【4】拘泥

 白いレースが基調とされた、どこか幻想的な部屋。部屋の一番奥には、総レースの天蓋が二重に重なって垂れている。天蓋の中は、広いベッド。アクセントでほんのりと薄い、ピンクの模様がある。ここは、恭良ユキヅキの部屋だ。

 広いベッドの上にはしなやかな肢体。肩ほどのクロッカスの髪の毛と、長いリラの髪の毛がシーツの上で交ざり合っている。五感を駆使して互いの想いを確認し合う行為は、時間の概念を喪失させるような空間の中で繰り返され。けれど、長いリラの髪の毛を持つ方は、なぜか満たされるよりも切なさばかりが積もっていくようだ。

「離れたくない」

 沙稀イサキ恭良ユキヅキを抱え込んで呟く。

 ふたりでいれば、いつも幸せそうに笑う彼の異変に、恭良ユキヅキは背中に回す手で長いリラの髪の毛を指に絡める。

「どうしたの?」

 その指先は、なんとも愛おしそうで。

 沙稀イサキはまた彼女のあたたかさに沈みたくなったのか、心配する彼女に口づけをして、そのままとろけるようにその肢体と合わさる。


 それなのに、どうしたことか。

 愛しい想いと比例するように深く、切なさが増していくだけのようだ。


 こんなことは初めてだろう。恭良ユキヅキと婚約してからは、沙稀イサキは切ない想いを重ねなかった。むしろ、彼女からの愛を実感して、深く刻まれた傷まで癒されてきたというのに。

 恭良ユキヅキを触れているはずなのに、感じているはずなのに、沙稀イサキには悲しさが槍のように降ってくる。

「このまま、とけてしまいたい……」

 ついには、右目から一粒の涙があふれて落ちる。そのあとも落ちていく涙は止まらず、溺れるようにキスをして、恭良ユキヅキを求める。

 ふと、恭良ユキヅキが涙でぬれる頬をひとなでする。

 動きを止めた沙稀イサキは微かに震え、悲しみに暮れるように涙を流し恭良ユキヅキを見つめる。

 恭良ユキヅキは呆然と沙稀イサキを見たが──突然スッと上体を起こすと、沙稀イサキに力が入っていないと判断したのか、押し倒した。そして、クスリと笑う。

「そんなこと言っていると、いじめちゃうよ?」

 沙稀イサキの返事を待たずして、恭良ユキヅキは首筋に顔を埋める。

 恭良ユキヅキの呼吸と唇の感触を沙稀イサキは耳に感じ、気恥ずかしさが込み上げ──彼は、慌てた。

「ぃ、いい……もう、いい。大丈夫だから」

 沙稀イサキ恭良ユキヅキを静止する。

 恭良ユキヅキは疑い深そうに、沙稀イサキを覗く。

「本当に?」

 冷静さを取り戻したのか、沙稀イサキの涙は止まっていた。何度も首肯している。冷静になったのなら、言葉を発せないほど恥ずかしいのか。沙稀イサキは今更のぼせたように赤くなって、目元を拭う。

 けれど、そんな姿も恭良ユキヅキからすれば、ただただ愛おしいようで。

「私もさみしいけど、数日間だけだから……お互いに我慢しなきゃね」

 にこりと微笑んで、弾んだやさしい声を出す。


 沙稀イサキは軽い自己嫌悪に苛まれる。

 恭良ユキヅキを優先して従っていたつもりが、我が儘ワガママになったのは己の方だと。




 翌日も沙稀イサキは、大臣の業務をサッと手伝う。そうして、外出の準備をし、間もなく九時になろうかというころ、ルイがそろそろ来るかもしれないと広間に向かう。すると、そこには──予想のしていなかった人物がいた。つい、思ったままに口が動く。

