【32】約束
しっかりと髪を乾かした
「よし!」
誰に言うでもなく、彼は風呂場を出る。
風呂場の戸を閉めるなり、
「何してるの?」
彼女は布団に包まり座っている。
「だって……湯冷めすると風邪ひいちゃうし。冷え込んできたし」
どうやら
「もう……かっわいい~なぁ……」
ゆるむ口元をキュッと締め、足早に近寄りギュッと抱き締める。
布団の上からでも、湯上りのあたたかさは
「あったかい」
と、彼女の口調が和らいだ。
「もっと、あっためてあげようか」
うれしそうな
ちいさい体は、想像以上に冷えていた。縮こまっていたせいか、彼女の手が胸元に当たる。
「あったかい?」
「うん」
ちいさな彼女がよりちいさく思えて、
「ヤバイ。幸せすぎて昇天しそうなんだけど」
「私も幸せ」
ふと、ふたりの間にあった彼女の腕がスッと消えた。直後、
「ねぇ」
「ん?」
「髪留め取って……って、言ったら……」
「取るよ」
「きれいね」
「
彼女は息を呑むようにハッとして、すぐにうつむく。
「明るくて、ちょっと……恥ずかしい、かも」
明かりを消したときに一度離れた彼女の手が、スッと戻ってくる。伝わる、彼女の体温。
暗闇で研ぎ澄まされた触覚が、充分なほど彼女の存在を伝えるが、もっとと欲が駆り立てられる。ずっと好きだった。ずっとずっと、好きだった。長年、彼女を思い続けて、思い続けるしかできなかった。今でも大好きだ。それこそ、彼女がいてくれれば、言葉通り何もいらないほどに。
互いの服を乱し、胸元と首元を重ねる。肌が触れ合う幸せを、
──あのときが本当に夢だったら……今頃、正夢だったと思えたのに。
より幸せを求め、彼女の胸元を保護する物に触れようとしたと同時、断片的な記憶が早送りで巡ってくる。
『私たち、親になるんですね』
妊娠の報告のとき、
決して、軽率な気持ちではない。むしろ、彼女となら子を望むほど。しかし、それは望んではいけないと、理解している。許されないと自戒してきた。
「どうしたの?」
それは彼女もよく理解をしているはずだ。
見上げた彼女を見て、
──何を、願っていたんだろう?
喫茶店を出てから、何度も唇を重ねるタイミングはあった。だが、その度にとまどった。行動に移さなかったのではない。できなかったのだと、
「心中なんて、おかしな奴らのすることだと思っていたけど……今ならわかる」
「明日はもうないとすれば、俺は何も迷わない。最期ならと……。でも、俺は巻き込んで傷つけたいわけじゃない。大事な人くらい、きちんと大切にしたい」
数秒間、時が止まったかのように強く抱き締めたあと、
「ごめん。俺は……明日帰る。
彼女から手を離し、
「幸せを願うだけなら俺は、『兄』でいい」
「星でも見よっか。ここ、きれいに見えるの」
彼女はあえて明るく言う。彼の性格を把握した上でのことだろう。
立ち上がって手を差し伸べると、彼は涙を落としたと悟られたくないようだった。
ふたりは手を繋ぎ、外へ出る。
真夜中の冷たい空気で、握る手はより強くなった。
「来世なんて信じないけど」
夜空を見上げながらポツンと
「また生まれるときがくるなら、そのときは
「何それ」
彼女は笑う。けれど──同じく星空を見上げると、それも悪くはないのかもしれないと彼女には思えた。
「じゃあ、約束しましょ」
声を弾ませる。ふと、ふたりの視線は合う。
「
「うん……約束する」
彼女の強い瞳に彼は誓う。彼女を振り回した結果になったにも関わらず、彼女はそれを責めなかった。彼女の強さに惹かれていたのだと、
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