先、後と順番をつけて考えるのは無意味だ。わかっているが、切望するだけに叶った者を目の前にして、羨んでいるだけだ。

 一方の羅凍ラトウは、そのおだやかな発言を受けて──うつむいた。表情を重く一変させ、

「ありがとう。大事にできるように……努力してみる」

 と苦しそうに言う。

 驚いたのは、沙稀イサキだ。沙稀イサキにとっては、仮に妃が恭良ユキヅキではなかったにしても、結婚して妃が身籠っているのは喜ばしいこと。だから、羅凍ラトウの態度が理解できない。

 ──もしかしたら、親になる覚悟がない? それとも……。

 沙稀イサキがこうして考えていると、羅凍ラトウは気まずそうに口を開く。

「俺には、そんな風には思えなかったから」

 羅凍ラトウには『沙稀イサキだったら』どう思うかと、予測が立つからだろう。昔からそうだった。沙稀イサキには、羅凍ラトウの考えをわかってあげられない。昔、『告白ではなく羅凍ラトウなら娶るじゃないの?』と聞いたときもそうだった。

 沙稀イサキハルカを見て、いい人を妃にしたと思った。だが、羅凍ラトウは、きっとそうは思っていない。

 羅凍ラトウは初めて会ったときから貴族らしくない。友人としては新鮮であり、だからこそ仲良くなれた気もしたが、本人としてはどうなのだろうか。割り切らないといけないことを割り切れなくて、苦しんできたのか。

 恋を割り切れなくて、望まない結婚をして、今でも苦しんでいるのだろうか。もしそうだとするなら、羅凍ラトウは今どれほど辛いだろう。

 好きだと言っていた子はどうしたのかと、沙稀イサキに疑問が浮かぶ。羅凍ラトウは、告げたのだろうから。

「そっか。……あの子には、会ってないの?」

「あの子?」

 羅凍ラトウが顔を上げて首を傾げる。けれど、沙稀イサキは名前を知らないどころか、見かけたこともない。だから、回りくどい言い方になってしまう。

「昔、告白するって言っていた子」

 沙稀イサキが知りうる限りの情報で言うと、伝わったようで。羅凍ラトウは『ああ……』とその人物を思い浮かべたようだった。

 そこでまた羅凍ラトウの表情は曇り、悲し気にポツリと言葉が落ちる。

「出て行った」

 ちいさなため息が、羅凍ラトウからもれた。

「兄上と俺の結婚が決まった当日に……ああ、その子は『哀萩アイシュウ』って言って……俺が六歳のときに父上が引き取った、ふたつ下の女の子だったんだ」

「告白は、した……んだよね?」

 様子をうかがいながら沙稀イサキが聞くと、羅凍ラトウは静かに首肯する。

 沙稀イサキにとっては、頭を抱える事態だ。養女であれば、息子が希望すれば身分差は乗り越えられるのでは? と。──だが、この考えは、次の羅凍ラトウの発言で消滅する。

「想いを伝えたら、関係は悪化した。哀萩アイシュウは父上と愛人の……いや、違うな。父上が結ばれたいと願っていた、恋人との娘だった」

 一言目は、沙稀イサキにとって信じがたいことだった。羅凍ラトウの想いを撥ね退ける女性がいるのかと。けれど、名よりあとの発言に、沙稀イサキはドキリとした。

「真実を知っても俺は、諦められなかったんだ」

 父が、同じ。それは、つまり──。沙稀イサキも身に覚えのある恐怖だ。

 羅凍ラトウは口を閉ざしている。──それは、そうだと沙稀イサキは思う。いや、ここまでの経緯を、誰かに言えるだけすごいと思う。どれだけ口にしたくないことかと、沙稀イサキはよく知っている。

 まさか、羅凍ラトウが同じ思いをしてきたとは、想像をしていなかった。いいや、事実として確定している以上、羅凍ラトウはどれほど苦しく辛かったか。沙稀イサキには身に染みる。同時に、告白した事実がある。羅凍ラトウの想いの深さが、痛いほどわかる。

 今になって、昔の質問への返答を理解できた。『それは考えていない。無理だから』。

「俺たちは、腹違いとは言え……兄と妹だった」

 沙稀イサキの鼓動が、強く打った。ザワザワと妙な胸騒ぎがする。奇妙な感覚だ。

「俺が父上の子ではなければいいと何度も思った。だけど、そんなことは……」

 羅凍ラトウの声は消えていく。『そんなことは、ない』、そうだろう。貊羅ハクラは王位に就く前に、天涯孤独になっている。これだけ、貊羅ハクラに似ていると騒ぎ立てられていれば、疑いようもない。

 思い返せば、外見を美しいと囁かれる声が羅凍ラトウの耳に入らない。それは、入れたくないと心が拒否をしているからこそなのか。貊羅ハクラに似ている外見を、羅凍ラトウが良しとしていないからこその、拒絶。

 これまで沙稀イサキが理解できなかった羅凍ラトウの言動が、徐々に理解あるものへと変わっていく。

「未だに気持ちにケリをつけられない。告白も、受け入れてもらえるはずなんてないって、わかりきってて言ったのに。……なのに、未だに消化できないんだ。おかしいだろ、俺」

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