「何で、瑠既リュウキ恭良ユキヅキと一緒にいるの?」

 不服そのものだ。沙稀イサキの不満は膨らむ一方。親密そうに話している双子の兄と、妻の姿を凝視して。

 沙稀イサキらしくない言葉遣いを聞き、驚いたのは大臣だ。

沙稀イサキ様、鐙鷃トウアン城の宮城研究施設開設に向けて恭良ユキヅキ様も瑠既リュウキ様も、尽力なさっているのですよ」

 大臣がなんとかおだやかな沙稀イサキに戻ってほしいと願いを込めて言ったにも関わらず、沙稀イサキを不機嫌にさせている当人たちは仲良さそうに笑顔を返す。

「ああ、おはよう。手伝ってもらってんの。恭良ユキヅキって意外と頭よかったんだね」

「お兄様とお姉様のお役に立てるなら、うれしい」

 事もあろうか、恭良ユキヅキ瑠既リュウキを見てにこにこと微笑む。けれど、沙稀イサキの怒りは恭良ユキヅキには向かない。

「ほどほどに恭良ユキヅキから離れて」

 それを聞いて、恭良ユキヅキ沙稀イサキを見た──が、わざと一歩、瑠既リュウキに近づく。微かに、沙稀イサキの眉が跳ねた。

 そんな恭良ユキヅキのそぶりを、瑠既リュウキのとなりにいるルイが笑う。

「何で俺をそんなに敵視するんだか」

 瑠既リュウキがため息交じりに愚痴をこぼす。それを、さりげなくフォローするのはルイ

沙稀イサキ様が意識しているのでしょうね、瑠既リュウキ様を。恭良ユキヅキ様も、あまりからかってはいけませんよ」

「はぁい」

ルイ姫、行きましょうか」

 沙稀イサキはわざと恭良ユキヅキの返事に声を被せたのだろう。一方で、ちょっと悪乗りをしたら珍しく機嫌を損ねてしまったように感じた恭良ユキヅキは、小走りで沙稀イサキに向かって行き背に抱きつく。

「行ってらっしゃい」

 心配をしていたルイも大臣も、瑠既リュウキも──パッと顔がほころぶ。これで、一安心だと。

 その一瞬だけ固まったのは、沙稀イサキで。周囲の視線など気づかずに、視界はクルリと恭良ユキヅキに向かう。恭良ユキヅキを視界に入れれば、沸々と湧くのは罪悪感。あんな些細なことで、当たってしまったと。

「行って来ます」

 沙稀イサキ恭良ユキヅキを強く包み込む。触れて実感するのは、華奢でちいさな体。離れるのが名残惜しい。そう思いながらも、時間が迫る。尚且つ、沙稀イサキからルイに出発を告げた。沙稀イサキはなんとか恭良ユキヅキを手離し、微笑む。

ルイ姫を、よろしく」

 瑠既リュウキは相変わらずだなと思いながら声をかける。すると、沙稀イサキは潔く恭良ユキヅキから離れた。

「大丈夫だって。それより、恭良ユキヅキに触れるなよ」

「はいはい」

沙稀イサキ様が航に乗るまでいてくださるのは、心強いです」

 ルイが続けて『行ってきます』と言うと、瑠既リュウキたちは『行ってらっしゃい』と見送る。


 こうしてふたりの背中を見送り、大臣は瑠既リュウキに何気なく聞く。

「どうして、ルイ姫とご一緒に行かなかったのですか?」

「俺が何も知らないってわけにもいかないじゃん。だから、俺は居残りなの」

「そう! これから、お兄様にはたっぷりお勉強していただくの」

 恭良ユキヅキは、さも楽しそうに声を弾ませる。

 すると、瑠既リュウキはまるでコントを始めるかのように改まり、恭良ユキヅキに向き直して軽く頭を下げる。

「先生、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」

「おやおや、恭良ユキヅキ様は厳しいかもしれませんよ?」

「ウソ!」

 悲鳴のような瑠既リュウキの声に、大臣と恭良ユキヅキは笑う。

「もう、大臣ったら」

 恭良ユキヅキは即座に違うと否定したが、大臣は更に言う。

「本当ですよ? 我が城の宮城研究施設を取り締まっているのは、恭良ユキヅキ様ですからね」

「へぇ。じゃあ、先に白旗あげておかなくちゃ」

「お兄様まで。……違うの、凪裟ナギサがずっと見ていてくれたから、私も色々しておかなくちゃいけないことがあるの。だから、お兄様には……手伝ってもらいながら覚えていただきます」

 恭良ユキヅキはにこりと微笑み、瑠既リュウキを宮城研究施設へと促す。引きずられるように歩き始めた瑠既リュウキを見て、仲のいい兄妹の光景だと大臣は微笑む。

「何かあれば、呼んでくださいね」

 大臣が声をかけると、恭良ユキヅキは振り返って、

「ありがとう」

 と、笑って手を振った。


 微笑ましく皆を見送って、大臣は呆然と瑠既リュウキ恭良ユキヅキの背を見つめる。

 瑠既リュウキ恭良ユキヅキのうしろ姿に、沙稀イサキ恭良ユキヅキのうしろ姿を重ねて見ても、大臣には同じには見えない。

 今、背を向けているふたりはまさに『兄妹』と言っていい光景なのに、重ねたふたりは『男女』にしかならなかった。

 何年、姫と護衛を見守っていても、恭良ユキヅキ沙稀イサキは距離を一定に保っていたはずだった。まさか、あの沙稀イサキ恭良ユキヅキと離れたくないと言うとは思わなかったと、大臣は笑った。

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