【29】再起
翌日の早朝、
「わかりました」
悲しいでもなく、嫌でもなく、ただ一言だけ
『
いつ戻るか、いや、果たして戻って来るかもわからない。何日も日が経てば経つほど
──ずるいな、俺は。
もう戻らないと言えるほど、自信があるわけでもない。ただ、一日は戻らないとだけ決めていた。
目的地は
歩きながら思いを巡らせる。父と
父が愛した人だと知っても、憎しみは湧かなかった。むしろ、『ああ、そうか』と気持ちが楽になったという方が正しい。父が
しかし、今は複雑だ。
父と同じ行動をしているようで、父とは違う。何を取り払っても
最後にやっと聞けた、
これまでも、何度も最後だと思ってきた。けれど、今回が正真正銘、最後なのだろう。
全部を捨てる覚悟で来たが、彼女次第だ。
身分を取り払うように、なるべく身軽な物を選んで身に着けてきた。できるだけ質素になるよう心がけてマントも剣も置いてきた。
剣がなくても、護身術は身につけてある。
草原を抜けると、遠くに建物が見えた。ちいさいが、町だ。
──この先に……。
ほどなくして、
ちいさな喫茶店だ。しかも、辺りにはこの店しかない。間違いないのに、すぐに入れずにいた。
カララン
不意に、金属音が鳴った。
「どうぞ。お席ありますよ。おひとり様ですか?」
明るい声で店員は話しかけるが、
「あ……いや、待ち合わせで」
「女性の方ですか? お待ちですよ」
「どうぞ」
にこやかに誘導されては、留まってはいられない。
顔の熱がはやく冷めてほしいと願う。彼女に会えるのだから、少しでもかっこよくありたい。
店員がひとつの席を示す。その先を追えば、彼女のうしろ姿が見えた。一気に緊張が増し、短い距離を遠くに感じながら歩く。
熨斗目色の髪を見下ろして通過し、対面する椅子へと座る。
「久しぶり」
正面を直視できないまま座ると、
「久しぶり」
と、昔聞いたやわらかい声が返ってきた。こんなにやわらかい声色を聞くのは、五年以上ぶりで──
彼女は、最後に会ったときが嘘かのように、とても幸せそうに笑っていた。
「お父様から聞いていたけど……本当に質素な感じになったのね」
楽し気にクスクスと笑う彼女を見て、変わらず彼女の中に己の存在があったと実感し、感極まる。
すると、先ほどの店員の姿があった。
「オーダーがお決まりになりましたら……」
「パフェと紅茶をお願いします」
「俺にも同じのを」
「は?」
気の抜けたような彼女の声を聞きながら、
「ねぇ、ちゃんと聞いてた? 私、パフェ頼んだんだけど」
「聞いてた。俺も同じのが食べたい」
不服そうな声に、同様に返す。一触即発しような雰囲気が漂う中、
「かしこまりました」
店員は笑いを堪えたように言うと、姿を消した。痴話喧嘩だと笑いたかったのだろう。ふたりの間に、沈黙が漂う。
押し黙る空気の中、
「父上に……何度も会ってるの?」
「うん。何度も」
「ふ~ん」
自ら振った話題に興味なさそうな態度を
「と、いうか……となりに引っ越してきたの。引っ越しのあいさつだって、お父様がいらしたときは驚いたわ。しかも、開けた早々『一緒に住まない?』とか言うのよ?」
信じられないでしょと言いたげな口調のあと、ふうとため息をつく。
「まったく……そういう台詞は、もっと違う場面で言われてみたかったわ」
「一緒に住みたい」
間髪なしの
しばしの沈黙が流れる。すると、
「パフェと紅茶をお持ちしました」
と、明るい声が響いた。場の空気は一瞬にして変わり、店員は業務的に置いていく。
「ご注文の品は、お揃いですか?」
「はい」
笑顔の店員に、ふたりの声が重なる。
店員は下がっていき、
「おめでとう」
彼女は視線をパフェに移す。長いスプーンを持ち、パフェの上部をすくう。
「聞いたの。お父様から。
「
彼女の言葉を遮った
「一緒に住みたい」
と、もう一度告げる。
彼女は少しすくったパフェの上部を口に入れると、しっかりと
「それ、本気で言ってるの?」
「もちろん」
「
「わかってる」
静かな怒りが込められているような彼女の瞳を、
彼女は母子家庭で育ってきた。母と過ごしていた日々は、父に捨てられたと思ってきたのかもしれない。いや、父と出会ってからも長い間、恨んでいたのかもしれない。
何も言わなかったが、いつか憎らしいと恨まれることがあるだろう。
愛人を作って姿をくらませたとなれば、
何もかもを失うが、
数秒、ふたりは何も言わずに互いを直視していたが、
「そうなんだ」
ポツンと彼女が言う。
けれど、浮くことなく、ずっしりと重い。『身勝手だ』と言われているようで、
だが、正反対な言葉が聞こえた。
「いいよ」
反射的に
「嘘?」
ちいさな店内に声が響く。
百八十を超える長身は、こじんまりとした空間で際立っていた。
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